1. 置き去りにされた生存者
西暦2233年、天の川銀河、惑星系サイラス・ハルシオン、同盟帝国領空
蛍光灯によって白く明るく照らし出された長方形の部屋。部屋の壁や天井は、ペンキで白く塗りつぶされているものの、未塗装で素材が剝き出しになっている床から、その部屋が船の内部のように鉄板で建てられていることが窺える。
部屋には車輪付きのベッドが何台もあり、各ベッドの横には同じく車輪付きのモニターが配備されている。
そんなベッドの一台に、10代後半から20代前半と思わしき青年が寝かせられていた。
ベッドに横たわるには不向きに思える服装をした青年。分厚いつなぎ服を身に纏い、首からはボールチェーンのネックレスを掛けている。その姿は、彼が機械類の危険性を度外視するようなメカニックだと物語っている。しかし、彼をよく見れば、つなぎ服には階級章が縫い込まれており、ネックレスはアクセサリーなんかではなく、ドッグタグだと分かる。つまり、彼は単なるメカニックではない、軍人なのである。
異様なことに、この白く明るい部屋には青年以外の誰もいないのである。彼が横たわっているようなベッドは複数あるにも拘らず、ベッドで寝ている人も、横にあるモニターをチェックすべき人達も、誰一人いないのだ。
そんな静かで寂しい部屋の中で、彼は目を覚ます。
「何処だここ?」
目を覚ました瞬間、ほんの一瞬だが眩しいほどに白い天井をガン見してしまった彼は、癪だとばかりに顔を顰める。だが、その一瞬で目にした物が見慣れぬ天井だと気づいた彼は、ベッドから飛び起き身構える。いつでも応戦できる体勢のまま、部屋の隅々まで見渡す。そして、自分以外に誰もいないと分かると、安堵の溜息を吐き体勢を崩す。
「なんだ医務室か」
部屋を見渡したことで居場所が分かった青年は、呟きながら床に転がっていた注射器や薬の瓶を拾い上げる。そして、再度部屋を見渡し、自分の置かれた状況の異様さを認識する。
――おかしいな。
ここは同盟帝国空軍駆逐艦S.I.R.白鷺の医務室だ。
普段ここでは、看護兵や民間の病院からのボランティアで来ている美人ナースさん達が、責任者である女医のババアに怒鳴られながら働き、射撃訓練で肩を痛めた兵士や、ナースをナンパしようと考えた将官らが訪れ、常に賑やかなのである。
それが今は、人っ子一人いる気配がない。いた形跡はあるものの、ちゃんと片付けて医務室を出たのではなく、まるで治療の途中で慌てて逃げ出したような形跡が残っている。
彼が奇妙に思った点はそれだけではない。彼は何故自分が無人の医務室におり、どうやってそこへたどり着いたのか、全く記憶がないのだ。
――俺は確かEVAしていたはずなんだけどな。
青年、佐藤帝人は、同盟帝国第二星『天球』生まれの帝国市民である。
彼の人生は19年、ライフストーリーを語り出せば長くなるが、ザックリと孤児、問題児、軍人の三言にまとめてしまうこともできる。最初の二言は割愛し、彼が軍人になった経緯を説明するのならば、簡単に『軍or牢』である。もう少し詳しく説明するならば、『孤児院を抜け出して暴れまわっていたところを警察に捕まり、少年院で更生するか軍で更生するかの選択を迫られ、軍を選んだ』といったところだ。
16歳で軍学校へ入学した彼は、子供思いの軍曹による厳しい指導のおかげもあって、見事に更生することができた。そして、彼はたった2年で卒業を果たし、空軍へと入隊した。子供のころから手先が器用だった彼は、工兵としてあっと言う間に一等兵へと昇格し、シラサギへの乗船が決まった。
その後ミカドは半年間、シラサギのありとあらゆる整備や修理を行い、特にEVA(宇宙遊泳)による船体のメインテナンスを多く行なっていた。
そう、記憶が途切れる寸前までも彼は船外でEVAしていたはずなのである。
「おーい、誰かいませんかー?」
医務室には誰もいないので、ミカドは廊下に出る。
廊下にも誰もいない。返事も返ってこない。
ミカドは、シラサギにもう乗組員はいないと想定して、二つの可能性を考える。一つは、自分自身が何らかの理由で医務室を訪れ、その何らかの理由のせいで記憶を失っている。もう一つは、気を失った自分を何者かが医務室へと運び込んだが、そのまま置き去りにされてしまった。
「もしや、神隠しか」
緊張を紛らわす冗談を言いながら室内へと戻ったミカドは、医務室のインターコムでブリッジを呼び出す。
返事はない。それに薄々気づいていたミカドは、返事が返ってこないと分かると、すぐさま次の目的地へと向かう。船の外縁にある通路だ。
そこにはエスケープポッドがある。いや、ないと言うべきだろうか。医務室にあった、治療をほっぽらかしたような痕跡から、緊急脱出が行なわれたと考えられる。その場合、エスケープポッドが使用されているはずなのだ。
――これであったらいよいよ神隠しだぞ。
一歩一歩エスケープポッドがあるべき場所へと、扉また扉外縁の通路へと、人っ子一人の気配も感じられない廊下を進むにつれ、ミカドのユーモアは口頭から内的独白へと変わっていく。神隠しだのと自分のジョークを半分信じてしまうなど馬鹿馬鹿しく、不必要な心配だとミカド自身も思う。そう思いつつも、いるべき人がいない所に一人で起きることはとても恐ろしいことなのだ。
そう。まるで、かくれんぼをしていたはずなのに、鬼がとうの昔に帰ってしまっていた時のように。
そして、たどり着いた、外縁の通路へと繋がるドアに。ミカドは、医務室からここへ来るまで何度もやったように、ドアを開けるためのボタンを押す。
しかし、ドアは開かない。ボタンが緑に光りドアが開くべきはずが、ボタンは赤く光りドアは閉まったままなのだ。ドアは確実に電力を得ている。それを示すライトも点いている。なのに開かないのだ。
つまり、そのドアは何らかの理由がありシラサギのシステムによってロックされている。この船のメンテナンスを6ヵ月間行なってきたミカドがそれを知らないはずはなく、それにすぐさま気づいた……はずである。もし、彼が孤独という恐怖に駆られず、平常心を保っていられたならば。
「ドア風情が、この俺に逆らえると思っているのか!」
だが、今のミカドは、何を思ったのかドアを怒鳴りつけ、ボタンを壁から引き剥がす始末。そして、ドアを強制的に開けるよう、回線をいじりだす。
不敵な笑みとともに、彼が最後の回線をつなぎ合わせる。すると、ドアのロックは解除され、ドアが勢いよく開く。
その瞬間、ミカドは強い力によってドアの向こう側へと吹き飛ばされる。
幸いにもドアの端にいたミカドは、何とかドア枠にしがみつくことができた。
吹き飛ばされる瞬間、何かに押される様に感じた彼は、つい先程までいた通路を見る。しかし、そこには誰もおらず、何もなかった。見えるものも、見えぬものも。
その瞬間、彼は自分の犯したミスの重大さに気付かされた。そう、彼を押したのは、その通路で彼以外に唯一存在していた、空気だったのだ。彼は恐る恐る振り向き、エスケープポッドが配備されていた通路があるべき場所を見る。
黒。視界一面に広がる黒。そして一点の白。
それが、彼が見たものだ。黒は無限に広がる宇宙であり、白は真っ二つに切断されたシラサギの後半分であった。
軍学校を卒業して初めて配属され、6ヶ月間愛情を込めてメンテをしてきたシラサギは大破し、軍学校時代からの知り合いであったクルーメイト達には置き去りにされていたf。
――泣きたい
ミカドは目に涙が込み上がってくるのを感じたが、それを必死にこらえた。
ミカドがドアを開けてから既に2分が経過していた。通路にあった空気は全て宇宙空間へ吹き飛ばされ、彼の身体は真空状態に晒されていた。
息苦しさと身体の膨張を感じたミカドは、自分を通路の中へと引き摺り込む。ドアを閉めてから、通路に新たに空気が入り、気圧が生存可能なレベルに戻る間、ボタンの下にうずくまっていた。
「さて、どうして……くれようか?」
一瞬悲観的になりかけていたミカドだが、まだ作動している生命維持装置に希望を見い出し、基地へ無事に帰る方法を考え始める。
しかし、始めるや否や、その思考は突然中断させられた。
通路の反対側にあったドアが開いたのだ。誰かがボタンを押さなければ開かないドア、船には誰もいない筈なのに開いたのだ。
「クリエイター、貴方は自殺願望でもあるのですか? ロックされているドアを無理矢理こじ開けるなんて、馬鹿なのですか? これだから有機生物は。態々この私がEVAまでして助けて差し上げたのですから、私の努力を無駄にするような事はヤメて頂けませんか?」
聞き慣れた、合成されたようなその音声。目上の人を馬鹿にするようなその口調。金属に金属をぶつけたようなその足音。
反対側のドアから現れ、ミカドを「クリエイター」と呼ぶその人物、いやその物は、彼がシラサギに配属する直前に作り上げた人型メカニック兼エンジニアアンドロイド、フィックスオーボット(Fix all Bot)であった。
「フィックスか!」