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心情方程式

作者: ポニョ

「ビッグデータはやはり因果を示していた。それを証明するのに、数十年前はまだ人類の知性が追いついていなかったのです」

 先生はパワーポイントで作ったスライドを切り替えながら言った。Aには、スライドに示されてる図形の意味がよく分からなかった。

「ですがビッグデータから分析した人間の行動・心理・感情パターンを分析することによって…つまりそれを元に思考を組み立てることによって…脳の神経細胞の情報伝達系の『真実』が予測され、それを元に行った実験によって…人間の『心情方程式』が確立されたのです」

「それはつまり、人間のあらゆる心情や行動が、方程式によって導き出されるということですか?」

「その通りですA君。今の君の質問内容も、君の遺伝子と生活環境を『心情方程式』にあてはめれば、導き出せるのです。脳波計と脳神経細胞活動分析装置があれば、もっと簡単に済むのですがね…」

「でもそれでは、人生が面白くなくなるのではないですか?人間の全ての心の動きが方程式で証明できるなら、人がわざわざ生きる意味があるのか分かりません」

「いい質問ですね。誰か、A君の疑問に答えられる人はいませんか?」

「はい」

「はい。B君。どうぞ」

「『生きる意味』という概念自体、生存本能の延長上に生まれたものに過ぎません。人が人生に意味を求めるのは、大抵不安になった時です。不安になるのは、実は安全が保障されていて、それが崩れることに本能が恐怖を感じてる時なのです。学生の僕らは、衣食住が保障されていて、いわば生を『蓄積』してる状態にあります。『欠乏』してる状態であれば、不安になんてならない。つまり生きる意味を求めたりしない。生きる意味や面白さを求めること自体、人間が生きること自体を重視してるという逆説的な証明にしかならないのです。」

「なるほど。非常に面白い意見です。」

「そうかなあ…」

「おや?Cさんには少し難しかったですか?」

「いえ、何となくB君の言いたいことは分かるんですけど…A君が聞いてるのって、そういうことじゃないと思うんです…だよね?A君。」

 Cちゃんに言われて、Aは少し頷いた。

「えっと…A君が言いたいのって、あれだと思うんです。なんだっけ。『人はパンのみに生きるにあらず』でしたっけ。」

「宗教の話かい?いいかい?宗教というのは人間の不安に…」

「今あたしが話してるでしょ?黙っててB君」

「はい…」

「人の話を遮るのは良くないですよB君」

「つまり…QOLとか、『生きがい』とか…言い方は何でもいいと思うんですけど、人の人生とか心って、方程式で表せるほど単純なものじゃないと思うんです。例えば、大切な人と過ごしてる時間とか…綺麗な景色を見てる時の感動とか…なんていうか、『方程式』という概念を持ち込むこと自体に、違和感を感じます」

「ですがCさん。『心情方程式』は確かに存在しますよ。実際に答えを導き出すためには、莫大な量の計算処理を必要とするために、スーパーコンピュータに加え専用のプログラムが必要になりますがね。人への思いも芸術への感動も、ちゃんと証明できる」

「いえ…それも違うんです。式の複雑さって意味じゃなくて…」

「何が違うのかちゃんと説明しないと…」

「そうだぜC」

「B君は黙ってて」

 Aは二人のやりとりを聞いていたが、どっちも正しいように思った。しかし、どちらもAの疑問に満足いく答えを導いてくれている訳ではなかった。

「つまりあれですよ、Cちゃんの言いたいことは、『観測者が現実を決定するのであって、観測されるものが決定する訳ではない』ということでしょ?」

「ほう。D君。つまりシュレディンガ―の猫ですね?」

「そうです。脳の神経細胞が引き起こす現象が観察されるものとすれば、『心』は観察するものです。『心情方程式』によって決まったやり方で『観測することを決定した心』自体が、人間の心情・行動を決定付けてしまったんです」

「つまり、『心情方程式』の使用自体が現実を規定していると?」

「はい」

「でも、裁判所や医療現場、芸術やビジネスのあらゆる分野で、この『心情方程式』は既に使用されていますよ。どうすればいいと?」

「それは…あれですよ。金のためには真理を犠牲にするってやつですよ」

「ほう。つまり『心情方程式』の使用は、それ自体が利益を求めていると?」

「そうです」

「それは、悪いことだと思いますか?」

「…」

「あの…何となく、僕の言いたいことが分かった気がします」

「おや?A君、何か思いつきましたか?」

「だから、大事なのって、『自由』なんじゃないかと思うんです。」

「自由?」

「そんなもんはねーよ」

「そうかな?あたしは、信じたいと思う…」

「確かに、猫は生きてるし死んでる訳だから、そのどちらを選択するのも自由だ」

「いや、みんな。僕が言いたいのはそういうことじゃないんだ…どちらかっていうと、『平衡』の概念に近い…」

「ほう、『平衡』。これは、今までの意見とは異なりますね」

「うまく説明できるか分かりませんが、僕の話を聞いて貰えますか?」

「どうぞ」

「きかせてみろよ」

「A君。頑張って」

「つまり猫の生死が、平衡になるってことかな?」


「えっと、人間の心情が方程式で導き出せるというのは、確かに今の結果だけ見ると、そうかも知れません。全てが過去のデータから導き出せる以上、純粋理性の存在は批判されても仕方ない。」

「そうですね」

「当たり前だろ」

「私、哲学苦手だな…」

「つまりカントは、観測者で居続けたのであって…」


「でも僕は毎週楽しみにしてるアイドルアニメがあるんです。どうしてそのアニメが好きなのか、自分でも理解できない…でも、なんていうか、『直観』が働くんです。毎週そのアニメを見なきゃならないという…」

「そうですか。きっといいアニメなのでしょうね」

「それはあれだよ、お前の満たされない性本能が代替物を…」

「A君アニメ好きなの?」

「アニメは観測者の意図を現象化させやすいという点で…」


「確かに僕がなぜそのアニメのヒロインが好きなのか、『心情方程式』に僕の遺伝子や生活環境をあてはめれば証明できるのかもしれない。でも僕は何となく思うんです。例え方程式で証明されたとしても、単なる理屈以上の『何か』が僕をこのアニメに惹きつけているのだと…その『何か』が人が生きる意味なんではないかと」

「なるほど」

「言い訳だな」

「A君ステキ」

「いや、観測者の選択権自体が生きがいと考えるなら…」


「人間には心の中で、理屈で予測できることと、直観で予測できることとの間で常に葛藤かあるのではないかと思うんです。その葛藤を埋める存在が、ビッグデータから派生した『心情方程式』なのかも知れません。ですが人は、心情方程式が存在したとしても、例えそれを利用して未来の利益を掴むことが出来ると分かったとしても、あえて使用しようとはしないんじゃないでしょうか?事実この教室でも、誰にも使用していません。やろうと思えばできるのに。成績だって上がるかも知れないのに…」

「確かにここはF蘭と言われてる大学ですけどね」

「ま…まあそりゃそうだな」

「何でもわかったらつまらないもんね」

「そうだ。観測者が一番楽しいのは箱を開けるまでであって…」


「これから、もしかしたら教育やもっと身近な人間関係の分野にまで、『心情方程式』が導入されるようになる日がくるのかも知れません…でももしそうなったら、こんな風に、みんなで下らない議論をして楽しくやるなんてことも、出来なくなってしまうと思います。『心情方程式』が悪だとは思いません。それに救われる人も沢山いるでしょう。でも…僕は、いつまでも、みんなとこんな、下らない議論をしていたい。」

「なるほど。素晴らしい」

「まあ…Aの言うことも分からんでもないな」

「A君…」

「猫飼いたいな…」


「さて、今日の講義はこれで終了です。皆さん。面白い議論をありがとう。このF蘭大学にも君たちみたいな面白い学生がいてくれることは本当に嬉しい。もうすぐ就活が始まりますね。哲学科ということで苦労するでしょうが、君たちは何故か心配いらないという気がします。ではご機嫌よう」

「ありがとうございました」

「先生、楽しかったです」

「俺、就職したら猫飼います」


「…みんなとの下らない議論が楽しかったのは、理屈と直観…直観はここでは、感情と言っていいかも知れませんが…が、うまく入り混じってたからだと思うんです」

「ほう」

「人間ってけっこういい加減な存在です。感情を理屈で誤魔化したり、その逆もあります。議論や会話の場において、厳密に理屈だけで議論が進んだり、感情だけで進んだりなんてことはありません」

「ですね」

「理屈と感情がうまく調和した時、一種の『平衡』が生じ、それが人に『美』を感じさせてるんだと思います」

「成程。A君。非常に勉強になりました。確かに私は、ギャンブルや恋愛で『心情方程式』を使ったことはありましたが、教室では、一度も使う気にはならなかった」

「先生も、議論を楽しいと思ってたのでしょう?」

「みたいですね」

「ふふ」

「A君は、これからどうするのですか?」

「考えてません」

「そうですか。それも、いいかも知れませんね」

「ええ」




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