3話 「お嬢さん、こっちこっち」
黒煙を纏いながら、闇に光る四つの赤い目。
キンッと乾いた金属音が空間に響き渡った。
濡れ羽色の長い髪を振り乱し色白で小柄な少女が、自分の背丈よりもある大剣を軽々と振るっている。足元は、踵の高いピンヒールのロングブーツだ。
少女に襲い掛かっているのは、狼の顔を二つ持つ身の丈二メートルはあるであろう、この世ならざる獣だ。
獣は、野太い咆哮を上げると、少女を目掛けて前進してくる。
地震のような揺れを全身で感じつつ、少女は逃げも隠れもせずに獣を待ち構えた。
「しつこいやつだ……」
舌打ちと共に口の中で囁くと、大剣を構えなおし飛び掛ってきた獣に両手を突き出す。
ドッという鈍い音が耳元を掠めたかと思うと、獣は即座に後退する。
剣が獣に触れた瞬間、深い酩酊感に襲われ、得たいの知れない戦慄が駆け抜けて行くのがわかる。これがこのゲームの特徴であり、最大の売りだ。敵にダメージを与えるたびに全身で快感を得ることができる。これはフルダイブしなければ得ることのできない感覚。
敵を倒すことで、獲物を仕留めた達成感に加え、ハイな気分になれる。敵を数頭なぎ倒せばその日一日の疲労感や、ストレスが一気に解消されるような……一種の麻薬に似たような感じなのだろうか。一歩間違えるとこの気持ちよさから抜けきれなくなり、歯止めが利かなくなりそうで怖くもなった。
少女の切先は、見事に獣の首筋に命中したようで剣には返り血がべったりと付着している。
「血の量のわりに切った感触が薄い。肉が厚いのか……?」
腑に落ちない顔で少女が呟く。獣は、グルグルとうなり声を上げながらその場に、頭から倒れこんだ。
少女が、コツコツとヒールを鳴らして獣の傍まで歩み寄る。そして、前屈をして獣に触れようとした次の瞬間、獣が左前足を上げ爪を立てた。
気づいた時にはもう遅く、獣の鋭い爪が少女の肩に赤い傷を作った。直ぐに後退して体制を立て直そうと試みたが、高いヒールに躓いてその場に尻もちをついてしまう。
獣が、体を起こし少女の上に圧し掛かってくる。そのまま、少女の首元に思い切り噛み付いてきた。
自分の視界に映る、HPゲージの緑色をした帯がガリガリと削り取られて行くのが見える。
「……っ!」
声にならない悲鳴を上げたその時、首元にむしゃぶりついていた獣がガラスの割れるような音を放ち、ホログラムとともに突然消えさった。
状況が理解できない少女は、飛び起きて辺りを見回した。
「お嬢さん、こっちこっち」
耳元で後ろから囁かれて、少女は驚いたようにその声の主と距離をとった。
「悪い悪い。驚かせちゃったかな?」
月明かりに照らされ、段々とその人物の姿が明らかになっていく。
サラサラのプラチナブロンドに、アルビノの瞳。日本人離れをした整った容姿。だが、流暢に日本語を話していた。
そこには、二十代前半ぐらいの男がにこりと少女に笑いかけていたのだった。