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好奇心は

お待たせしました

 キシシシシシ……


「……ッ」


 しがみ付いているのは大百足の胴。されどその頭や尾の先は分厚き暗雲の中にあるのか見えず、ただ雲同士を縫い合わせるかの如く巨大が音を立てて(うご)いている。その体の一部を残り少ない手で必死に掴み、漢妖歌(かんよう)はぶら下がっていた。


 されど助かった筈の漢妖歌(かんよう)の表情は晴れておらず、湧いて出て来るものに困惑を隠し切れない様子である。何しろ、



 キチ…キチキチ……


「……な…んで……よ、よの……よが…ふれてる…かんかく…が……?」



 自分が今触れ、掴み、離すまいと力を込めているその胴体は、漢妖歌(かんよう)そのものだったのだから。その根拠に分厚き雲が降らす雨に濡れる感覚があるのは何もぶら下がっている体だけでなく、目の前に見える大百足の体にもあった。そして自分の体に自分の手が触れ、落ちまいと必死に掴まっている感覚も。

 現に雲を縫うように胴体が伸び、隙間から巨体の一部を覗かせているのも、先程やったように雲に掴まって落っこちないようにするためだ。


 漢妖歌(かんよう)にはそれが出来ている。初めて見るこの大百足の、そして自分の体を動かすことが。


「うぬぬ…」


 ゾワッ


 これ以上落っこちないために、更に淫夢巫(りんぷ)を落っことさないために、漢妖歌(かんよう)は己の大百足の体を動かした。すると大百足の体はゾワゾワと(うごめ)き、雲の隙間から一部を出して自分のための足場を作る。その上に漢妖歌(かんよう)は静かに降り、傷だらけの淫夢巫(りんぷ)も横にしてやると、



「…はぁ…はぁ…こ、これが……よの…」



 改めて自分の体に触れ、撫で、感じ取った。ざらざらと、しかしそれでいて光沢のある表面、こちこちと硬いながらも内には柔らかいモツがあると分かる体、その胴体から生えている手はどれもお母さんのような(いびつ)ながらも優しそうな形状をしている。

 これが本当に自分の体なのか、自分はこんな体をしていたのかと漢妖歌(かんよう)は困惑と混乱から来る畏怖や恐怖を、探究心と好奇心によって潰していきながら自分の体を知つていく。


「ママ……みたい…」


 すると知っていくことで恐怖は少しずつではあるが和らぎ、次第にこの体に自分達のお母さんの雰囲気を感じ取れた漢妖歌(かんよう)は表情を安堵のものへと変える。気が付けばざぁざぁ降りであった雨は弱まり、空模様も少しずつ明るくなり始めた。


 だがそれ即ち自分がしがみ付く雲が、足場がなくなることであるため、


(…ひとまずおりよう。もうやつはおらん)


 その前に地面へ降りようと大百足の体を動かす。長き大百足の巨体は漢妖歌(かんよう)淫夢巫(りんぷ)を地面に送り届けて尚余り、見上げ、感じ取れば、まだ一部が雲の中で掴まっているのが分かる。


 トンッ


「…」


 まさかこんな力が、こんなに大きな体が自分にあったのか。本当の姿に戻ったお母さんみたく、自分にもこれだけの力があったのかと、地に降り立った漢妖歌(かんよう)はふと思う。


 キシキシキシ…ッ


「ッ」


 と、その時、漢妖歌(かんよう)のことを地に送った大百足の体はくるりと(きびす)を返してまた天へと昇り始めた。振り返ることも、後ろ向きに歩くこともせず、するすると。


「…くふぅ」


 行先は雲の中、いや雲の中にある巣穴のような空間の裂け目。すでに引き千切られているものの、普段は幾多の腕が生えているのと似たような空間に、漢妖歌(かんよう)の大百足の体は戻って行く。もちろん漢妖歌(かんよう)は自分の意思でその体を動かしている。

 叶うのならば常に自分の側に置いておきたい、小さな手を伝って感じる硬い体ならばきっと自分の身を守ってくれるだろう。


 されどそれは叶わない。


 触れていて、感じて分かったからだ。


 自分の大百足の体は、鎧を(まと)っているかの如く強硬な体は、何時までも外には出せないことを。


 出せる時に制限があるのか、それとも未熟故に制御することが出来ないのか、触れている内に大百足の巨体は内側からジワジワと熱くなり始めていたのだ。このままでは不味い、外に出し続けることは恐らく出来ないと漢妖歌(かんよう)は悟った。そのため雲がなくなり始めたこともあり、漢妖歌(かんよう)はすぐさま淫夢巫(りんぷ)を連れて地面に降りると、自分の大百足の体をすぐに空間の裂け目へと戻したのである。


 キシュルッ


「……はぁ。できればもっとしりたかった…な」


 そうして雲がほぼ晴れるのと同じ頃、大百足の体は完全に空間の裂け目へと戻った。しかもその裂け目はジッパーを閉じるかのように消えてしまう。これで何もかも元通りの空。大百足がいた痕跡(こんせき)も、漢妖歌(かんよう)を地面に送り届けた軌跡も残っていない。そんな大百足の体を見送りながら、せっかくならばもっと知っておくんだったと悔やむ。


 手も足も出ないどころか引き千切られる始末。そんな敵に対して有効手段や手立てなんぞ何1つとて自分達は持っていない。されどあの大百足の体ならば、お母さんの雰囲気を少しでも感じられたあの体ならば、もしかしたら対抗出来る力を持っているかもしれない。

 全貌はまだ知れていない、もしかしたらそんな力なんぞない可能性だって十分にある。


 だがそれでも知りたい、あるかもしれないのならばそれを見つけてみたい。その一心と自分への期待を込めながら、漢妖歌(かんよう)は空を、裂け目のあった場所を見つめていた。



「……さ……て…」



 しかしどんなに見つめども大百足は現れない。現れよと本気で念じていないのだから当然だろう。やがて漢妖歌(かんよう)はゆるりと歩き出し、倒れた淫夢巫(りんぷ)を抱え上げようとする。



「……ッ、く…」



 が、それも束の間、再び漢妖歌(かんよう)の体はガクンッと崩れ落ち、尻餅を突いてしまう。

 あくまでも窮地(きゅうち)(しの)いだだけ、強敵から逃げ(おお)せただけに過ぎなかったのだから。


 当然のことながら漢妖歌(かんよう)も、未だに目を覚まさない淫夢巫(りんぷ)も満身創痍だ。漢妖歌(かんよう)は腕のほとんどを千切られ、淫夢巫(りんぷ)は背中から生えていた翼を消し飛ばされている状態。お互いそんな状況で満足に動けるわけもなかった。



「りんぷ…」

「……」

「いきとれよぉ……」

「……」


 グイッ



 けれども、漢妖歌(かんよう)は歩き出す。肩を貸し、残った腕で倒れる体を支え、懸命に歩こうとする。


「ひとまずぁ……こ、ここから…はなれ…なければ…」

「……」


 戦場であったこの場から離れ、少しでもお互いに安静な状態で回復に努められるように。

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