EP 9
模擬戦と信頼の槍
ルナキャロット村での穏やかな日々が、数日過ぎた。
勇太は「先生」として火傷の治療経過を見守る傍ら、畑仕事を手伝い、ロックブルの力強さに驚き、この異世界の空気に少しずつ身体を馴染ませていた。
善行ポイントも、日々の小さな手伝いで地道に貯まりつつある。
ある日の午後。
治療院代わりの自宅で薬草の整理をしていると、キャルルが弾むような足取りで飛び込んできた。
「ユウタさん! 今から広場で自警団の合同訓練があるんです! 見に行きませんか?」
「自警団?」
「はい! 村を守るために、男の人たちを中心に戦闘訓練をするんです。私も特別参加するんですよ!」
ふふん、と鼻を鳴らすキャルル。その顔は、可愛い村娘ではなく、一人の「武闘家」のそれだった。
勇太も、この平和な村がどうやってゴブリンなどの脅威から身を守っているのか、興味があった。
「うん、ぜひ見学させてもらいたいな」
二人が村の中央広場へ向かうと、そこはすでに砂煙と熱気に包まれていた。
数十人の兎人たちが、槍や弓、手製の剣を手に、激しい打ち合いを行っている。
(速い……!)
勇太は息を飲んだ。
兎人特有の強靭な脚力。踏み込みの速度が、人間のそれとは段違いだ。残像が見えそうなほどのスピードで展開される模擬戦は、訓練というより実戦に近い殺気を帯びていた。
「おい、もっと腰を落とせ! ゴブリンの動きを思い出せ!」
ひときわ体格が良く、歴戦の古傷が刻まれた強面の男が、雷のような怒号を飛ばしている。
彼が腕を組んで立っているだけで、周囲の空間が引き締まって見えるほどだ。
「あの方が、自警団長のラトルさんです。村一番の槍使いなんですよ」
キャルルが小声で教えてくれた。
その後、キャルルが訓練の輪に入り、見事なトンファー捌きを見せ始めると、ラトルがふと勇太の存在に気づき、大股で近づいてきた。
「あんたが、噂のユウタか。人間だが、ゴブリン相手に一歩も引かなかったと聞いたぜ」
ラトルは勇太の頭から爪先までを、鋭い猛禽類のような視線で値踏みする。
それは「敵か味方か」ではなく、「戦えるか否か」を見極める戦士の目だ。
「キャルルから聞いた。あんた、故郷じゃ何か武術をやってたんだってな。長物もいけると」
「ええ、まあ……『薙刀』を少し。心得がある程度ですが」
「ナギナタ? 聞いたことねえ名だが……槍の親戚みたいなもんか?」
ラトルは口の端をニヤリと吊り上げた。
「どうだ、一本。俺と手合わせしてみねえか?」
その言葉に、周囲の訓練生たちの手が止まり、一斉に注目が集まる。
ざわめきが広がる。あのラトル団長が、人間に挑戦状を叩きつけたのだ。
(……試されてるな)
勇太は即座に理解した。
治療ができるのは分かった。だが、いざという時、自分の身を守れるのか。村の足手まといにならないか。
このリーダーは、それを肌で確かめようとしている。
ここで断れば、ただの「守られる客」で終わる。
だが、この世界で生きていくと決めた以上、舐められるわけにはいかない。
「……分かりました。長物があれば、お相手します」
勇太は静かに、しかし力強く答えた。
「おう、いい目をしてやがる! 威勢だけじゃねえことを祈るぜ!」
ラトルは嬉しそうに笑うと、訓練用の丸められた木槍を一本、勇太に放り投げた。
自身も同じ木槍を手に取り、広場の中央で構える。
「手加減はしねえ。死なない程度にな!」
勇太は受け取った木槍の重心を確かめる。
日本の薙刀に比べればバランスは悪いし、刃もない。だが、「長い柄」があれば、やることは同じだ。
彼は足を前後に開き、半身に構える。切っ先(穂先)を相手の喉元へ向ける、正眼の構え。
「はじめ!」
号令と共に、ラトルの姿がブレた。
(速いッ!)
爆発的な脚力。瞬きの間に間合いがゼロになる。
ラトルの槍が、風を切り裂く音と共に勇太の胴を狙って突き出される。
普通なら反応できない。
だが、勇太の脳裏には、あの悪夢のような銃撃戦の記憶――「死線」を潜り抜けた感覚が焼き付いている。
速い動きは見えない。だが、「殺気」と「予備動作」は見える。
(来る場所は分かってる!)
勇太は慌てて下がることをしなかった。
逆に、半歩前へ。
ラトルの突きが届く直前、最小限の動きで身体を捻り、紙一重でかわす。
同時に、すれ違いざまに槍の石突(柄の後ろ)を走らせ、ラトルの脇腹を軽く小突いた。
「なっ!?」
ラトルが驚愕に目を見開く。
だが、獣人の反射神経は伊達ではない。即座に踏みとどまり、剛腕で槍を横に薙ぎ払ってくる。
風圧を感じるほどの剛撃。まともに受ければ木槍ごと吹き飛ばされる。
(力じゃ勝てない。なら、理屈で勝つ!)
勇太はラトルの力に逆らわず、自分の槍の柄を相手の槍に沿わせた。
「受け流し」。
柔よく剛を制す。ラトルの力が逃げ場を失い、体勢が前のめりに崩れる。
「――っ!」
その隙を見逃す勇太ではない。
流した槍を円運動で返し、ラトルの槍を絡め取るようにして巻き上げる。
「巻き落とし」。薙刀特有の技術だ。
ガコンッ!
ラトルの手から木槍が弾き飛ばされ、宙を舞った。
次の瞬間、勇太の木槍の穂先が、ラトルの喉元でピタリと止まっていた。
「……そこまで」
勇太が静かに告げる。
一瞬の静寂。風の音だけが広場を吹き抜ける。
誰もが言葉を失っていた。あの「鬼のラトル」が、人間の若造に、しかも力比べではなく技術で完封されたのだ。
「……は、はは」
沈黙を破ったのは、ラトルの乾いた笑い声だった。
「はっはっは!! こりゃ一本取られた! まさかこれほどの使い手だったとはな!」
ラトルは豪快に笑い飛ばすと、勇太の肩をバシバシと叩いた。
「悪かったな、舐めてたわけじゃねえが……驚いた。今の、槍を巻き上げる技、あれが『ナギナタ』か? いやすげえ!」
「い、いえ……ラトルさんの速さに、冷や汗が止まりませんでしたよ」
「謙遜するな! 速さを殺す技術、そして何よりその度胸! ユウタ、あんたの実力は本物だ!」
ラトルは広場の若者に何かを指示すると、一本の槍を持ってこさせた。
それは訓練用ではない。
鈍色に輝く鋼鉄の穂先と、磨き上げられた樫の柄を持つ、実戦用の長槍だ。
「これを持って行け。村の鍛冶師が打った中でも上等な業物だ。そんじょそこらの棒切れより、あんたにはこいつが似合ってる」
「え、でも、これは……」
「いいから受け取れ! あんたはもう客じゃねえ。俺たちの背中を預けられる『仲間』だ。仲間が丸腰じゃ、団長の名折れだからな!」
ラトルは無理やり勇太の手に槍を握らせた。
ずしりとした重み。
それは単なる金属の質量ではなく、この村の人々からの「信頼」の重さそのものだった。
「……ありがとうございます、ラトルさん。大切に、使わせてもらいます」
勇太が槍を強く握りしめると、周囲の自警団員たちからも「すげえぞユウタ!」「今度俺にも教えてくれ!」と歓声が上がった。
その中心で、キャルルも誇らしげに胸を張っている。
中村勇太は今、医者としてだけでなく、ルナキャロット村を守る「戦士」として、確かな居場所を手に入れたのだった。




