難題
お待たせしました
「……っ」
あんなに硬く握っていた拳を震わせながら立ち止まり、欄照華は言葉を失ってしまう。されど震えているのは握り締めている拳だけではなく、その腕も、体全身も同様であった。
そしてその目は見開き、ジッと目の前に立っているお母さんのことを見つめている。
目が離せない、足も動かない、腕も固まっている。動かせないよう釘でも打ち付けられているかのように、力を持った強固なナニカによって縛り付けられてしまっているかのように。
欄照華はお母さんから全くと目を逸らせなかった。
「……」
そんな欄照華のことを魔快黎様は睨み付け続ける。怒りが籠った目で、右顔面の瞳だけでなく裂けた左顔面から覗く無数の目で、魔快黎様は黙ったまま欄照華のことを見つめていた。
しかしその瞳に憎悪や厭忌と言ったものは一切なく、含みのない純粋な怒りしかない。
聞き分けずに乱暴な手段を持って他の子のことを傷付けようとした我が子を諌めるため、それがよくないことだと理解して貰うため、怒りを持って魔快黎様は欄照華のことを叱り付けたのである。
されど怒声と共に放たれた魔快黎様の本気の怒りは、叱る対象であった欄照華だけでなくすぐ後ろにいた淫夢巫、側で見ていた漢妖歌と水浘愛も震い上がらせてしまい、皆怖さに顔を顰めながら動けないでいた。
特に淫夢巫は顕著であり、あんなにべったりとしがみ付いていたお母さんの脚から手を離し、じりじりと後退りしている。
「……ぉ……」
と、その時、欄照華は俯きながら、口を小さく動かして何やら言葉を発し始めた。何ともか細く、聞こえ辛い声であるが。
その言葉を欄照華は喉から搾り出し、腹から懸命に吐くようにして、少しずつ声を大きくしながら発して行く。
「……ご…ごめん……なさい……」
搾り出されたそれは謝罪の言葉であった。怒っている自身のお母さんに向けて、怒らせてしまったことを欄照華は謝る。
「俺にじゃあないだろ」
けれどもその謝罪に対して魔快黎様は一蹴するかの如く、怒りながらも冷静な口調でそう返した。謝るべきなのはじぶんじゃあないだろうと。たしかに欄照華は自分のことを怒らしたが、それに対して謝る必要はないと魔快黎様は目で告げながら。
すると欄照華は再び俯き、口を噤んでしまう。拳は未だに握り締めてはいるものの、それを振るったりすることはもうないが。
「欄照華。今は頭を冷やしなさい。そしたら自分がしかけたことをよく考え、反省したらちゃんと淫夢巫に謝りなさい」
そんな欄照華に魔快黎様は淡々と、怒りながらも荒々しくならず丁寧な口調でそう告げる。悪行に走ろうとしてしまった、暴力を振るおうとしてしまった欄照華は今何をすべきなのか、それをしっかりと魔快黎様は教えた。
「……」
単純な怒声から放たれる罵詈雑言、もしくは怒り任せの荒い言葉ならば、多少の反抗や理解の拒絶は出来たであろう。しかし怒るお母さんの口から告げられる言葉は冷静で丁寧な物言いであるため、萎縮している欄照華の心には一語一句が切り込まれるように入って行く。
たとっ…と…と…
しばらくその場に立ち尽くしていた欄照華だったが、やがて握っていた拳を開き、何も言わずに早足で立ち去ってしまう。後ろを振り向き、誰とも目を合わせないようにしながら。
「……マ…マ……」
そんな欄照華の姿と怒っているお母さんに水浘愛は震える声で恐る恐る話し掛ける。決してお母さんの怒りが自分に向けられているわけじゃあない、お母さんは自分に怒っているわけじゃあないと分かっているものの、やはりお母さんと言う水浘愛にとって上位の存在が怒っているところに話し掛けると言うのはなかなか怖いものであった。
だがそれでも欄照華のことをこのまま放っておいてよいものかと水浘愛は心配しており、勇気を出して語り掛けたのである。
「……フゥウ…」
魔快黎様は不安そうな表情で自身に話し掛けて来る我が子に対し、一旦深呼吸して胸の中の怒りを鎮めつつ、
「欄照華のことなら大丈夫。今は興奮してるだけだ。ちゃんと冷静になれるよ、きっと」
今は感情の整理が出来ておらず、冷静になれていないだけだと、欄照華ならばきっと大丈夫だと返した。
だが初めて見る親の怒り、それも本気の激怒を前に、子達はすっかり怖がってしまっており、
「…….そ、そう…」
普段恐れもなく絡み付いて来る水浘愛も、
「……よ…よも…ちょ…っと…」
尻尾にしがみ付くのが大好きな漢妖歌も、
「……」
何時も甘えてばかりの淫夢巫も、少しずつ後退りしながらその場から去ろうとしてしまう。
けれども今この場で自分達が本当に何処かへ去ってしまうとまたお母さんのことを怒らせてしまわないかと瞳の奥底では恐れており、その場から動けないでいた。
「…少しだけ、落ち着こうか。お互いにな。ちょっとだけ離れるけど、でも呼んだらすぐに行くから」
そんな我が子達に魔快黎様は今はお互いに距離を取った方がいいだろうと告げ、
フッ
と瞬間移動によっていなくなってしまう。
「っ、ママ…っ」
「き、きえ…ちゃった…」
「で、でも…よんだら…くる…って…」
残された我が子達はお互いに寄り添いながらお母さんが側からいなくなってしまった状況に不安がりつつも何処か安堵していた。しかし欄照華のところにも行き辛い、あんなに感情を混沌とさせている欄照華の側に行ってもどんな風に話し掛けていいかなど分からない。
「「「……」」」
こくん…
「まとうか…」
「そうしよう」
「う、うん…」
今はお母さんの言う通り、この場で待って冷静になるのが1番いいのだろう。漢妖歌も水浘愛も淫夢巫もそう思い、お互いに頷きながら留まることを選択する。
――
「……」
そしてそんな我が子達のことをこの世界の遥か空の上で静止しながら見つめつつ、
「…ハァ」
(あれで良かったのだろうか…。いや、欄照華ならきっと……)
ため息混じりにそう思っていた。
自分のしたことが間違いだと深く後悔しているわけじゃあない、欄照華のことを信じていないわけじゃあないのだが、しかしあの怒り方でよかったのだろうかと考えてしまっているのだ。間違ってないと言い聞かせるも、どうしても恐怖で引き攣る我が子の顔が目に焼き付いて離れないため、自身がしたことはもしかしたら我が子達に深い傷を負わせてしまったのではないかと魔快黎様は思ってしまう。
ましてやつい先程、魔快黎様は制御出来ていない自身の体によって無意識に敵を捕食し、自身の能力で異世界を滅ぼし掛けた。だからこそ自分のしたことに対して魔快黎様は不安を感じてしまっているのである。
――
それと同じ頃、
ぎゅぅ……
「……ッ」
少し遠くまで歩き、孤独になれる場所まで来た欄照華はその場にゆっくりと膝を折って腰を下ろすと、足を手で抱えてぎゅうと顔をその中に埋める。体は先程以上に小刻みに震えており、頬はしとりと濡れ始めていた。
と、その時、
カトーッ
「怒られちゃったの?」
そんな欄照華の元へ何者かが足音を立てながら歩み寄って来る。
「……ほっといてよ……」
「そう、じゃあ放っておくよ。側にはいるけど」
そしてその者は欄照華の近くにゆっくりと腰を下ろすと、それ以上話し掛けることはせずに静観を始めた。
すると欄照華は知っている気がするけれど、初めて感じる気もするその気配の持ち主に対して、
「……だれ……なの…」
ぼそりと呟くように問い掛ける。その問いかけに対してその者は、
「君の味方」
前置きや細かい説明などはせずにそう答えた。
次回の投稿もお楽しみに
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