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名も無き龍が眠る地に  作者: 佐野ひかる
竜の見た夢
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1ー5 竜の噂

東に位置するウェルディア王国は主に人間たちだけで構成され、他の国と比べて比較的新しい国だった。地形は険しい山などがあって複雑ではあるが、気候は比較的温暖で豊かな自然の恵みで自給自足は可能であった。


想定される天敵も野生の動物くらいで、辺境に現れた魔物を討伐する為に王国騎士団が出向いた話は聞いたことがあるが、普通に生活する人々の目に触れることは滅多に無い。そのため、冒険者として活躍できる場はあまりなく、何でも屋という感じで酒場に置かれた掲示板を使って、依頼人とのやり取りをする程度で済んでいる。


そんな穏やかに見えるこの国にも、人が多く暮らす世間に必ずいる負の感情を食い物にしている存在があった。それはヒトの姿で紛れ込み、悲しみはより深く、憎しみはより強く、苦しみをより長くする事で少しずつ人々から生きる力を奪い取り、自らの力に変えていく者たち。表立った動きさえしなければそれは容易で、大きな畑から小さく小さく命を刈り取っていくようなものだ。


ーーーーー


この街では酒が自由に飲めない。この法律を作ったやつは一滴も飲めない下戸か、飲み過ぎて笑えない大失敗をしたやつかどっちかだとネルスは思う。

飲んだ気のしないような弱い酒が一日三杯、たった一軒の指定酒場で配給として飲むことが出来る。それ以外の酒は高級品で、作る者も少なく、流通もほとんど無い。それは金持ちが家で楽しむためのものだ。


そんなこの街では弱い酒でも権利は権利というところか、指定酒場は毎晩のように引きもきらぬ大賑わいを見せている。


ネルスはスカートに伸びる手を華麗にかわしながら豪奢な金の巻き毛をなびかせ、広い店の中をひらひらと進んでいく。

新たな客が入ってくると、人数に応じたテーブルに案内し、提示された身分証に小さな粘土を押し当てると、名前と識別の切り欠きが転写される。それを厨房で管理して、サービスの笑顔と配給のお酒と有料の料理を提供するお仕事だ。


一人でふらりとやってきた客をカウンターの席に通すと、ネルスは可愛らしい声で「今日のオススメは鳥の串焼きですよ」と囁く。

別段良い材料を使っているとかではなく、鳥肉が残りそうなのでそう言えと厨房に言われたからだ。新規の客は特に興味も無さそうに、「じゃあそれで」と答えた。


厨房に注文を通して店内を見渡すが、多くの客は仕事終わりの酒を楽しみにしているだけの小市民だ。

面白い話などそうそう無いーーでもなかった。


今カウンター席に通した男は、あまり居心地の良く無いイスに腰掛けると深い深いため息をついた。

ネルスはこみ上げる笑いを隠しながら、厨房にいる店長に「なんか体調が悪くって、今日は早上がりして良いですか?」と涙目で訴える。店長が彼女のお願いにNOと言ったことはない。


同僚の女の子達に丁寧に詫びを言って、私服に着替えて裏口から出ると、その姿はボンヤリと人の良さそうな青年に変化した。手の中にその姿に合った身分証を作り出すと、オドオドとした様子で酒場の入り口から一人飲みをする男性の横に座った。


ーーーーー


ランケイドは隣の男の話に相槌を打ちながら、酔えない酒をチビチビとやっていた。

今日はツマミを夕食代わりにして、配給分だけ飲んだらさっさと帰って寝ようと思っていたのに。隣に座った男が今日一番の不幸者は自分とばかりに不幸自慢が止まらない。


料理をドンドン注文する割には飲みも食べも最初の一口ばかりで、こちらに料理を進めつつずっと喋っている。断る口実を考えるのも面倒で、同意してやると喜ぶもんだから、ついつい話に聞き入ってしまった。

借金、失恋、家族の問題、親友と思っていた者からの裏切り。一人でそんなに盛り沢山な事があるだろうか?だがそんな追求はここでは意味がない。吐き出したい気持ちはわかるからだ。どんな愚痴でも肯定してやる。


「それは大変でしたね。」

「そうなんだよ、それに最近噂で竜が出たって言うだろ?山の麓の。あっちに妹が嫁いでてさ。」

「ああ、離れてると心配ですよね…」

「だろう?それなのに嫁親は見にいくなんて許さないって言うんだよ、俺が見たいのは竜じゃなくて妹の様子なのに!妹の旦那も街に来いっつんのに「そっちじゃ出来ない仕事だから」とか言ってさ、オメーはいいから家族を避難させるとか頭は無いのかよ!ってもうね!」


わかる。離れて暮らす家族がいる気持ち。


「実は自分もね、そこに弟が住んでるんですよ。」

「ああー」

「最近一人になったから、こっちで暮らすって話になったんですけど」

男は一言一言に深く頷き、こちらの話す事に悉く同意を表してくる。


「向こうの家引き払ったって言うのにまだこっち着いてなくって」

「えー?」

「寄り道とかする性格じゃ無いし、そしたらあの辺りで竜が出たとか言うし」

「ちょっとそれ…自警団の方に相談とかした方がいいんじゃ?」

「行きましたよ、団長さんは真面目に聞いてくれてましたけど…なんていうか「そんなん自分らにはどうしようもない」って感じで、それから全然連絡も無いんですよ…」


本当は自警団の人達にも不満があるってほどではなかった。何しろ相談に行ったのは昨日の話で、一日やそこらで話が進むものでは無いことはわかっている。

でも、酒の席で見知らぬ誰かに愚痴を漏らすくらいの権利は自分にだってあるだろう?その程度の軽い気持ちだった。


なのに、言葉にしたら現実味が増してきて、強い不安に押しつぶされそうだ。竜はヒトを食べるんだろうか。両親も妻も居なくなった今、弟もいなくなってしまったと言うのなら、俺は本当に一人ぼっちになってしまった。


一人飲み同士の気安さで、たまたま自分に不幸自慢をしにきただけの男は、店の閉店まで自分のことを慰め、励まし、親身に相談に乗ってくれたのだった。



ーーーーー



街では不穏な噂が流れていた。

山麓の村からこちらの街に向かっていた青年が行方不明になっていると。

村の住まいは引き払われ、その後の足取りが掴めないまま、山で所持品が見つかっただけで乱闘した後も、血の跡も何も無いまま忽然と消えてしまったらしい。


ただ一人の家族であった兄が、弟を探して欲しいと自警団に訴えた。

しかし話はただの失踪事件では終わらず、近くで目撃例があった竜の噂とも関係があるとの見方から、王国騎士団から調査隊が派遣される一大事になったのだ。


最悪の事態を考慮し、討伐が可能な規模の人員と、交渉が可能な専門家と冒険者の選抜、近隣の人里で避難誘導に当たる兵士までもが東門近くに集結することになった。


メルティナの部隊も調査隊に参加することになった。王国騎士団は国王直属の騎馬部隊で、彼女は女性だけで構成された遊撃騎馬隊の副隊長を務める。

他の隊はそれぞれの得意武器ごとにまとめられて編成されているが、彼女らは得意武器を一つに定めず、長柄武器、長剣短剣射撃武器をその時々で使い分け、機動力を生かして偵察、他の部隊の援護や応援など、臨機応変に動く事を要求されるエリート部隊である。


「単なる家出で済めば良いけど。」

メルティナはオレンジ色のくせ毛の陰でため息混じりにボヤいた。


だが話は「竜に食われた被害者など居なかったのだ」で済む問題では無い。ただでさえ王国騎士団は無駄飯食いとの評判なのだ。

何しろまだ一度も戦争など起きていないこの世界で、来たるべき有事に備えて訓練だけしているように見える。時々王の護衛として衆目に晒されることはあっても、襲撃があった事は一度も無い。

ごく稀に辺境で魔物の討伐などに行く事もあるが、騎士団の働きをアナウンスする仕組みなどはなく、同行した冒険者たちが誇らしげに「自分たちの武勇伝」を吹聴するだけだ。


彼らは町民からは「楽な仕事」と思われていて、時々心無い者たちから「馬の世話係」と揶揄されているのを耳にする。騎士寮にいて訓練し続けている間は忘れていられた。だが、こうして街に出てみると時々冷たい視線が向けられるのをどうしても感じてしまう。


翌朝の調査隊派遣のため、東門近くの兵舎に泊まる同僚達と別れ、メルティナは憂鬱な気分で兄夫婦の家に向かっていた。

職場では上司に当たる兄に話があると言われていたからだ。


別に兄夫婦に会うのがイヤなわけでは無い。姪のユージーンはとても可愛らしく、行けば大歓迎なのは間違いない。大きくなったら自分のように王国騎士団に入りたいと言う彼女に、照れくさいようなくすぐったい気持ちにさせられる。

その反面、これ以上は憧れて欲しく無い現実がメルティナを悩ませる。


もうすぐ戦争が始まるのだ。


この国を守るために人を殺しに行かなくてはならない。

もちろんそれは仕事として割り切っている。大切な家族に手をあげるものはあの世で後悔することになるだろう。

だが、それを可愛い姪には知られたく無い。まだ12歳になったばかりの少女に、同等の覚悟を持つ事を強いるのはイヤだ。


何人もの同級生が、厳しい現実を突きつけられ、夢を諦める事を選択していった。そんな切ない挫折を味わう前にもっと他の、あの砂糖菓子のような少女に似合う夢を見つけて欲しい。

女の子の喜びそうな可愛らしい雑貨を手土産に、メルティナは何でもないいつも通りの笑顔を練習しながら玄関に到着した。


「お姉様、ようこそいらっしゃいました!」

ユージーンは淑女らしくスカートをつまみ上げて挨拶をし、直後にメルティナにばふりと抱きついた。

彼女の後ろには父ーーメルティナにとっては兄ーーのラルカストが顎をこすりながら立っている。


フワフワの金の巻き毛をメルティナは優しく撫でた。ユージーンはお土産に気がつくと一旦離れ、小さな紙袋を大事に抱えて一礼した。


「いつも素敵なものをありがとうございます。お父様が言ってらしたのだけど、今日は泊まって行かれるのでしょう?」

「ええ、世話になるつもりです。」

「では私が整えて参りますね!」


夕食の支度をしている母親に「今日はお姉さまと客間で寝ていいですか?」と尋ねているのが聞こえる。母親の返事は聞こえないが、どちらでも構わない。

彼女と過ごすのは幸せな少女時代を思い出させる至福の時間である。ユージーンの二人の兄も末の妹を目に入れても痛くないほどに可愛がってはいるが、彼らは揃って騎士寮に入っており、今日はメルティナの独占である。


「メルティナ、話がある、こちらへ」

「はい」


兄の書斎に通される。大きな両袖机と壁一面の本棚。家族も召使いも許可無しには決して入ってこない。家族にも聞かれたく無い話なのだとわかる。


「済まんな、余分な椅子もなくて。」

「いえ、構いません。お話とは?」

ラルカストは組んだ手に視線を落とし、決意したように一つ息を吐いてこう言った。


「西の聖龍王国ルゴーフへの平和使節候補にお前の名前がある。」

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