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日曜日の回想録

作者: 毛利忠壱



「殺してやる‼︎」



「出てこい寺田‼︎」



「死ね!このひとでなし!」


いつからこんなに人気者になってしまったのだろう。

出版社の外はお年寄りがこれでもかというほど押しかけているらしくもう大騒ぎだ。

胸が痛くなるようなラブコールがあちらこちらから聞こえる。


「寺田さんはここで静かにしておいてください」


すっかり萎縮しきった編集者が釘を刺してくる。

さっきからこの編集者はこんな感じなので仰せのままに出版社の一室で静かに窓外からの声援を聴いていた。

本当に僕はいつからこんなにも人気者になってしまったのだろう。

僕は静かに目を瞑った。



***************************


電車に揺られていた。

窓外にはのどかな田園とぽつりぽつりと一戸建て。

日曜日ということもあって車内も席がまばらに空くほどしか人はいない。

僕はというと部活の白ジャージを着てイヤホンをしてスマホで音楽を聴きながら優先席の右端を陣取っていた。


優先座席に座っていることについてはあまり罪悪感はなかった。

席はいくつも空いていたし、第一この優先席も僕の隣に登山服を着ているおじいさんが1人座っているだけでその隣は空席だった。


僕が電車に乗っている目的。

これは話さなければならない。

僕は当時某有名私立高校の附属高校に通っていた。

附属高校は豊かな人材の育成を掲げてよく言えば郊外、悪く言えばど田舎にあった。

それで部活をやっていた高校3年の僕は朝練のために真っ白で学校名が大きく書いてあるジャージを着て日曜日の朝っぱらから田舎に向かって優先席を陣取って電車に揺られていたわけだ。


「…君…」


イヤホンをしていたからあまり聞こえなかったが今声がした気がする。

僕は電車の行き先でも聞かれているのかと思ってイヤホンを左だけ外して左を向いた。


「僕もこの大学出身なんですよ」


予想に反して行き先は聞かれなかった。


「附属の高校ですよね」


どうやら察するに僕のジャージの学校の文字を見てこのおじいさんは自分の卒業大学の附属高校であるのに気づいて話しかけてきたものらしい。


「そうです」


登山服を着たおじいさんは眼鏡ごしにやはりそうか、という顔をした。


不思議なおじいさんだ。

こんな一介のしがない学生に丁寧な言葉遣いで話しかけてくるおじいさんからはお年寄りの風格というか上品さが醸し出されていた。


「僕の時はあそこに附属校はなかったんだよ」



「結構新しいですもんね」


僕の行っている高校は30年ほど前に開校した新参高校だからこのおじいさんが学生の時には存在しない。


「僕が受験した時にはね、学部面接があったんですよ。僕の面接官は有名な歌人の息子が面接官をやっていてね、その息子が『君はまあ試験は殆どできていたよ』と言うんでね、僕は胸をなでおろしましたよ」


彼の面接官はよほど自由な人らしい。

普通は試験の結果を言ってしまうなんて考えられない。

ただし学校面接なら僕にも小さな逸話があった。


「僕の面接の時は3人面接官がいたんですけど左端が外国人だったんですよ」



「はぁ、外国人ですか」


はぁはぁ、と彼は頷いている。


「外国人がなにか英語で喋りかけてくるかと思ったんですが日本語がペラペラでびっくりしました」


話し終えるやいなや彼はすっと僕の目を見た。


「なぜその高校へ行こうと思ったんですか?」



「大学でやりたいことがあったので」



「やりたいことってなんですか?」


僕は目の前のお年を召した面接官に概ね真面目に答える。


「文学か歴史がやりたいな、と」


ほう、と少しおじいさんの顔が明るくなった。


「僕は今年83で県で教師をしていたんですが第一文学部だったんですよ」


第一文学部とは現在の文学部の旧称だ。

ちなみに歴史も文学も文学部の専門である。


「文学には私も興味がありましてね、文学は書いてみたいとは思いますか」



「まぁ少し。大学は有名な作家さんをたくさん輩出してますし」



「そうですね」


彼は目を細める。

短い静寂が訪れる。

車輪の音だけが聞こえる。


「今は文芸誌とかたくさんあるけれどね、小説にしても純文学にしてもね、今の世の中と離れていくのが問題になっているんですよ。どう思いますか」


「はぁ」


世の中と離れていくとはどういうことだろう。

リアリティがなくなってきているということだろうか。


「そうですね、ジャンルにもよるんじゃないですかね。SFの作家に現実に近づけろというのは酷ですし。最近の若者は本を読まないと言いますし、文学というのは言うなれば虚構なのであまり生々しく世の中に近づけてもという感じはしますかね」


ふむふむと彼は僕の言っていることを咀嚼しているようだった。


「それに昔は文学はある意味毒でライ麦畑でつかまえてとか」



「サリンジャーですね」



「はい、あと怒りの葡萄を読んだ人が大統領を殺したり、三島由紀夫の本を読んで学生運動をしたりしたらしいのですが今はそんなことはないじゃないですか」



「はいはい」



「だから文学自体の影響が薄まっているとも思います」


とってつけたような浅い知識で理論武装した。

それが見透かされないかが少し恥ずかしいが僕は浅学非才ながら一応自分の意見を述べたつもりだった。


おじいさんはなにか言いたげだったがそれを飲み込んだのか忘れてしまったのか「ところで…」と違う話を切り出した。


「本は読みますか?」


「最近はやめられなくなるので読みませんが昔は好きなので読んでました。本はハマってしまうんで学校がある時にも徹夜してしまって…小学校の頃は親が本好きだったので毎週図書館に行ってましたね。ヘッセとか夏目漱石とかも小学生の時読みました」


これは本当だ。

なんとも小学生らしくない小学生だったと思う。


「僕は学生の頃本ばかり読んでいてね、このままではダメなんじゃないかと思って登山を始めたんですよ」


聞くところによると僕の学校の最寄りまでの途中にある駅から今日も登山に行くらしい。

子供に読書をさせようと躍起になっているのが今のご時世だが昔日の彼は読書ばかりしていては駄目だと感じて登山を始めた。

今風の言葉を使うとストイックということなのだろう。


僕はこのとりとめのない話を終始リードされているのが少し心苦しくておじいさんの行く山の最寄りももう近かったので最後は自分から話をふることにした。


「僕は昔確かに本を読むのが好きだったんですが1つだけ児童書なんですがわからない作品があるんです」


彼は相槌こそ打たなかったが先を要求するような目を向けた。


「サン・テグジュペリの星の王子さまという作品なんですが」



「ああ、あの」



「僕の親も何が言いたいかわからないと言っていて…あの本は不思議な本じゃないですか。いろんな星の話をしたり…バオバブの木とか…とにかく児童書なのに何が伝えたいのかわからないんです、僕の学や経験が足りないだけかもしれませんが」


彼はほうと呟き、また目を細めた。

星の王子さまを読んだ昔を思い出しているのだろうか。


「そうですね、もう一度読まなければ」


彼は楽しみができたという風に笑った。


「もう降りなければ。残念です、もう少し…」


僕はただ頷いた。

電車が速度を緩め、やがて止まった。

独特の音を立ててドアが開いた。

そういえばおじいさんに話しかけられてからも何度もドアが開いて人が乗ったり降りたりしているんだよな、とふと思う。


「良い出逢いでした。また会う機会があれば」


彼は静かに笑って降りて行った。

僕は「こちらこそありがとうございました」と頭を下げながら言ったが多分聞こえはしなかっただろう。


***************************



5年の月日は長いものだ。

田舎高校に通っていたのが5年も前だと思うとなんだか感慨深い。


外の罵声はまだ止まない。

当然といえば当然だった。


僕は物書きになった。

僕は僕が思う現実を書いた。

取材もした。


僕は自著で日本の老人たちを生々しく痛烈に綴った。

「人が老人に敬意を払うのは儒教的思想が元になっていて、儒教では老人は徳があるから敬意を払う。だから長生きだけして徳もない老人には敬意を払う必要なんて毛頭ない」とまで書いた。


本はそこそこ売れた。

若者や中年と呼ばれる人々にはそれなりに反響もあった。

でも一番反響が大きかったのは当事者であるお年寄りだ。


若者たちは僕の文章を曲解して老人に阿る必要はないと言い出した。

迫害とまでは言わないが若者の老人に対する不敬化は社会問題として表出したのだ。


当然しわ寄せは僕に来た。

それがこれだ。

窓外の大歓声がそれを物語っている。


僕はまた目を瞑った。

闇の中で沈思黙考する。


どこで何を僕は間違えたのだろう。

というか僕は何か間違っていたんだろうか。


「そいつを止めてください!」


叫び声が聞こえた。

聞いたことのある編集者の声だ。

僕は目を開けた。

どうやら部屋の外で何か騒ぎがあったらしい。


「落ち着いてください!バットを下ろしてください!警察を呼びますよ!」



「うるさい!寺田はどこだ!」


編集者の金切り声がまた聞こえる。

どうやら暴徒でも進入したようだ。

ここらが年貢の納め時だろうか。


僕は部屋の片隅から中央に移動した。


「寺田はどこだ!ここか!」


声は部屋の前からだ。

いよいよ佳境だ。

僕はサンドバッグにでもされてしまうかもしれない。


「そこには先生はいらっしゃいません!お引き取りください!」


相変わらず嘘が下手くそな編集者だ。

不器用なのだ。

僕は苦笑した。


「うるさい!ここだな?寺田ァ!」


扉が開いた。


静寂が一瞬辺りを襲った。


男は金属バットを手にしていた。

だが眼鏡をかけた似合わない金属バットを持ったその老人に僕は見覚えがあった。


僕はおそらく無表情だっただろう。

彼は僕とは違って驚きの感情をあらわにしていた。


時が止まった。

無表情の僕と口を開けた彼は微動だにせず相対している。


僕はあの時と同じように彼に会話をリードさせるのが心苦しく感じたので自分から切り出した。


「生々しい毒を生み出してしまいました」


おじいさんはバットをポロリと落とした。

彼の目が潤んでいく。


そしてまた少し静かになった。

微動だにしない2つの体は対面する銅像のようだった。


刹那彼の目から一筋の涙が流れていった。

僕はおもむろに口を開いた。


「さあ……もう、なんにもいうことはない……」

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