暗に黙す
1600フィート四方の山肌をそのまま利用した土地に、グラムセイス・スラムは雄を存する。周囲に高い塀を設置し、松明と監視人員を配置して、夜間でも危険とかけ離れた世界になっている。
ひしめくほど家屋が並び建ち、住まう人間は約500人。州でも最大のスラム街を誇る。老若男女人々はその中で平和な時を過ごしていた。そこに住む人達にとってはそこが全てであり、外界で起きている世界規模の変異すら、対岸の火事というより対国の小火騒ぎほどの出来事程度の認識でしかない。
山から削り出した岩と大木で造られた大きな門が開き、軍のトラックが入ってきたのをマシュが見たのは、松明の灯りと煌々と溢れる夜の最中だった。マシュ達に割り当てられた小屋から、門柱の高台から銃を光らせるスラムギャングの姿も見える。
「ここは1つの街のようだな。ほら、コーラも酒も簡単に手に入った」
クレイヴンがマシュにコーラの缶を投げてよこす。冷えた缶を掴むなんて何時間ぶりだろう。
「クレイヴンとカーレンが彼らを誘導してくれなかったら、今頃どうなっていたか。ありがとうございます」
「彼らギャングも生きるのに必死らしい。山で野生動物を狩っていた時に出くわすなんて、俺達はツイてた。武器も豊富にあるようだから」
「ホント、悪運だけはいいみたい」
フェイスはマシュの手からコーラを奪うと、プルタブを開けて飲み始めた。マシュは肩をすくめ、エブリンが自分のコーラを分けてくれたのを快く受け取った。
「で? これからどうするんだ」
部屋の隅で膝を立てて座るジムは、睨むように皆を見る。
「どうするも何も、ここでしばらく過ごせるじゃない」
「しばらくっていつまでだよ。ここだって山小屋か臭いスラムの小屋かの差だろ」
「ワシの小屋は臭くなかったろうが」
ヒンチが猟銃を磨きながら言った。
「あんたねぇ、文句しか言えないわけ? 助けられて臭いだの何だのって、気に入らないならあの臭い小屋に残ればよかったじゃない」
「んだとコラァ!」
額を突き合わせるフェイスとジムをカーレンが引き剥がす。ヒンチは『ワシの小屋は臭くないと言っとろうが』と言うのを、マシュがやんわりなだめていた。
「ここが臭いって?」
入口からグラマラスな女性が屈強な男を数人連れ入ってくる。褐色の肌が短いタンクトップからかなりの面積が窺える。ロングブーツを鳴らし、大きく前に突き出たタンクトップを揺らし、ブルネットの髪をなびかせながら、イスの背もたれを皆に向け座った。
「あの山ん中で武器もなくよく生きてたねあんた達。ここは武器も食料も寝床もあるから、ゆっくりしていきな。アタシはリヴァ、ここの頭だ。よろしく」
「女がこのスラムを取り仕切ってるのか?」
ジムの疑問にリヴァの連れの男達は懐や腰に手を当てたが、リヴァがそれを手を挙げて制し、口角を上げた。
「女が頭じゃ不満かい? 試しに頭を奪ってみるか? あんたじゃアタシに勝てないよ。こっちも『こっち』も」
リヴァは拳をひらつかせ、そのあと指で輪っかを作り卑猥な指動をした。クレイヴンは肩をすくめ、エブリンは真っ赤になった。ジムは苦々しくリヴァを睨む。
「何かいるものがあったら言いな。こいつらが面倒を看る。間違っても柵の外になんか行かないように。命の保証はないよ。何か質問は?」
「あの……何故、僕達を助けたんですか?」
マシュは回りの男達を気にしながら口にした。
「もう生きた人間は少なくなってる。助けなきゃしょうがないだろ。コミュニティが大きくなれば新しく文明が作れるだろ。人間としての文明が。まぁ、その代わり物資の調達が大変になるけど。ここに長くいるつもりなら、いずれあんた達にも加わってもらうからね。物資調達班に」
「僕達も、ですか?」
「持ちつ持たれつだよ。当然」
リヴァは眉を上げ、歯を見せた。
「姐さん、ビンセント達が帰りました。ブクレンタの街はもう物資が取れなくなったようです。それと、軍人を3人連れてきました」
男がリヴァの元に寄る。
「軍人? まだ軍人なんかいたのかい? それで? 何でブクレンタはダメなのさ。あそこにはまだ大量に物資があったはずだ。まぁいい、話はあとだ。じゃああんた達、ゆっくりしな」
リヴァは手を挙げ、男達を伴い部屋から出ていった。
「……どう思う?」
エブリンがマシュに耳打ちする。
「きれいな人だとは思うけど、スゴく気が強そうだね」
「そうじゃないわよ、このスラムの事」
「あ、ああ、そうか。うん、栄えているけど……あの化け物達から本当に身を守れるかどうかは分からない」
「……マシュはああいう人がタイプなのね」
「えっ! ち、違うよ! 別にそういうわけじゃ」
「……やらしい」
「え? エブリン? ちょっと!」
エブリンが部屋を出ていく。マシュはそれを追っていった。
「何をしとるんだ、あの2人は」
「知らねえよ」
ヒンチはジムに問うが、ジムは宙を睨むばかりだった。
黄色の電球が揺れている。風で揺れているのか、自分の眩暈がそうさせているのか、霧がかった頭を振り、上半身を起こす。
ここが何処だか分からない。見慣れない部屋を見回しても、自分の記憶にはない。どうやら診療所のようだが、設備はお世辞にも良いものではなく、粗末な備品が配置され、微かに消毒の匂いが漂っていた。
体に走る激痛はトラックが横転した時より和らいではいるが、それでも顔をしかめ力を入れなければ体勢を起こせなかった。
肩と腕に念入りに包帯が巻かれている。骨に異常はないようだが、きっと青く内出血しているだろう。
隣のベッドを見ると、フレックとディッセンが寝かされていた。2人共寝息を立てている。仲間が生きている安堵に、深くため息をついた。
部屋の扉が開かれる。見知らぬ女が数人の男を連れて入ってくる。思わず身構えてしまう。
女は部屋の隅にあったイスを引き、ベッドの脇に置いて腰かけた。
「あんた名前は?」
不敵な笑みで自分を観察する。自分の勘なのか軍人の勘なのか、女がただ者ではないのを感じる。
「ここは何処だ」
「質問に答えな、シー・クライメント準曹長」
「知ってるんじゃないか」
女はシーの認識票を、挙げた手の中から宙に掲げる。
「何故ブクレンタにいた」
「ブクレンタ?」
「あんた達がいた街だ」
「俺達は生存者を探している」
「探してどうするつもりなんだい」
「保護するんだ」
「保護? 組織も崩壊した軍でかい?」
「俺達が生きていればまだ軍は存在する」
「……ホントの事を言いな。あんた達軍の生き残りが何をしているかは、薄々分かってるんだ」
「何? 他にも生き残りがいるのか?」
「質問に答えろクソがぁ!」
女の横から俺が拳銃をシーに突きつける。女は拳銃を下ろさせ、改めてシーに向き直った。
「悪いね。最近このスラムの仲間が何人か軍の人間に拉致されるって事件が起きたもんだから」
「俺達じゃない」
「ああ、分かってるさ。嘘をついてるとは思ってない。あんたは何も知らない『部類』なんだろう」
女の目がシーの瞳を捉える。シーも女の瞳を見据える。
「エレメックスを知ってるかい?」
「ああ、州で一番大きな基地だ。その基地の者が人さらいをしてるのか?」
「恐らくね。まだ調べてる最中だ」
「だったら俺達も協力する。疑いをかけられたままじゃ癪だからな」
「あんた達が犯人だと思っちゃいないが、あんた達を信じるとも言っていない。悪いが見張りをつけさせてもらうよ」
「監視下に置かれるのか。それで疑いが晴れるなら構わない」
「……アタシの名前はリヴァ。よろしくね、クライメントさん」
「シーで構わない」
「……そう。よろしくね、シー」
リヴァは立ち上がり、1人の男を置いて出ていった。男は拳銃を手にしたまま腕を組み、入口の扉に寄りかかった。
リヴァとの話は、決して穏やかなものではなかった。さも和やかに会話していたように女は装っていたが、シーの認識票を持つ反対の手には、ベッドの下に隠したままショートナイフが握られていたからだ。軍隊で訓練を受けたシーでなければ気づかないほどの狡猾さだった。
何かあればリヴァのナイフはシーの喉元を容易く切り裂いていただろう。丸腰のシーには受けきれない。情緒が不安定になっているディッセンが眠ったままでよかった。
リヴァの話には興味をそそられた。エレメックス基地の人間が人さらいをしている可能性があるという。自分にはもちろん初耳だった。仲間達も関与していない。何の為に人をさらうのか今は全く分からないが、調べる必然性はある。同じ軍人として、決して許される事ではない。それが事実であるなら。
そしてここが何処だかも薄々分かった。州で一番大きなスラム街のボスは若い女性だと聞いた事がある。彼女がそうだろう。ここはそのスラム街の一角で間違いない。自分達はスラムギャングに保護されたようだ。
シーは扉に立つ男を見た。おいそれと部屋を出してくれそうもない。拳銃の安全装置は解除されている。
「何を見てやがる」
シーの視線に男は睨みを利かせる。
何か行動を起こすにしても、フレックとディッセンが目覚めてからだ。今は体を休ませる必要がある。
シーは痛む体をベッドに横たわらせた。
マシュ達がスラムに保護されて3日が経った。
マシュはその間、エブリンやタツヒロと一緒にスラムの中を探索した。マシュ達の世話をしてくれているミッシェルとベンジーの男女が、リヴァの許可を得て案内してくれた。
スラムには家屋が百は建ち並び、店や共同墓地なども存在する。診療所や小さな学校、家畜を飼う敷地などが並ぶのを見ると、本当に街にきたのだと錯覚する。だがそのどれもがトタンや木材、石のブロックなどで造られた簡易的な拵えで、粗末なものであった。しかし裕福でなくともスラムの人間は笑顔を絶やさず、外からきたマシュ達を気さくに受け入れてくれた。ニュースや誌面で見た印象のスラムとはかけ離れた明るい印象だ。それもこれも、ここを統率するリヴァの存在があるという。
「姐さんはスゴいんだ。元々ここはこれほど大きくなくて、治安も最悪だったんだ。病気も蔓延していたし、ドラッグの売買なんかもあってさ。それは酷い有様だった。それを姐さんは1人で少しずつ解決していった。まだまだ家も店もしっかりした造りじゃないけど、皆に屋根と壁がある建物を提供してくれて、診療所も造って医者を招いてくれた。ドラッグもきれいに排除して、オレ達に住み良い環境を与えてくれたんだ。姐さんはホントに頑張ってくれたんだよ」
ミッシェルは誇らし気に胸を張った。
「姐さんは皆の憧れなの。アタシは姐さんみたいに強くて優しい女性になりたいわ」
ベンジーも同様、リヴァを誇りに思っていた。ミッシェルやベンジーだけではない。誰彼必ず話に挙がるのは、リヴァの偉大さと感謝の言葉だった。年老いた女性は皺を緩ませ、フェイスを捕まえて延々とリヴァがどれほど素晴らしいか力説した。フェイスがその日帰ってきたのは空が白け始めた頃で、見るも無惨にヘロヘロになっていた。
『年寄りに話しかけるのは、金輪際やめるわ』
フェイスは昼過ぎまで寝ていた。
それでも未だスラムの中でいざこざもあるらしい。酒と銃の規制はされてなく、大小様々な事件事故にリヴァは頭を悩ませていた。特に銃を用いた事件には厳しい罰則が課せられ、スラムの端には独房もあるようだ。
それでもそれらを規制しないのは、ここに自由が存在するからであり、リヴァは皆を平等に扱い、それらに均等に自由を与えていた。その想いに応える為に、良心ある者達の力で銃や酒があっても平和を保てていた。
更にリヴァは物資調達の際に生きた人間を発見した時、スラムで保護する事も掲げていた。だからスラムには他の街や他の州出身者も数多くいる。ベンジーもその1人だと言った。家族で逃げている際、ベンジーだけ命を救われたらしい。
「両親も弟も助からなかった。アタシだけ辛うじて助かったの。探索班に発見されなかったら、アタシはスラムの外でウーウー唸りながらうろうろしてる存在になっていたわ。だから姐さんはアタシの……皆の命の恩人なの」
統率する事は難しい。人が多ければ多いほど、より困難になる。リヴァはそれをたった1人のカリスマ性でまとめていた。しかしそれはリヴァがいなくなると崩壊するという意味も含まれる。だからかつてはリヴァの命を狙う輩もいたらしい。
「他のスラムの人間が、怪我人を装って入り込んだ事があったんだ。姐さんの命を狙ってね。姐さんがいなくなれば、この巨大なスラムを吸収して、自分の勢力を拡大できると踏んだ他のスラムの頭の策略だった。それをいち早く察知した姐さんは、数人の男を連れてそのスラムに乗り込んで、話をつけてきたんだ。勝てないと理解したそのスラムの頭は自害したらしいけどね。でもそこの人間も姐さんは受け入れて、今では姐さんの側近の1人になったやつもいるよ。姐さんの器の大きさの勝ちだよ」
彼らの生活がここで平和に根付いている事は分かった。だが外は人成らざる者の天下になっている。比較的安全かと思われた山奥でさえ、あの化け物達は巣くっていた。マシュやエブリン、タツヒロ、ジム、シェーンがヒンチの山小屋を見つけ避難したのも、街よりも安全だと考えた為だ。しかし結果、囲まれる事態になった。あの捕食者の食料である人間がほとんど存在しない山中であの有様なら、麓のこのスラムは恰好の餌食ではないのか。だが、マシュの疑問はすぐに解決された。
それは豊富に用意された武器の為だった。
酒と同様、銃の規制もされていないが、銃どころか、『武器小屋』と呼ばれる場所には、ライフル、ショットガン、手榴弾やバズーカ、小型の大砲まで揃っていた。弾丸や火薬類も大量にあった。今や化け物からスラムを守る手段や狩りの道具になっているが、他のスラムとの抗争にも使われていたようだ。何処でこれだけの武器を調達してきたのか分からないが、リヴァの手腕とこの豊富な武器が、このスラムを守っているのは間違いない。
「この街に住んでる人のほとんどは、外で何が起きてるか知らないんだ。姐さんも不安を煽らないように、あまり言わないんだよ。知ってるのは新入りの世話を任されてる僕らとか、調達班とか、姐さんの側近達ぐらいなんだ。新入りにもあまり外の情報を流さないようにお願いしてる。老人とか子供もたくさんいる街だから、不安がらせたくないんだよ」
「うん、分かりました。僕達も気をつけるよ」
「ありがとう。さぁ、お茶にしよう。この先のワッカじいさんのカフェは最高なんだよ」
その夜、マシュ達は共同浴場に案内された。川から汲み上げた水を沸かし、スラムの敷地内に浴場を造ったそうだ。これもリヴァの立案らしい。
それぞれの家にはほとんど風呂がない。小さな小屋の造りの為、シャワーがある家もあるが風呂はまず造っていない。なので共同ではあるが皆がいつでも入れるように造ったのだという。清潔にすれば病気などの蔓延も防げるという考えだ。現に住民は服装こそ粗末でも小綺麗にしていた。
浴場の存在に、エブリンやフェイスのテンションは確実に上がっていた。何せこの数日ろくに風呂にも入れず、着ている服もほつれや傷が重なり薄汚れていた。
案内にはミッシェルやベンジーの他に、リヴァもきていた。ついでに風呂に入るらしい。
「ここはこだわって造ったのさ。女と風呂は切っても切れないだろ?」
これにはエブリンとフェイスは深く頷いていた。
風呂から上がり、リヴァからもらった真新しい服に着替え、エブリンもフェイスも悦の表情だった。風呂の造りが思いのほか素晴らしかっただの、一緒に入ったリヴァの体がとんでもないスタイルだっただの、その話を傍で聞いていたマシュとタツヒロは、真っ赤になり居心地が悪かった。
「またスゴいの何のって、あれはね、凶器。男は確実に殺される凶器だよ。あんなキレイでボリューム満点の胸、初めて見たよ」
「ホント、スゴかったわよね。何であんなスタイル抜群の人がスラムのボスをやってるのかしら」
「エブリンもでっかいなぁって思ってたけど、上には上がいるもんね。柔らかさはエブリンの方が勝ってたけど」
「私のはそんな……フェイスだってきれいな形してたじゃない。張りがあって上を向いてて。柔らかいっていうより、若い張りって感じだったわね。パンッて張り」
「アタシのは硬いだけよ、悔しいけど。あの揉みごたえはハンパじゃなかったわ。アタシの指が埋まるのよ。でも触り心地はエブリンの胸が上ね。甲乙つけがたいけど、揉みごたえならリヴァ、揉み心地ならエブリンね」
「あ、あの、もうやめてもらえるかな」
業を煮やしたマシュは、赤い顔で2人をいさめた。
「あんたガールズトークを盗み聞きしてたの?」
「最低よマシュ」
「違うよ! 君達が大きな声で話してるから聞こえちゃうんだよ!」
「マシュはリヴァがタイプらしいからね」
「へぇ、あんたもあの巨乳にやられたわけ?」
「だから違うって!」
「何をいつまでも話しておるんだ。行かんのか? 女どもはもう上がったんだろが」
ヒンチやクレイヴン達が女性陣のあとに風呂に行く支度をしている。
「もうリヴァは上がっちゃったわよ、マシュ」
「だから僕は別に……い、今行くよ!」
マシュは慌ててヒンチ達のあとを追った。
深い闇がそこに落ちている。
月はなく、この場所に灯りはなく、昼間の喧騒もない世界が生きる。
家々の灯火が見えるが、それはかけ離れた幻想のように、ただ瞳には映っていた。
影は今、呼吸を荒げていた。驚愕の事実は、鼓動を瞬時に早く誘う。額の汗が目に入り、何度も擦った、
知らせなければならない。疑問に思っていた事への答えがここにある。危機を知らせなければならない。そう考えていた矢先だった。
「何をしている?」
突然の声に、影は弾かれるように振り向いた。そこには自分を冷めた目で見下ろす者がいた。
「少し……首を突っ込み過ぎじゃないか?」
近づく足取りに、自然と後退していた。汗がまた目に入り何度も擦ると、汗とは違う水分が流れた。次に起こる事への恐怖だった。
「知りすぎだ。マークはしていたが、なかなかあざといじゃないか。オイタが過ぎるぞ」
首に手が伸びる。目を見開き、そのスローモーションを何処か他人事に見ていたが、咄嗟にその手をかいくぐると、逃げ道へ走る。しかし髪を掴まれ、その場にねじ伏せられた。鼻の奥が砕ける音を奏でる。
静かに腕が回される。首にかかる圧力が、自分を死へと旅立たせる事を知る。
「し、死にたくな───」
「死にたくない、か。それは無理な話だ。すまないな。貴様は死ぬんだ」
首の締めつけが強くなる。息ができない。相手の腕を掴むが、緩める事ができない。
逃れられない。
じっくりと間を置き、力を込められ、頸骨の砕ける音と共に、首が180度回転した。
影はその場に倒れると、瞳に月が映った。もう少し早く月が出てくれたら、自分が死ぬ時は鮮やかな死に様だったのにと、暗くなる世界の何処かで考えた。
静かに生命が1つ、消えた。