EP.18 イヤァー!
朝から晩までみっちりと父のギターレッスンをした翌日の月曜日。
私は左手の指先に絆創膏を貼りまくった手を、渚の目の前に掲げて見せつけていた。
「見て見て渚、血」
「や、やめろよぉ」
目を逸らす渚はいつものツンケンした雰囲気ではなく、とてもしおらしい仕草で顔を隠し、私の庇護欲をそそってくる。
ただあまり周囲にこんな可愛い渚を見られて彼女の魅力に気付かせるのは癪なので、弄るのは程々に、私は手を引っ込める。
渚の可愛さを理解しているのは私と双葉だけで十分なのだ。
「何してんの瑠璃」
「双葉」
朝の教室に入って一直線に私達の元へやって来ただろう彼女は、いつものようにギターの入ったギグバックを背負った出立ちで、呆れた目で私を見てきた。
「双葉ぁ、瑠璃がイジメるんだよぉ」
「よしよし、大丈夫だからね渚」
幼児退行しているような気がする渚を撫でて慰める双葉。
私は流石にやりすぎたかと思い、反省したフリをすることにした。
「ごめん渚。渚がこんなに血がダメなんて知らなくて」
「あ、うん……もう大丈夫だから、そんな気に——」
「はいドンッ」
「イヤァー!」
とても女の子らしい悲鳴を上げた彼女に教室中の視線が突き刺さるが、すぐにそれに気づいた渚が目に力を入れて『キッ!』と睨むと、全員が目を逸らす。
クラスの人たちと打ち解ける道のりはかなり険しそうだ。
「てか瑠璃、どんなけ練習したの……ホントに血出てるじゃん」
「ずっとやってた」
「ずっとって……あれからずっと?」
「双葉帰ってから昨日の、ていうか今日の三時くらいまで」
「やりすぎ! 始めたばかりでそんなにやってたらそうなるよ! もう、いくらなんでも限度ってものが……」
心配してくれるのは嬉しいけど、こっちも意地になっているから仕方ない。
父の言葉に流石の私もブチギレた。
もう私はあのレッスン動画を駆け抜けるまで止まらない。というか止まれない。止まったが最後、父に負けたということになってしまう。そんなの、全人類が許しても私が許せないのだ。
なにがなんでも最後までやってやる。
「すごいな瑠璃。そんな本気でやって……かっこいいな」
「まあね」
「少しは謙遜しないの?」
渚の言葉にムフーっと気分よく鼻を鳴らす。
私は双葉の言葉にある訳ないと返して、今日の予定を確認する。
「今日はセレナーデで練習するんでしょ」
「うん、今日は月曜の定休日だからね」
そうなると今日は双葉の特訓だ。今日はいつもより、店前での演奏時間を長くしてみよう。最初よりも緊張しなくなってきたし、ステップアップした方がいい。まだまだだけど、改善されてきている。
やはり慣れることが一番効果があるようだから、この調子で徐々に、人目に触れるようにしていけば大丈夫だと思う。
もっと人目に付く場所でやることも見据えて、いい感じの路上とか探しておかないと……要検討だ。
「じゃあ、アタシも行こうかな。一葉さんの料理食べたいし」
「おいでおいで〜、お姉も喜ぶから」
「ついでに双葉の観客やって。目の前でプレッシャーかける役で」
「よしきた」
私達のやりとりに双葉は頬を引き攣らせつつ、
「わ、私も成長してるからねっ、それくらいなんともないよ!」
と、自信があるのかないのかよく分からない態度で言った。
色の薄い緑だから、不安を抱いているようだ。
そんな調子じゃライブなんていつになるか分からない。ということで、今日は双葉に内緒で、あの人にも観客として参加してもらおう。
そして放課後。
私達三人はセレナーデにやって来た。
いつものしっかりした木製の扉にかかっている、Closeと記された札を無視して扉を開け、双葉を先頭に店内へ。
「お、いらっしゃい」
「お邪魔します」
「どうも」
「お姉、飲み物もらうよ」
「好きなの注いでけ」
私と渚は双葉に飲み物は任せて、窓際のいつもの席に座る。
店内は定休日なので他のお客さんは当然おらず、BGMも流れてはいない。が、奥にテレビかラジオがあるのか、かすかにステレオな音が聴こえてくる。
それでも店内の木の香りや、暖色の灯りに照らされた店内の雰囲気は、相変わらず素晴らしい。ただいるだけでリラックスさせてくれる素敵な空間だ。ただ、強いていうなら、
「いけ——そこだ、刺せ! 追い上げろ! お前の脚にかかってる!」
一葉さんの、競馬に熱中しているような声だけが気になった。
「お待たせー」
私は飲み物を持って戻ってきた双葉に尋ねる。
「一葉さんって競馬が趣味なの?」
「あぁ……なんかこの間さ、瑠璃の家でご飯ご馳走になった日に、店に来た友達と飲んでたらしいんだけど。そこで勧められて、一度手を出してから、あんな調子なんだよね……」
「大丈夫なのか? 競馬って賭け事だろ?」
「お小遣いの範囲だから大丈夫じゃないかな。お金の管理はお父さんがしてるし」
「何事も程々がいいって言うけど、賭け事はダメ。うちのお父さんはやらせたらダメなタイプだった。持ってたハイエンドギター売ってたし」
「うちの父親もそうだったらしい。それが原因で借金したって聞いたしな……」
「……ちょっと辞めさせてくる」
私達の言葉を聞いた双葉が薄い緑の色を大量に放ちながら店の奥へ。
まあ、ちゃんと分別のある大人だし、別に一葉さんなら大丈夫じゃないかな。
双葉も大変だなぁと、私と渚は苦笑し合った。




