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名も無き龍が眠る地に  作者: 佐野ひかる
竜の見た夢
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1ー9 人間の暮らし

ランケイドが目を覚ましたのは病院で、飾り気のない部屋にポツンとおかれたベッドの上だった。見覚えのない天井と、視界の端にこちらを見下ろす人影が見えた。

シルヴィールと名乗る不思議な黒髪の少女。調査隊の隊長が師匠と呼ぶ人物。


「おはよう。自分が何をしたかわかっているか?」

冷たい口調が、すでに彼を有罪だと断じているのが伝わってきた。

カイアンの仇を討つか、同じように殺されるしか無いと思っていた。調査隊に紛れ込み、先手を取ることはできたが、結果、巨大な化け物の腹にちょっとした傷を付けてやっただけで、殺せもしなかったし死ねもしなかった。

「もう、どうでもいいです。」

その巨大な化け物を止めた小さな化け物に責められ、もうこれ死んだな、と思った。布団の上に出されている腕に触れている少女の指は恐ろしく冷たく感じる。


「あの場にいた他の者たちの命を危険に晒しておいてどうでもいいと。」

「…すみませんでした。」

「私に謝られても意味が無い事はわかっているな?」

「はい」

「君と入れ替わった冒険者は厳罰に処する予定だが、生憎と行方をくらましている。冒険者登録が偽造のものだった。奴とはどうやって会った?」


酒場で会った不幸自慢の顔見知りと二度目に会った時、友人が困っていると言う流れで紹介された男だ。どうしても行けなくなったから調査隊参加を代わってほしいと頼まれ、渡りに船とばかりに令状を受け取って姿を似せたのだが、偽造や行方不明までは彼の知るところではなかった。顔がいまいち思い出せないが正直に言うしか無いだろう。


「それと聞きたいのはこの魔導器のことだが。」


取り出された物は魔導器ではなく、それも不幸自慢の顔見知りと一緒に買った安全祈願のお守りだ。後日掘り出し物がないか再び店に行こうとしたが店を畳んでしまったのか跡形もなかった。これも正直に話しておくが、説明しているそばから矛盾する部分がいくつも顕になってきた。少女の顔には疑う様子は見られないが、酒の席での話とは言え、ありえない馬鹿話にこちらが恥ずかしくなってきた。


厳罰とはどういう物だろうか、長く苦しむよりはスパッと殺される方がいい。王宮に無限の広さの牢獄があって入ったら二度と出られないとか、西の砂漠に黒い目隠しをされて放置されるとか、魔物の住む地下迷宮に落とされるとか、子供の頃から聞かされてきた怖い話が次々と脳裏に浮かぶ。


少女の口元が引き結ばれ、腕に触れていた指が離れた。少しの沈黙の後、少女が口を開いた。


「カイアンは生きていた。」

「えっ?」

「巣に捕らえられているところを発見した。多少の怪我をしていたが我々で治せる程度のものだった。」


虚ろで投げやりだったランケイドの目に力が戻ってきた。少女の言うことが本当なのか見極めようとするように少女の方に視線を向けた。


「だが、拘束の後遺症で体や記憶に異常があり、日常生活が困難な状態である。竜の研究にも協力してもらうためリハビリの間は彼の身柄はこちらで預かることになる。この街では君の世話になるつもりだと言っていたが間違いはないか?」

「はい、うちで暮らしながら仕事を探せばいいと言いました。」

「ふむ、彼の住まいも仕事もこちらで用意できると思う。落ち着いたら連絡させるから、もう仇討ちなど考えないように。」

「わかりました。」

「今回はその方の気持ちもわからないではないので情状酌量とし、不問とするが、次はない。良いな?」

「…はい。」


シルヴィールは誓約書や注意書きの書類を何枚か置いて部屋を出て行った。遠ざかる足音を聞きながら、ランケイドは深く長く息を吐いた。


カイアンは生きている。


生きるのが下手で絵を描くことしか取り柄のない優しい弟は生きている。

「よかった…」

生きているなら良いのだ。


ーーーーー


カイアンとマルフィンは街外れの宿屋にやってきた。西門の外までは巨大な鳥に運ばれ、そこに待っていた馬車に乗り込み、人目につかないままに宿屋の中まで通された。


宿屋の女主人に一番上の四階まで案内され、このフロア全部を二人で使うように言われた。階段を上がってすぐの玄関を入ったところはリビング、次の間がキッチンとダイニング、さらに廊下を挟んで鍵のかかる寝室が三つもある。カイアンが以前住んでいた家よりも広い。


調度品や生活に必要と思われるものは全て揃っているし、消耗品はもとより衣服までがクローゼットにギッシリと入っている。カイアンの記憶に照らし合わせてみても、こんな宿屋は見たことがない。豪華なしつらえというわけでは無いが、広さといい用意周到さといい、金額が張るのでは無いだろうか。

マルフィンは普通の顔で入っていくが彼女もカイアンが一文無しであることは知っているはずだ。カイアンの記憶から「出世払い」という言葉が出てきた。あとでマルフィンに確認しよう。


「今日からここで生活をしていただきますが、注意事項がいくつかございます。」

「ちゅういじこう…はい。」

「屋内ではこのように室内ばきに履き替えるのが一般的です。もちろんそうでは無いものもありますから、よく見て判断するように。」

「しつないばき…はい。」


室内ばきに履き替えて部屋に入ったマルフィンの動きが止まった。持っていたカバンを床に置いてカイアンの方を振り返った。

「私の発言から単語を抜き出して繰り返している理由は?」

カイアンは質問に対して正確な答えを言葉にしようとして、ゆっくりと話し始めた。

「自分がヒトの言葉を得たのは私の中にある別人の記憶から…なので、使ったことのない言葉は一度そこから調べないとわからない。」

特殊すぎる事情だがマルフィンはあっさりそれを飲み込んだ。


「わかりました。ならばなるべく噛み砕いた言葉を使うようにしましょう。」

「かみくだいた…お願いします。」

「あら、言ったそばからごめんなさいね。」


それからもマルフィンは外から家へ帰ってきた時の行動を一から説明し続けた。洗面所の使い方、衣服の使い分け、風呂の使い方など。理由も含め、ずっと喋りっぱなしだった。気がつくと日は翳って部屋は薄暗くなっていた。


部屋の扉がノックされ、マルフィンが返事をして扉を開けると、そこには男の子が箱を抱えて立っていた。

「今日は明かりが使えないのでランプを使ってください。お食事はどうするのか教えてください。」

男の子は教えられたようにハッキリと話しながら箱をマルフィンに手渡した。

「ありがとう、夕食も朝食も部屋に二人分届けてちょうだい。」

「はぁい」

男の子は伝言を繰り返しながらパタパタと戻っていった。扉を閉めて振り返ったマルフィンに知らせておかなければならないことがある。


「マルフィン」

「何ですか?」

「食事の必要はない。」


マルフィンはしばらく考え込んだ後、質問を返した。

「それは食べなくても生きていられるから?食べることができないわけでは無いわよね?」

「それで合っている。」

「そう、これから普通の人間としての暮らしに入るのだから、食事の仕方を覚えるように。あと、言葉使いもね。」

「わかった。」

「わかりました。」

「わかりました。」


「ここでの生活費はどうなっている…いますか?」

「手配も支払いもシルヴィール様にお任せで大丈夫です。ある程度は私が預かっているので、外に出られるようになったらお小遣いもあげますよ。」


カイアンは疑問に思っていた事を思い出した。

「シルヴィール…様は…何様ですか?」

「何者ですか?と言うべきかしら。何様と言うと上から目線で偉そうな者にお前はどんだけ偉いつもりだと問いただす時の言い回しになっています。」

「はい。何者ですか?」


改めてマルフィンは腕を組み眉間にしわを寄せ、考え込むように目を閉じた。

「よく目にしていたのは国王陛下からの使者が常識では図れない問題を解決するためにお見えになるところです。王室の相談役のようなものと考えてはどうでしょうか?」

「そうだんやく」

「後は古代の遺産について詳しく、全ての魔法魔術を使えるとか聞いたことがあります。」

「こだいのいさん」

「それ以上は私の口からは言えません。」


カイアンは一生懸命考えてみようとしたが、彼の中にある知識ではそれはもう神様とかそう言う次元の表現しか出てこなかった。しかし即座に現実世界には存在しないと知識に否定され、カイアンはそれ以上考えるのをやめた。


夕食を運んできたのは女主人だった。小さなワゴンに乗せた料理を、テキパキと食卓に並べていく。それから朝食を持ってくる時間を確認して女主人は戻っていった。

「カイアン、そちらの椅子に座って、今日は私の真似をして食べればいいわ。」


マルフィンは一つ一つを丁寧に説明しては口に入れる。その様子を真似してカイアンもパンを一口大に千切って口に入れた。特に感動もなくフワフワとしたものを噛んで飲み下した。

マルフィンがしたようにフォークを手に取り、サラダを食べてみる。野菜の味は特に感動ものでもなかったが、不思議な香りのドレッシングはとても好ましいと思った。

教育としての食事から、美味しいものを食べた顔に明らかに変わったのがわかったのだろう。マルフィンはクスッと笑った。


「体に負担がないのなら、お代わりしてもいいのですよ。」

「おかわり…はい。いえ、いらないです。」


次にシチューの肉をフォークで少し取って食べ、ちぎったパンをシチューにつけて食べて見せた。マルフィンの顔がにっこりとしながらしみじみと味わっているようだ。

真似をしてフォークで肉の塊を突いてみる。ホロリとほぐれた肉の繊維は湯気を揺らしている。昼間の光よりも心もとないランプの明かりに照らされて、きらきらと肉汁を輝かせているようだ。

はくりと口の中に放り込むと今までに経験のない芳醇な味わいが口に広がった。シチューにつけたパンも食べてみる。さっきまでなんの味わいもないと思っていた白いフワフワがシチューの旨味を優しく押し上げてくれている。


マルフィンの笑顔がどうだと言わんばかりに深まった。

「おいしいでしょう?」

「おいしい…人の口で食べる食事は好きです。」


マルフィンはその表現に引っかかるものを感じた。

「人の口で食べる?違う食べ方があるみたい。」

カイアンは「ある」と言ってカトラリーを置いた。説明するのは難しいが、マルフィンには知っておいてもらった方がいいだろう。その上でどう使い分けるか教えを請うべきだと思った。


「私がつい最近まで人ではなかったのは知っていますか?」

「知ってます。」

「どのようなばけものだったかも?」

「龍のような生き物だったと聞いています。」

マルフィンは全く動じる風でもなく、情報の一環として聞く構えのようだ。


「一番最初の私は、生きたいという意思しかない力のないモノで…」

少しずつ、記憶を確かめるようにゆっくりと話し出す。

「生きるために身体を作り、力を手に入れる手段、それが私にとっての食事。だから、大きさも味も関係なく…丸呑みするのです。」


「今、出来ますか?」

マルフィンは食事についてきた丸い果物を手にとって差し出した。カイアンはゆっくりと口を開ける。それがあり得ない形に広がっていくのをマルフィンはなんの感情もなく、開かれた混沌の淵を検分するかのようにじっと見つめている。カイアンには居心地の悪い時間が流れ、やがて耐えきれず口を閉じた。マルフィンが手にしていた果物は消失し、袖口が欠けた手だけが残っていた。


「あっ、ごめんなさい」

「いえ、手は残してくれたのね。」

「選ぶことはでき…出来ます。」


しばらく切り取られた袖口を観察していたマルフィンは、少し考えてから話し始めた。

「「竜の口」は人の生活には必要ないので秘密にしておきましょう。自分の命が危険な時に回避する手段とする以外には決して使わないように。あなたが人に恐れられる様な目には合わせたく無いので。」

「わかりました。」


それから二人は食事を終え、マルフィンは後片付けと就寝の準備について説明を始めた。説明がひと段落して、カイアンは言われた通りに寝具を整えながら言った。


「マルフィン、私は睡眠も必要ないのです。」

マルフィンは深くため息をついた。

「…貴方のことを化け物とは思っていないけど、生き物とも思えなくなってきたわ。本当に何なのかしらね?」

カイアンはそれは自分も知りたい、と口には出さなかった。

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