燃殻の試練 その3
狂気は精神よりも先に肉体に現れる。より細かく言うならば、このゲームにおける狂気は状態異常という形で現れる。今現在進行形でアザトースの瞳に異常が現れているように、正気度は一定時間で一定量減少するとなんらかの弱体化を与えるのだ。オスカーの【ココロ焼ク大火】を結果的に自分の魔法である程度相殺したとはいえ、至近距離で食らったコウタにもその影響は現れていた。体が金縛りにあったかのように動かない。目は霞み、耳鳴りも酷い。痛みはないのが数少ない救いだった。ステータスを見る限りあと数分は動くことは叶わないだろう。ぼやけた視界には異形へと姿を変えたオスカーの攻撃からアザトースが逃げ回っている姿が映る。コウタがいる場所から離れるように動いてくれているあたり、アザトースはまだ自分が死んだとは思っていないのだろう。謎の能力を持っているとはいえ初心者に自分の尻拭いをさせるような形になったのが悔しい。
(あと少し、あと少しなんだ。すまないアザトースさん、時間を稼いでくれっ...)
せめて手さえ動けば戦えるようになるのに、「アレ」を使えるようになるのに。歯噛みしながらコウタは思った。
「【ココロ焼ク大火】」
「......『ねじれた空間』」
オスカーの左手から放たれる赫の火炎に対してアザトースが魔術を発動すると、炎はアザトースの手前でありえない角度でその軌道を曲げる。視界が歪んでいる中、うまく発動できたのは幸運だった。
「未知ナル術、実ニ良イゾ」
「...」
口もないのにどこから声を出しているのだろうか、余裕ありげにアザトースの魔術を賞賛するオスカーを睨みながらアザトースは貰ったポーションを飲み、ステータスを見てMPが全回復したことを確認するとオスカーから急いで距離を取る。オスカーはその行動を特に気にする様子もなく悠々とアザトースの方に歩を進めていく。変身する前のように足を引きずるような様子は見られなかったが、代わりに歩くたびに傷口から炎が漏れ出している。それを見たオスカーは忌々しそうに六つの目を細めるとアザトースの方に向き直り再び左手から炎を生み出す。その炎はこれまでものとは違っていて蒼く、そしてガスバーナーの炎のように鋭かった。焼き払うためではなく焼き切るための炎というべきだった。
「【ロベルトの蒼い槍】」
「オヴェッ......『肉体の補填』」
槍投げのような構えから放たれた【ロベルトの蒼い槍】はアザトースの胸元に突き刺さりそのまま大きな風穴を開けたが、アザトースが血を吐きながらも魔術を使うとすぐさまボコボコとアザトースの肉体が沸騰して瞬く間に傷口を埋める。オスカーは傷跡が早回しで治っていくその姿を非常に興味ぶかげな目で見ていた。
「ソノ術、一体何処ノ教義デ教ワッタ?オグハ、アルデバラン、マルハウト、トゥルー。ドノ神モソノ様ナコトハ出来ヌハズ」
オスカーの疑問にアザトースは答える気はなかった。ただそれでもコウタが戦えるようになるまでの間時間稼ぎをしなくてはならない。ポーションを一息に飲み干したあと、歪む視界と何度も魔力を使い切った事による虚脱感に耐えながら、口元の血を拭き取った後オスカーに向かって一言伝える。
「...わたしのかみはわたしだけ。しりたかったらわたしをあがめて」
「......グリム神父ガ聞ケバ何ト言ウノダロウナ」
遠くの方に目を向けて感傷に浸る様子を見せたオスカーだったが、その時間は短かった。釘バットを高く振り上げたのち地面に叩きつける。何事かと思っていたアザトースだったがオスカーが地面を指差したことですぐに理解した。真下を見るとアスファルトが煙を上げている。それどころかひび割れ中から何か赤いドロドロしたものが見えている。凄まじい熱を秘めていて、今にも噴き上げてきそうな...気づいたアザトースが転がりながらその場から離れたすぐ後に凄まじい勢いで溶岩が噴き出した。魔術を使えば防げたかもしれなかったが、アザトースが気づくのが遅かった。この攻撃も、次の一撃も。
「...どこ?」
「君ノ後ロダトモ、『人でなし』ノ少女ヨ」
その声を聞いて振り向くと、オスカーが釘バットを両手で持ち、アザトースの頭目がけて振り抜いた瞬間だった。咄嗟に左手を盾にはしたが勢いを殺すことは到底できず、アザトースは肉が抉られさらに内から焼かれる感覚と共に吹き飛ばされる。
「心ガ壊レテイナケレバダガ、懲リズニ又来ルトイイ、『人でなし』ノ少女ヨ。ドウセ君ラハ甦ル」
地面に物がぶつかった鈍い音を聞いた後、オスカーは全ての目を閉じ少し祈る。祈り終わった後、もう一人の騎士を始末しようと倒れていた方へ向かっていった。ピクリとも動かずに横たわっているコウタの枕元に立つと、オスカーはそのまま顔面を兜越しに釘バットで何度も叩きつけた。黒曜石の兜は最初のうちは耐えていたが次第にヒビが入りそしてコウタの頭蓋骨と共に完全に砕け散る...
はずだった。
「空ダト...ドウイウコトダ!ドコヘ消エタ!!」
確かにコウタの付けていた兜を破壊したが、その中にコウタが入っていない。もぬけの殻だった。剣も盾も鎧までもおいて一体どこに逃げたのか。オスカーは六つの目をギョロギョロと動かしながら探した。
「本当にすごい人ですね、アザトースさん。地面にぶつかる瞬間に魔法で衝撃を和らげるなんて...」
オスカーが声のした方に振り向くと、鎧を着たままのコウタが気絶したアザトースを抱き抱えるようにして何か飲ませていた。MPを回復するポーションと同じような意匠のなされた小瓶に入っていて、その色は目が覚めるような赤色だった。飲ませ終わると傷跡は治っていなかったが頬に赤みが差し、目は覚めていないものの幾分か生きる気力を取り戻したかのように見えた。コウタはアザトースをそっとアスファルトの上に寝かせ、オスカーの方へ歩みを進める。
「フッ...待たせたな燃殻の神父.......いや神炎の依代 オスカーよ。そして知るといい、この俺、爆裂無双最強戦士コウタの手によって今この瞬間貴様の命運が尽きたことをな...」
「大口ヲ叩クヨウダナ、黒曜ノ騎士ヨ。シカシ、剣ニ盾モ持タヌ貴様ニ一体何ガデキルトイウノダ?」
コウタはオスカーの間合いまで近づいた後、気取った口調でありながら少しの怒りを滲ませながら啖呵を切った。それに対してオスカーは全ての瞳で睨みながら淡々と言葉を返す。その口調とは裏腹に、顔を形作っている炎はこれまでにないほどに燃え上がっていた。コウタの返答は実にシンプルだった。
「魔法ができる...『黒曜の創造』!!」
その言葉とともにコウタの両手に黒い光の粒子が集まった後、その手には黒曜石でできた大剣と大盾がしっかりと握り締められていた。倒れているアザトースを庇うようにコウタは盾を構え、オスカーはそれに応えるかのように己の得物を振りかぶる。衝撃音とともに火花が散って、再び戦いが始まった。
次回の更新は土曜のつもりです。