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7!

 なにもかも奪われて、上から押さえつけられて。もし、なに者かが慈しみの心でもって彼を癒したら、彼はその反動で世界をひどく憎むようになるんだろうか、マリアは不思議だった。だとしたら、その巻き添えを真っ先に食らいそうねと、ふっと、笑う。


 人がこんな風に奴隷に貶められていい理由なんてない。


 彼は不当に扱われている。声を上げる機会すら与えられず。彼がこんな人生を送らなければいけない理由なんてないのだ。けれど、その彼を『奴隷』として扱っているのは、そう思っている当のマリアだ。


「わたくし、ここではない世界から来たの。そして願いを叶えるために、『トカゲネコの尻尾』、『人魚の歌声』、それから『月のしずく』を手に入れなくてはならないの」

「ご主人様は、」


 マリアがすかさず遮る。


「マリアよ」

「…マリア、さまは、稀人ですか?」

「そうなの。だから、わたくしを助けて、そして教えて?」

「教える?」

「そう、わたくし、なにもかも、知らないの。だから、あなたの世界のことを教えて欲しいわ」


 エスは呆然と頷いた。


「承りました、マリアさま」


 マリアが右手を差し出し、エスはそれをおそるおそる受け取った。

 悪魔にとってこの上なく甘美な契約がなされた瞬間だった。


 ふと、まだマリアに家庭教師がいた頃、退屈なフランス語のレッスンの一環として「せむし男」の話を読んだ時のことを思い出す。それはその時のマリアが珍しく興味を惹かれた話だった。


 その時、マリアは思ったものだ。

 かわいそうなカジモド。


 優しくして、一瞬でも期待させておいて、結局、彼の大切なエスメラルダは美しくて地位のある騎士に行ってしまう。彼にとってエスメラルダはたった一つの希望だったのに。エスメラルダは、なんて残酷なことをするのだろう。どうせ捨ててしまうのなら、最初から優しくしなければよかったのに。でも、彼女は親切にせずにはいられない性格で、ついでに運命は彼らを引き合わせてしまったのだ。

 マリアは、思う。エスメラルダのように関わってしまったら、せむし男を疎まずに、いられるかしら?






 冒険への出発は、エスの傷が癒えるのを待つことにした。

 ある日、マリアは一般的な金の扱い方をエスに教わり、市場に食料の調達に出ることにした。


「あの、マリア…さま。おれが護衛としてついていきます」


 そう言って譲らないエスを説き伏せ、マリアは胸を張ってみせる。


「わたくし、買い物くらいできるわ! ちゃんとここに戻ってくるから安心してちょうだい!」


 それでも心配そうな顔をするので、マリアはなおも言葉を重ねなければならなかった。


「わたくし、子供じゃないのよ。買い物くらいできるに決まってるじゃない!」



✳︎

 マリアが子供のような主張をして、外に出て行ってしまったので、一人取り残されたエスは、寝床の上で眠りにつく事も出来ないまま、考え事をしていた。その念頭にあるのは、どうにかしてこの新しい主人に取り入らなければならない、という事だった。


 エスはもう三十二歳で、いろんな事において下り坂だった。いくら珍しい悪魔でも、それより若く体力のある人間の方に高音がつく。エスはマリアがいくら払ったのか知らなかったが、アイボリーはエスを値段が下がりきる前に売り払ってしまいたかったのだろう。もしまた売られるようなことがあれば、さらに安値になる。その連鎖の先にあるゴールは、廃棄しかない。


 生きたいのならば、縋り付くしかなかった。


 それにエスは、蹴られるのも、殴られるのも、食事を抜かれるのも嫌いだった。そういう荒事を知らない純真そうな新しい主人は、多少危機感に疎かろうが、マシなのかもしれない。彼女はエスの瞳を『きれい』だと言ったのだ。そんなことは言われたことがなかった。気に入られる目は、あるということだ。


 エスは生きていたかった。


 道の隅で蹲るところから記憶が始まる、そんな楽しいことがなにもない人生でも、それでも生きていたかった。その生に対する執着心が荒くれた彼の人生の中で、彼を生かしていたのかもしれない。


 エスは他人に優しくする方法が分からなかった。

 どうすれば好かれるのかも分からなかった。

 それでも生きるために行動する決意を、新たにした。


 考え事で頭を満たし、それにも飽きて、ウトウトと微睡み始めたころ、彼の主人は帰ってきた。荒々しく扉を閉める音に、エスは飛び起きた。


「ご主人様、どうかされましたか?」


 扉に背を預けて、ずるずると床に座り込んだ主人に駆け寄った。一瞬、動いたことを罰せられるかもしれないという考えが頭をよぎった。


 マリアは蒼白な顔をしながら、その青い瞳をエスに向けた。腕の中に抱え込んだ袋から、パンやハムがこぼれ落ちる。


「この国にも銃はあるのね…。ちょっとびっくりしちゃっただけ」


 彼の主人はそうして青い顔のまま微笑んだのだった。 


歴史的考証なんてものはない

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