1ー8 シルヴィール
山を越えて少し北に行ったところに深い森があり、さらに北の外れの少し開けたところに巨大な猛禽類が降り立った。
着地する寸前に巨大なかぎ爪に握りこんでいた竜だった男を放り投げた。
「到着、怪我はないか?」
猛禽類は小さな少女に変わり、そっけない感じで地面に放り出された男に声をかけた。
マントだけを身につけた人物は土まみれになりながら少しの間、何が起きたかわからないといった様子で呆然としていたが、土を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「無い、と思う。」
「そうか、じゃあここが私のうちだから入れ。」
小さな木造の家が森と向かい合うようにポツンと建っていた。そこの玄関ドアを開き、少女が手招きをする。
玄関をくぐると、四角いテーブルに椅子が四つ。
右手はキッチンで、左手には背の低い棚と、ずらりと並んだ大小様々な額縁が所狭しと並べられている。
主に風景画が飾られているようだ。
玄関から向かいの壁には暖炉と扉が一つ。
少女が前を通っただけで暖炉に火がついた。そのまま扉に手をかけて振り返る。
「着替えを持ってくるからその辺で待て。この部屋の何を触ってもいいが壊すなよ。」
扉が閉まると、竜だった男は部屋を見回した。
なんだかわからないものがたくさんあってもっとよく見てみたかったが、人の形に慣れていないと思い、触るのはやめにした。
椅子の一つを引いて、人がやっていたように腰掛けてみた。
なるほど、足が上半身の重みから解放されて楽になるんだな。
深く座ったり浅く座ってみたり、背もたれに寄りかかってみたりして楽な姿勢を探っていると、少女が入っていった扉が開き、銀色の髪の若者が出てきた。
頭部に三角形の獣の耳が生えており、鼻から額に向かって銀色の体毛が覆っている。カイアンの知識から、北の国に住むと言う獣人族のようだ。
「お待たせ。」
手に持った布地は着替え一式のようだ。テーブルに置くと念のため確認してみる。
「服の着方はわかるか?」
男はこっくり頷くと、下着から順番に身につけ始めた。
いちいち教えなくていいとわかると、若者は暖炉に近づくとお湯の入った手鍋を取り出し、キッチンでお茶のようなものを入れ、二人分をテーブルに並べた。
その頃には着替えも済み、出されたお茶の前にきちっと座った。
「名前はあるのか?」
「…カイアン」
「お前が食らった男の名前だな。」
「彼から記憶と言葉をもらった。自分を指す言葉はそれだけ。」
「そう、じゃあカイアンと呼ぶ。君はどこから来た?」
「わからない、ここにいた。」
「うん、やはりわけわからん。記憶を見せてもらっていいか。」
カイアンはこっくりと頷き、若者に任せることにした。
いいも悪いも分からないし、自分でも説明できる気がしない。
若者はカイアンのコップを持たない方の腕に触れ、興味のない雑誌をめくるような速さで彼の記憶を流し見た。
全てを数分で見終わり、深く深くため息をついた。
「君は、ホムンクルスだったのか。」
「ほむんくるす」
カイアンの記憶にない言葉であったので、繰り返しはしたが否定も肯定もせず、話の続きを待った。
「本来なら人間の血や何やらを与え続けて人工的に人間を作る錬金術の秘法の一つだが…」
うーんと唸って頭を抱えた。
自分に向かって話している風ではなかったのでカイアンは聞き流した。
「このような事例は聞いた事もない…いや、これはきちんと資料を確認しないと…」
しばらく考え込んでいる様子だったが、静かになったので、おずおずとカイアンは質問を口にした。
「あなたは誰だ?シルヴィールと言う女の子はどうした?」
「あっ」
思考を中断され、すっかり説明を忘れていたことを思い出した。
カイアンの正体が知りたい気持ちが先行してしまったせいだ。
「私がシルヴィールだよ、さっきの子供の体は単なる意識の入れ物に過ぎない。人間の国で行動するときは人間の体を、エルフの国ではエルフの体を使う。」
そう言って向かい側の扉を大きく開け、部屋の明かりをつけると、そこには見覚えのある黒髪の少女の他に、老若男女、様々な種族の体が横たえられていた。
「今回は、今まで使っていた人間の体に不具合があったので、急遽作りかけの体で出ることになって…」
ちらりとカイアンの方を見やると、理解することを諦め、ナルホドそう言う生き物もいるんだと納得した様子になっていた。そういう事にしておいてもらう。
「えー、少しこのまま待ってもらう。腹は減ってないか?」
カイアンはほんの一秒考え込んだ。
「竜の体は何日も食べなくて平気、人の体の空腹はよく分からない。」
「回りくどいな、まあいい、お茶うけのお菓子でも食べててもらおう。」
シルヴィールは戸棚から色とりどりの包み紙の入ったカゴを取り出し、一つを開けて焼き菓子を取り出してみせた。
カイアンはそれを受け取り、初めて見るお菓子と包み紙とをじっくりと観察している。
お菓子を受け取った事で、初見の食品の説明は済んだと思ったシルヴィールが、一つの額縁を手にとってちらりと振り向いた瞬間目に飛び込んできたのは、人の形をした竜が深淵の口を開けて、菓子カゴだけでなくテーブルまで飲み込もうとしているところだった。
「ストップ!いや、止まれ!」
カイアンの動きが止まる。
動きを止めたまま、目だけがチラリとシルヴィールをうかがう。
「カイアンはそうやって食事をしたか?人のやり方でやるんだ。」
「ひとのやりかた」
シルヴィールの言った事をおうむ返しに繰り返す。
彼にとってカイアンの記憶は本や映画で見たような映像記憶にすぎず、体を使って再現するとなるとこれがなかなか難しい。
ありえない形に開いた口を一旦閉じ、片手につまんだ焼き菓子をヒトの小さな口でパクリと捉える。
サクサク、ごくり。少しの間考える様に固まった後、カゴに盛られたお菓子を次々と片付けていった。
奥の扉から、また見たことのない少女を伴ってシルヴィールが出てきた。テーブルの上の残骸を見て微笑んだ。
「お菓子は気に入ったみたいだな。」
カイアンはこっくりと頷いて「これはおいしい。」と肯定を表した。
「そうだ、人間の暮らしにはおいしいものや面白いものが沢山ある。知っているとは言っても体験するというのはまた違うものだ。そこで。」
ここでシルヴィールは連れていた少女をずいっと前に押し出した。
「この子の名前はマルフィン、彼女から人間の生活を学んで欲しい。」
マルフィンと呼ばれた少女はこちらに軽くお辞儀をした。
長い金茶色の髪を後ろで一つに結んでいて、白と黒のワンピースで身を包んでいる。芯の強そうな緑の目でこちらを値踏みしているようだ。
「娘さん?」
「いや違う。契約のためこの仕事を受けてくれる。この子は人間の生活を研究している者で…」
「私の紹介は必要ありません。それより目標はどうなさいますか?最低限、一般レベル、社交界?」
「まずは最低限。普通の生活ができるようにしてやってくれ。」
「かしこまりました。」
最低限、普通の生活と言われてマルフィンは少し考え込んだようだが、もうすでに頭の中ではどのような指導をするのか考えはじめているようだった。
カイアンにはそれがどんなものかはわからないが、おそらく高水準ではなく低いレベルで難しい、そのように感じられた。
こう言う時は挨拶をするべきだとカイアンの知識が教えてくれる。
「マルフィンさん、よろしくお願いします。」
「あらま、礼儀正しいこと。マルフィンで良いですよ。こちらこそ頑張らせていただきますわ。」
「お菓子を食べるためにテーブルごと飲み込もうとしてたところを君は見ていなかったな。」
「えっ、何を言ってるんですか?」
マルフィンは急に気の触れた事を言い出した者を見るような目つきでシルヴィールを見た。
マルフィンさんの挿絵入りました。20181203




