中編
***
――遊園地は荒れ果てていた。
ほとんどの設備は撤去・解体され、あたりは雑草が生え放題。
アスファルトを緑にカラー塗布した通路は、かろうじて草を防いではいるが、ところどころ剥げた塗装が実にみっともない。これならアスファルトがむき出しのほうがマシだ。
片耳は欠け、目は潰れ、足が消えてなくなって、不気味な別の生き物のようだったけれど。ウサギらしい、遊園地のマスコットキャラクターの絵が書かれていたところもあった。
残された遊具は比較的大きなものばかりで、遠目でもよく目立つ。
それはまるで草原に、古びた奇妙なオブジェが置かれているかのような、因果逆転の錯覚を感じる。
倒壊したミラーハウス、間が抜け落ちたジェットコースター、首なし馬ひとつしかないメリーゴーランド、不気味な濁った沼だけが残るアクアツアー……。
どこも見覚えがあるようで、見覚えがないモノたちばかり。
そして遊園地のお城、ドリームキャッスル。
名前を略すと――。
昔、そんな名前のゲーム機があったよなと、新一はぼんやり考える。
ドリームランドを略しても、ゲーム名になりそうだとか。益体のないことばかりが思い浮かぶ。
城は、見るからにハリボテだった。
実際に木で出来ているという意味ではなく、偽物で見かけ倒しという意味でだったが。
コンクリートで固めて、上から塗装でそれらしくデコレーションされたそれは、単なるモニュメントの一種であり、城どころか人の入るスペースがなかった。
元は真っ白だったろう外観も、薄汚れてみすぼらしい。
色褪せた灰色だ。黒カビらしきシミもある。
遠くから見ればまあ城なのだが、近くで見ると微妙に小さい。窓の(と言っても壁に盛られてそれっぽく見える出っ張り、開かない窓だが)のサイズから考えて、三分の一のスケールであればいい方だろう。
ようは分厚い壁、石垣と一緒だ。
地下室どころか地上階すらない。
城というよりは、城壁といったほうが良いかもしれない。
使っているコンクリートの量から考えて、お金はかかっていそうな感じが泣けてくる。
「やっぱりウワサはウワサってことかな」
ひかりの気落ちした声がする。
周りをぐるりと一周したが、どうやら何も見つからなかったようだ。
「やっぱり何もなかった?」
「やっぱりって何よ……。まあ、なくもなかったんだけど」
言葉を濁すひかり。
彼女にしては切れの悪い返事だ。
「何かあったの?」
「まあ……」
彼女は返事の代わりに、背を向けて歩いていく。
ついて来いというのだろう。新一は素直に後を追う。
ぐるりとお城を、左回りに四半周すると――、
「なにこれ」
「地下室の入り口? 的な……」
紹介されたそれは、プレハブ小屋だった。
お城から道を挟んだ、もはや雑草畑にしか見えない芝生の上。
まだ真新しく、最近も人が手入れしているかのような――。
「これ、遊園地が廃園になってから建てられたヤツじゃない?」
「多分ね。まあ、管理小屋かなんかかな。そりゃ廃墟だからって管理者いないわけじゃないんだろけど。ちょっと、これは風情がないよ……」
そういう問題だろうか。
管理にこういう施設を建てるとは聞いたことがないが、廃墟巡りのバスツアーがある御時世だ。空気の読めない主催が、風情のない休憩所を建てることもあるのかもしれない。
……まあ、なんにせよ、これが地下の拷問部屋への入り口ではないことは確かだろう。
奇しくもハリボテ城と同じ灰色の壁材が使われているが、関連はそれくらいだ。
もっともこちらは最初からの色で、清潔感のある灰色だが。
「でも、鍵がかかってるんだよねー」
プレハブ小屋の引き戸に手をかけ、彼女が力任せにガタガタ動かす。
物音が小さく響くだけで、小屋はびくともしない。
――そりゃそうだ。
鍵がかかっているのだから。
廃墟ということで少々感覚が麻痺していた。
ここは、他人の敷地だ。
現実的な建物を見たことで冷静になったが、訴えられても仕方がない状況でしかない。
しかも二人の格好は、学校指定の制服のままだ。誰かに見つかったら、逃げたところで言い逃れは出来ない。
小心者の新一は、思わず辺りを見回し――、
女の子と、目が合った。
まだ年齢は一桁くらいだろうか。
幼い女の子。
切りそろえた前髪。
黒い髪が長くて、腰まであって。
白い肌。白い着物。
その顔は、どこかで、見たような。
「――新一?」
ひかりの声でハッと我に返った。
見れば不機嫌そうないつもの彼女が、若干眼力を強くして、こちらを睨んでいる。
「え、何?」
話を聞き流していたようだ。
「何? じゃないっての。――なんか顔色悪いけど、幽霊でも見た?」
彼女はそのままお説教――とはならず、こちらを怪訝そうに見た。
どうやら相当に青い顔をしていたらしい。
――幽霊?
「いや、いま、そこに」
何もいない。
女の子なんていない。
白い着物や黒髪に見間違えるものもない。
あるのは薄汚れた、灰色の夢の城だけだ。
「なんもないけど」
「え、あれ、じゃあ何もない」
「……なにそれ」
自分でもわからないものなんて、説明出来るわけがない。
一瞬、白い着物に見えたが、多分、ワンピースだろう。こんなところで着物の子どもがいたら変だし。
新一はそう思いこむ事にした。
そして、それにどういう意味があるのかは、考えない。
考えたら怖いからだ。
「幽霊でも見たんじゃないの?」
不機嫌だった彼女が、満面の笑みでこちらに迫る。
しまった。彼女はそういうモノが好きなのだ。
「そんなもん見てねーし! 普通だし!」
見た事なんてあってはならない。
気づかれてもならない。
新一は思わず声を荒げるが、完全に逆効果だ。
ひかりは笑顔のまま、新一のわき腹をツンツンつつく。くすぐったいを通り越して、ちょっと痛いくらい。
「ちょっ、ば、バカ、やめ――」
その時だった。
「バカはお前ら二人ともだよ」
嘲笑う、男の声が背後からした。
振り向くまもなく頭に衝撃。背中。腹。
――痛い。
そう認識したときには、新一は地面に倒されていた。
「ちょっと寝てろや」
バチバチと、はじける音が、耳元で聞いたことのない音が鳴った。
なにかが首筋に押しつけられて、頭の中で火花が散った。
――暗転。
**** ***** ******
泣き叫ぶ声だった。
女性の、悲鳴だった。
聞き覚えのあるような、ないような。
ひどく痛々しくて。
耳障りだ。
心が抉られる。
それが何度も、何度も――。
コンクリートの床。
冷たく、なめらかで、少しざらついている。
また悲鳴が聞こえる。――うるさい。
思わず声を止めようとして。
手足が縛られている事に気づいた。
「……やっと、起きたの」
目の前に、あかりがいる。
それで、ようやくこれが現実だと認識した。
なにが起こったのか……あの、痛みを伴う衝撃は、何者かに殴られたのだろうか。
まだ首の後ろには、ビリビリと痺れるような違和感がある。
どうやら、気絶をしていたようだ。
彼女も手足をロープ――いや、ビニール紐で縛られ、床に転がされている。
抵抗したのだろうか。彼女の黒縁眼鏡は左レンズが割れていて、縦にヒビが入っていた。
「そんな顔しなくても平気よ。……まあ、ちょっと殴られたけど」
ちょっと、で強化プラスチックのレンズは割れない。
気の強い彼女のことだ。強い言葉を吐いて、暴漢に噛み付いたことは簡単に想像出来る。
「ごめん」
新一の口から謝罪の言葉が出る。
自分が、こんなところに連れてこなければ。
「ばっ……別に、アンタは関係ないわよ。私が勝手に怒っただけ」
焦ったように、あかりは否定する。
その口調からするに、どうもこちらの事で怒ってくれたらしい。彼女も誤魔化すのが下手だ。
その結果殴られたのだとしたら、余計に申し訳ないけれど。
新一は珍しい彼女の表情を、微笑ましく思い――。
「――も、もういやぁ! た、だ、ぁあ、たすけ……あぁあああぁぁ」
悲鳴で、思考を遮られた。
――なんだ……?
ここは、どこなのか。
自分はどういう状況なのか。
意識がハッキリするにつれ、不安が増していく。
新一はあかりから視線を外し、顔を上げた。
パラリと、頬から砂利が落ちる。
蛍光灯の強い光が視界に入り、目が眩んだ――。
それは、窓のない部屋だった。
打ちっぱなしのコンクリートで出来た、圧迫感のある部屋。
その壁にはなにか液体が飛び散った、染みのようなものがある。
通気口の金網ひとつと、出入り口の鉄の扉。
読み食いした残骸が床に幾つか転がっていて、その中にはアルコール類も混じっていた。
家具は壁に沿って置かれた傷だらけのロッカーと、部屋の中央にあるパイプベッド、ロッカーの反対側にある長椅子くらいで、
――ベッド。
正確にはベッドの上だ。
黒い、ストッキングを履いた足が見える。
引き裂かれて、穴だらけで。
白いブラウスも、濃い色のスカートも、もはや服の役目を果たしていない。
思考が、途切れた。
そこには、ベッドの上には半裸の女性がいた。
下卑た笑いを浮かべた男たちに押さえられ、泣き叫んでいる。
先程から聞こえていたのは、彼女の声だったのか。
ここからでは顔が、よく見えない。
「ギャーギャーいつまで騒いでんだ」
髪型がツーブロックの、強面の男が女を殴る。
小さな悲鳴を上がり、女の声がすすり泣きに変わった。
「はぁー、ハツモンはやっぱダメだわ。うるせえし、ろくに濡れねえし、面白くもなんともねえ。年増だからヤリマンだと思ったのによ。ガッカリだわ」
着乱れた金髪の男が、そう言いながら女から離れ、
「やっぱレイナ呼べよレイナ。こんなテキトーな女じゃ気持ちよくイケねぇわ」
乱暴な仕草で髪をかき上げながら、長椅子に座る。
「先にヤラせろって騒いだわりに、テメーは文句ばっかだな阿久津。レイナは仕事日だから来ねえっつってんだろ」
「ああ? ケンカ売ってんのか佐川ァ」
「売ってるのはテメーだ」
ツーブロックの男は、ため息をついて金髪の男をあしらった。
……ツーブロックの男が佐川で、金髪の男が阿久津だろうか。
どちらも知らない顔だ。
自分たちに比べると、少し年上……二十代くらいに見える。
部屋にいた男は、全部で三人。
最後の一人は、最初から長椅子に座っていた。
「やめとけ」
ぼそりと、小声でつぶやく。
サイドに二本、交差したラインが入った坊主頭の男。
「やめとけ、じゃねえよ鰐淵。お前は声が小せぇんだよ。もっと声張れ声」
「……」
肩を抱いて絡んでくる阿久津に、鰐淵は無言だ。
「ホント、ノリ悪いなお前。レイナ一筋もいいけどよ。もっと俺たちの遊びに付き合えよ。なぁ?」
鰐淵はそれには答えず、
「起きたぞ」
そう言って、こちらを指差した。
思わず、身体が硬直する。
「おお、起きたか少年」
阿久津は上機嫌に笑い、おどけた口調でこう言った。
「ようこそドリームキャッスルの拷問部屋へ。こんな廃墟にノコノコやってきたお前らは、どうしようもねえバカだな」
つづく




