6話 「猫ちゃん、本名はなんていうの?」
二人が暫く無言のまま歩いていくと、いつの間にか町はずれにある防具屋へと辿り着いた。この防具屋は、品揃えが豊富でプレイヤーの中で穴場の一つとして有名な店でもあった。
「猫ちゃん、防具ほしかったの?」
先ほどまで見せていた冷たい表情はどこへいったのやら、コナーはもう通常営業に戻っているようで、にこやかな顔で普通に話しかけてくる。
「ほぼ初期装備のままだから。そろそろ強い防具がほしい」
ノラは「よくわからない男だ」と内心毒づきながらも、平静を装って応じてやる。
「へぇ~そうかそうか」
何事にも動じることなく、ころころと表情の変わる目の前の男にノラはいささか苛立っていた。この軽い話し方もノラの怒りを煽る材料でしかない。ノラは彼を無視して、防具屋へと足を踏み進めた。
「いらっしゃい」
店内に入ると、人の良さそうな笑みを浮かべたNPCの売り子が明るく声をかけてきた。
「今日は、何に致しますか? お客様?」
「適当に強そうな防具見繕ってほしい」
笑顔で尋ねられて、ノラが淡々と答える。すると、店員は「ふむ」と唸って少女の全身をくまなく観察し始めた。そして兜・鎧・盾・肩にかけるタイプの物等いくつか吟味をして、肩にかけるタイプの物をデスクに置いた。
「あなたは、大剣使いだから両手が塞がって盾はもてないからねぇ……。まだレベルもそんなに高くないから重量のことも考慮すると鎧や兜は動きにくいだろうし。肩にかけるこのタイプなんていいんじゃないかな」
ノラの背中に黒革の剣帯で支えられている大剣を指差しながら売り子が言った。ノラも、それに納得したようで「じゃあ、それでいい」と一言呟いた。
それを聞いた店員は「まいどあり」と頷いて片手を上げると、手のひらをノラへと見せてくる。
唐突に差し出されたそれを見つめ、ノラは「ん?」と首を傾げる。
「その手は何」
「お勘定」
想定外の展開にノラは面食らった。実はこの手のゲームは初めてだったので、この世界にも金銭のやり取りがあるだなんて知らなかった。
ソフトを購入した時点で対価は支払っているのだから、まさかゲーム内でもお金を請求されるだなんて微塵も思っていなかったのだ。
ノラが困った様子で店員に視線を注いでいると、見ちゃいられないという顔でコナーが前に出て、少女を庇う様にして自分の背中へと隠した。
「いくら?」
「500Gだよ」
「はい」
コナーが店員といくつか言葉を交わしながら片手を軽く振って、ゲームのウィンドウを表示した。手早く画面に指を走らせて何か操作をしていると、チャリンと銭の落ちたような音が耳に響いた。
「まいど」
「どーも」
コナーは店員に後ろ手を振りつつ「行こうか」とノラに声を掛け、足早に退店したのだった。
「ありがとう……。ごめん、知らなくて」
「いいさ、はいこれ防具」
コナーがノラへと防具を転送すると、ノラはすぐさまそれを自分のウインドウで設定して、無事装備することに成功した。
「どう? 何か変わった?」
「うん。防御の数値は結構上がってるよ」
「それはよかった」
笑顔で見つめてくるコナーに、ノラは向き直る。
「おっ……」
「ん?」
「お礼……させて」
照れを隠すようにしてソッポを向いてノラがそういうと、コナーは目を見張った。
「お礼?」
「うん」
「……何でもいいの?」
「……何でもって。私のできる範囲内で」
「それじゃあ、ちゅーしてもいい?」
「図に乗るな」
しれっと提案してくるコナーに、一瞬殺意が芽生えたがなんとか自分を制御した。しかし、少しでも気を緩めたらこの男にアッパーをかましているところだ。
ノラの言うお礼というのも、ここで恩を売られて後々面倒な要求をされるのを避けるためなのである。ようは、後腐れないようにするのが目的だ。
「……やっぱだめか。そうだなぁ。じゃあ猫ちゃん、本名はなんていうの?」
「何で私の本名?」
警戒するようにじりじりと距離を置くノラに、コナーは両手を振って「変な意味ではないよ?」と弁解する。
「もっと君のことを知りたいからだよ。俺、火野原 帝って言うんだ。猫ちゃんは?」
「……個人情報なので答えられません」
「アバターで顔バレしてるんだし、今更本名隠したって意味なくない?」
ディスオーダーインフェクションにおいては、プレイヤーの容姿、顔の造形や肉体までも本来の姿をかたどって完全に再現されているので、見た目に関してのプライバシーは無いに等しかった。
なので、コナーのように今更本名を隠したところでプライバシーも何もあったもんじゃないだろうと、明け透けに自分の本名を晒す者も珍しくはないのだ。
「訂正。おっさんに教えるのが嫌なので答えられません」
「あ……そう」
きっぱりと断られてこの世の終わりのように脱力したコナーは、その瞬間何か閃いたように「あっ」と声を上げた。
「猫ちゃん、それじゃあ俺と一つ約束事してくれない?」
「約束?」
「そう。……俺には、隠し事をしないでほしい。思った事は何でも言ってくれてかまわないから。良いことも悪いことも全部俺に教えて」
「それがお礼?」
「うん。溜め込まないで何でも相談すること! 猫ちゃん出会った頃からいっつも眉間に皺よっててさ。嫌な事あるなら吐き出せ~。でないと、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「……ロッ、ロリコンきもい」
「あーそうだよ。俺はロリコンだよ! 幼い女の子に欲情するどうしようもない男だ」
「運営さん、こいつです」
「と に か く。俺の前では素直で自分らしくいること。いいね?」
最後は大人が子供に言い聞かせるような形で、幕を閉じた。何でも話せって、出会って日も浅いのに何でそんなことをこの男に相談しなくてはならないのだと、ノラはムッとしていたのだが、とりあえずそれがお礼になるのならばと頭を縦に振った。