1.失業しました
★この小説の主人公について
一人称視点でお送りします。
特に容姿などを描写しておりません。
ご自由なビジュアルをご想像してお楽しみください。
『1人娘を残して夫婦惨殺……ヴィランの犯行か』
その新聞の見出しが目に入った時、
(気の毒だなぁ)
と、ぼんやり思ったものの。
「27番でお待ちの方、窓口へどうぞー」
「あ、は、はい……」
職員の声に顔を上げ、『ご自由にお読みください』と張り紙のしてあるラックに新聞を戻した時には、その見出しは僕の意識からいったん追い出されていた。
薄情かもしれないが、こういった事件は珍しくない。
それに、この時は自分のことを考えるので精一杯だった。
これも珍しくはないのだが、職場が潰れた。
まったくの比喩ではない。ある朝出社したら、社屋が瓦礫の山と化していたのだ。
消防車、救急車、パトカー、ひと通りの緊急車両が集結し、僕より先に出勤していた同僚たちが手当てされていた。この惨状にしては軽傷者ばかりで、興奮気味に話し合っていた。
危うく死ぬところだったとか、“彼”は命の恩人だとか、こんなに間近で“彼”を見たのは初めてだとか。
そうこうするうち、瓦礫の山(元・社屋)のてっぺんに人影が降り立った。空から。
全身スーツとプロテクターを身にまとい、マントをはためかせた、スマートでハンサムな男が、にこやかに。
「市民の皆さん、ヴィランは倒されました! 正義は必ず勝つーーそして、悪は必ず滅びるのです!」
“彼”……ヒーロー・シャイニングブルーの勝利宣言に、消防士も救急隊員も警官も社員も、ワッと歓声を上げた。
僕だけが声もなく、その光景をポカンと間抜けな顔で眺めるばかりだった。
ヒーローもヴィランも、ここ5〜6年の間に急増した超能力者たちだ。
その能力や姿はさまざま。空を飛んだり、変身したり、念動力(TKまたはPK)で手を触れずに物を動かしたり。
救助活動や犯罪者制圧など人助けのために能力を駆使する者がヒーロー、能力を悪用し犯罪に手を染める者がヴィランと、国によって認定される。
ヴィランが人々を脅かせば、必ずそこにヒーローが駆けつける。
人々は彼らの戦いに熱狂した。
両者の戦いは派手だったし、テレビやネット中継もされるし、かっこいいヒーローにはファンも多い。
だけど、最も人々の胸を震わせたのは、悪事を働いたものが必ず正義の使者によって倒される、という、古来よりフィクションで数多く描かれてきた物語が現実に繰り広げられる光景だろう。
それは人々に、“正しい”世界に生きている、と思わせてくれるのだった。
僕はと言えば、そこまで熱狂している方ではなかった。
もちろんヒーローたちは素晴らしい活動をしていると思うし、ヴィランは恐ろしい。
けれど、どこか現実味を感じていなかった。ヴィランの悪事もヒーローの活躍も、これだけ巷に溢れているのに、なんとなく他人事だった。
……が、今回、それがついに自分事となった。
今回もヴィランによって破壊の限りが尽くされた(主に元勤め先に)ものの、ヒーローの活躍によって奇跡的に死者が出なかった。
しかし、社屋も設備も全てが灰燼に帰し、会社はさっくりと倒産。
僕ら従業員は、当然のように無職となった。
ヴィランのせいでこんなことに、と長文の恨み節をSNSに綴る元同僚もいた。
が、僕はどういうわけか、ヴィランに対して恨みや怒りが湧いてこなかった。
当のヴィランが既にヒーローによって倒されているということもあったが、自然災害にでも遭ったような感覚だったのかもしれない。
こうして僕は職業安定所にやって来て、微妙に長い待ち時間を『ご自由にお読みください』の新聞を読むともなしにめくってやり過ごし、やがて受付番号を呼ばれ、窓口へ相談に向かったのだった。
「キミ、何か資格ないの?」
「し、資格……」
対応してくれた職安職員は、始終面倒くさそうな調子だった。
「ほら、簿記とかFPとか。あとヒーローアシスタント系とかさ」
「え、えっと……そういうのは特に何も……」
僕は人と話すのが苦手だ。対人恐怖症とまではいかないが、いつも自信のなさに襲われる。結果、よく口ごもってしまう。
「ダメだねぇ〜今どき資格のひとつも取ってなきゃ。どうせ今まで、上からの指示にただ従って漫然と働いてるだけだったんでしょ。自分で考えて学ぶ姿勢がなきゃ、成長しないよ」
「は、はあ……そうです、よね……」
「で、一応聞くけど、職種とか待遇の希望ある? このご時世、失業者多いから贅沢言ってられないよ。基本、仕事は選べないと思ってね」
「も、もちろんです……特に希望はない、ですね……なんの仕事でも、やらせていただきたい……というか」
「あのねぇ、なんでもやりますって、いいことだと思ってる? それも、何も考えてないのと一緒だから。そんなんじゃいつまで経っても次の仕事決まらないよ?」
「あ……は、はい、すみません……」
仕事は選べないのか、選ばないといけないのか、よくわからなくなってきた。僕は勘も鈍いのかもしれない。
世間の厳しさを職員にこんこんと教えてもらった後、再就職先については何ひとつ決まらないまま、とりあえず失業保険の手続きだけを終えて、僕は職業安定所を出た。
午後の街に出ると、たくさんの人々が行き交っている。
会社員らしき人は仏頂面で忙しそうに、学生らしき若者たちはお喋りしながら楽しそうに。他にも様々な人が通り過ぎていく。
彼らは順調に、正しく人生を歩んでいるように見える。
それに比べて、自分は道を踏み外してしまったような。特に何も悪いことはしていないのに、何かを間違えてしまったような。そんな気分になった。
……なんて、自分でもちょっと大袈裟だと思う。失業なんて、よくあることだ。
順風満帆な人々の邪魔をしないよう道の端っこを歩きながらビルを見上げると、LEDビジョンにニュース映像が流れている。
今日もヒーローの活躍とヴィランが起こした事件が話題の中心だ。
元勤務先の事件も報道されているはずだが、次々と起こるニュースの波に、洪水のように流されていった後かもしれない。
色々と考えなくてはいけないことがあるのはわかっていたが、今はなんだか疲れていた。
職安の他に行くあてもない。さっさと帰ることにする。
途中でコンビニでも寄って、弁当でも買おう。食事して、あとは何もせずゴロゴロしていたい。失業中のいいところは、何もしなくていいということだ。
……と、財布の中身が心許ないことに気づく。電子マネーもチャージできていない。
コンビニより先に、銀行へ寄ることにした。少しなら貯金はある。
しかし月末には家賃や光熱費、その他もろもろが引き落とされる。失業手当だってあまり当てにできない。本当に早く次の勤め先を見つけないと……。
ああ、生活するって大変だ……なんて、また大袈裟な嘆きが頭をよぎった。
営業終了が近づいて少し混み合っている銀行に入り、ATMを操作していた時のこと。
「あのー、すいませーん」
やけによく通る声につられ、出入り口の自動ドアの方を振り向くと、長身の男が立っていた。
若い青年らしいその声は実に朗らかで、不審な雰囲気は感じられない……黒いフルフェイスのヘルメットで一切顔が見えないことを除けば、だが。
数人の銀行員や他の客がその存在に気づいたものの、僕も含めてどう反応するべきか迷っていた。
やがて男の腕がひょいと挙げられ、天井に掌が向けられた、次の瞬間――
男の手から、バチバチバチッ、と音を立てて青白い火花が生じた。
ほんの一瞬のうちに、空間を駆け巡る稲妻のような光が、網膜に残像を残す。
そして、天井に並ぶ蛍光灯が次々に破裂していった。次々と、いっそリズミカルに。
破裂音と降り注ぐガラス管の破片に、人々は悲鳴を上げ、頭を抱えてその場に蹲る。
僕もATMの機械を背に、腰が抜けたように尻餅をついてしまった。
そんな中、1人平然とその場に立つヘルメットの男は、ヒラヒラと手を振りながら朗らかに挨拶した。
「どーも、オレ強盗でーす。みんな、どうぞよろしくー♪」
電気が消えて薄暗くなった室内で、男の手にまだパチパチと弾けるスパークが、鮮やかに青白く光っていた。