EP.20 暇だったので
左手のスナップを効かせて弦を震わせる。
小刻みなビブラートの音が波のように響き、段々と消えていく。
音が消えると同時に、演奏前に感じていた辺りの喧騒が耳に入ってくるが、不思議とそれらの雑音は気にならず、彼女の奏でていた音が頭の中を反芻する。
心地良い音の余韻。
私はもう少し、その微睡にも似た感覚に浸っていたかったが、ぐっと堪えて、目の前でこちらの反応を伺う双葉をまず、激励する。
「ナイス、双葉」
「で、できてたよね⁉︎ なんでみんな無反応なの⁉︎」
心配そうに双葉が見ている方を見ると、渚はポカンとした表情で固まり、一葉さんは……その背後に黄色を浮かべていた。喜んでいるらしい。ってことは、いい結果だったんだろう。
「いやぁ……すげーな。私達の前で、しかも外で、これだけ弾けてるんだからもう克服出来たんじゃないか?」
「私達だけじゃない」
私が渚の言葉を訂正して道の奥を指差す。
それに釣られてそちらを見た渚と双葉はギョッとした。
何人かの男女がこっちを見て、目が合った彼女らは双葉に拍手して見せたのだ。『よかったよ〜!』と、口々に賞賛してくれる光景を見て、双葉は開いた口が塞がらないようだ。
一葉さんは妹が褒められるのが嬉しいのか、口元がニヤついている。もう少し素直になったらいいのに。
「み、見られてた⁉︎」
「それで拍手してくれた。みんな双葉の演奏を褒めてくれてる」
「私の、演奏が……」
ギターを抱きしめてなにか呟いた双葉は、俯いたまま私に言う。
「……ありがとう瑠璃」
「お礼はまだ早い。これからはもう少し人がいる通りとかで——」
「ありがとぅねぇえええっ‼︎」
「うぷっ」
鳩尾への衝撃と痛みに変な声を漏らしながらも、なんとか踏みとどまる。
……鳩尾にギターのヘッドが刺さったんだけど、殺す気か?
「全然ダメダメだったのに、こんな、こんなっ!」
「泣くなよ、大袈裟だなぁ。ほら双葉、テッシュやるから、チーンってしろよ」
「渚もあいいがとねえええ!」
「うわっ! ちょっと鼻水が……ああ、うん、よしよし」
私から離れて渚の元に飛んでいった双葉が落ち着くのを待ちつつ、私は一葉さんと話す。
「どうでした?」
「……私の前でもボロボロに緊張してたのに、短期間でこれだけ人前で弾けるようになったんだ、上出来だろ」
「素直に凄いって言えばいいのに」
「瑠璃ちゃんも言うようになったなぁ」
「グリグリはしないで」
一葉さんの隣から飛び退いて距離を取る。
私は渚の二の舞にはならない。
「つっても……まあ、これからだな。まだまだ慣れないといけない。大きいところでやりたいのなら尚更な」
そう言ってから、一葉さんは私に真剣な表情で問いかけてきた。
「瑠璃ちゃんは、なんでバンドやろうと思ったんだ?」
「暇だったので」
「へ?」
「時間を持て余して、やることもなく……どうせなら何か新しい、特別な何かをやりたいと思ってたんで、ちょうどよかったんですよ。まあ、なので、双葉に誘われたのがきっかけですかね」
「そうなのか」
「あ、目標ならあります」
「訊いても?」
「ある人よりギターが上手くなること。絶対に悔しがらせてやります」
私の目標を聞いた一葉さんは吹き出して、
「そりゃいいな」
と顔をくしゃっと歪めた。
一葉さんのこうした笑顔を見るのが新鮮で、私は思わず、ありのまま思ったことを口に出してしまった。
「笑顔、可愛いですね」
「は?」
「あ、すみません。つい思ったことが」
そう言って取り繕うがもう遅い。
歳上の……詳細な年齢は知らないが、五歳から六歳くらい離れている大人の女性に対して、私のような子供が言うには失礼な言葉だったのかもしれない。
顔を赤くするほど怒っているようだし……ああ、ほら、色が赤く……あれ? これは黄色——
「あ、あのさ、お姉!」
もう落ち着いたのか、明るい笑顔の双葉がこちらへやってきた。
「なんだ?」
「あれ、お姉、顔が赤——」
「で、なんだよ」
「え? あぁ、うん……そのさ、どうだった?」
「どうって?」
「……人前でも、結構弾けるようになったんだけど」
「ああ……ま、及第点ってとこじゃないか?」
本当、褒めるのが下手にも程がある。
「及第点……そっか!」
が、しかし。
及第点でも双葉は十分嬉しそう。
とりあえず姉に認めて貰えたことが嬉しかったのか、双葉は笑顔で隣にいた渚に抱きついた。
「……一つ訊いていいか双葉」
「ん? なにお姉」
「お前、なんでバンドやろうと思ったんだ?」
さっき私に訊いてきたのと同じ質問を、一葉さんは双葉にも投げかけた。
その時、ほんの少しだけ、あの色が見えた。前に一葉さんが浮かべた淡い青紫の色。渚と双葉が私の境遇を聞いた時に出た色だ。
……なにを後悔しているのか。
私が一葉さんを見て考えている間に、双葉は言いにくそうに視線を彷徨わせてから、その答えはすでに明白であるかのように、迷うことなく彼女は、
「ギター弾くのが好きだし、落ち着くし、でも一番はやっぱり——お姉の分までやらないといけないからかな!」
そう言った。
「——そうか」
双葉さんは踵を返して店に足を向ける。
店内に戻ろうとする彼女は去り際に「頑張れよ」と双葉に言ってから、私にそっと、二人に聞こえないくらい小さい声で呟いた。
「アイツの事、頼むよ」
私は素直に頷く。
すでに先ほどの色は霧散し消えている。
前を歩いていく黄色く染まった背に向けて、「もっと素直に慣ればいいのに」と、私は小さく呟いたのだった。
続きは今日の朝9時半から投稿予定です。




