6.災難が重なる時はとことん重なる
「えー、つまりだな。お前さんは銀行強盗の協力者じゃなく、人質に連れ回されてたって言うんだな?」
「は、はい、そうです……」
「だが、証明できそうな証拠はない、と」
「はい……」
隣に座った無精髭の男は、僕から辿々しい証言を聞き取りながら、ぽりぽりとこめかみを掻く。
僕は膝の上で、手首にかかった手錠を手持ち無沙汰に弄っていた。
カーチェイスの果て、二度に渡り気絶した末に僕が目覚めたのは、警察署だった。
刑事や警官、時折ヒーローが忙しなく行き来し、時折、手錠を掛けられた人々――ヴィランやその共犯者が連れられてきた。
叫び声や怒号がひっきりなしに飛び交い、署内は混沌としている。
そんな中で先程目が覚め、どうしていいかまったくわからず呆然としていたところへ、くたびれたスーツを着た無精髭の男――タイラー刑事がやってきた。
そして、その場で簡易的な事前聴取をされることになった。
「知ってるだろうが、ここ数年、犯罪件数はうなぎのぼり。ヴィランだけじゃなく、共犯の疑いがありゃ非能力者でも取り締まりが厳しくなってんだ。お前さんの証言だけで嫌疑を晴らすわけにゃいかねぇ」
「で、でも……あの、あの、僕は……」
「わかってるわかってる。無実の証拠もないが、逆に共犯の証拠もないってんだろ?」
刑事はオドオドする僕を落ち着かせようとするように、ポン、と背中を叩いてくる。分厚い手のひらだったが、力が加減されていてまったく痛くなかった。
タイラー刑事はがっしりとした体格の壮年だ。見た目はいかつく、態度も気怠げで、僕は完全に怯んでいた。
ヴィランの共犯と決めつけられ、自白を強要されるのでは……と想像してしまい、いつも以上に言葉がつっかえ、証言は散々なものだった。
しかし想像に反して、彼はしどろもどろな僕の言葉から、言いたいことをよく察し、汲み取ってくれた。見たところ、現場叩き上げのベテラン刑事といった風格があるし、証言を聞き出すのに慣れているのかもしれない。
「警察だってバカじゃあない。お前さんが本当に無実なら、ちゃんと捜査すりゃわかるさ。つーか、俺の目から見ても、お前さん、犯罪の片棒を担ぐ人間にゃ見えねぇし」
「じゃ、じゃあ……」
僕は少し希望を見出した。
「だがなぁ、すぐには無理だろうな」
その期待も虚しく、タイラー刑事は肩を竦めると、混み合う警察署内を顎で指し示す。
「見ての通り、手一杯なもんでな。ヴィラン共が張り切ってくれるおかげでよ」
タイラー刑事によれば、ヴィランの犯罪が横行するこの街の警察署は、聴取室も満杯らしく、取り調べ前の逮捕者や証人がエントランスで待たされている始末らしい。
もちろん、彼らも放っておかれているわけではない。逃亡の恐れがある逮捕者には、ヒーローや警官が付きっきりになっている。
僕は気絶していたし、能力者でもなかったので、長椅子に寝かされて放置されていたわけだが。
「俺たちが太刀打ちできない連中を、ヒーローが捕まえてくれるのはありがたいがなぁ。捜査に証拠固め、事情聴取に司法の手続き、被害者へのケア、その他もろもろ……とても追いつかねぇのよ」
俺もしばらく家に帰れてねぇし……とぼやきながら、タイラー刑事はよれよれのシャツの、ボタンを2つほど外した襟元から手を突っ込み、ボリボリと胸元を掻いた。
警察も大変なんだな、と同情を覚えた。このままでは強盗の共犯という疑いが晴れず勾留されるかもしれないという、自分の立場を忘れて……というより、あえて考えないための現実逃避だったかもしれない。
現実逃避の延長のように、改めて署内を見渡してみる。
すると、向かいの長椅子にぽつんと腰掛けた、1人の少女と目が合った。
彼女は、ひどく虚ろな眼差しをしていた。
あまり女の子をまじまじ見るものではないとわかっていたが、その少女から目を離せなかった。
警官やヴィランたちの怒号飛び交う警察署には不釣り合いな存在ということもあるが、理由はそれだけではない。
歳の頃は、12、3歳といったところか。しっとりと流れるような長い赤毛が印象的なその子は、ぼんやりとこちらを見ていた――いや、どこも見ていなかったのかもしれない。たまたまその視線の先に僕がいただけ、という感じがした。
それほど、ひどく虚ろな眼差しをしていた。
その眼差しに、僕は何か不穏なものを感じてならなかった。
「あぁ、あの子か? ほれ、例の一家惨殺事件の。かなり大きく報道されてるから、聞いたことくらいあるだろ?」
僕の視線の先に気づいたタイラー刑事にそう言われて、思い出した。
『1人娘を残して夫婦惨殺……ヴィランの犯行か』
職安で読んだ、新聞の見出し。
どうやら彼女が、その生き残った1人娘らしかった。
「犯人逮捕どころか、容疑者すらあがってねぇ。あの子の証言だけが頼りだが……まともに話せるかねぇ。可哀想にな」
タイラー刑事が沈んだ様子で呟くうちに、少女の傍らに他の刑事がやってきて、二言三言声をかけたかと思うと、彼女の手を取りそっと連れて行った。
聴取室へ行くのだろうか。
「あっ、おにーさ〜〜ん!」
飛び込んできた能天気な声に、意識と視線が逸れた。
遠目に見ても誰かわかる人物が、忙しく行き交う警官たちの向こうを通り過ぎるところだった。
親しげな笑顔を向けてくる、金髪の美青年。
間違いない、僕を巻き込んだ銀行強盗だ。
エアロレディに殴られた片方の頬が真っ赤に腫れていて、男前が台無しだ。
それでも彼はニコニコしながら、手錠で繋がれた両手をヒラヒラと振っていた。その手錠は、僕がされているものより頑丈そうで、何かしらの装置が取り付けられている。
これもタイラー刑事に教えてもらったが、ヴィランには能力を制御する特殊な手錠を掛けるらしい。
つまり、彼は今、電撃を使えない。ただのハイテンションで人懐っこい青年だった。
彼は一人ではなかった。傍らに付き添っていた人物が、その耳を思いっきりつねる。
「ほら、さっさと来なさい! アタシが直々に留置所にぶち込んでやるわ!」
「いたたたっ! ひ、ひどいよぉ、優しくしてよカレン〜!」
エアロレディだった。あの後、そのまま彼を逮捕して連れて来たのだろう。
耳を引っ張られたまま、青年は連れていかれた。まだ許されていないようだ。犯行だけでなく、恐らくその他もろもろ。
「おーおー、激しいねぇ。あいつらが出てきたってことは、聴取室が空いたな。んじゃ、お前さんも正式な取り調べだ」
タイラー刑事に促され、僕も立ち上がった。
先程までいたエントランスと違って、聴取室の扉がいくつも並ぶ廊下は静かだった。秘密保持のために防音になっているせいらしい。
「さっきはああ言ったが、あの電撃野郎の証言とお前さんの証言が合わされば、ある程度の信ぴょう性も出るかもな。今度はもっと詳しく聞くから、しっかり話すこった」
タイラー刑事の分厚い手のひらに、再び軽く背中を叩かれて、僕は頷いた。
思い返すと、会社が潰れ、銀行強盗に巻き込まれ、カーチェイス中にダイブして……災難が立て続けに起こった。
これ以上、状況が悪くなることはないだろう。
そう思いながら、いくつかの聴取室の扉を通り過ぎた時――
轟音と共に、目の前を何かが通り過ぎた。
「……は?」
気の抜けた声と共に立ち尽くす。
何かが通り過ぎた方向へ視線を向けると、ひしゃげたドアが壁にめり込んでいる。
あと数歩先を歩いていたら、ドアと壁に挟まれてぺしゃんこになっていただろう。
そばにいるタイラー刑事が何か叫んでいるが、よく聞こえない。
ドアが吹き飛んだ時の轟音で、ひどい耳鳴りがしている。
もともとドアがあった方向へ視線を移すと、ぽっかりと口を開けた聴取室の中が見える。
デスクと椅子が散乱している。
スーツ姿の刑事が床に倒れ、制服を着た警官が壁に寄りかかって、2人ともぐったりしている。
そして部屋の中心には――赤毛の少女。
少女の、金色の瞳の輝きをとらえたところで、
今日三度目になるが、僕の意識はまた途切れた。