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第1章:崩れた夢と出会い

1


あれは私が五歳の誕生日、山の別荘で迷子になった日のこと。三つの頭を持つ牙獣に襲われた私を救ってくれたのは、紅蓮の翼を持つ赤竜ルビアスだった。彼の威厳と、どこか優しい眼差し。


「お前が、赤竜ルビアスか」


父の声が遠くから聞こえた。振り向くと、父マーカスが剣を手に立っていた。その目は警戒と、それ以上に深い畏怖に満ちていた。


赤竜は私の前に頭を下げ、その時、鮮やかな赤い鱗が一枚剥がれ落ちた。それは内側から温かさを放ち、私の手の中で宝石のように輝いていた。


「ルビアスが…お前に敬意を?」


父は驚いた様子で、私の手の中の鱗を見た。彼の眼差しに一瞬、何か運命を受け入れたかのような、深い思いが浮かんだように見えた。母セレナが駆け寄り、私を強く抱きしめた。彼女の腕は震え、普段は冷静な母の頬を珍しく涙が伝っていた。それは安堵だけではない、娘の未来に何か特別なものが関わることへの、母自身の過去とも重なる複雑な感情の表れかもしれなかった。


「こんな危険な目に遭わせるなんて…」


父は黙って私の手から鱗を取り、銀の鎖でペンダントに仕立ててくれた。「これを決して手放すな。お前を守り、導くだろう」と言い、私の首にかけてくれた。その目には不思議な決意が宿っていた。


私はその日から心に誓った——いつか私も、ルビアスの背に乗りたい。誰かを守る騎士になりたい、と。


十年の時が流れ、私はその誓いを胸に、運命の瞬間を迎えていた。


2


カレイドニア王国の象徴、巨大な水晶塔「竜契の塔」の最上階。この国では竜騎士こそが力の象徴であり、貴族の子弟にとって最高の栄誉だった。


明日で十六歳になる私、アイリス・ヴァレンタインは、七色竜騎士団総帥の父と、「紅竜の騎士」の称号を持つ母との間に生まれた一人娘として、王国中の期待を一身に集めていた。今日は私の契約儀式の日。竜との絆を結び、その力を共有する「竜騎士」になるための、人生で最も重要な儀式だった。


「落ち着いて、アイリス」


儀式控室で、父が私の肩に手を置いた。彼の目には自信と、どこか私の未来を案ずる不安な色が混ざっていた。


「私は大丈夫です、父上」


私は微笑んだが、手の震えは隠せなかった。父はそれに気づき、深いため息をついた。


「アイリス、無理をする必要はない。契約は相性だ。必ずしも…」


「父上!」

私は思わず声を上げた。「私は絶対に契約します。ヴァレンタイン家の名誉のために」


父は何か言いかけたが、そのとき母が入ってきた。彼女は厳格な表情で私を上から下まで見た。


「儀式衣は似合っているわ。あとは心構えだけね」


母の言葉には温かみがなく、まるで兵士に命令するかのようだった。しかし、彼女が私の首のペンダント—赤竜の鱗—を見たとき、一瞬だけ表情が和らいだ。それは単なる期待ではなく、何か過去の記憶を呼び覚ますかのような、複雑な色を帯びていた。

「…あれを身につけて正解よ。ルビアスとの縁が強まるはず」


広間の中央には巨大な水晶球「竜の宝珠」が浮かび、その周りに魔法陣が広がっていた。壁面の高い位置には観覧席があり、貴族たちが着飾って座り、その下方には一般市民が詰めかけていた。


「アイリス・ヴァレンタイン」


司式官の呼びかけに、私は一歩前に出た。白い儀式用の長衣がゆらめき、ペンダントが胸元で微かに輝いた。


「我が名はアイリス・ヴァレンタイン…(中略)…永遠の契約を結んでください」


儀式の言葉を唱え、私は宝珠に触れた。


——何も起きなかった。


水晶の冷たさだけが指先に伝わる。光も、温かさも、何も感じない。


(おかしい、何かが違う)


ざわめきが広間に広がり始めた。母の目には信じられないという表情と、それ以上に深い失望の色が浮かび、古参の騎士たちの間にも動揺が広がる。


「もう一度挑戦してみなさい、アイリス嬢」

と司式官は言った。


五回目の試みが終わった時、広間は完全な沈黙に包まれていた。


「儀式、中断します」

司式官の声が響き、私の世界が音もなく崩れ去った。


3


「五百年続く我が家の血筋で、契約に失敗したのはお前が初めてよ」


夕食の席で、母の冷たい声が響いた。しかしワイングラスを握る彼女の手が微かに震え、何か言いたげに唇を噛んでいた。その冷たさの裏に、私には計り知れない母自身の葛藤があるのかもしれないと感じた。


「申し訳ありません、母上」


「何が足りなかったのだろうな」

と父は呟き、深いため息をついた。彼の声には非難より、純粋な疑問と僅かな失望が混ざっていた。

「訓練は十分だった。理論も完璧に近かった。それなのに…」


父は窓辺に立ち、月を見上げた。その肩には重い責任が乗っているようだった。


「半年後に再挑戦の許可は取った」

と父が告げた。契約儀式は通常、年に一度しか受けられないが、父の地位のおかげで特別に再試験が許されたのだ。


母は食事も終えずに席を立った。ドアに手をかけたところで、振り返ることなく呟いた。

「あの鱗を大事にしておきなさい。それが…あなたの運命を変えるかもしれないわ」


その言葉に、私は一瞬戸惑った。何か意味が隠されているようにも聞こえた。


夜、部屋の窓辺に立ち、星空を見上げる私。胸元の赤い鱗のペンダントを握りしめながら、「なぜ私を選んでくれなかったの、ルビアス」と呟いた。


4


半年後、私は再び「竜契の塔」へと向かった。前回よりも人は少なく、貴族たちの視線は以前より鋭かった。


(今度こそ)


深呼吸をして、私は宝珠に近づいた。隣には同じく儀式を受ける若者たちが待ち、その中にレオン・ストラトスの妹、グレイス・リヴェリアの姿があった。彼女はどこか落ち着かない様子だった。


手のひらを何度も擦り合わせ、唇を噛む彼女。彼女の目には不安と緊張が満ちていた。どこか強がりな彼女の態度の裏に、何か深い葛藤を抱えているようにも見えた。


「アイリス・ヴァレンタイン、前へ」


司式官の呼びかけに応じ、私は宝珠に手を当てた。


(ルビアス、どうか応えて)


しかし宝珠は再び沈黙した。五度目の挑戦も失敗し、私は頭を下げたまま、その場を離れた。


続いてグレイスが呼ばれ、宝珠に触れた瞬間、広間全体が赤い光に包まれた。轟音と共に竜の咆哮が響き渡る。


「赤竜ルビアスとの契約が成立しました!」


歓声と拍手が沸き起こり、グレイスは喜びと戸惑いの混ざった表情を見せた。彼女は私の方を振り向き、一瞬だけ申し訳なさそうな、そしてどこか不安を隠せない目を向けた。だが次の瞬間、彼女の表情は自信に満ちた微笑みに変わり、観客に向かって手を振った。その切り替えの早さに、彼女の必死さが透けて見える気がした。


私はその場に立ちすくみ、やがて静かに会場を後にした。階段を下りながら、これまで夢見てきた竜騎士の道が永遠に閉ざされたことを悟った。


5


三日間、私は部屋に閉じこもった。誰とも会わず、食事も喉を通らなかった。


四日目の夜、決心して城下町へと抜け出した。見習い騎士用の簡素な外套を羽織り、身分を隠して街を歩く。小雨が降り始め、私は古い「古書街」と呼ばれる一角で軒を探した。


通りはほとんど人気がなく、ほとんどの店は閉まっていた。しかし一軒だけ、不思議な青い灯りを灯している店があった。「幻灯堂」という看板には、七色の竜が描かれていた。


店内に入ると、埃っぽい古書の香りが私を包み込んだ。天井高く積まれた本棚が迷路のように並び、ろうそくの明かりはあるのに人の気配はなかった。静寂があまりにも深く、自分の鼓動さえ聞こえるようだった。


「いらっしゃい、お嬢さん」


突然声がして振り返ると、白髪の老人が現れていた。先ほどまでそこに誰もいなかったはずなのに。


「雨宿りだけで…すみません」

と言いかけると、老人は「構わないよ。折角だ、ゆっくりしていきなさい」と言った。


彼は私の首飾りを見て、「赤竜の鱗ね」と呟いた。その目には星の輝きのような神秘的な光があった。


「そして契約はできなかった」

と続ける老人に、私は驚いた。

「見ればわかるさ。君の目に宿る悲しみと失望がね」

と老人は説明し、書棚の奥へと歩いて行った。


埃まみれの棚の最も奥から、「小精霊の書」と題された、皮革の表紙に銀糸で刺繍された美しい古書を取り出した。表紙には七色の宝石が埋め込まれ、うっすらと光を放っていた。


「これは君にぴったりの本だ。契約に失敗した者だけが読める本でね」


「いくらですか?」

と尋ねると、老人は首を振った。

「いつか必要な人に渡してくれれば良い」


「ルビアスが君を選ばなかったのは、もっと大きな理由があるのかもしれない。時々、拒絶は最大の贈り物になることもある」


意味深な言葉を残し、老人は本を私の手に置いた。その言葉の重みが妙に心に残った。振り返ると、彼の姿はなく、ただ店の奥に揺れる灯りだけが見えた。不思議に思いながらも、私は本を大切に抱え、雨が止むのを待って屋敷へと戻った。


6


窓から月明かりが差し込む部屋で、私は贈られた本を手に取った。表紙には「真実の道は、時に蔑まれし小さき存在の中にあり」という言葉が刻まれていた。


本を開くと、突如として小さな火の玉が飛び出し、私の前で炎のような姿をした小さな精霊の形になった。


「よぉっ!やっと誰かが本を開いてくれたぁ!ボクはフレイム、火の精霊だよ!」


精霊は部屋の中を元気よく飛び回り、途中で壁にぶつかりそうになったかと思えば、くるりと回転して難を逃れた。その仕草には愛らしささえ感じられた。


「ア、アイリス…アイリス・ヴァレンタインよ」


「ヴァレンタイン?すごい名前だね!」

フレイムは私の周りを興奮気味に回りながら言った。

「でも、キミ、なんだか悲しそうだね?」


フレイムは私の目の前で静止し、小さな頭を傾げた。火の粒子が舞うような姿のまま、彼は真剣な表情で私を見つめていた。


私は竜と契約できなかった話をした。「こんな私に何の価値があるのかしら」と呟くと、フレイムは私の肩に止まった。彼の温もりが心地よく肩に伝わる。


「キミは孤独だね。ボクにはわかるよ」

フレイムの声はいつもの調子とは違い、静かで優しかった。

「ボクもずっと一人だったから。誰にも必要とされずに、長い間本の中で眠っていたんだ」


その言葉に胸が熱くなった。

「本当に契約してくれるの?私なんかでいいの?」


「もちろん!」

フレイムは再び元気を取り戻し、小さな火花を散らして弾んだ。

「キミは優しくて、強い心を持ってる。そんなキミと契約したいんだ。騎士団に選ばれなくても、キミはキミのままで素晴らしいよ」


フレイムは契約の言葉を教えてくれた。私たちが言葉を交わすと、指先に小さな炎が灯った。これは竜の力とは異なる、繊細で美しい炎だった。心を集中させると、炎は大きくなったり小さくなったりした。


「これが…小精霊の力」


契約失敗後、初めて私は心から笑顔になれた。月明かりの下で、私たちは夜更けまで語り合った。小精霊の歴史、彼らの力、そして忘れられた古い魔法について。


「昔はね、竜と小精霊と人間はみんな力を合わせてたんだ」

フレイムは懐かしそうに語った。

「でも、150年くらい前の『大災厄』の後、竜騎士が世界を立て直してから状況が変わった。彼らの力が絶対視されるようになって、ボクたち小精霊の存在は歴史の隅に追いやられ、忘れられていったんだ」


竜に拒絶されたことが、実は新たな道への扉を開いたのかもしれない。そう思えた瞬間だった。明日からどうなるかはわからない。母や父にこのことを話せば、どんな反応をするだろう。不安は尽きなかったが、今の私には小さな灯火があった。


この小さな火の精霊との出会いが、私の人生を大きく変えることになるとは、その時の私にはまだ想像もつかなかった。

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