すっぴん&ジャージの君に恋をした
廊下を歩いている最中、俺・剣崎修斗がふと窓の外を見下ろすと、校舎裏で一人の男子生徒が女子生徒に告白していた。
男子生徒の方は、名前がわからない。しかし顔を見たことがある為、同じ学年なのだろう。
対して女子生徒の方は、よく知っている。なんたって、彼女は校内随一の有名人だ。
名前は大野結花。彼女は学校で一番可愛い女の子として知られている。
女優のように整った顔立ちに、モデルのように抜群なスタイル。
秀でているのは外見だけではない。成績も良く、その上みんなに優しいときた。
男子から見たら、大野はまさに理想の女の子だろう。
今まで多くの男子生徒が大野に告白し、そして玉砕している。案の定、今校舎裏で告白している彼も「ごめんなさい」されていた。
残念だったな、名も知らぬ男子生徒よ。縁があったら、慰めに缶ジュース1本くらい奢ってやるとしよう。
そう思いながら、俺は自身の教室に戻る。
他人の告白に興味はない。そして、大野さんにも興味はない。
仮に興味あったとしても、彼女みたいな人気者が俺みたいなモブキャラに関心を示すわけがないのだ。
人にはそれぞれ身の丈に合った恋愛というものが存在する。
その日の夜。
小腹のすいた俺は、近所のコンビニを訪れていた。
スナック菓子とジュースをカゴに入れ、レジに向かおうとしたところで、ふと思い出す。
そういえば、今日は漫画雑誌の発売日だったっけ。
先週、好きな漫画がとても良いところで終わっていた。この一週間、展開が気になって仕方なかった。
折角コンビニに来たのだ。立ち読みしてから、帰ることにしよう。
一冊丸ごと読むことはない。どうせ読むのなんて、好きな2、3作品だ。
俺が漫画雑誌に手を伸ばすと、どうやら同じことを考えていた人がいたようで。反対方向から、色白の手が伸びてくる。
そして偶然にも、二人の手と手が重なった。
『……あっ』
俺と相手の少女が、揃って声を上げる。
ノーメイク&ジャージ姿の、おおよそ外行きてはない身なりをした少女だった。
まぁ、深夜のコンビニとなれば、当然か。
反射的に「すみません」と謝罪した少女は、俺の顔を見るなりすぐさま「あっ」と声を漏らす。
そして俺を指差しながら、尋ねてきた。
「もしかして……剣崎くんですか?」
「えっ?」
俺の名前を知っているということは、彼女は同じ高校の生徒なのか?
こんな生徒いたかなと思いながら、少女の顔をまじまじ見て……俺はようやく気が付いた。
「……大野さん?」
化粧をしてなければ、おしゃれもしていない。しかしそこにいる彼女は、紛れもなく大野さんだった。
◇
会計を終えた俺がコンビニを出ると、外では大野が俺を待っていた。
大野はレジ袋から缶コーヒーを1つ取り出して、俺に差し出してくる。
「くれるのか?」
「余分に買いましたから。その代わり、少しお喋りに付き合って下さい」
今すぐベッドに入りたいわけでもないし、別にお喋りくらいなら付き合っても良い。
俺は頷きながら、彼女から缶コーヒーを受け取った。
「しかしこんなところで剣崎くんと会うなんて、驚きました」
「俺も驚いたよ。学校の大野とは、印象が全然違うんだもの」
「そうですか? ジャージなら、体育の授業で着ていると思いますが?」
確かに、ジャージ姿の大野なら何度も見ている。だけどそれは、強要されて着ている服装であって、自発的に着ているものじゃない。だから然程違和感を覚えないわけで。
でも、今の大野は違う。今の彼女は、自分の意思でジャージを着用している。
大野が他のどんな服でもなく、ジャージを選んだという事実が、俺には意外に思えてならなかったのだ。
「あと、化粧な。すっぴんの大野なんて、初めて見た」
「それに関しては、迂闊でした。まさか知人に会うと思っていなかったので、化粧をサボったんです」
「別に良いんじゃねーか。ちょっと買い物に行く為に、膨大な時間をかけて化粧するのも勿体ないし。……それに、化粧しなくても可愛いだろ」
「……」
自論を説いたつもりだったが、女子からしたら好感の抱けない主張だっただろうか? 大野は無言で俺を見ていた。
「……何だよ?」
「いえ。剣崎くんが女の子を褒めると思っていなくて。それこそ、意外でした」
まぁ、自分でも慣れないことをしたと思っているよ。だけど本当に可愛いと思ったんだから、しょうがないだろう。
大野はレジ袋の中から、今度はアイスを取り出す。それも300円近くする、高いやつだ。
「食べますか?」
「くれるなら、貰うけど」
俺は大野からアイスを受け取ろうとする。すると彼女は、ヒョイっとアイスを持ち上げた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「私がすっぴんかつジャージ姿でいたことは、忘れて下さい。他の人に知られると、校内での私の沽券に関わりますので」
成る程。このアイスは、差し詰め口止め料といったところか。
誰かに話したところで俺に何の得もないし、その為最初から話すつもりもない。ならば、ありがたくアイスを貰っておいた方が良いだろう。
「はいはい、忘れましたよ。大野は凄えおしゃれで、化粧の上手な女の子です」
「なんだがバカにされているような気がしますが……まぁ、良いでしょう。剣崎くんを信じます」
アイスを俺に渡すと、大野はコンビニから去っていく。
大野と別れた俺は、貰ったアイスを見つめた。
忘れろと言われても、すっぴん&ジャージ姿の大野を忘れることが出来ない。寧ろ、その姿は脳裏に深く刻み込まれている。
それ程までに、可愛かったのだ。
忘れられないのなら、このアイスを俺が食べるわけにはいかないな。帰って妹にでもあげるとしよう。
◇
翌週。
俺はこの日もまた、深夜のコンビニを訪れていた。
コンビニに来た目的は、立ち読みだ。漫画家或いは編集者というのは全くいやらしいもので、毎回続きの気になるところで話を終わらせてくる。
お陰で一刻も早く続きを読みたいという欲に駆られて、こうしてコンビニに来てしまったではないか。
しかし毎週立ち読みというのは悪いので、今週はきちんと購入することにした。
漫画雑誌を買い終えた俺が、コンビニを出ようとすると……先週に引き続き、まさかの大野と出会した。
「家を出る時、もしかしたらとは思っていたけど……やっぱり遭遇しましたね。2週連続とか、エンカウント率高くないですか?」
「そう思うなら、おしゃれして来いよ」
今夜の大野も先週同様、すっぴん&ジャージ姿だった。
「あなたには一度見られているのだから、今更でしょう? それに口止め料も払いましたし」
結局アイスは食べていない。だからと言って、言いふらす気もないが。
「今夜はアイス、奢らないですよ」
「わかってるよ。……じゃあ、また明日学校でな」
「はい、また明日」
そう言って、俺と大野は別れる。
大野が何を買いに来たのか気になり、さり気なくその姿を追うと……彼女は雑誌コーナーに向かっていた。
雑誌コーナーに着くなり、大野は「ない!」と叫ぶ。……どうやら大野の目的は、俺と一緒だったようだ。
残念ながら、漫画雑誌はそこにはない。なぜなら俺が最後の一冊を買ってしまったのだから。
深夜にわざわざ買いに来るような人間だ。この漫画雑誌が読みたくて仕方なかったのだろう。
俺も同じだから、その気持ちはわかる。
「……」
大野とは、知らない仲じゃない。それに学校での大野なら兎も角、素の彼女にはかなりの好感を抱いている。
勿論、恋愛的な意味で。
がっかりしながらコンビニを出る大野に、俺は漫画雑誌を差し出す。
「剣崎くん?」
「良かったら、一緒に読むか?」
「はい!」と、大野は笑顔で頷く。
やっぱり、すっぴんの方が可愛いじゃねーか。
◇
「なぁ、剣崎。お前って、大野さんのことどう思ってるんだ?」
とある平日、俺はクラスメイトの男子生徒にそんな質問をされた。
しかしこの男子生徒は、どうしてそんなことを聞くのだろうか?
彼が大野を好いているから? そんなこと、容易に想像がつく。
俺が不思議に思っているのは、どうして俺にそんなことを助けるのかだった。
俺は校内で、大野と話したこともない。見かけたとしても、目で追ったりもしない。
俺が好きなのはすっぴん&ジャージの大野であって、「理想の女の子」を演じている大野ではないのだ。
校内の彼女に、微塵も興味はない。
「実はある噂を耳にしたんでな。……大野さんと付き合っているって、本当なのかよ?」
「はあ?」
何だ、その根も葉もない噂は? どうしたら、俺と大野が恋人同士ということになる?
詳しく聞いてみると、どうやら大野の方が俺をチラチラ見ていたようだった。
その光景を目撃した誰かが「大野さん、剣崎のこと好きらしいよ」という噂を流し、その噂が、「大野さんと剣崎は付き合っているらしいよ」に変化したそうだ。
まったく、人騒がせな噂である。
「で、どうなんだ? 本当に付き合っているのか?」
「んなわけねーだろ」
「そうだよな。あの美人でおしゃれで人気者の大野さんと、モブキャラの代表例みたいなお前とじゃ、釣り合わないもんな」
「あぁ。第一、美人でおしゃれで人気者の大野に、俺はこれっぽっちも興味なんてないっての」
嘘は言っていない。でも、口に出すべき言葉でもなかった。
この時の俺は、廊下の陰にいる女子生徒の姿に気付かなかったのだ。
◇
その次の週も、俺は深夜のコンビニに足を運んだ。
今日の目的は、漫画雑誌じゃない。また大野に会えるんじゃないかと、期待しているのだ。
時間潰しを兼ねて漫画雑誌を読んでいると、果たして大野は現れた。
「大野……って、あれ?」
大野の姿を見て、俺は小首を傾げる。今夜の彼女は……バッチリと化粧をして、おしゃれな洋服を身につけていたのだ。
おしゃれに無頓着な俺でもわかる。この格好をするのに、大野はそれなりの時間を要した筈だ。
わざわざコンビニに買い物に来る為だけに? とてもそうは思えない。
「どこかに行っていたのか?」
「なぜ、そう思ったんですか?」
「いや、いつものすっぴん&ジャージ姿じゃなかったから、てっきり出ついでなのかと」
「成る程。しかしその予想は、ハズレです。私の用事は、コンビニにしかありません」
「だったら、何でおしゃれなんかしたんだよ?」
「わかりませんか?」
俺の質問に、大野は質問で返してきた。
「剣崎くんに会うから、おしゃれをして来たんですよ?」
「俺に会う為?」
「はい。……剣崎くんは、私のことなんて何とも思っていないんですよね?」
「……え?」
突然話題が変わったので、俺は大野の発言を否定する機を逸してしまった。
そして俺が否定しなかった為、大野はそれを肯定だと捉える。
「剣崎くんが友達にそう言っていたのを、偶然耳にしたんです」
「それって、あの時のことか。……聞いていたのかよ」
一番聞いて欲しくない人に、聞かれてしまっていた。しかも俺の真意は伝わらず、見事に勘違いされていたみたいだ。
「自慢じゃないですけど、私はモテます。大抵の男子は、私に告白してくれるんです。だけど……たとえ100人に告白されても、本当に好かれたい一人に告白されなかったら、そんなの意味ないじゃないですか」
俺を真っ直ぐ見ながら、大野は言う。
彼女の言う「本当に好かれたい一人」とは誰なのか、考えるまでもなかった。
「悔しいですよ。本当、めちゃくちゃに悔しいです。だから、あなたを絶対に落としたくて、おしゃれをしてきたんです」
俺に好かれたいから、コンビニを行くだけだというのにわざわざおしゃれをしたというのか。
好きな男の子に会うからおしゃれをするのは、至極当然の発想だ。しかし、俺相手となると、逆効果なわけで。
……だからって、彼女を責めるのはお門違いだな。元々は俺の発言が原因なわけだし。
大野は本音を語ったんだ。ならば俺も本音で応えるのが筋というものだろう。
「大野の気持ちはわかった。その上で、俺の気持ちを語らせてもらう。……俺の前でくらい、本当の自分を曝け出してみろよ」
「本当の私ですか? すっぴんの私なんて、可愛くありませんよ」
「それはお前の自己評価だろ? 俺の主観では、世界一可愛い」
「素の私は、優しくなんてありませんよ? 凄くわがままで、多分沢山甘えると思います」
「そのくらい、構わないさ」
「おしゃれでもないんですよ? 家ではいつも楽なジャージです。それでも本当に、良いんですか?」
「だったら俺もジャージになろうかな? そうすれば、ペアルックだ」
俺の言葉を受けて、大野は嬉しそうに微笑む。
……前言撤回。すっぴんも可愛いけど、化粧をしている大野も魅力的に思えてきた。
要するに、俺はどんな大野も大好きなのである。