1ー6 調査隊
「騎士団長、それは情報漏洩では無いのですか?」
半笑いで言うメルティナに、ラルカストは真顔で答えた。
「いや、もうお前より優先度の高い者は全員辞退している。」
リストは優先度が高い順に並べられており、上から志願するのかどうか確認される。その後、誰も志願しなければまた上に戻って今度は自動的に命令として発布される。
メルティナの位置は中央より少し上で、下にはまだ名前が連ねられている。
「騎士寮で話せば済む事をわざわざここでするって事は、もうわかってるんじゃ無いですか。」
「そうだな、辞退して欲しい。」
「いいえ、行きますよ。」
分かっていた返答だが、ラルカストの眉間に深いシワが刻まれる。
「前の使節団がどうなったかは知っているよな?」
「その前も知ってます。全員首だけが帰ってきたと。」
そして今回生きて戻れなければ開戦だと。二人は同じ言葉を飲み込んだ。
「我々は殺されるとわかっている使節など意味は無いと、何度も王に進言したがなぜか頑なに「三回までは試みる」と譲ってくださらない。」
「陛下が我々に理解できない法則に則っていらっしゃるのは今更でしょう。」
「お前が行かなくてはならないことではない。」
「皆断るでしょうね。ただの捨て駒なのですから。」
「そこまでわかっていて何故…ユージーンが悲しむ。辞退してくれ。」
「あの子は少しだけ泣くかもしれませんがきっとわかってくれます。」
「メルティ…」
幼い時の呼び方だ。ラルカストは自分と趣味嗜好がそっくりで正義感の強い末の妹を殊の外可愛がっていた。
「私が、自分よりも立場の弱い者に責任を押し付けるのが大嫌いだとご存知でしょうが。」
「頼む…」
ラルカストの絞り出すような嘆願もメルティナには届かない。自分は譲る気は全く無いと言う平静な目でラルカストを見返す。説得できればと言う一縷の望みをかけていたが、そもそも話し合いにもならなかった。
これ以上は時間の無駄とばかりに立ち去ろうとし、「それでは辞令をお待ちしております。」と扉を開けて書斎を出て行く。
部屋の外にはワクワクが止まらないユージーンが待ち構えており、夕食までの時間を女の子同士のおしゃべりでつぶす構えだった。ラルカストは一人残された書斎で、深く長いため息をついた。
夕食時の話題は街で噂の竜の話だった。ユージーンの一つ下の学年の子が、竜を見たと言って学校は大変な騒ぎになっていると言う。黒板に書かれた拙い絵は、しっぽの長いプテラノドンのようだったそうだ。
メルティナは明日、その調査隊の一員として向かうのだが、そちらで持っている資料とほぼ一致している。注目を浴びたいだけの子供の作り話ではなさそうだ。
「お姉様、もし本当に竜がいたら捕まえるのですか?それとも退治しちゃう?」
「ユージーンたら、ぬいぐるみか何かと勘違いしてない?竜はお家よりも大きいそうよ。」
メルティナが笑いながら情報を修正する。そういえば博物館のプテラノドンの模型もそれほど大きい物ではなかったと記憶している。
「それは捕まえておくのが大変ね。うちでは飼えませんよ。」
笑いながらクギを刺す母親に、「そんなこともう言いませんよ」とふくれっ面で反論する。
ほんの数年前のこと、父親に連れられて騎士団の幻獣部隊のユニコーンやペガサスを見たユージーンが、飼いたいと言い出して泣いて喚いて熱まで出した。動物とは違うのだと丁寧に言い聞かせ、学校を一週間も休む事になったのは皆の記憶に新しい。
「絵本で見た竜は人が乗っていたから、馬くらいかなって思ってたのだけど。」
「西の国にいる龍は言葉を話すだけでなく、歌ったり予言をしたりするそうだ。王様のように扱わないといけないかも知れないぞ?」
「歌うのですか!?」
ユージーンの目はまん丸で、口がぽかんと開いたまま固まってしまった。
母親に、「食事の手が止まっていますよ」と注意されるまで、頭の中は歌ったりお喋りしたりする竜で一杯になってしまった。
やがて入浴も済み、客間でごろごろしながらユージーンの学校での話を聞く。たわいもないお喋りをしていたユージーンのまぶたが重くなる頃、小さな声で「お姉様、竜を殺さないで」と囁いた。メルティナは少女が眠りに落ちるまで優しく布団をぽんぽんと叩き、それには答えなかった。
答えられなかった。
ーーーーーー
調査隊は王国騎士団と冒険者で構成された最上級想定の混成部隊という事になった。最悪の事態に対応できる最良のメンバーで臨むこととなった。
もちろん官僚たちの中には、出張費や特別手当などの膨大に膨れ上がった人件費を考えて、大袈裟だと言うものもいた。しかしそれは国王陛下の「その方の同行を許可しよう。」と言う言葉で全てが申請通りに通ったらしい。
王国騎士団からは魔術師部隊10名、飛行可能な幻獣部隊10名、地上部隊100名、冒険者から21名などが集められ、その日東門広場で結団式が行われた。
調査隊を率いるのは魔術師部隊の筆頭ヴェダ・ルアという初老の男性と、彼が連れてきた少女。だが、会話を聞いているとヴェダは少女を「師匠」と呼び、少女はあり得ない偉そうな態度でヴェダを便利に使っているように見える。
だがそれを指摘しようとするものはここにはいない。魔術師が見た目通りの人間でないことなど良くあることなのだ。騎士団も冒険者もそれをよく知っており、下手につつけば竜より恐ろしいものが出てくることだってあり得る。彼らは良く訓練されているのだ。
隊長の挨拶と、簡単な作戦内容や役割分担などの説明が終わると、少女が前に出て調査隊全体に強化魔法をかけた。視力や筋力の強化魔法と、位置を誤認させる幻影魔法の二つだった。
メルティナはその魔法の規模の大きさに息を飲んだ。支援魔法は基本的に対象が多くなるほどに効果を薄めてしまう。効果か、効果時間のいずれかを犠牲にしてしまうのが常識だ。そこかしこで「ありえねー」と呟く声が聞こえる。聴覚もしっかり強化されているようだ。
そして調査隊は竜の姿を求めて出発した。
王国の東側のほとんどを埋め尽くす森に、南側から隙間なく探知の魔法をかけていく。時々飛び出す魔獣や敵意のある獣が自分たちの少し前方のあさってな場所に飛びかかっていくのが見えた。幻影魔法の効果に調査隊は怪我ひとつなく順調に地図を埋めていく。
南側の海岸が終わると東側を北上していく。その辺りは目撃情報もあった場所で、隠れられる隙間を見落とさないように丁寧に探知の手を広げていく。
交代で休憩を取りながら北の山の方に移動していく。そこは男性が行方不明になった現場の近くでもあった。背の高い木はなく、高山特有の灌木がポツリポツリとあるだけで、見晴らしのいい場所だった。
ここの調査は事件直後にヴェダ自身が行った。遺留品として見つかったのは鈴のついた杖だけで、他には何も見つけられなかったのだ。その先の足跡も、血痕も、服の切れ端も。
山の方で何かが動いた。
少女が「来るぞ」と言い、全員に緊張が走った。筒状に高さのある火口付近から巨大な何かがこちらに向かって滑空してくる。
それは確かに竜と表現する他ない生き物だった。
竜は調査隊の頭上をぐるりと旋回し、視線を外さないまま山を背にするように降り立った。有利な位置を取られた、とヴェダは思った。
ドラゴンの中でもワイバーンと呼ばれるものに近い。事前の調査ではプテラノドンのような、という記述があったが、実際見てみると全然違う。そもそも大きさが桁違いに大きい。
顔は一見くちばしに見えるが、硬そうなのは正面だけで、横から見るとズラリと肉食獣の牙が並んでいる。
頭はトサカではなく、二本のねじれ曲がったツノが冠のように頭部を守っている。
コウモリのような翼は前肢と一体化しており、身体も飛ぶための細い体ではなく、筋肉をウロコが覆っていると言う感じのぶっとさで、長い尻尾が続いている。
首には襟巻のように黒い毛皮をまとっており、黒く艶やかな湾曲した爪は、それが捕食者であることを表しているようだ。
竜は鱗に覆われた体の腹部を隠すように、上体を低くしこちらをじっと見つめていた。知性の輝きを持つ目は、警戒よりも興味が強い様子で調査隊をじっくりと検分している。
問答無用でこちらを害する気はなさそうだ。
しばらく互いに無言で見つめ合い、居心地の悪い沈黙が続いた。
少女が調査隊の全員が魔法の保護下に入っている事を確認して、一歩前に出て話しかけた。
「知恵ある方とお見受けする。私の名はシルヴィール、話し合いをしたいと思いここまで来たが、応じていただけるだろうか?」
小さな少女とは思えない堂々とした態度と、まだ幼さが残る声で丁寧に述べた。竜の目は驚きに見開かれたが、すぐに同じ言語で返事が返ってきた。
「話し合い、出来ます。」
調査隊全体が驚きにざわめいた。皆、最悪の場合言葉の通じない魔物を討伐する覚悟でやって来たからだ。
シルヴィールと竜の間で、平和的に話し合いをするための取り決めが交わされている。王国内で人間と住み分けるためのルールを提案しているようだ。しばらく黙って聞いていた竜は上体を低く下げた体勢から、頭だけを低く上体を起こして座り直し、話を聞く構えで短く「わかった」と答えた。
「それから、何日か前にここを通った人間が一人居なくなっているのだが、何か知っていることはないだろうか?」
竜の目線が落ちた。まるで後悔していると言わんばかりの人間のような仕草だった。
「食べた。言葉がわかるのは、そのせいだ。すまない、知らなかった。」
やはり…と予想されていた結末に調査隊の誰もがうなだれた瞬間、調査隊の中で冒険者が控えている辺りから絞り出すような雄叫びがあがった。
はるか後方から一人が隊列をかき分けて飛び出し、竜に向かって突っ込んで行った。
誰もが話し合いが進むのを、平和的に解決できると思って安心しきっていた。あまりの想定外の出来事に誰も対応できず、固まってしまっていた。
その人物は竜の足の間、腹に両手剣を突き立てた。
ライオンが吠えるような、文字にできない音が響き渡った。竜が痛みにあげた咆哮だった。
あまりの大音声に、探索のために聴覚が強化されていた調査隊は大打撃を受けている。誰もが耳を抑えながら悶絶していた。
ヴェダは慌てて返り血に真っ赤に染まったその人物を、引き寄せの魔法で瞬時に自分の側に転送した。
見覚えがあった。
自警団に最初に捜索依頼を持ってきた、行方不明のカイアンの兄、ランケイドだった。
二章が出来ましたので、一章を全部載せる事にしました。