1ー7 人と竜
「チクショウてめえ殺してやる!」
狂乱状態でまだ突っ込んで行こうとするのを、止めるのがやっとだった。
我に返った調査隊から何人かが手助けにやってくる。両腕を掴まれたまま、捻って振りほどこうとしている。
「あいつは!これから自由になるところだったんだ!これからやっと生きるところだったんだよ!」
ひび割れ、かすれ、相手に聞かせるためでは無い、魂から絞り出す叫びが彼の口からほとばしった。
痛みに咆哮を上げた竜の目がランケイドをとらえた。
その目には怒りや憎しみはなく、か細い声が竜の口から聞こえた。
「兄さん、ごめんなさい、心配かけて…」
「やめろ!あいつの真似すんな!」
「もう、僕のことは忘れて…」
「やめろ!」
竜の目からはボロボロと涙が溢れている。今答えているのは本当に食べられた男の意識なのか?それとも我々を騙そうとしての擬態だろうか。
メルティナ達騎馬隊は馬を落ち着かせながら目の前の光景を驚きとともに見つめていた。その存在が危険と判断されれば討伐を開始しなければならない。
先に手を出したのはこちら側だが、命令されれば涙を流してか細い声で詫びる竜を殺さなければならないと言うのだ。なんと言う皮肉。
調査隊全体が固唾を飲んでヴェダを見つめ、討伐開始の合図を待った。
その間ヴェダはランケイドの行動を止めるための魔法をいくつも起動させていた。しかしどれ一つ発動せず、物理的に抑えている隊員のおかげでかろうじて飛び出さないでいるだけだった。
止まらないランケイドにヴェダは焦り、思いつく限りの行動阻害魔法を試みた。麻痺や睡眠、暗闇に混乱、行動遅延も金縛りも何ひとつ発動しない。
ふいに、ランケイドの頭ががくりと落ちた。両腕を隊員たちに掴まれている状態で、振りほどこうと体を捻る力がふっと消えた。
やっと魔法が効いたのかと、ヴェダはホッとして魔法の重ねがけを中断した。ランケイドを抑えている隊員たちにも安堵の表情がよぎり、そして。
それを振りきって彼は再び竜に向かって突進し、突き立てた両手剣を肩で押し込みつつ予備武器の短剣でさらに切りつけた。
再び竜が吼えた。今度はその目が怒りに燃えている。竜の口がありえない形に開いた。
口の端を超えて首や胸のあたりまでが開き、その中は生き物の体の中では無い漆黒の闇が広がり、奥行きや距離もわからない。
ばくんと口が閉じ、竜と調査隊の間にあった灌木や立ち木が消え失せた。位置誤認の支援魔法によって調査隊の誰も飲み込まれることはなく、ランケイドもまた竜の足元に潜り込んでそれを回避した。
何度も魔法に失敗し、あげくに自分が手を離した末に起きた絶望に、ヴェダの背筋が凍りつく。再び口を開いていく深淵を前にして、ヴェダはこちらに背を向けたまま先程からピクリとも動かない少女に向かって叫んだ。
「師匠!」
暗闇を目の前にして、少女が振り返った。右手は魔力によって光を放っている。動かないのではなく、大掛かりな術を行使するために動けなかったのだ。
「なんだ?」
うるさそうに振り返った少女の苛立ちを感じ取り、なんと答えたものかわからずヴェダの時が止まった。
「え、えっと」
龍の口は閉じない。時間が止まったように竜とランケイドは動かないでいる。
「口を閉じろ。」
少女はスタスタと龍の近く、ランケイドのいるところまで近付いてきた。彼の時間は止まったまま動けない。竜はブルブルと震えながら口を閉じていく。ヴェダも自分の口が開いていることに気がつき、閉じた。
そして小さな体の少女が無造作に大人のランケイドを片手で易々と引き離し、襟首を捕まえたままもう片手で刺さっていた両手剣を引っこ抜く。自分の身長よりも長い金属の塊を雑にガシャンと放り投げ、その手が淡く光り治癒魔法で傷を塞いだ。
「お前は後で説教だ。今は寝てろ。」
少女は胸ぐらを掴み上げたランケイドの胸元から護符のようなものを引き出した。それを乱暴に引きちぎると彼は即座に眠りに落ち、その場に崩れ落ちた。
調査隊員たちが彼を受け取り、簡易担架を作って運び去っていった。
少女は取り上げた護符をチラッと見て、ヴェダに投げてよこした。
「そいつはかけられた魔法を全て魔力にして溜め込む魔導器だ。こんなん治癒魔法も掛からん。」
見たことのない作りの魔導器だった。少なくともこの国で作られたものでは無い。異国風の意匠に縁取られていて美しい。
見たら返せと手を伸ばした少女に渡す。
引き寄せの魔法だけがかかったのは対象が彼のベルトだったからだ。他の行動阻害魔法は相手の肉体を対象にして発動させる。止められることを想定して準備したとすると、その覚悟の強さにヴェダはゾッとした。
シルヴィールは居場所なさげに少女を見下ろしている竜に向かい、命令した。
「人の形を取れ。」
竜は少し迷った風で言った。
「やったことない」
「じゃあこれが最初だ。早くしろ。」
巨大な体がぼやけ、少女の前でぺたりと座り込み、下腹の傷を抑えている人間の姿になった。茶色い髪に人の良さそうな顔立ちの若い男。恐らくは食らった弟の姿と思われる。
「大きさがおかしい。これくらいだ。」
ヴェダを指差す。少女の目の前だったから少女と同じ大きさになったのだろう、チラと見て瞬時に常識的な大きさに変化した。
少女は胸元の金具を外してマントを脱ぎ、竜に投げてやった。
「人間は他人に体を見られてはならない。それを使え。」
マントの中身は本当に小柄な少女で、長い黒髪と、ガリガリに痩せ細った体を生成り地のシャツとズボンで覆っていた。
少女の足首まで全身をすっぽりと覆っていたマントは、男の膝くらいまでの丈があった。ただ羽織っているだけのマントを軽く引っ張り、金具を止めてやる。
「とりあえずはこれでいいか。あとでゆっくり説明するから少し待て。」
竜であった男はコクリと頷いた。
少女はヴェダの方まで歩いてきて、方針を伝えた。
「竜は実在した。王室で管理することになったのでこの近辺の警戒は解除する。行方不明とされていた男は龍の巣に囚われているところを発見され、救出された事にしろ。今後はオレが監視し面倒を見る。ここで起こったことは口外しない誓約書に全員サインさせて、調査隊は解散。何か質問はあるか?」
「ありません。一人称がオレになっちゃってます。」
「うむ、私、な。じゃあご苦労だった。後始末は出来るな?」
「お任せください。」
少女は再び竜であった男の方へ戻っていき、空を指差すと彼は首を横に降った。すると少女の姿が巨大な猛禽類に変わり、男を鉤爪で引っ掴むと空へと飛び去っていった。
突然の結末に、調査隊の誰も騒ぎ立てることさえ忘れてポカンと見つめていた。ヴェダは彼らの前で朗らかに終了を宣言した。
「皆さんお疲れ様でした。配置した部隊と街で合流した後、機密保持の誓約書にサインしてもらって解散です。その後は打ち上げの無料の食事会もあるんで自由参加で。お家に帰るまでが遠足です。では帰り道も安全第一で行きましょう。」
ヴェダさんの挿絵入りました。20181203