虚構を啜り、仇花結実
徒花:実を結ばない花
アルマンダは小規模の生態系と定義するべき生物であり、泥と同様に多くのものを包括している存在である。その類似点こそが泥とアルマンダを同一にしている理由であり、泥としての形と坩堝の呪いとしての形を同時に保っている所以である。しかしてアルマンダは半ば泥の他者を取り込もうとする本能に引き摺られていたのだが、ただ一つの感情において、泥の支配を凌駕していた。その事実はあらゆる陣営に対する例外であり、アルマンダの努力が身を結んだとも言える。しかしながらそれはアルマンダ自身は決して知ることはできないことだった。アルマンダはアザトースの体に食いついた時にはすでに、アザトースの掌の上であったのだ。
「......わたしを、たべたな?」
それは全身を貪られている人間が出せるはずのない、喜悦に満ちた声だった。触れてはいけない禁忌がこちらへと呼びかけてきたようだった。噛みついていたはずが、逆に食われているのではないか。はっきりとは言葉にできないが、アルマンダはそう感じていた。少なくとも、少女の異様な声に呑まれていた。しかして喰らいつくことはアルマンダには止められなかった。スワンプマンとしての性質が目の前の存在を取り込もうとするのだ。噛みつきながら、アルマンダは口腔内部にいつの間にかあった赤い瞳でアザトースの肉片を見つめた。ほとんど無意識的に記憶をすすり、虚構の肉体を生成しようとしているのだ。アザトースの血管一つを見るだけで凄まじい数の記憶が流れ込んできた。この世全ての知識をダウンロードしたかのような感覚だった。アルマンダは人としての記憶が持たないが故、耐えることができた。しかし、しかし気がついてしまう。
Aaaavengeは......何処に?
呪い恨み復讐せんとしたものが、この世全ての真理と正義だとするのであれば、正当さは、その正しさを保証する存在は何処へ?
たとえ知らずとも、命じられたに過ぎずとも、それを襲った時点で誰も彼も我が正当を認めることができないのでは?
アルマンダを構成していた鋼鉄の復讐心は、疑念によって朽ち果て始めていた。それがアルマンダ自身の心境の変化だと、アルマンダは認めたくなかった。アルマンダを泥濘から掬い上げて形を作ったのはこの復讐心だったのだ。であるのならば、であるのならば。今、アルマンダは取り込んでいるのではなく、取り込まれている?その思考に至った瞬間、アルマンダの血となり肉となっていた泥が、急速に泥に戻り始めていた。崩れた泥は、アザトースのバラバラの肉体を補修するかのように彼女に張り付こうとしている。しかし、そうしてアザトースが元の姿に戻ったわけではない。彼女は、人間ではなく、大きな渦となっていた。何もかも飲み込みそうな暗い渦だった。深海のように暗いこの海の中でも、一線を画した暗さだった。それはアルマンダのサメの部分に止まらず、海水を泥水に変えて吸い込み始めた。
「なんだこれは......!?」
「陛下の骸に向けて水が押し寄せているのーね!」
「アトラ捕まれ、上に出るぞ!」
渦に巻き込まれそうになったアトラを掴み取ったサモンは、渦から逃れるために上を目指して必死に泳いだ。アザナエルが正気を失ったからか、泥沼を覆うように展開されていた茨は取り払われていた。サモンが海から顔を出し、意識を失ったのか、空中で直立不動の姿勢で突っ立っているアザナエルに向けて、アトラが糸を発射した。アザナエルに張り付いたそれを、サモンはすぐによじのぼった。
「おい!起きるのーね!」
(ハ!我が君は?もしや我が君は泥を取り込んで...であるのであれば、ささやかながら貢ぎ物を)
背中に乗っかったアトラとサモンから事態の変化を聞いて正気に戻ったアザナエルは、意図は不明だが、アザトースが変化した暗い大渦の真上に虚無空間を開いた。すると当然、内部に詰まっていた大量のシナガワの泥が落下し、巨大な水の渦を作る大穴へと吸い込まれていった。すると脈打ちながら広がり続けていたアザトースの渦は拡大の勢いをさらに増した。元々あった枯れた花畑も、カスタマーAIが作り出した外へつながる扉も、何もかもを区別せずに飲み込んでいった。あらゆるものを飲み込んだそれは、表現が不可能な色合いであり、ただただ暗い球体としか表現できなかった。
「逃げますよ。お乗りなさい!」
アザナエルの背中に乗り空に逃げた一人と二体はかつてアザトースだった空間が肥大化するのを見守ることしかできなかった。しかしながら際限なく広がっていくように見えた暗い球体は、やがてその動きを止めた。それも束の間、大気を吸い込みながら急速に収縮していった。ゴウゴウと音を立てて、あらゆるものが飲み込まれていった。
「威光!」
「もっと踏ん張れーな!」
「アトラァ!?それもこれもオメー様が乗っていらっしゃるからでしょーが!城に残機残しているんでしょう!ささっと吸い込まれてくださいよ!」
「そのだな、重くてすまない」
『踏み躙られた空』を使用し空に踏ん張るアザナエルだったが、台風も凌ぐような勢いに、だんだんと抗えなくなってきた。一歩、また一歩、体が暗い空間へと引きずり込まれていく。しかしパタリと、前触れなく吸引は止まった。球体の収縮はアザナエルよりも小さいくらいのサイズ–––と言っても2m以上はあるが–––で収まった。そして底部が、雫が垂れるかのように歪んでいる。まるで稲が自らの重量に耐えかねて首を垂れるかのようだった。地面に降りたサモンたちはその変容を見守ることしかできなかった。
抉り取られへこんだ地面の上に落ちた雫は、段々と人間の形を取り始めた。髪の毛などの全くない、人体模型の影法師とでも名付けたくなる姿だったが、形作られた華奢な肉体は少女を連想させた。指の先まで完全に出来上がると、ヒトガタの上に未だある暗い球体、その底面がガラスのようにひび割れた。ひび割れの隙間から、割れた暗いガラス質の物体と共に、銀と灰色の液体が滴り落ちてくる。液体はへこんだ地面の上になみなみと注がれた。
「アトラ、アザナエル。これは一体?アルマンダとアザトースはどうなったのだ?」
「静かに」
サモンを黙らせたアトラは頭を下げ、その隣でアザナエルは跪いていた。二人とも、銀と灰色の池の方を向いていた。やがてぷくぷくと泡が立った。それと同時に、手が岸に伸びていた。右手は未だ暗い色合いだったが、星空のように光り輝いていた。宇宙そのものが人間の手の形になったようだ。伸び上がったその手は、池の淵を掴み、水の中から出ようと体を持ち上げた。中から出てきた存在は人と同じ形をしておきながら、人間だと決して認めることのできない姿をしていた。しかし、しかし。サモンの感覚がそのナニカこそがアザトースであると確信した。一抹の疑問も許さない、絶対的な確信だった。
『おはよ』
アザトースの声はこれまでと変わらない、少し気の抜けた声だった。変わり果てた見た目とは大違いだった。彼女の顔は、一部の隙もなく暗く輝いていた。アザナエルのそれが一番近いかもしれないが、それとは全く異なるものだ。いつの間にか着けていた青白いマントの隙間から覗く肢体から、全身に至るまでそうであるとよくわかった。
体と同じくらい目を引くのは、その髪の毛だ。浸かっていた液体よりも濃い灰色のそれは、金属とも布ともつかない輝きを見せている。眉やまつ毛も同様だった。そして最も心を奪われたのは、彼女の瞳だった。これまではハイライトのない灰色と黒色が時々に入れ替わるような奇怪な色だったが、今の彼女の瞳はそれ以上に奇怪だった。ステンドグラス、とでもいうべきなのだろうか。瞳の中を黒い枠線が不規則に走り、それを埋め立てるように極彩色の宝石がはまっているように見えるのだ。その輝きは見る角度によって大きく変わった。
「陛下でよろしいのですか?」
『...それいがい、でもある。それがわたしであるがゆえ。......あなたたちがそうねがうなら、そうありつづける』
「おお、我が君。暗黒宇宙をその身に宿し、無限銀河を瞳に捉えた我が君!貴方様の願いをこのアザナエルに、永遠の忠臣にお聞かせくださいませ!」
『......かなえたい、ことばかり』
そう言うとアザトースは湖の中に再び潜り、出てくることはなかった。
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