世界を渡る魔法使いのその始まり
クリスの関西弁はもどきです。苦情は受け付けません。
シーアは所在無さげに講堂をふらついていた。
2月。あと数週間すればシーアは中学校を卒業する。
しかし卒業する前に生徒にはある試験が課せられていた。
それは、「あちらの世界」で「記憶の玉」を用いて魔法を扱うこと。
これは何人かで協力してひとつの魔法を扱うのでも良い。そもそもシーアたち中学生はあまり魔法を使わせてもらえないので魔法を自由に扱える人は多くない。
ただ、この試験の結果いかんによってシーアたち中学生の進路先が決まるのだ。
いい結果を出そうと多くの生徒は張り切っているようだった。
そして「記憶の玉」を自力で扱って「こちらの世界」に帰ってくること。
シーアの住むこの世界には、鏡のようにそっくりなもうひとつの世界が背中合わせに存在している。
安定しているこちらの世界とは違い、あちらの世界は特別な数箇所をのぞき生まれたり崩壊したりして危険なので人々はこちらの世界のみで生活していた。
シーアたち249名の生徒は「あちらの世界」の学校の講堂に飛ばされていた。
この講堂は安定した場所なので壊れる心配はない。
シーアたちに用意されたのは50個の記憶の玉だ。
記憶の玉は親指の先ほどの大きさで、こちらの世界とあちらの世界を行き来するための唯一の媒体であり、人々の魔法の源だ。
「シーア!ここにおったんか!ウチと組まへん~?」
「クリス」
シーアに手を振りつつ茶色の髪を高くひとつに結った少女が駆け寄ってきた。
「一人なんやろ?高校もシーアと同じがええし、一緒に行動せえへん?」
「でもクリスと組みたい奴は俺じゃなくてもたくさんいるだろ?俺も一応簡単な魔法なら自力で使えるしひとりでいいかなって思ってたんだけど」
「さびしいこと言わんといてや~。シーアはウチほど魔法の理解あらへんし、せいぜい2高や。魔法使い目指すんなら1高のほうがええにきまっとるやろ?」
クリスはいわゆる天才だった。
そして、シーアの幼馴染でもある。
2人は特別仲が良いわけでもなかったが兄妹のように育ってきていた。
そんなわけで妹みたいなクリスに弱いシーアは仕方ないな、というように苦笑してクリスの手をとった。
「それじゃあ、よろしく」
「よっしゃ!絶対シーアを1高に連れてったるわ!」
クリスはシーアの手を握り返すと豪快に腕を振った。
講堂の外に出てから、シーアとクリスは他の数グループと行動をともにすることになった。
最後の大魔法を任されたからだ。
クリスが特別なのは周知の事実だったので、特別とも呼べる役割を負ったのだ。
それは、空間を壊す魔力精霊の殲滅。
ひとつのグループはそれぞれ、魔力精霊に攻撃を加える、味方の補助をする、敵の能力を下げるといった行動を決め、魔法を発動させる。
恒例通りなら、とどめは監督官がさす。
しかし今年はクリスがいたので、クリスを筆頭に数人の生徒が協力して魔力精霊にとどめをさすことになったのだ。
シーアとクリスは自分の番になるまで生徒たちの魔法を見ていた。
「なんや。皆やけに魔法の扱いやないの」
「皆クリスに触発されたんだよ。あんなふうに魔法が使えるようになりたいって」
そういうシーアもその一人だ。
こっそり人の目を盗んで魔法の練習をよくしていた。
だがクリスの反応は微妙だった。
「うーん……これはもしかしたら……でも予備の玉くらい持ってるはずやな」
「どうしたの?クリス」
シーアが心配そうにクリスの顔を覗き込むと、クリスは困ったように手を振るくせに強い口調で断言した。
「ああ、シーアが心配することやあらへんよ。本当に困ったことにはならへんやろ」
「クリスがそういうなら俺がつっこむわけにはいかないけど。本当に困ったことになったら相談しろよ」
「うん。シーアは本当に頼りになるなぁ。あ、そろそろウチらの出番やで!」
「よし。俺は記憶の玉をひとつ使って魔力精霊を撹乱させればいいんだよな」
「ウチの魔法が完成するまでの時間稼ぎや。大事な役目だからシーアに任せるんやで?期待しとるからな!」
「了解!任せろ!」
クリスの魔法は無事成功し、生徒達は講堂へぞろぞろと帰っていった。
道中クリスの見事な魔法について興奮したように語る生徒は大勢いて、クリスの周りには人だかりができていた。
「では最終チームから順番に帰還試験を行う」
そのためシーアから記憶の玉を使ってシーア達の住む世界へ帰ることになった。
記憶の玉を使って移動するときは、まず複数の記憶の玉に触れ、変化をイメージする。
その変化に全身を包まれて世界を移動するというわけだ。
クリスの変化のイメージはシーアにはよく分からなかったが、クリスの場合足から記憶の玉につっこんで一瞬でパッと消えてしまう。
シーアの場合、変化のイメージは泡だった。
玉に触れてる手から徐々に泡立っていき、ゆっくりとシーアの体を包み込む。
泡が消えたときには、世界の移動が完了している、はずだったのだが。
「あれ?」
「どしたん?シーア。……あっ」
異変に首をかしげるシーアを心配してクリスがシーアの手元を見ると、シーアの変化のイメージが貧弱に具現化されていた。
汚れた細かい泡が玉の周りにまとわりついている。
しかもその泡はシーアのところまで登ってこようとしなかった。
シーアのイメージが上手くいかなかったわけではない。
「そんな。まさか本当に……嘘やろ?」
「シーア、どうした?……これは!」
試験監督官が、シーアは帰還できないと判断しかけて様子を見に来た。
そして驚きに声をあげる。
「そんな……まさか魔力切れとは……確かに今回の試験ではずいぶん高度な魔法が多かったが」
「予備の玉くらい用意してあるやろ?どこにあるん?」
クリスが監督官に聞くと、監督官はうなずいた。
「不正防止のために外に置いてきている。取って来よう」
だが監督官が立ち上がったとき、講堂の端にいるあたりの生徒が騒ぎ出した。
「外が!」
はっとして監督官が窓辺に寄る。
講堂の外はぐんにゃりと歪み、世界が壊れかけていた。
「まさか!魔力精霊は2体いたのか?」
「あるいはウチの魔法に誘われてきたのかもしれへん……なんにせよもう講堂の外には出れへんで!」
監督官の茫然とした声を聴いてクリスが叫んだ。
「俺らの世界から救助は来ないのか?」
シーアが聞くと、クリスは残念そうに首を振った。
「こちらの世界とあちらの世界の時間軸は違う。ウチらの世界の10分はこの世界の10週間や。おかしいと気付いてもろても救援が来るまでにウチらは餓死してまう」
「嘘だろ……ここで集団自殺でもしろってのかよ……。クリス、それなら記憶の玉を作ることはできないのか?」
「できなくはあらへんけど、不完全なものがせいぜい1個か2個が限界や。とてもこの人数全員送るだけのものは作れへん」
「先生は?」
「私はウィッチクラフトは専門外だ。扱うことはできても作ることはできない」
「それじゃあとりあえず作って何人かだけでも俺らの世界に帰ればいい。それで急いで助けにきてもらおう」
シーアがクリスの目を見てそういうと、クリスは硬い表情ながらもシーアを見つめ返してうなずいた。
「せやな。それじゃあ、何か文字を持ってきてくれへん?そこらに飾ってある習字とかな。あ、でも普通の文字だけやで!何か違う魔法とか効果が混ざってるものは使えへんからな」
「了解」
シーアと同時に周りにいた数人の生徒がうなずいた。
シーアたちは一斉に駆け出し、講堂の中を探し始めた。
シーアは壁に飾られている習字を見た。
学校の習字部が飾ったものと同じに見える。
達筆なものから丁寧なものまで良い作品ばかりが飾られているようだ。
シーアはそれらをざっと見回し、そして視界の端に走るものを見つけると思わずというように後ずさった。
「な、嘘だろ?」
灰色のノイズのようなものが壁を這って浸食していた。
「破壊が、講堂の中まで影響してるのか?講堂は大丈夫なんじゃなかったのかよ!」
シーアは焦ったようにもう一度習字の作品を見回すと、破壊に浸食されていない文字を見つけては乱暴に千切って回収した。
ある程度集まると、シーアはクリスの元に帰り、既に文字の選別を始めているクリスの横に置いた。
「違う、これも駄目や……ああっ!これは破壊に浸食されとる……」
クリスはシーアが持ってきたような習字や文字盤などを一つ一つ手に取っては没にしていく。
やがて一枚の習字を手に取ると、クリスはそれを天高く持ち上げた。
「これや!これならできる!」
クリスは別に用意されていた筆を手に取るとその文字、「旅」を慎重に書き始めた。
途端にあたりが神聖な気に包まれる。どこか張りつめた緊張を強いる気だった。
「先生、クリスは何をしているんですか?」
クリスの集中を邪魔しないように、シーアはこっそり監督官に耳打ちした。
「詳しいことは知らないが、あるオリジナルの文字のイメージを魔女が意図してコピーすることで記憶の玉を作ることができる、と聞いたことがある」
「イメージのコピーですか……」
二人の短い会話の間にクリスは最後のはらいを書き終えた。
同時に気も消え去る。
しかし特に変化は起こらない。
「なんで!?イメージがちごうてるん?なんでなんも変わってくれへんの……?」
クリスはそれでも首を横に振って表情を引き締めると、再び筆を取って字を書き始めた。
再び神聖な気が辺りに満ち、シーアはクリスが字を書くのを集中して見ていたが、ふと気がそれてオリジナルの字に目を向けた。
(……え?)
シーアは目を擦ると、今度はまじまじとオリジナルの文字を見つめた。
(これは、まさか)
「クリス」
シーアはオリジナルの字から目を離さず、クリスを呼んだ。
「なんやっ!邪魔せんといて!……シーア?」
集中力を切られていらだちながらクリスは振り返ると、シーアの様子がおかしいのに気づき、思案気にシーアを見上げた。
「俺に筆貸して」
「え?う、うん……」
シーアの言葉に拒否しがたい何か不思議な気配を感じて、クリスは慌てて筆と席を譲った。
シーアは新しい紙を用意すると、ためらいもなく筆を走らせた。
クリスのような慎重さはなく、その姿勢は自然だ。
そしてシーアが字を書き終えたとき、その場にいる誰もが認めた。
この二つの字はまったく同じものだと。
「完璧……?これならできる!」
クリスはシーアの手から筆をもぎ取ると、横からその字に筆を当てた。
とたんに字は蒼く光りだし……浮かび上がったと思うと中心に集まって混ざり始めた。
クリスはそれに手を出し、二つにちぎると一つをシーアに渡した。
「丁寧に転がしてや。記憶の玉やもん……同じイメージで作るんや」
シーアはその手にある蒼く光るやわらかい粘土のようなそれをぎこちなく丸めた。
光が消えるとき、シーアとクリス、それぞれの手に小さな青い記憶の玉が乗っていた。
「ウチのはちょっといびつやね」
二つの玉を見比べてクリスが微笑した。
「イメージが合ってなかったんや。シーアの字ぃ見て、ウチにも少しだけわかったよ」
「クリス」
「わかっとる」
シーアが名前を呼ぶと、クリスは表情を引き締めてうなずいた。
「皆!ウチらはこの記憶の玉で帰って必ず助けにくる!それまで気ぃ張って待っててや!」
記憶の玉を作ることに成功した二人が先に帰ることに、生徒たちは多少心配そうにしていたが異論は出なかった。
なんといってもクリスは有名人で、生徒たちはクリスの性格をよく知っている。
信頼に足る人物だったし、シーアも口数こそ少ないが正しいことは知っている人物だとクリスがさんざん言っていたためだ。
「シーア。イメージやで」
「わかってる」
シーアは目を閉じてオリジナルの字から見えたイメージに想いを馳せた。
何もない草原だった。
目印になるのは一本の木だけで、その木までたどり着いても、結局広い草原と高い空しか見えないと知っていた。
大きな街だ。
雑踏は賑やかなのに少しさびしい。
冷たくなってしまった都市だった。
広大な海に漂っていた。
水面の上には一面の青。
けれど一度潜れば生命に満ち溢れ、思わず楽しい気分になって彼らとたわむれた。
雲の上は、滅んだ都市のごとく。
かつては繁栄した国は滅ぶと雲となって浮かび上がる。
壮大で素晴らしい街並みを残しているのに怪物のような孤独が襲いかかる。
古い国ほど高い場所にあり、やがて風にあおられ消える。
故郷は慣れ親しみ、見飽きた場所。
なのに胸をしめつける想いがこここそが、帰る場所なのだと必死に訴えていた。
――帰ろう。俺たちの世界に。
――……うん。
シーアが目を開けたとき、そこは良く知っている講堂だった。
しかし予想と違う。
無駄に広くてがらんとした講堂に飛ぶものだと思ったのに、生徒たち皆がそろっている。
「シーア」
クリスの呼ぶ声で、シーアはぼんやりした疑問からはっと気が付いた。
いつの間にかクリスの手を握っている!
気恥ずかしさからシーアは慌てて手を放そうとしたが、クリスの方からしっかり握られていて、振りほどくこともできなかった。
「外が!私たちの世界に帰ってきたわ!」
生徒の一人が叫んだのを皮切りに、生徒たちがこぞって外を確認し、歓喜の声をあげた。
「何が、どうなって?」
シーアが茫然とつぶやくと、クリスがくるりと身をひるがえして、シーアのもう片方の手を取った。
「シーア!すごい!すごいよシーア!!ウチにシーアのイメージが流れ込んだんや。シーアが見た「旅」のイメージがウチに……ううん、ウチら皆に伝わって、皆一緒に帰ってくることができたんや!なんやの?すごい!シーア、すごい!!」
興奮したようにクリスがシーアの手を取ったまま手を振り上げた。
そのため二人でアーチを作ったみたいになる。
シーアはぽかんと嬉しそうなクリスを見て、そして気が抜けた笑みをふっと浮かべた。
シーアは後に「千里眼の魔法使い」として世界に名を馳せることになる。
ここに記したのはそのきっかけになった出来事。
こんな締めですが続きはありません(どやっ)