【エルフの寿命を研究してはいけない】 〜とあるエルフの研究ノート〜
拾い物のような人生、どう生きようか。
前世で、俺は理系の大学院生だった。
生まれ変わったと理解した時、そりゃあもう喜んださ。
エルフ。
そう、今世では、エルフになった。
ファンタジーの定番だろう?
美形で、魔法が得意。そして何より、長寿。
この世界のエルフもご多分に漏れず、普通に何百年も生きている。
母は百八十歳を超えているし、父は四百二十歳だ。
俺は八十歳ほどだが、人族で言えばまだ十代だ。
前世では研究室と自宅を往復しているうちに二十代で儚く死んだ俺にとって、これは神様からのお詫びか何かなんだと思った。
今度こそ長生きしよう、そう思っていた。
――思っていたのだ。
「……おかしい」
前世を思い出してから、もう数十年経つ。
以来、ファンタジー小説のような世界を堪能するように、家族や幼なじみと楽しく暮らしていた。
そして今俺は、自室の机に積み上げた紙の束を睨んでいた。
エルフは人族より遥かに多くの魔力を持つ。
そしてこの世界では、魔力量の多い生物ほど長命になる傾向がある。
そこまではいい。
おそらく魔力が肉体の損耗を補っているのだろう。
代謝に干渉しているのかもしれない。
細胞――こちらの世界にそんな呼び方はないが、とにかく身体を構成しているもの――の劣化を抑えている可能性だってある。
問題は、その先だった。
「それでも長すぎるな…」
だって、どう仮定しても維持可能な時間が合わないんだ。
多少老化を遅らせる程度なら説明できる。
人族の倍、三倍。条件次第ではもっといけるかも。
だが、数百年だぞ?
それも特別な延命処置もなく、普通に飯を食って、寝て、森を歩き回っているだけで?
おかしいだろ。変だろ。
「アイン、また難しいこと考えてるの?」
窓から幼馴染のエイラが顔を覗かせた。
手には木の実の入った籠。
「昼からずっと部屋にいるでしょう。少し外に出た方がいいよ」
「あと少しなんだよ、多分」
「昨日もそう言ってたよ?」
「今日は本当にあと少しなんだ」
幼馴染は困ったように笑った。
「変なのー」
それだけ言って、エイラは木の実を机の端に置いて帰っていく。いつもの跳ねるような足取りで。
変なのはそっちだ。
どうして疑問に思わない?
どうして、何百年も生きることを当然だと思える?
祖父も長生きだった、曾祖父も長生きだった、イコール自分も長生きする。
そこで終わっているんだ。
誰も理由を知ろうとしないんだ。
だから、俺が調べようと考えた。
そうやって、前世同様俺は二度目の人生をも、研究に突っ込むことにした。
「火の魔法って、結局何が燃えてるんだ?」
酸素だけでそんな長時間火を維持できるわけがない。
燃えるものが必要なはずだ。
魔力が燃料か?
「水分を飛ばすって、具体的にどこへ行ってるんだ?」
蒸発なら熱が必要?
いや必ずしもそうじゃない。
その量の水が蒸発したら、湿度の変化がすごいぞ?
考察することが楽しくてならない。
おそらくそれが自分の性分なのだろう。
「ねえ、川に行ってみない? 今日は魚が捕まえやすいわ」
幼馴染に誘われ、たまにはそれもいいか、と俺も行くことにした。
わずか二歳しか離れていないエイラは、同年代の俺といつも一緒に居たがる。
そのうちエイラと結婚するのかな、などと考えたりもした。
川へ着くと、彼女はスカートの裾を縛り、太腿も露わに水の中へ歩いていった。
魚を捕まえるより川で遊ぶのが目的だったようだ。
「ねえアイン。気持ちいいわよ!」
「仕方ないなぁ…」
そう言ったら、彼女の魔法で顔に水を掛けられた。
ちょっと油断していただけだ。
別に彼女の脚を見ていたせいじゃないぞ。
「あはは!」
「やりやがったなエイラ!」
「ぎゃっ」
魔法で水を飛ばし返してやった。
…女の子がその悲鳴はどうなんだ。
「あー、もう。びちゃびちゃだわー」
笑いながらエイラは自分の服や髪を乾かした。
一瞬透けて見えた肌に、ドキドキしたのは内緒だ。
さて自分も乾かそうか、と思ったのだけど、なぜか俺の服は乾かなかった。髪も。雫が滴っているままだ。
「なによー。いつまでも濡れたままで。濡れたのは私のせいっていいたいの?」
「そういうわけじゃ…」
次の瞬間には、さっきまで肌に張りついていた服はさらりと乾いていた。エイラが乾かしてくれたらしい。
「…………」
「なに?」
「いや」
俺の魔力がおかしいわけではない。魔力はある。それはわかるしいつも通りだ。
さっきまで他の魔法は普通に使えていたし、考えすぎて、感覚が狂ったのだろう。大したことじゃない。そう思った。
数十年かけて、俺は魔力と生命活動の関係も調べた。
怪我の治りや疲労、加齢について。
魔力の消耗、睡眠、食事。
人族の記録も集めたし、獣人も調べた。
もちろん長命な魔物についても調べた。竜種とかも。
魔力が多いほど長命になるようだ。
これは間違いない。資料が裏付けている。
だが、それだけではエルフの寿命には届かなかった。
足りないな。どうしても、最後の一段が足りないんだ。
しかし、考え続けたある日、俺は気づいた。
「……待てよ」
怪我を治す魔法、火を起こす魔法、物を浮かせる魔法。
どれも、術者が思い描いた結果へ向かって魔力が働く。
最終的には、術者の認識が魔法を形作っているんだ。
ならば、身体の維持は?
意識していないだけで、エルフ自身が常に魔力を使っているのだと仮定したらどうだ?
俺は震える手で新しい紙を引き寄せ、思いついたことを整理しようと、日本語で書き殴った。
仮定を置いた。
何度も壊した。
そしてまた組み直した。
魔力量による肉体維持と、無意識の自己修復について。そして老化速度。
種族として共有された自己認識。
――エルフは長命である。
生まれた時から誰もが知っている。自分もそうなる、と考えるまでもなく知っている。
そして魔力は、その認識に沿って身体を維持するんだ。
「…………あ」
その最後のピースがはまったとき、息が止まった。
理論が成立するじゃないか。
ああ…!
むしろこれ以外では説明できない。
エルフの異常な長寿は、膨大な魔力量だけで成立しているのではない。
魔力と、肉体と、
そして――
「自分は長命な生き物だ、という認識……」
呟いた瞬間、背筋が冷えた。
ぞわりとした感覚が駆け上っていく。
待て……。
じゃあ、その認識を失ったらどうなるんだ?
俺はもう知ってしまったぞ……!?
何百年も若い姿を維持することが、生物として自然な現象ではないと。
魔力によって補われているだけなのだと、知った。
そして、その魔法を成立させている最後の支柱が――
「これ、信じられなくなったら……」
ピキ。
小さな音がした。小さいくせに、いやに耳に残る音だ。
「……は?」
頬に触れる。
つるりとした感触だったはずのそれはカサカサと妙に乾いていた。
半ば予想しつつ、鏡を見た。
銀色だった髪に、白が混じっていた。
いや、ちがう。白くなっている。
一本ではない。
根元から、一気にだ。
「おい…」
手を見ると、皮膚に細い皺が走っていた。
「待て待て待て待て…!?」
膝が震えた。力が入らず、その場に座り込んだ。
心臓は早鐘を打っている。息も浅くなる。
魔力を流して身体を維持しようとするのに、それができない。
どうすればいい?
若返る?
細胞の損傷を戻す?
老化を止める?
無理だ。
そんなことは自然には起こらない。非現実的だ。
――そう考えてしまう。
「まずい」
ふと、昔のことを思い出した。乾燥魔法のこと。
原理を考えてから、俺だけ使えなくなった。
「……これも、同じだっていうのか?」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
相変わらず遠慮がない。
「アイン! ご飯持って――」
幼馴染のいつも通りの呑気な声が、途中で止まる。
「…………誰?」
「俺だよ」
声が掠れた。
自分でも驚くほど弱い声だった。
エイラの顔が青ざめる。
「アイン!? なんで!? 何があったの!?」
「分かった」
「何が!?」
「全部、分かったんだ」
ああ!
笑いが込み上げる…!
恐怖はある。
多少の名残惜しさも。
そりゃああるさ。
死ぬ。
たぶん俺はもう助からない。
でも、それでも残したものはあるから。
机の上には、何十年も積み上げてきた記録と、最後の一枚。
とうとう世界の仕組みの一端を、俺は確かに捕まえた。
「……最高じゃないか」
「何言ってるのよ!?」
幼馴染が泣きそうな顔で俺の肩を掴む。
いつの間にか、俺の身体だけが急速に時間へ追いついている。
「アイン! 治癒魔法! 治癒魔法使って!」
「無理だよ。それじゃ止まらないんだ」
「なんで!?」
「理由を知っちゃったからさ」
幼馴染は意味が分からないという顔をした。
それでいい。
分からない方がいい。
知らない方が、たぶん長生きできる。
いや、たぶんじゃない。確実に、だ。
視界がさらにぼやけていく。
指が震えて、もう紙を掴むこともできない。
後悔は、不思議となかった。
前世でも、今世でもだ。
結局俺は、世界がどう動いているのかを知りたかったんだ。
なぜそうなるのか。どうしてなのか。
それを追いかけて、とうとう自分の命まで実験材料にしてしまった。
学者としては、どうかしている。
だが、悪くない。
「その紙……」
俺は最後の力で机を指した。
「捨てるなよ」
「う、うん! 分かった! 分かったから喋らないで!」
「大事な……研究だからさ……」
「分かったってばぁ!」
よかった。
安心した。
俺は椅子にもたれた。
天井が滲んで見える。
エイラは明日も普通に起きて、普通に飯を食って、普通に何百年も生きてくれるだろう。
俺が何を見つけたかなんて、知らないまま。
日本語で書いておいて、本当によかった。
まったく。
なんという世界だ。
面白いじゃないか。
本当に。
ああ面白かった。
*
後年。
アインの遺した大量の紙束は、彼の故郷の集会所で大切に保管された。
残念ながら内容を理解できる者は一人もいなかったが。
「アインって、こういう細かい模様描くの好きだったよねぇ」
「綺麗だよね」
「じゃあ飾ろうか」
こうして世界の根幹に触れた稀代の研究成果は、『アインが遺した、なんか難しそうでありがたい紙』として額装されることになった。
その紙が朽ちるまで、研究内容を理解する者は現れなかった。
おかげでその集落のエルフたちは、その後も皆たいへん長生きしたという。
閲覧ありがとうございます。
連載のほうのどこぞの転生エルフとは、中の人の着眼点や転生後の自認が違いました。




