14.採用の決め手
人事担当。
秘密結社の。
……ダメだ、理解が追いつかない。
ここに来るまで、ずっとついていけない出来事の連続だったが、これは間違いなく今日一番だ。
人事なんて……前職(もちろん一般的な株式会社)でも、伝票処理や雑用くらいしかしてこなかったのに。
いや、それ以前に……秘密結社に就職? ヴィランでも、能力者でもないのに?
「おにーさん、おにーさ〜ん? ……うーん、ダメだ。完全に固まっちゃってるよ」
「張っ倒して正気に戻してやれ」
「ボスってば横暴だなぁ」
「次に大総統ではなくボスと呼んだら、お前を張っ倒すからな」
「ひぇ〜、怖いよー。わかったよボ……だいそーとー」
そんな青年と大総統のやり取りが聞こえてはいるが、やはり意味まで頭に入ってこない。
すると、青年がいるのと反対側の席からすっと白衣の腕が伸びてきて、目の前で長くすらりとした指をパチン、パチン、と鳴らした。
弾けるような甲高い音に、ようやく我に返ってしきりに瞬きする。
指を鳴らしたドクターは、自分の役目はそれで済んだとばかりに腕を引っ込め、何も言わず溜め息だけついて席に座り直した。
「どうやら“戻って”きたようだな。まあ先程言った通りだ。我が秘密結社の人事担当として、これからせいぜい我が輩に貢献するがいい」
大総統はほとんど気絶状態から覚めた僕に、尊大に言い放った。それはもう決定事項、という調子だった。
こちらが承諾することも、断ることも想定しない。僕の意志は関係ないのだろう。
ただし、
「何か質問はあるか?」
そう訊いてきた。
質問を許してくれたのが意外なくらいだった。
ここまで彼の質問に対して言い淀んでばかりなので、今度こそ一度でサッと答えないと、そろそろタダで済まされないかもしれない。
そんな恐れから、真っ先に思いついた質問をすぐさま口にした。
「なんで、僕が……?」
なんで僕がこんな目に……と嘆く意味も、あるにはあったが、純粋に疑問ではあった。
あの時、警察署で、大総統が救出しに来た青年のすぐ近くに、偶然、たまたまいただけの僕。
特殊能力もなく、秀でた才能もなく、仕事もない僕(これで本当に就職なら仕事だけは手に入れることになるが。望むと望まないとに関わらず)。
そんな僕を、いくら人手不足とはいえ、大総統はなぜ選ぼうとしているのか。
どう考えても、僕がヴィランの一員になれるはずもない。
想定された質問だったのだろうか、仮面の奥でフン、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
「決まっている。ここまでのこのこついてきた、稀に見る意志薄弱! こんな扱いやすい人間を逃す手はないだろう」
「…………なるほど」
思わず呟いた。
「ぷっ――あはははっ、なるほどって! そこ納得しちゃっていいのかな〜!?」
青年が吹き出し、ケラケラと笑い出した。僕が心の底から納得してしまったのが、そんなにおかしいのだろうか。確かに、自分でもちょっと滑稽というか、悲しくはある。
しかし、大総統からの返答はそれで終わりではなかった。
「まあ、他にも理由はある」
白い仮面の奥から、僕をじっと見つめる視線を感じる。テーブルを挟んでこれだけ離れていても、刺さるような視線だ。
警察署で詰め寄られた時と同じだった。
「貴様、ヴィランを恐れていないな?」
問いかけではなく、見抜くようにそう言われた。
今度は納得どころか、まったく意味がわからない。
こうして、まさにヴィランである彼の目の前で、ビクビクしながら縮こまっている僕を見て、なぜそう感じたのか。
そんな僕の困惑も見抜いているのか、大総統はゆっくりと語り出した。
「貴様が恐れているのは、ヴィランの力や、それによってもたらされる被害だろう」
ヴィランの力と被害――元勤め先を社屋ごと潰したり、電気ショックで人を跳ね飛ばしたり、謎のドローンを操ってレーザーで人を吹き飛ばしたり。
もちろん、それらはとても恐ろしい。
だからヴィランも恐ろしい……そのはずだ。
……そのはず、なのだが。
「ヴィランそのものを恐れているなら、この馬鹿を助けようなどと動くはずがない。自分を強盗に巻き込み、身の危険に晒した相手をな」
この馬鹿、というのは、いま傍らで何故か照れたように頬を掻いている、金髪で美形な青年のこと。
……待てよ。銀行強盗の時、彼の人質になったことを、大総統に話したっけ?
「世の人間たちは、ヴィランという存在そのものを恐れる。憎むとか、忌み嫌うと言い換えてもいいが。自分や自分が属する社会に害をなす者、過ちを犯した者、規範から外れた者。それらの存在そのものを排除したいと願うものだ。徹底的にな」
ヒーロー・エアロレディの言葉を思い出す。
『ヒーローはヴィランを助けることはできない』
そして、ヴィランを見捨てていった救助隊員の言葉を思い出す。
『悪事を働いた報いってやつだ。自業自得さ』
「当然だ、それが防衛本能というものだ。あるいは正義感か。なんでもいい。それが普通だ。正常な人間の反応だろう」
正常――そうなのだろうか。
あれらの言葉がまっとうなのか、僕にはわからない。
「だが、貴様はどうだ? ヴィランを躊躇わず救おうとした。忌避するべき存在だと認識していないからだ。それがどういうことかわかるか? 優しさ? 思いやり? 慈悲? まったくもって違う! 己や他者にとって有害でしかない存在を恐れず、憎まず、排除しようと牙を剥かず、それどころか手を差し伸べるなど――」
大総統はそこで、軍帽を被った米神あたりに、揃えた人差し指と中指の先をあてがった。
帽子の下で、白い仮面が相変わらずニンマリと笑っている。そして、恐らく彼はその仮面の下で、同じ表情をしていたことだろう。
「貴様は“ここ”がイカれているのだ」
そう言った声は、とても嬉しそうだったから。
「喜べ。たとえ何の能力も無かろうと、貴様にはヴィランの素質があるぞ。まともではないということは、ヴィランにとって最も重要なことなのだからな」
イカれている。
まともじゃない。
人生で初めて言われた言葉だった。
今まで、何か常識から外れたこと、人の道に背くようなことは、何一つしてこなかった。
突拍子もない行動をしたことも、後先考えず無謀を犯したこともない。
常に規範の中で、目立たず、はみ出さずに生きてきた。つまらない人生かもしれないが、それゆえに淡々とした、平穏な人生だったはずだ。
なので、面と向かって言い放たれたその言葉を、どう受け止めればいいのかわからない。
侮辱されたと怒ればいいのか、あんまりな言われようだと嘆けばいいのか。
ただ、不思議なことに、否定されたという気にはならなかった。
何かの素質があると言われたのも、初めてだったからだろうか。
ヴィランの素質があると言われて、嬉しいわけでもないけれど――
「さて、では人事担当。さっそく仕事をやろう」
突きつけられた言葉を飲み込めないままポカンとしている僕を置き去りに、大総統の話は次へ移っていこうとしていた。
ところが――
「ちょっと待って!」
僕ではない誰かが制止の声を上げた。
あの青年だ。手錠を嵌められた両手をテーブルにつき、腰を半ば浮かせて身を乗り出している。
大総統は舌打ちした。
「……我が輩を遮るとは、ずいぶんと偉くなったものだな?」
テーブルを人差し指で再びトントンと、先程より速いペースで叩き始める。
「その度胸に免じて、少しの間なら発言を許可してやる。つまらん話だったら、ただではおかんが」
僕ならこんなふうに促されたら、喋るのに焦ってまともに話ができないか、逆に口ごもって話ができないだろう。
「あのさ……今すぐ決めてほしい、大事なコトがあるんだけど」
しかし青年はそのどちらでもなく、ゆっくりと思わせぶりに口を開いた。珍しく真剣な顔をしている(付き合いが長いわけではないのに、珍しいと思った)。
「さっさと言え」
まるきり興味なさそうに、早く話題を終わらせるためとばかりに大総統が急かすと、青年がすっくと立ち上がって訴えた。
「オレのヴィラン・ネームだよ!」
大総統は、机を叩く指を止めた。
ヴィラン・ネーム。いわゆる二つ名というか、ニックネームというか、活動時に名乗るものだ。
ヒーローたちは、シャイニングブルー、エアロレディといったふうに、社会的に名乗るヒーロー・ネームを持つ。
同じように、ヴィランも社会的に――というか、社会に悪事を成す時に、名乗る名前がある。
言われてみれば、銀行強盗の際に青年はヴィラン・ネームを名乗らなかった。まだ名付けられていなかったらしい。
「……そんなことか。くだらん」
「くだらんことなーい!」
気のない素振りで仮面の顔を背ける大総統に、青年は仰け反るように天井を仰いで喚き始める。
「初仕事が終わったらつけてくれるって言ってたじゃん!」
「成功したら、と言ったつもりだが? まさかとは思うが、あれで仕事が成功したと思ってるのか?」
大総統の容赦ない指摘に、青年がウッと声を詰まらせる。
そして数秒、目を泳がせたかと思うと、今度は切り口を変えてきた。
「……ドクターには、もうDr.エイルって名前があるじゃん! それならオレにも欲しい!」
あの子が持ってるオモチャが自分も欲しい、というようなテンションで巻き込まれ、ここまでずっとドクターと呼ばれてきた初老の女医――Dr.エイルは、少し面食らった様子で目を瞬いた。
「アタシかい……? 別にヴィラン・ネームなんていらないんだけどね。ただのドクターで充分さ」
「ドクターはそうかもしれないけど、オレは欲しいの!」
「彼女は既に充分、我が組織に貢献している。お前も治療を受けたばかりだろう」
またも澱みなく反論されて、青年はグッと口ごもる。
しかし、諦めきれない様子で首を横に振った。
「でも、オレは欲しいんだよー! カッコよく名乗りたいじゃん! ヴィランの醍醐味じゃん!」
相当なハンサムなのに、まるっきり駄々っ子だ。こういうのを残念イケメンというのだろうか。
大総統はうんざりした様子で頬杖をつき、仮面の奥でぶつぶつと独りごちる。
「あぁもうやかましい……! しかし、まあ、いい加減呼び名でも無ければ呼びづらいからな……」
どうやら本名を呼ぶつもりはないらしい。ヴィランのルールだろうか。それとも、単に興味がなくて本名を知らないとか。
大総統はしばらく思案した後、青年にビシ、と人差し指を突きつけながら、
“グリント” と口にした。
「グリント……?」
「“閃光”を意味する。電撃を扱うお前にはちょうどよかろう」
きょとんとしていた青年は、説明を聞いていったん納得したように「へぇ〜」と相槌を打ったが、ふと引っかかったように片眉を上げる。
「……そのまんまってこと? 適当に決めてない?」
「適当だとしても、名付けてもらえるだけありがたいと思え」
その言い草に、彼はまだちょっと釈然としない様子だったが、やがて思い直したふうに呟いた。
「でも、いいかも……グリントかぁ」
やがて、徐々に表情を明るくしていくと、Dr.エイルと僕をそれぞれ見て、手錠で繋がった手の片方の親指を立てて自分を示しながら、
「よし! 今からオレのことはグリントって呼んでね!」
と、実に嬉しそうに宣言した。
Dr.エイルは、よかったねぇ、と完全に他人事で返した。
僕はぎこちないながらも、とりあえず頷いた。
きらめく金の髪と、エメラルド色の瞳。
輝くような、無邪気な笑顔。
彼を改めてまじましまと見つめ、なるほど名は体を表すとはよく言ったものだ、なんて感心してしまった。