1話 「現実世界に疲れてしまった人へ、最高の餞(はなむけ)を」
「皆喜べ! ついに完成したぞ!」
広い会議室に、数十人と立ち並ぶ背広に身を包んだ人々。
顔中から油汗を滲ませた小太りの男が、突然雄叫びを上げるとまばらな歓声が響き渡る。
その直後それを遮るようにして、細身の男が身を乗り出してきた。
「柳田さん、ちょっと待って下さい。そのゲームはまだ課題が多すぎます! 完成には程遠いかと……」
「何を言っている、火野原。世界初の仮想現実大規模多人数オンライン、その名も〝ディスオーダーインフェクション〟他会社に先を越されてはかなわんぞ。うちは、明後日には発表すると公言しているんだ。もう後戻りはできない」
「espritゲージには、改善の余地がまだあります。延期をどうか……っ!」
「無理だな、もう待てない。これは、ただのゲームではない。世の中を変える……そう、謂わば薬のようなものだ。患者は待ってはくれないんだ」
革靴を軽快に鳴らしながら、柳田と呼ばれた男が議場を後にした。その背中を、細身の男・火野原は唇をかみ締めながらじっと見つめていた。
***
〝現実世界に疲れてしまった人へ、最高の餞を〟
その謡文句で、店頭の一際目立つ場所に陳列されたゲームの山。
一人の少女がゲームの山と睨めっこをするようにしてその場に佇んでいる。
濡れ羽色の艶やかなロングヘアに、華奢で色白な体を包むのは赤いリボンが印象的なセーラー服だった。この世に生まれ落ちて、ほんの十五年。まだまだ初々しく、箸が転がっても笑ってしまうような思春期真っ盛りのはずの女の子。
しかし、この少女の瞳からは未来に向けての希望だとか期待だとかそんなものは一切感じ取れなかった。
死んだ魚のような目をして、ディスプレイに置かれているソフトに視線を注いでいる。
「誉」
少女は不意に名前を呼ばれて、振り返る。
そこには同い年ぐらいだろうか、いかにも底意地の悪そうな、3人組みの少女達が立っていた。
「誉、どこいってたかと思ったらこんなところにいたのかよ」
「うわーっ。ゲーム見てたのかよ。オタクとかキモッ。ドン引きだわ」
「さっきあんたに、うちらの掃除当番お願いねって頼んどいたのに何でこんなところにいんだよ」
罵声を浴びせられながら、あっという間に三人に取り囲まれて、誉は一人のリーダー格の少女に長い髪の毛を捕まれてしまった。
「なんとか言えよ、誉!」
「……っ」
「お前、根暗でマジ気持ち悪いんだよ! お前みたいな存在が不愉快な人間は、はいはいって言うこと聞いて地面に這いつくばってればいんだよ!」
「私、……今日当番じゃない。自分の事ぐらい自分でしなよ」
誉が冷めた口調で言い返すと、リーダー格の少女は顔を真っ赤にして激昂した。その後は、思い返すのが嫌になるほどたくさん殴られ、蹴られ、言葉の通り地面に這いつくばらされた。
店の前での行為なのだが、道行く大人は誰も助けてはくれない。
見て見ぬふり。
皆、自分が一番可愛い。
可愛いのだ。
物心ついた頃から、学校では虐めにあっていた。
誉は感情を表に出すのが生まれつき下手で、実の親でさえ誉が今、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒っているのかわからない程だった。
当然そんな状態で、学校の集団生活には溶け込めず。気づいたら周りには誰もいなくなっていた。
その変わりに、先ほどの三人組がよく誉に絡むようになってきたのだ。
三人のうちのリーダー格の少女は、親が代議士様か何かで教師や保護者も一目を置いていた。そんな彼女に目をつけられてしまった誉は、奴隷のように毎日こき使われていた。
もう、こんな生活にはうんざりしていた。
誰も私をわかってくれない。
わかろうとしてくれない。
私があなたたちに何をしたというの……?
どうしたら、普通に接してくれるの?
お友達になってくれるの?
毎日そんな事ばかりを考えていた。
そうだきっと現実世界に疲れてしまったのだ。