2.強盗がフレンドリーすぎる場合
「オレ、頭悪いからよくわかんないんだけどさ、人間の体ってもともと電気が流れてるんだって。オレみたいな能力者だけじゃなくてさ。なんか不思議だよねー」
男はフルフェイスのヘルメットを被ったままカウンターに腰掛けて、脚をぶらぶらさせながら、友達と喋るような調子で話している。
「でも、強すぎる電気が流れたらダメなんだって。機械も電流があんまり強いと壊れちゃうでしょ?」
さも世間話のような口振りだが、数分前のことを考えれば、脅し文句以外の何者でもない。
――数分前。
「みんな、落ち着いて聞いてー!」
突然の蛍光灯破裂と強盗宣言に銀行内はパニックに陥っていたが、彼――電気を操るヴィランは、皆を鎮めるのに脅したり怒鳴ったりすることはしなかった。
「びっくりさせてゴメンね? 冗談とかじゃないって、わかってもらいたかったんだ。お金をもらえたら、誰にもひどいことはしないって約束するよ」
まるで遠足を引率する先生が、生徒たちに言い聞かせるみたいな物言いだ。
と、突然、男は受付カウンターを振り向くと、
「あっ、ダメだよ!」
咄嗟の仕草で腕を伸ばす。すると掌からまた稲妻が走って――
まばたきの直後には、バチン! という音と共に、カウンターの近くに立っていた男性銀行員が弾かれるように吹き飛び、壁に叩きつけられた。
感電した人が吹き飛ばされる場面は、映画か何かで見たことはあるが、実際に目の当たりにするとは……周囲で悲鳴が上がる中、そんなことを呆然と考えていた。
「わっ、やりすぎた! ゴメーン!」
なぜか当のヴィランも慌てている。
「あぁ、ほんとにゴメン! ひどいことしないって約束したばっかなのに……でも、通報されたら困っちゃうんだよね」
どうやら行員は、カウンター下に設置された非常通報ボタンを押そうとしたようだ。なぜヴィランがそれに気づいたのかはわからないが。
吹き飛ばされた行員に他の行員が駆け寄るが、彼がどうなったのか、こちらから死角になって見えない……。
「うーんとね、じゃあ約束を変更しよう! オレがお金もらって出て行くまで、オレが困ることはしないで。そしたら、今度こそ誰にもひどいことしないよ。これでどうかな?」
良いことを考えたとばかりに、男は人差し指を立てて提案してみせる。
異を唱える者がいるはずもなかった。
銀行員たちは指示されるがまま、男が差し出したボストンバッグに現金を詰めていく。
その間、客は全員床に座り込んで、大人しくじっとしていた。拘束などされていなくとも、自発的に。
「ねーねー、おねーさんキレイだね! オレ、すっごいタイプ! 仲良くなりたいなー♪」
札束を運んできた女性行員は、男が身を乗り出してきたので、ヒッと息を飲んで立ちすくむ。
当然だ。どれだけフレンドリーな態度でも、彼が強盗であり、人を感電させ吹き飛ばしたことには変わりないのだから。
「やだなー、そんな怖がらないでよ! もうひどいことしないってば。さっきの電気だってもう抜けてるから、痺れたりしないし――あれ、まだちょっとピリピリしてるかな……」
男は自身の手を目の前で握ったり開いたりして、首を傾げた。確かにその手からまだ微かにパチパチと閃光が散っている。
「……いや、大丈夫! ちょっとピリッとするかもしれないけど……でも、それも慣れるとクセになるって、よくカノジョに褒められたんだ。最近フられちゃったけどね……ま、だから大丈夫、怖がらないで。ねっ?」
陽気に喋り続けているのは彼ひとり。他の人々は、怯えて息を潜めるばかりだった。もれなく、僕も。
恐らくは他の人たちと同じように、僕は早くヒーローが助けに来てくれることを祈った。会社が文字通り潰れても、元同僚たちを助けてくれたシャイニングブルーのように。
しかし、さっき通報することも叶わなかった。助けが来るのはいつになることか……。
かと言って、自力で迂闊な行動はできない。
僕に何ができるというのか。
ヒーローのような特別な能力も無ければ、一般人なりに秀でた才能もない。再就職に有利な資格さえ持たない僕に。
「わーっ、すごい! オレ、こんな大金見たの初めてだよー!」
紙幣を詰められるだけ詰め込まれたボストンバッグを前に、ヴィランは大はしゃぎしていた。ヘルメットを被っていても、満面の笑顔が想像できる。彼の素顔は知らないけれど。
「みんな、ちゃんと約束守ってくれてありがとー! もう出て行くから、安心してね!」
男は嬉々としてバッグを抱え、僕たちに向かってぶんぶんと手を振る。
彼は確かに約束通り、通報しようとした銀行員以外は、誰のことも傷つけなかった。そして今、意気揚々と銀行から出て行こうとしている。
この場にいる全員に安堵が広がっていくのを感じた。これで解放される、と。
しかし――ヴィランは不意に足を止めた。
「えっ、なに? ……あ、そっか。確かにオレが出てった後、通報されちゃうよね。でも、逃げ切れるよオレ。えー? そうかもだけど……うん、わかったよ」
彼はしばらくの間、ぶつぶつと呟いていた。独り言ではなく、誰かと話している……というより、指示を受けているようだ。彼がまともでなくて、自分の頭の中の声と話している可能性もあるが。
やがて彼はくるりと振り向き、銀行員の1人に歩み寄る。
「ねぇ、おねーさん、一緒に来てくれる? オレ、バイクに乗ってきたから後ろに乗せてあげる!」
先程“タイプ”だと絡まれていた女性行員は、ぎょっとした面持ちで小刻みに首を横に振りながら後ずさる。
しかし、男は更に詰め寄り、食い下がった。
「お願いっ! このまま出てったらお巡りさんやヒーローに追いかけられちゃう。でも、おねーさんがいてくれれば安心して逃げ切れそうなんだ!」
つまり、逃亡のための人質になれと言っているのだ。
「大丈夫大丈夫! ヒーローは一般市民のこと、ぜったい傷つけちゃいけないもの。怪我することないって。それにオレのバイク、すっごい速いんだ。ぜったい捕まらないよ!」
それは捕まってもらわないと困る……この場の誰もがそう思っているに違いない。
「それにさ、おねーさんやっぱりキレイだし、タイプだし、だから……お願いします! お付き合いを前提に、オレとタンデムしてください!」
やたら熱心にアピールしてくる男に、女性は涙目になっている。そして、周囲にうろうろと視線を向けた。助けを求めて。
しかし、他の銀行員も、客も、みんな視線を逸らして沈黙するばかりだ。
誰も、この気の毒な女性を庇おうという者はいない。
誰もが、このまま息を潜め、やり過ごそうとしている。
僕もそうしていればよかった。
はずだった。
しかし――
目が合ってしまった。彼女と。
涙を浮かべた必死な眼差しで、声もなく助けを求めている。
他の誰でもない、偶然目が合っただけの僕に。
……待ってくれ。
そんな、無理だ。
僕に何ができるっていうんだ?
特別な能力も無い。秀でた才能もない。仕事もない。
こんな僕にできることなんて――
「あの……っ!」
一瞬、誰の声かわからなかった。
客も銀行員もいっせいにこちらを見たので、ようやく僕が発した声だとわかった。
……なぜ声をあげてしまったのか、自分でもわからなかった。
「え?」
ヴィランもこちらを振り向き、首を傾げる。顔が見えなくとも、きょとんとしているのがわかる。初めて僕の存在に気づいたという反応だ。
なんでもありません、失礼しました……と、無かったことにしたい気持ちでいっぱいだった。
でも……みんなの視線を受けて、このまま引っ込める気がしない。
カラカラに乾いた喉に、無理やり生唾を飲み込む。
「っ……い、いや、あの……ひ、人質を取ったりしたら、捕まった時、罪が重くなるかも……し、しれないし……や、やめた方が……」
平常な状況でも口ごもってしまう僕が、まともに喋れるわけもなかったが、なんとか声を絞りだす。
すると、ヴィランが僕の方へ近づいてきたので、ぎくりと身を固くした。やたらフレンドリーな彼も、さすがに逆上するか――
「なに? よく聞こえないよ」
しかし彼は声を荒げることなく、身を屈めて(そう言えば彼は僕よりかなり背が高い)ヘルメットを被った頭をこちらへ近づける。
「あ、そ、その……だから……人質を取るのは、罪が重く……えっと……」
「んん〜? ごめん、もう一回言ってくれる?」
馬鹿にしているわけではなく、本当に僕の声がよく聞こえないらしい。自分でも、消え入りそうなか細い声だとわかっている。
いっそ申し訳なさすら覚えていたその時――
「ええっ!? 急げって言われても……ちょっ、そんなに怒鳴らないでよー!」
彼は急に慌て始め、メットの側面――恐らくは耳の位置を押さえる。どうやら、通信器の類を身につけているらしい。
「わ、わかってる、わかってるから急かさないで! えっと、えぇっと……!」
彼は混乱した様子でアワアワした後、再びハタとこちらを向いて。
「あーもうっ、おにーさんでいいや!」
そして、僕の手首を掴んだ。
痺れるような感覚に、身を硬くする。しかしまだ彼が帯電していたのか、僕の錯覚なのか、わからなかった。