EP 29
囁きの森と二つの知性
行商人ニャングルが去り、新たな風が吹いたルナキャロット村。
だが、その風には微かな腐臭が混じっていた。
村の北に広がる「囁きの森」。
そこで採取される薬草が枯れ、夜な夜な不気味な青い光が目撃されているという。
さらに、森の境界付近で家畜が襲われる被害が急増していた。
「森が……病んでいる。エルフとして、この悲鳴は見過ごせません」
集会所で、リーシャが沈痛な面持ちで訴えた。
彼女にとって森は故郷にも等しい場所だ。その真摯な眼差しに、勇太も即座に応えた。
「僕たちも行きます。原因が病原菌なのか、魔力的なものなのか。……突き止めましょう」
こうして、勇太、リーシャ、キャルル、イグニスの四人による「異変調査隊」が結成された。
出発直前。勇太はボードを展開し、対「未知の汚染」装備を整えた。
戦闘用ではなく、調査・解析用のガジェットだ。
『軍用ナイトビジョンゴーグル(第3世代)』 ×2:300P
『水質・土壌簡易検査キット』:50P
『携帯型デジタル顕微鏡』:50P
『超音波式・獣撃退器』:50P
合計450P。決して安くはないが、情報は武器だ。
「ユウタ、その奇妙な目隠しのようなものは?」
リーシャが、勇太の手にある武骨なゴーグルを指差す。
「これは『暗視装置』。光のない場所でも、昼間のように見ることができる道具です。……試してみますか?」
勇太はリーシャにゴーグルを装着させ、スイッチを入れた。
「――ッ!?」
リーシャが息を呑んだ。
薄暗い森の入り口が、鮮明な翠緑色の世界として浮かび上がったからだ。木の葉の葉脈、遠くを飛ぶ虫の姿までがはっきりと見える。
「信じられない……。エルフの夜目でも、ここまで鮮明には見えないわ。まるで、世界そのものを書き換える『魔眼』ね……」
「科学の力ですよ。さあ、行きましょう」
四人は警戒態勢で森へと足を踏み入れた。
足元はぬかるみ、空気は粘つくように重い。
鳥のさえずりはなく、代わりに風が木々を揺らす「ザワザワ……」という音が、まるで何者かの囁き声のように響いている。
「……魔素が濁っているわ。森の浄化機能が追いついていない」
リーシャが杖を握りしめ、顔をしかめる。
さらに進むと、問題の「光る苔」が現れた。
木の幹や岩肌にべっとりと張り付いた、蛍光ブルーの苔。
美しいというよりは、毒々しい。
「ユウタさん、見て! あの木、枯れてます!」
キャルルが指差した先の大木は、苔に覆われた部分から腐り落ち、白い樹液を垂らしていた。
「サンプルを採取します。……イグニス、キャルル、周囲の警戒を頼む」
「おう、任せろ」
勇太はゴム手袋をはめ、ピンセットで苔と土壌を採取し、試薬入りのチューブに入れた。
振ると、透明な液体がドス黒い紫色に変色する。
「……強酸性だ。それに、この反応は特定の重金属に近い毒素が出ている」
「毒……? 魔法的な呪いではなく?」
「見てください」
勇太はデジタル顕微鏡のモニターをリーシャに見せた。
そこには、苔の胞子が活発に動き回り、正常な植物の細胞を食い破って増殖する様子が映し出されていた。
「なっ……!? 小さな虫? いいえ、これは植物の種? 互いに食らい合っているの!?」
「これは『ミクロの世界』です。この苔は、魔力を吸って変異した寄生植物のようです。宿主を殺すまで増殖し続ける」
「なんてこと……。自然の理を外れているわ」
リーシャは戦慄した。
勇太の「科学(分析)」と、リーシャの「直感(魔力感知)」。
二つの知性が噛み合い、事態の正体が「生物災害」であることが浮き彫りになっていく。
その時だった。
「ッ! 来るぞ!」
イグニスが戦斧を構え、前に出る。
キャルルの耳がピンと立ち、敵の方角を捉える。
「3体……いいえ、もっと! でも、足音が変です! ズルズル引きずるような……」
茂みをかき分け、姿を現したのは、森の動物たちだった。
だが、その姿は異様だった。
巨大な森イノシシ。だが、その背中からは青い苔が角のように突き出し、皮膚を突き破って筋肉が肥大化している。
続く森オオカミたちも、目が赤く発光し、口からは泡ではなく、あの苔と同じ青い粘液を垂らしていた。
「グルルルゥ……ァァ……」
獣の唸り声ではない。苦痛と殺意が混ざった、狂気の響き。
「こいつら、生きてるのか!? まるで動く死体だぞ!」
イグニスがたじろぐほどの瘴気。
勇太は即座に判断した。
「苔に寄生されて、脳まで支配されているんだ! ……鎮静装置は効かないかもしれない。迎撃するぞ!」
「助けてあげることはできないのね……。なら、せめて楽にしてあげるわ!」
リーシャが杖を掲げる。
科学の目が捉えた「感染源」と、魔法の瞳が見据える「悲しき獣」。
静寂の森で、生死を賭けた調査戦が幕を開けた。




