前編
裏野ドリームランドがリニューアルオープンする。
そんなウワサを耳にしたのは、どこからだったか。
放課後、家にも帰らず学生服のまま。電車に乗って、隣町へ。
邪魔な荷物は駅のロッカーに突っ込んで。
隣町の駅から車で四分。徒歩でなら約三十五分。
やや中心街から外れた小高い丘の上にあって、町の景色が一望出来る立地。
鮎川新一は気になるあの子を誘って、そんな遊園地の入り口に来ていた。
「これ……どう見ても廃墟だよね?」
「…………」
上部に遊園地の名前が書かれた、ところどころ錆びの浮いた入場アーチ。
駐車場の割れたアスファルトから、無秩序に生える雑草。
まだ入る前からわかる人気の無さだ。どう考えてもリニューアルしたとは思えない。
アーチの真ん中には、ご丁寧に立ち入り禁止の立て看板が置かれていた。
なにやら、その看板すら、どこか古びて見える……。
駐車場には人どころか、一台の車もない。
……いや、正確にはタイヤが外された車が一台。隅の方に転がっている。
上下も逆だし、元が何色かわからないくらい塗装が剥げた錆びだらけの廃車だが。
駅から直通のシャトルバスがあったはずだが、今もやっているのだろうか。
このぶんでは廃業してそうだけれど……。
バス代をケチって徒歩で来たのが間違いだったかもしれない。
せめて、直通バスがあるかどうか調べるべきだった。そうすれば、ついてから気づくなんてことはなかったはずだ。
今日は曇りで涼しいし、運動不足なんだから少しは歩こう――だなんて、偉そうに言ったことが、今ではすごく恥ずかしい。
新一は真っ白になった頭を再起動させ、謝ろうと口を開く。
「ご……」
「いいじゃない。寂れた遊園地のリニューアルなんかより、廃園のままのが面白そう」
彼女はこちらに振り向き、ニッコリと笑った。
小顔に似合わない、角張った黒縁眼鏡の奥で、大きな瞳が、心地よさを感じた猫のように細くなる。
――ああ、彼女はこういう人間だった。
最近気落ちしていたので、気分転換に遊園地へ誘おう。そんな型にハマった考えの自分が浅はかだった。
彼女――安城ひかりは、新一の返事も待たずに、さっさとアーチをくぐって園内に入っていく。
慌てて新一は、後を追った。
*
新一とあかりは、幼なじみと言っていいほどの昔から顔見知りだ。
ただ遊び友だちだったのは、一桁くらいの年齢の頃だけ。
親好を深めたのはつい最近。同じクラスで同じ図書委員になった時のこと。
家庭環境の悪化で不機嫌だった彼女に、なんとなく声をかけたのがきっかけだった。
――安城ひかりの家庭環境は、複雑だ。
まず父親は二十年勤めた会社を無情にもリストラされ、現在はコンビニでアルバイトをしている。
無欠勤で通った会社から、人員整理という曖昧な理由でカット。
管理職だったせいか手に職もなく、そのストレスはどれくらいのものか。
父親が行き着いた先は、家族への暴力だった。
いわゆるDV。ドメスティックバイオレンス。
母親はそのストレスで、パート先のスーパーマーケットの店長と不倫をしているという。
しかもその関係はギブアンドテイク。お金をもらっているのだ。
つまり売春。大人の援助交際。
店長はDVの相談をされるうちにほだされ、家計の援助にお金を渡しているうちに……ということで順番は逆らしいけれど。
父親はそのことを知っているようだが、暴力を振るった罪悪感から、強く出れないらしい。
そして再びストレスから、家族に暴力を振るうという悪循環――。
「そんな状況なのに、母さんは喜んでる」
あかりはそう言って、端正な顔を歪める。
彼女の母親は、まだ若く、美しく見える。
一度、見かけたことがある。
やや派手めの化粧だが、あかりとよく似ていた。姉だと言われても気づかないくらいだった。
――あの人の暴力は、家族への甘えなのよ。
黙って殴られるままの母親から、あかりはそんな言葉を聞いたそうだ。
父親がまだ勤勉なサラリーマンだった頃、母親は夫の付属品としての主婦でしかなかったという。
夫の言うこと肯定し、家事をするだけの毎日。
それはそれで幸せだったが、働きに出た事で母親は外の世界を知ってしまった。いかに自分が狭い世界にいたのかを、体感してしまった。
今、家計を支えているのは、夫ではなく自分だ。
その事実が何よりもうれしいと、母親は言うのだそうだ。
あかりはそんな矛盾し歪んだ夫婦関係が大嫌いで、新一の家によく逃げ込む。
新一が、あかりの家に行った事はない。
**
――髪、伸ばした方がいいのにな。
新一はひかりの後ろ姿を追いながら、そんなことをぼんやりと思う。
ボリュームのない、無造作に伸びたようなショートボブは、彼女がファッションに興味がない象徴だ。
母親を反面教師にしているのか、ことさら化粧にも拒否反応がある。
年頃なのに、色気のある話にもまったく関心がなかった。
――美人なのに。もったいない。
そう言うと彼女は猛烈に怒るので、口に出しては言わないが。
実際、学校指定のあか抜けない紺のブレザーも、彼女が着れば可愛く見えるくらいだ。
もっとも今は夏なので、半袖の白い丸衿ブラウスに紺のプリーツスカートと、何も面白味のない見た目だけれど。
ぱっと見は地味なのに、よく見ると美人。落ち着いた印象なのに、話してみると強引でせっかち。
ひかりは、そんな女の子だった。
個人的にはもう少し落ち着いて欲しいと、気分転換に遊園地へ誘ったのだが、まさかこんな事になるとは……。
新一は何度目かのため息をついた。
両親のことを歪んでいるとひかりは言うが、新一からしてみれば彼女も相当なものだ。
聞かされた家庭の事情は、どう考えてみても、自分から能動的に動かないと知ることの出来ない情報ばかり。
つまり彼女は家族間にただよう妙にピリピリした空気を察し、自分から探偵の真似事をして、家族の秘密を暴いたのだ。
とても中学生のやることではない。
こうした廃墟が好きなのだって、彼女の家庭環境のせいだろうと新一は思っている。
彼女は自分の家庭より、荒れ果てたものを無意識に好んでいるのだ。
それは正常な趣味とは言い難かった。
彼女には同情する。でも。
――自分は平凡な家庭で良かった。
両親は夫婦仲が良く、子どもにもやさしい。
新一にはひとり兄がいるが、年が離れているせいか甘やかされた記憶しかない。よく聞く兄弟の争いも他人事だ。
……思わずそんな事を考えてしまい、新一は首を振った。
好きな女の子と一緒にいるのに、ネガティブな思考をするなど時間の無駄だ。失礼だ。
――この陰気な、細い道が悪い。
新一は景色に八つ当たりした。
入り口のアーチから園内の施設までは、林道が伸びている。
妙に狭く、大人が二人並んだら、木々に触れてしまいそうな幅しかない。
手入れもされていない林は、道にせり出すように木が伸びていて、なんだが圧迫感があった。
この遊園地には、子どもの頃に来たことがあるはずだが、こんな場所があったろうか。
まったく記憶になかった。
鬱蒼と茂った木々は、まだ夕刻前だというのに不気味に暗く、奥の方はうかがい知れない。
林道の先に見える、お城と大観覧車は微かに覚えがあるが、道はもっと広かったように思える。
「ねえ」
いつの間にか立ち止まっていた彼女が、こちらに声をかけてきた。
見れば、その手にはスマートフォンがある。
「リニューアルオープンどころか、怖いウワサのある廃墟で有名みたいだけど?」
ニヤリと口元を笑みに歪ませ、あかりはこちらにスマホを突きつけた。
画面に映っているのは、どうやらドリームランドの情報がまとめられたウェブサイトのページのようだった。紫色の背景が、なにやら毒々しい。
ページの最終更新日は、今年の夏――つまり今だ。
そんな更新日の近いサイト情報が、古いわけはなく……。
新一は改めて、自分が大失態をしたことに気づく。
ネット検索すればすぐ出るような情報収集を怠り、子どもの頃行ったことがあるからなんて理由で、友人レベルの異性を誘う。
そして、行ってみたら廃墟だった。
……地雷行為にもほどがある。
「――あの目立つお城、ドリームキャッスルっていうんだけど。地下に拷問部屋があるんだって。誰がこんなウワサばらまいてるのかな? ホントにあったら警察沙汰だと思うんだけど」
まとめサイトに情報があるくらいだ。さぞ有名なのだろう。
新一のテンションは、がた落ちだ。
ひかりが妙に喜んでいるので、謝るタイミングも完全に逃してしまった。
「じゃあ、まずはそこから行ってみよっか?」
「お、おう」
バカみたいな返事をする事しか出来ない。
――なんでリニューアルオープンしたウワサなんか信じちゃったんだろう。
そもそも誰から聞いたのだったか。
何かを聞き間違えたのか、勘違いしたのか。記憶力の無さがうらめしい。
新一はがっくり肩を落とし、スキップしそうなほど上機嫌な彼女の後をついていく。
「――?」
不意に。
林の中に、白い何かが見えた気がした。
気のせいか。目を凝らすが、密集した木々は薄暗く、白いものなど見当たらない。
首を傾げていると、ひかりの不満げなうめき声がした。
見れば道の先に、バリケードのようなものがあった。
入り口にもあったのと同じ、錆びた鉄の入場アーチ。
立ち入り禁止の看板はなかったが、代わりに有刺鉄線が張り巡らされている。
あまりにも無秩序に、アーチに絡まるトゲのついた四本の鉄線――。
弛んでいたり、交差していたり、意味があるのか謎なくらい低い位置にあったり。
閉鎖の作業にしてはなんだか雑に思えるが、あかりのやる気を削ぐくらいの効果はあったようだ。
左右の林はアーチで途切れている。
しかしアーチの横からは、赤い煉瓦の壁が伸びていた。
おそらく遊園地をぐるっと囲む塀なのだろう。
新一たちの身長より高いそれは、とても道具なしで乗り越えられると思えない。
唐突に始まった冒険は、唐突に終わりだ。
新一は思わず苦笑いし、帰ろうかと声をかける。
「ん、待って。これ簡単に外れる」
「え?」
どうやったのか、少しいじるだけで有刺鉄線は地面に落ちた。
見かけ倒しもいいところだ。
どうやらアーチに引っかかっていただけらしい。
あっという間に高い位置の三本だけ外し、
「踏まないように気をつけてね」
言うが早いか、ひかりはさっさと中へと入ってしまった。
新一は思わずため息をつく。
――まあ、仕方ないか。ここに連れてきたのは自分だし。
遊園地で気分転換と思ったが、彼女が喜んでいるならまあ……。
そう、軽く考えて、続いて入る。
――新一は、また間違いを犯した。
なぜ有刺鉄線が簡単に外れたのか。その意味を考えるべきだったのだ。
つづく




