毎日がハロウィン
認知症や介護施設など、出てきます
深い描写はないですが、ご注意下さい
私が二歳の時。
小学一年生の姉が通う英語教室でのハロウィンイベントに参加した。
母は、その日のために姉がねだった白雪姫のドレスを購入。
もはや、ハロウィンに白雪姫が関係あるかどうかなんて、どうでもいいのだ。
親にとって、子供がコスプレをすることに意義があるイベント、それがハロウィン。
しかし、私はとても不機嫌だった。
二歳だったが、よく記憶している。
カボチャ色のマントは幼児には重くのしかかり、カチューシャは頭を容赦なく締め付ける。
母は、私とおそろいのマントとカチューシャを付けていた。
なぜ私にこんなにも苦痛を与える格好をさせるのか、と伝えたかったが、まだ二歳のため言葉にすることはできなかった。
父は、なぜか忙しそうだ。
私は、母と手をつないでいた。
市役所までの大きな通りを、大人も子供も仮装して練り歩く。
「パレード」だと、母は教えてくれた。
そして、大きな公園まで歩かされた。
しかも、小学生の姉は私と遊んでくれない。
姉は、パレードの終着地の公園で、地面に落ちた何かを笑いながら、拾っていた。
友達とはしゃいでいて、私は完全にのけものだ。ちっとも楽しくない。
とうとう、私は泣くしかなかった。母に抱っこしてもらうしか手立てがなかった。
それが、私の初めてのハロウィンの思い出。
※
約四十年後の十一月。
私は、約一年ぶりに実家を訪れた。
社会人になり、結婚もし、二人の子供にも恵まれ、仕事に育児に慌ただしい日々を送っている。
もう私の年齢も四十代半ばになっていた。
子供二人も小学生になり、旦那以外土日を使って私を含め三人で帰省したのだ。
子供二人は寝静まり、父も二階でくつろいでいる二十二時頃。
私と母は、リビングでお茶を飲みながら、何気ない会話に花を咲かせていた。
「これ、母さん?」
「そう、ハロウィンだからね!」
母は、参加した町内会のハロウィンパーティーで、仮装をした画像をスマホを使って私に見せる。
七十歳となった母は、容姿も心も若くて元気だ。
スマホに映る母は、コウモリの羽根やカチューシャをつけ、かわいいスティックを持っている。画像を見る限り、人生を謳歌しているようで微笑ましい。
周りの高齢者のお友達も、吸血鬼やお姫様の仮装をして、笑顔でポーズをとっている。
総勢十名ほどの町内会の仲間である。
私の母は、我が家にとどまらず町内では顔が広い。
コミュ力お化けだ。
私と一緒に買い物をしても、何人も知り合いとすれ違う。
そして、その人物の個人情報を私に伝える。
あの人は洋裁が上手いとか、あの人は惣菜ばかり買っているとか。
大きなお世話というような細かい情報まで教えてくれる。
私には露ほども関係ない情報だが、勝手に喋りだすので、自分の思考回路に届かない程度に聞いていた。
なにせ母は細かいことは気にしない。
人生における酸いも甘いも、なんでも笑い飛ばして解決してきた。
肝っ玉母ちゃんを絵に描いたような人だ。
父の浮気が発覚しても、父が会社に解雇されても、祖父母の介護で疲れ果てても⋯⋯そして、自身が胃ガンだと判明した日まで。
胃ガン手術から四日後、仕事仲間が見舞いに来ることが分かったとたん、
「化粧しなくちゃ! 眉毛ないから!」
と、周囲から笑いを見事に奪っていく。
そんな母が、ハロウィンの仮装をして、こうして町内会というコミュニティで輝いている。
体力は私よりあるかもしれない。町内を自転車で滑走して回る元気な七十歳だ。
コミュ障の私の目下の目標としている老後である。
私も、なんでも笑い飛ばせるお婆ちゃんになりたい。
そう願っていた。
※ ※ ※
「佐橋さん、娘さんが来てくれましたよ」
さらに十八年後。
今、母は高齢者施設に入所している。
もう施設の生活も二年になった。
父は五年前に他界。
姉は海外で生活していて、なかなか帰国できない。
私は、子供たちの手も離れたが、パートの仕事は継続していた。
そんな中、一人暮らしだった母は認知症の症状が出始め、自宅介護を余儀なくされた。
車椅子生活となり排泄もままならなくなった。
加えて、私のこともすっかり忘れてしまった。
さすがに、自宅介護は限界となり、母は施設に入所することになったのだ。
今、母は母の世界で生きている。
たまに、私と目が合うと、うつろに眺めるだけだ。
私に敬語を使い、施設の職員だと認知しているようだった。
※
十一月某日、私は母の面会に施設を訪れた。
母は施設でのハロウィンのイベント以来、毎日カボチャ色のマントを自分につけるよう職員にねだるようになったらしい。
「佐橋さん、ハロウィンのイベントから、ほぼ毎日マントを付けるので、施設でも目立ってるんですよ。ハロウィンに思い出があるのですか?」
女性職員がたずねた。
「さあ⋯⋯? ボランティアにもよく参加していたので、どのハロウィンイベントの思い出なのか分からないですね」
その後、母が座る車椅子を押して、ホームの庭を散策する。
母のカボチャのマントを嘲笑うかのように、落ち葉が風に舞い、枯れた葉音を鳴らす。
ニットのカーディガンの上に、カボチャ色のマントがひるがえる。
その光景がなんとも滑稽で笑いを誘った。
その時、耳になじんだ優しい声が、風に乗って届く。
「まあちゃん、そんなに泣かないで。ママが抱っこしてあげる」
まあちゃん……、佐橋真綾。
「真綾」という名前から「まあ」をとって、「まあちゃん」と呼ばれた幼い日。
——私だ! 私を呼んでいる! 母さんが私を呼んだのだ!
「母さん! 私よ! 真綾よ! 私が分かるの?」
慌てて車椅子の前にしゃがんで目線を合わす。
その目は私をとらえていない。
私の後ろ……背後の苗木を慈しむように見つめている。
「ほら、ねえねがくす玉をたたいてるでしょ? ねえねは白雪姫よ、かわいいわね。まあちゃん」
「ねえね」は、幼い私に対して「姉」を指す単語だった。
あの日、小学生の姉や友達は、公園に取り付けられた直径三十センチ大のくす玉を、順番に手作りの棒で叩いて割ろうとしていた。
叩く順番が回ってきた子供は、目隠しをされているので、なかなかくす玉を捉えることができない。
友達や家族が、その子供を取り囲み、指示を出す声や励ます声であふれ、一段と賑やかになった。
後から知るが、中南米の伝統的な「ピニャータ」という遊びらしい。
二歳の私は半べそをかいて、母に抱かれながら、その様子を眺めていた。
順番に子供たちに叩かれたくす玉は、たまらず大きな口を開けて降参した。
その瞬間、くす玉の中からお菓子が地上に舞い降りた。
二歳のハロウィンの日。
父はイベントの手伝いに駆り出された。
目隠しした姉の白雪姫は、くす玉を棒で叩き、それが割れると夢中でお菓子を拾った。
カボチャ色のマントが重い私は、おそろいのマントをつけた母に抱かれていた。
今、母はあの日にいる。
そして、私は一メートル先の低い一本の苗木なのだ。
「母さん、私はこっちよ! 真綾は私!」
どれだけ叫んでも、苗木に向かってまあちゃんと愛しそうにその名を呼ぶ。
無意識に私は母の肩をつかんで、自分を思い出すよう懇願していたようだ。
私たち二人の異様な様子に、職員が気づき慌てて庭に出てきた。
「大丈夫ですか? 佐橋さん! どうしましたか?」
「母が……ハロウィンを思い出しました! 私が二歳で!」
「わかりましたから、落ち着いて下さい!」
職員の声に、私は冷静さを取り戻す。
母が私の名を呼ぶことが二年ぶりなので、我を忘れてしまった。
「では、お母さんは部屋に戻りますね」
母は、職員に車椅子を押され、私を見向きもせずに遠ざかっていった。
※
四ヶ月後。
もうすぐ、春がやってくる。
私は、ホームの庭のあの苗木の前に、母を乗せた車椅子を止める。
あの日から、母はその小さな苗木に向かって、まあちゃんと呼びかけ、泣いている幼子をあやす言葉を繰り返すようになった。
それは、私が訪問しない日も。
もちろん、カボチャ色のマントを付けながら。
今や、母は毎日がハロウィンだ。
職員さんは、きっと母にとって人生で一番幸せな日だったのだろうと教えてくれた。
イベントの手伝いで忙しそうにしていた父。
白雪姫になっていた姉。
半泣きの私を抱っこして、大通りを歩いた母。
あの日が、母の一番幸せだった日。
母は自分の全てが終わる瞬間まで、あの思い出の中にいるのだろう。
カボチャ色のマントとカチューシャをした不機嫌な私を抱き上げながら。




