9.“大総統”、堂々登場
「まったく、なんという体たらくだ!」
壊滅状態の警察署に突入してきた男は、やけに派手な赤のハイエースの助手席から降りてくるなり、瓦礫の下敷きになった青年を見下ろして悪態をついた。
仮面の顔は笑っているが、その下では心底呆れていることが伝わってくる。米神に指を当てて首を横に振る、わざとらしいまでの仕草がそれを物語る。
「強盗に失敗したうえ、無能な警察なんぞに捕まり、無様にも傷を負って身動き取れず……何より、この大総統たる我が輩の手を煩わせるとは!」
「ご、ごめんなさぁい……」
青年は仰向けに倒れたまま、顎を上げて男を逆さに見上げながら、すっかりシュンとしている。
「それくらいにしておやりよ、大総統」
今度は車の運転席が開き、ハスキーな女性の声がした。
見ると、男の黒い外套とは対照的な白が視界に入る。
降りてきたのは、白衣を纏った初老の女性だった。初老とは言ったが、ハイヒールで颯爽とこちらへやってくる歩き方のせいか、若々しく見える。
「ドクター! 助けてぇ〜……!」
哀れっぽく助けを求める青年の傍らへやってくると、ドクターと呼ばれた女性はその場に膝をついた。緩くウェーブのかかったシルバーヘアを掻き上げ、頭の後ろでまとめて結う。
「わかってるから、大人しくしてな――あぁ、こりゃ下手に瓦礫をどかすとまずいね」
それまで呆気に取られていた僕は、彼女の言葉にハッとして、瓦礫を持ち上げようとしていたパイプから手を離す。ガラン、と音を立ててパイプは床に転がった。
僕にはチラッと一瞥をくれただけで、医者らしきその女性はすぐに青年の体に視線を落とし、ポケットからスカーフのような布を取り出した。
そして、手際よく太腿の付け根に布を巻きつけ、きつく締め付けるように結んでいく。
「いたたっ、痛いよぉ……」
「我慢しな。こうしておかなきゃ、クラッシュシンドロームで死ぬよ」
「何それぇ……?」
「今のあんたみたいに瓦礫に挟まれたりして、圧迫されてた箇所が急に解放されると、血流に乗って毒素が全身に――」
「あっ待って待って、やっぱり怖そうだからいい!」
僕は傍らで立ち尽くし、応急処置らしき様子を見守るばかりだったが――
「で、貴様は何だ?」
不意に冷ややかな声をかけられて顔を上げると、黒い軍帽のひさしと白い仮面がこちらを向いている。
僕は咄嗟に何も答えられない。
「聞いているのか? 貴様は何だ、と聞いている」
男はマントを揺らしながら、青年の頭を遠慮なく跨いでこちらに近づいてくる。
恐らくヴィランであろう男に詰め寄られて、逃げなくては、と頭のどこかで警鐘が鳴る。が、足が竦んで逃げ出すことができなかった。
そして、やはり何も答えられない。こういうふうに問い詰められると、僕は頭が真っ白になって、いつも以上に上手く話せなくなる。喉がカラカラになって、声すら出せない。
「……答えられんのか。では質問を変えよう。何をしていた?」
助け船……というわけではなさそうだ。腕組みをして苛立つように自身の腕をタップしている。けれど、おかげで少しだけ思考が巡るようになる。
「……こ、この人を……助けようと……」
やっと絞り出した答えを聞いて、男はじろじろと僕を眺める。視線の動きはわからないが、仮面の顔が僕の頭から足元まで向けられている。
何より、三日月を横にしたような目元の二つの切れ目から、突き刺さるような視線を感じる。
「見るからにヒーローでもヴィランでも、並の犯罪者ですらないな。まあヒーローならヴィランを手助けするわけがない――それで、どんな理由があってこいつを助ける? 言っておくが、何か得になるとは思わんことだ。こいつの電撃能力はそれなりに役に立つが、それ以外何も持っておらん、正真正銘の文無しだからな。それとも何か? ヴィランの人命も平等に守られるべきだと昨今騒いでいる人権派というやつか?」
立て続けに浴びせられる追及の嵐に、僕は圧倒されるばかりだった。小心者の僕でなくとも、途中で口を挟むことを許さないような高圧的な響きがあった。
男の言葉がやっと途切れて、さらに数秒様子をうかがってから、僕はなんとか口を開く。
「わ……わかりま、せん……」
「……なんだと?」
白い仮面がずいっと距離を縮めてきて、思わず仰け反るように身を引く。
目と鼻の先に迫った白い面、その目元に刻まれた切れ目から、こちらをギロリと見据える瞳の微かなきらめきが、確かに見えた気がした。
「つまり、理由もなく、損得も大義もなく、何の考えもなく――こいつを助けるつもりだった、と言っているのか?」
その問いかけに、僕は何度もコクコクと頷いた。この問答を終わらせれば、解放してもらえるのではないかと思って。
しかし、男は身を引く気配がない。仮面の奥から、僕をじっと見据えていた。
「Freeze!!」
鋭い声が聞こえて、僕はようやく周囲の様子に意識が向いた。
崩壊した壁から突き出した車、黒づくめのヴィラン、その仲間らしき医者、瓦礫の下敷きになった青年、そして僕――
それらを、警官たちが取り囲んでいる。
構えられた幾つもの銃口に、僕は反射的に両手を高く上げた。
「ヴィランめ、仲間を救出しに来たか!?」
「混乱に乗じて乗り込んでくるなんて、卑怯者っ!」
「お前らの好きにはさせないぞ!」
「無駄な抵抗はせず投降しろッ!」
この大災害とも言える状況の中、辛うじて無事だったらしい警官たちは決して士気が落ちていないようで、口々に叫んでいる。
しかし、黒衣のヴィランはそんな正義感溢れる叫びに怯むどころか、そちらを振り向きもせず、盛大に溜め息をついた。
「はあぁ〜……やかましいぞ、凡愚どもが」
気怠げな悪態を合図にするように、彼の外套が大きく翻り、その下から何かが次々に飛び出した。
丸みを帯びた小型の機械のようなそれらは、ドローンのような動きで軽やかに宙へ舞い上がると――
各自、レーザーのような光線を警官たちの足元に向かって発射した。
立て続けに小爆発が起こり、悲鳴が上がる。黒煙が上がり、警官たちの様子が見えなくなる。
「まったく。ヒーローならいざ知らず、何もできん凡人共が得意気に囀るな」
男はいかにも面倒だとばかりに吐き捨てる。自らは一歩も動かない彼の背後に、小型のドローンたちは舞い戻り、付き従うように浮遊している。
「わぁ〜……やっぱボス、すごいや……!」
「やれやれ、派手だねぇ」
青年は無邪気に目を輝かせている。
白衣の女性は淡々と、青年の手当てを続けている。
僕はと言えば、両手を上げたまま硬直しているだけだった。
その時、突然勢いよく吹きつけてきた風に、黒煙が吹き飛ばされた。
粉塵が飛んできて、思わず腕で顔を庇う。
風がおさまった後、そっと顔を上げると、数秒前とは状況が様変わりしていた。
僕らを囲んでいた警官たちは、人数がかなり減っている。多くの者たちが逃げ出したようだ。
残っている者は、先の爆発で傷を負い倒れているか、負傷は免れたものの腰を抜かして座り込んでいる。
そして、辛うじて残った警官たちを庇うように、エアロレディが進み出た。この騒ぎを聞きつけたのだろう。さっきの風は彼女の能力によるものか。
他のヒーローは救助活動で手が離せないのだろうか、駆けつけたのは彼女だけだった。警察署内が相当に混乱していることがうかがえる。
「何なの、アナタたち……この状況が見えてないの!?」
エアロレディは信じられないとばかりに、周囲の惨状を示して糾弾する。
男は、エアロレディの方へ仮面を被った顔を巡らせた。
「ようやくヒーローのお出ましか――おっと。妙な動きをすれば、どうなるかわかっているな?」
事も無げな忠告に合わせて、彼の背後に控えていたドローンが再び宙を舞い、警官たちの頭上でホバリングしながら照準を合わせる。
少し前まで正義感に燃えていた警官たちは、すっかり怯え切って、うかつに身動きも取れない。
エアロレディもまた下手に手出しできなくなり、拳を握り締めてその場に立ち尽くすしかなかった。
男はマントを翻して踵を返し、横たわる青年の傍らへ悠々と向かう。
「君の質問に答えよう。もちろん、状況は承知の上だとも。こうして警察署が混乱状態でもなければ、この馬鹿を回収しにわざわざ出向くわけがあるまい」
この馬鹿、という言葉と共に、ブーツの先が青年の肩をやんわりと踏みつけた。
青年が「いたぁい」と弱々しく呻くが、男は意に介さず続けようとした。
「そんなことより、聞きたいことがある――」
「そんなことですって!?」
男の態度に、エアロレディは厳しい声で発言を遮った。ゴーグルの奥の目が怒りに燃えているのが見えるようだ。
「人々が傷ついてるこんな時に、また更に被害を出すなんて! 良心ってものがないの!?」
「おやおや、さすがはお優しいヒーロー殿だ!」
男は両手を広げながら朗々と語り上げる。まるで演劇の口上だ。
「人命救助の傍ら、ヴィランを見殺しにすることで悪の撲滅まで同時進行とは。いやはや実に良心的。社会貢献、誠にご苦労!」
「ッ……!」
痛いところを突かれたのだろう、エアロレディはぐっと唇を噛む。先程から、青年の方を意識して見ないようにしているのがわかる。
「カレン……」
青年は消え入りそうな声で彼女を呼ぶ。その声が言いたいことはわからなかったが、エアロレディは何も答えなかった。