EP 30
森の狂騒と四つの力
「来るぞ! 構えろッ!!」
勇太の警告と同時だった。
茂みを食い破り、悪夢のような怪物が飛び出してきた。
巨大な森イノシシ。だが、その背中は青く発光する苔に覆われ、異常発達した筋肉が皮膚を引き裂いて露出している。
痛みを感じていないのか、その突進は狂気そのものだ。
「グルルァァァァッ!!」
「デカブツが……押し通れると思うなよッ!」
イグニスが吼え、大盾を地面に突き刺して構える。
ガゴォォォォォンッ!!!
トラックが衝突したような轟音。イグニスの鋼鉄のような足が地面を削り、数メートル後退させられる。
「ぐ、ぬぅ……ッ! こいつ、なんて馬鹿力だ……筋肉のリミッターが外れてやがる!」
イノシシの口からは、泡ではなく青い粘液が垂れ流されている。
左右からは、同じく変異した森オオカミ二匹が、赤い目を爛々と輝かせて襲いかかってきた。
「キャルル、左! 僕は右をやる!」
「了解です! ……っ、速い!」
キャルルがトンファーで爪を受け止めるが、オオカミは物理法則を無視した動きで追撃してくる。
勇太も薙刀で応戦するが、斬りつけた感触が異様だった。肉を斬ったはずなのに、手応えがブヨブヨとしており、傷口からは血ではなく青い胞子が舞う。
「『アイスランス』!」
リーシャの援護魔法がオオカミの足を貫く。だが、オオカミは足を凍らされたまま、痛みも恐怖もなく這いずり寄ってくる。
(やっぱり、おかしい……!)
勇太は確信した。こいつらは生き物としての本能で動いていない。
何かに脳をハッキングされ、死ぬまで戦う操り人形にされている。
(神経系が過剰興奮しているなら……過負荷をかけてシャットダウンさせる!)
「みんな、耳を塞げ! 『鎮静装置』を使う!」
勇太はオオカミを蹴り飛ばして距離を取ると、懐から円盤状のデバイスを取り出し、出力を最大にして起動した。
キィィィン――――……!!
人間には不快な耳鳴り程度にしか聞こえない、超高周波音。
だが、聴覚が鋭敏で、かつ神経が過敏になっている獣たちには、脳を直接かき回されるごとき激痛となって襲いかかった。
「ギャンッ!? ギャウウッ!」
オオカミたちが白目を剥き、痙攣して地面に転げ回る。
イグニスを押し込んでいたイノシシも、泡を吹いて崩れ落ちた。
「効いた……! 神経伝達をジャミングしたんだ!」
だが、獣たちはまだピクピクと動き、立ち上がろうとしている。勇太の装置はあくまで「妨害」だ。「支配」を解くことはできない。
「リーシャ! 今だ! 彼らの穢れを祓ってくれ!」
「ええ、任せて! 母なる森の慈悲よ、迷える魂を縛鎖から解き放て……『ピュリファイ(浄化)』!」
リーシャが杖を掲げると、清浄な光の粒子が獣たちを包み込んだ。
すると、獣たちの体表から黒い靄のようなものが抜け出し、青い苔が枯れてボロボロと剥がれ落ちていく。
数秒後。獣たちは荒い息を吐きながらも、その瞳からは狂気の赤色が消え、本来の穏やかな色に戻っていた。
「……助かった、のか?」
イグニスが盾を下ろし、汗を拭う。
獣たちは、自分たちが何をしていたのか分からない様子で、怯えたように森の奥へと逃げ去っていった。
「サンプルを解析します」
勇太は即座に膝をつき、簡易検査キットを取り出した。
剥がれ落ちた苔と、獣の体液を採取し、試薬に浸す。
リトマス紙が、見たこともないドス黒い色に変色した。
「……ひどいな。この苔、宿主の脳内麻薬物質を強制的に分泌させる『神経毒』を出している。動物たちは、快楽と興奮漬けにされて操られていたんだ」
「なんておぞましい……。魔法的に言えば『強制憑依』や『狂戦士の呪い』に近いわね」
リーシャが、顕微鏡のモニターに映る「蠢く胞子」を見て、嫌悪感に顔を歪めた。
科学と魔法。アプローチは違えど、二つの知性が導き出した結論は一つだ。
「この苔は、自然発生したものじゃない。誰か、あるいは何かが、意図的に『生物兵器』として撒き散らしている可能性があります」
「ええ。森の生態系を、根底から書き換えようとしている悪意を感じるわ」
森の奥から、湿った風が吹いてきた。
その風には、濃密な胞子の匂いと、生き物の気配がしない不気味な静寂が混じっていた。
「行こう。この奥に、諸悪の根源がある」
勇太が暗視ゴーグル(NVG)を装着し、緑色の視界で闇を見通す。
その背中を、信頼できる仲間たちが守る。
一行は、腐敗と狂気が支配する「囁きの森」の深淵へと、静かに足を踏み入れた。




