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メイドさん、依真

「ご主人様、大丈夫でしょうか?」

「問題ない」

 きぃ、と扉を開く音が鳴り、それから間もなく黒のワンピースに白のエプロン――メイド服に身を包んだ一人の女性が俺の部屋へと入る。彼女は片手に銀のトレンチを持ち、その上にはいつも飲む紅茶のポットとカップが置いてあった。

「……まだ二時だが」

 いつも持ってくる時間は3時。いつも定刻通りに持ってくるはずが、今日に限っては何故か一時間も早く持ってきた。早く持ってくるのには問題ないし、丁度小腹が空いていたところではあったが、どうしたのだろうか。

「いえ……私、ご主人様にお願い事があるのです」

 メイド――依真は真剣な顔だった。彼女が不真面目であるということを言いたいわけではなく、むしろ従順すぎるほどに仕事に打ち込んでいた。その為に反動が一気に来たのではないか、と少し心配になったわけだ。

「ほう……?聞こう。休みが欲しいか?」

 依真は首を横に振る。その後息をすぅ、と吸って、しばらくして吐く。口をそのまま開くと思ったら、ポットに手を伸ばし、いつもの調子でカップになみなみと紅茶を注ぐ。

 しかし、その手は震えている。今までにまともな願いをしたことが無い彼女にとって、今の状況はよほど緊張することなのだろう。

「その……ご主人様は、最近外出はされてませんよね?」

「……そういえばしてないな。どうりで身体が怠いのか」

 スケジュールを依真に一任していたせいか、そのあたりの管理が少し甘かったようだ。久しぶりに旅も悪くは無いな。

 机の引き出しの中にあるスケジュール表を取り出し、今月のページを捲る。ここ一週間、用事はない。というか一か月まるまる真っ白だ。

「旅行に行くことにしよう。留守は頼んだ」

 そうと決まれば行動は速かった。席を立ち、首を回す。ポキリ、と小気味のいい音が鳴る。寿命縮むからやりたくないんだけど、癖になっているものだから困る。

 ――ぎゅっ。

 袖を掴まれた。

「そ、その……私も……」

 振り返ると、依真の頬が赤くなっていた。思考が停止して、どういう意味なのかを咀嚼する。

 そこまで咀嚼に時間はかからなかったものの、考えないと分からないというのは鈍い証なのだろうか、それとも敏感なだけだろうか。

「……旅行に、行きたいのか?」

 どもる依真を待てず、こちらから聞いてみる。それを聞いてか、救われたような表情で俺を見る依真。目をぱちくりさせ、今にも泣き出しそうな表情に徐々に変化していく。

 そして、こくこく、と首を縦に振る。感極まったのか、声は出ないようだ。

「……すまない。依真の気持ちを読み取れなかった……ここに来てから、一度も休んでないだろう?」

「仕事を休んでは……借金が返せません……それでは私は、帰れなくなってしまいますから……それに……迷惑もかけてしまいます」

 目を腫らしても変わらない真剣なその表情には少し、惹かれるものがあった。それは主従の垣根を越えた、全く別のベクトルへと向いた興味。

 もう人にこんな感情を持てるなんて思ってもいなかったのに。

「……いい。お父様には怒られそうだけど、依真のお願いなら仕方ないかな」

 出たのは溜め息だった。お父様には悪いけど、嘘を使おう。依真は休みで、俺は旅行で。

「えっ……ほ、本当ですか……!?」

「嘘を言ってどうする?」

 おどけてみる。そうすると、涙を流しながらも彼女は笑ってくれた。

「……ご主人様って、優しいんですね」

「依真が自分にストイックなだけだろう?」

 決して俺は優しくない。ただ回りが自分をきつく抑え込みすぎていて、それを俺が解放したまで。それを誤解して、優しいだなんて。

「……いえ、ご主人様は優しいんです。優しすぎるんです。ご主人様の最大の取り柄、そして最大の弱点はそれです。ですから、傲慢かもしれませんが……私が、ご主人様を守りたいんです」

「……!!」

 いつの間に、依真はこんなに強く?

 いや、元から彼女は強かった。自分の身を犠牲にしてまで家族を守り通そうとするその覚悟……。

 そう、彼女は強いのだ。ただその牙を俺に向けまいと下に下に、尖った牙を丸くして俺を傷つけないために、弱い自分を演じてまで耐え抜いてきた。そして、今かとばかりにその牙を……!

「俺を守る……か。良いのか、そんなこと言って」

「っ……!」

 その役割は、させてはいけない。彼女は従者メイドであるだけで、守護者ガーディアンではない。決定的に違う二つの役割を彼女に兼ねさせるなんてことは、できない。

「……ご主人様」

 彼女の牙を折ってしまうのは申し訳ないが、それ以上に依真の身体が傷ついてしまうことが嫌だった。依真の身体に何かがあることは、俺にも身体精神両面へのダメージを与えることは確かだろう。

 一見終わりを告げたような波乱の劇場は、依真の次の行動で幕を再び開くことになる。ティーカップに注いである紅茶を何の躊躇いもなく半分ほど飲んだ。予定などしていなかったその行動に俺は目を見開くことになるが、その無礼な行動に対して怒りを覚える前に次の行動。

 ……唇が、触れた。

「んっ…………」

 舌を捻じ込まれて、驚きは最高潮に。がっちりとホールドされて、身体がまともに動かない。そうこうしている間に口の中にはいつもの紅茶の味が広がり、奇妙な安心感を覚え始める。

 抵抗する気もなくなり、身体の力が抜けたところで依真の唇が離れ、ホールドされていた身体も解放される。

「ご主人様の思っている、私がご主人様を守るという意味は少し誤解があるのかもしれません。でも、その気持ちは素直に嬉しいですよ、ご主人様」

 ……完全にやられた気がした。額を掌に乗せ、もう一度溜め息。

「参ったよ、依真」

 白旗を揚げる。きっと、依真ならうまいこと俺を守ってくれるのかもしれない。それがどんな意味かはあまり理解できてないけれど、恐らく悪くは無いのだろう。

 幸せは、わりと近くにあるのかもしれない。

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