EP 6
兎の村と優しい人々
キャルルと、助けられた二人の子供たち――トトとミミに先導され、勇太は獣道から少し開けた林道へと足を進めていた。
子供たちはすっかり勇太に懐いたようだ。時折振り返っては、「ユウタ兄ちゃん、さっきの棒の攻撃すごかった!」「また見せて!」と、長い耳を揺らしてはしゃいでいる。
その無邪気な姿を見ていると、先ほど手を下した「殺生」の感触が、少しだけ遠のく気がした。
「あの、ユウタさんは、どこから来られたんですか? その服……見たことのない素材ですし、もしかして東の『マルシア帝国』の方ですか?」
隣を歩くキャルルが、小首をかしげて尋ねてきた。彼女の歩法は武術のそれだ。落ち葉を踏む音すらほとんどしない。
「えっと……いや、もっと遠くの、東の果ての……あまり知られていない島国の出身なんだ。旅の途中で道に迷ってしまって」
勇太は視線を泳がせながら、用意していた嘘を口にした。
まさか「異世界の地球からトラックに轢かれて来ました」とは言えない。そんなことを言えば、頭がおかしいと思われるか、最悪の場合、未知の「研究対象」として扱われる恐怖があった。
「そうなんですか。……大変でしたね」
キャルルはそれ以上深く追求しなかった。彼女の赤い瞳には、嘘を見抜いたような鋭さはなく、ただ純粋な同情の色が浮かんでいた。その優しさが、嘘をついている勇太の胸をチクリと刺す。
しばらく歩くと、鬱蒼とした森が唐突に開け、視界が一気に明るくなった。
「わあ……」
勇太の口から、感嘆の声が漏れた。
そこには、絵本から抜け出したような、牧歌的で美しい村が広がっていた。
なだらかな丘陵地帯を利用して作られた、半地下式の住居。
土と煉瓦、そして丸い石を組み合わせて作られた家々の屋根には、鮮やかな緑の芝生が生い茂り、煙突からは夕食の支度だろうか、白い煙がたなびいている。
あちこちに吊るされたオレンジ色の飾り――人参を模した看板やオブジェが、夕日に照らされて輝いていた。
ここが、「ルナキャロット村」。
村の中心には、御神木のような巨大な木がそびえ立ち、その根元に広場がある。
そこでは、白、茶、ブチ模様など、様々な色の長い耳を持つ人々――兎人たちが、農具の手入れをしたり、談笑したりしていた。
平和そのもの。
だが、勇太たちが村の入り口に足を踏み入れた瞬間、その空気が凍りついた。
ピタリ、と村人たちの動きが止まる。
数十対の長い耳が一斉にこちらを向き、そしてピンと張り詰めた。
「人間……?」
「なんで人間がここに……」
好奇心ではない。明確な「警戒」と「恐れ」。
母親たちは子供を背後に隠し、農作業をしていた男たちは、手に持っていたクワやスキを、武器のように握り直した。
彼らにとって、人間という種族は決して友好的な隣人ではないのだと、肌で理解させられる。
(……やっぱり、そうなるよな)
勇太は居心地の悪さに身を縮め、杖代わりの樫の棒を握る手に力を込めた。
異分子を見る目。それは、ある意味でゴブリンの殺意よりも冷たく、心に刺さる。
その時だ。
キャルルが、勇太を庇うように一歩前に出た。
「みんな、待って! 警戒しないで! この方はユウタさん! 私たちの恩人なの!」
凛とした、よく通る声が広場に響き渡る。
「さっき、川岸でトトとミミがゴブリンの群れに襲われたの。それを、このユウタさんが命がけで助けてくれたのよ!」
「うん! 本当だよ!」「ユウタ兄ちゃん、すっごく強かったんだから!」
キャルルの言葉に続き、トトとミミが身振り手振りを交えて懸命に訴える。
その必死な姿に、村人たちの間にどよめきが走った。
硬直していた空気が溶け、警戒の色が、驚きと、そして深い安堵へと変わっていく。
「おお、なんと……!」「キャルルちゃんと子供たちを……」「ゴブリンを追い払ったのか?」
ざわめきが感謝の波となって押し寄せる中、人垣が割れ、杖をついた小柄な老人が進み出てきた。
ひときわ立派な白い髭と、垂れ下がった長い耳。村の長老とおぼしき風貌だ。
「これはこれは、旅の方……。わしはこの村の長、ロップと申します」
ロップ長老は、その白髭を震わせ、勇太に向かって深々と頭を下げた。
「キャルルは、わしらにとって自慢の娘であり、村の守り手。そして子供たちは村の宝じゃ。彼らを救ってくださったこと、村を代表して心より感謝申し上げます」
「い、いえ……当然のことをしただけです」
長老が頭を下げたのを見て、周囲の村人たちも次々と駆け寄ってきた。
さっきまでの警戒心はどこへやら、今は誰もが目を潤ませ、勇太の手を握り、背中を叩く。
「ありがとう、人間さん!」「よくぞ助けてくれた!」
「これ、焼きたての人参パンだ、食ってくれ!」
「こっちはハーブティーだ、怪我はないか?」
差し出されたのは、湯気を立てるパンと、香草の香りがする温かい飲み物。
ポイントなどいらない。対価も求められない。
ただ「ありがとう」という気持ちだけで差し出された、温かい食事。
(……温かい)
受け取ったパンの熱さが、指先から冷え切った心に染み渡る。
コンビニの廃棄弁当でも、ポイントで買うおにぎりでもない。
人の手で作られた温もりが、張り詰めていた勇太の緊張の糸を、ぷつりと切った。
「あ、ありがとう……ございます……」
声が震えた。
異世界に来て初めて触れた「善意」。それがこんなにも身に染みるとは思わなかった。
「ユウタさん」
不意に袖を引かれ、見下ろすと、キャルルが少し頬を染めてこちらを見ていた。
「随分とお疲れのようです。……もしよかったら、私の家で休んでいってください。恩人の方を、村の広場で野宿させるわけにはいきませんから」
赤い瞳が、不安げに揺れている。断られたらどうしよう、と思っているのだろうか。
「……良いの? 僕なんかで」
「はい! もちろんです! うちのベッド、藁を干したばかりでふかふかですよ!」
キャルルは、ぱあっと花が咲くように破顔した。
その笑顔は、この異世界で勇太が見たどんな景色よりも美しく、安心できるものだった。
「じゃあ……お言葉に甘えさせてもらうよ」
「はい! どうぞこちらへ!」
キャルルに手を引かれ、勇太は村の小高い丘の上にある、こぢんまりとした家へと歩き出す。
背後からは、まだ村人たちの「ありがとう」の声が聞こえていた。
中村勇太の異世界一日目。
死にかけ、殺し、絶望した長い一日の終わりに、彼はようやく、心安らげる場所にたどり着いたのだった。




