4ー9 去る者と来たる者
カイアンは夢の中にいた。
まるで昔からの知り合いのような誰かと話をしていた。
「そろそろお別れだ。ここを出ていく。」
「そうなのか、まだいても良いんだよ?」
「また新たな生命として生まれ直して、魂を磨かなくてはならない。だから、笑って見送ってくれ。」
「そうか、分かった。次の人生が良いものであるように。」
「ありがとう、元気でな。」
「さようなら、カ」
「カイアン」
眠っていた彼を起こしたのは国王だった。
食事の後の睡眠を、こんな風に叩き起こされたのは初めてだ。
「眠りは必要ないのでは無かったか?」
ここは王城のカイアンの私室だ。目の前の金の髪が眩しくて、目を開けているのが辛い。
「心配させおって。ところで、影武者作戦の方はうまくいったのか?」
影武者作戦とは、カイアンが国王の姿を模倣するものだ。
彼が今の姿をしているのは、それまで人間のサンプルが一つしか無かったせいだ。
本来のホムンクルスが人間の血で育てられるのを知っていた王が、試しに自分の血液を与えて見たところ、実験は成功した。
早速カイアンは前線であるタバークに送られ、本物は執務室に閉じ込められて仕事を続けた。
本人は「逆だ!」と不満げだったが、メルティナに「剣も使えぬくせに何しに行く気なのか」と説教され、泣く泣く留守番をしていたのだった。
「…大成功です。魔王は私が食べました。」
眠りが必要なカイアンは簡潔に、大幅に端折って答えた。
「魔王?魔王の話は聞いておらぬぞ?女王はどうし…食べた?どう言う事だ、美味いのか?」
「申し訳ありません、今は眠らないといけないのです。説明は後に…」
カイアンは襲いくる猛烈な睡魔で瞼が降りてくる。
「ではこれだけ。私の絵を仕上げたのは其方か?」
王の私室にあった、三人の肖像画の事だ。
「はい。」
「どのようにして。」
「シルヴィール様に陛下の記憶を見せて頂きました。元のカイアンは絵描きでしたので。」
「…そうか。」
下を向いた王の顔は髪に隠れてよくわからない。
「ヤツが絡めばなんでもアリだな。」
国王は顔を背けたまま立ち上がり、そのまま大股に歩いて部屋を出て行こうとする。
扉を開け、そこで少し立ち止まって、息を大きく吸ってから「感謝する」とだけ言って扉の向こうに消えた。
壁の大きな鏡には、扉の陰に隠れて国王が顔をぬぐう仕草だけが見えた。
ーーーーー
ユージーンはまず、写真立ての魔導器を使って、マルフィンにシルヴィールの家を聞いてみた。
しかし、結果は捗々しく無かった。
「…願いを叶える大賢者の家よ?普通にたどり着ける訳がないでしょう。」
「ええっ、じゃあどうやってハースを迎えに行けば良いの…」
数日後、森で暮らすシルヴィールの元にマルフィンからの手紙が届いた。
この世界の手紙とは、切手の様な小さな魔法陣と、宛先の名前だけで届けられる。
同姓同名でも、偽名やあだ名でも、魔法陣はきちんと判別して送り届けてくれる便利なものだ。
ありきたりな挨拶と雑談で綴られた手紙で、封筒にはもう一枚、畳まれた紙片が同封されていた。
シルヴィールはぴくりと眉を上げ、暖炉の近くでそれを開いた。
紙自体は真っ白で何も書かれていなかったが、それを開くと小さな魔法陣が浮かび上がり、小さな魔法陣から大きな魔法陣が開く。
そこからユージーンが落ちてきた。どさりと暖炉の前で尻から落ちてきた。
今にも暖炉に焼べられそうな紙を見て、「大成功」とにやりと笑った。
しかし、全然見たことのない獣人族の若者と、人間の子供がこちらを凝視している。
「…家を間違えました?」
「合ってはいる。」
そのぶっきらぼうな口調は確かにシルヴィールだ。
彼はそう言ってぽいと、紙を暖炉の火にくべた。
「ああっ、せっかく頑張って作った転移魔法陣を!」
「この様なルートを固定されては敵わんからな。」
ユージーンはマルフィンの協力で作った『郵送「転移魔法陣」魔法陣』が、あっと言う間に炎に巻かれて跡形もなく燃え尽きるのを名残惜しそうに見つめている。
その時、彼女の後ろから男の子が抱きついてきた。
見覚えのない5歳くらいの人間の子供に、ユージーンが思わず「あっどうも初めまして?」と挨拶する。
金の髪はちりちりに小さく巻いており、まるで聖堂の壁画の天使の様だ。
くりくりに見開いた瞳は黒の様に見えて、よく見るとわずかな青みを持った紺色だとわかった。
「ユージーン、ぼくもうご飯食べられるんだ。」
「…ハースなの?」
「ユージーンの血を飲まなくても良いんだ。」
ユージーンはシルヴィールを見上げ、何が起こったか説明を求める眼差しを向けた。
「前の体は損傷が激しかったので、意識を別の肉体に避難させて見たんだが、吸血は別に魂の必要条件ではなかった様だ。」
ユージーンの横でぺたりと座り込んだハースは、両方の手で彼女の手を取った。
「ぼく、ユージーンとずっと一緒に居たいんだ。」
小さな子供の手が、ユージーンの左の手を強く握りしめる。
「ユージーンがぼくのことで、ずっと苦しんでいたの、知ってるんだ。」
彼女は声が出ない。喉の奥にこみ上げる気持ちが大きく膨れ上がっていて言葉が出せない。
「もう、置いていかないで。ぼくのために、ぼくのいないところで泣かないで。もう、狼になって走れないし、お腹が空いたら死んじゃうけど、ぼくが、幸せだってところを見てて欲しい。」
ハースの言葉が、ミサキの両親の断片を組み立てていく。
辛い気持ちをひた隠しにして、私に厳しくしていた彼らの気持ちが、今、形になった。
ハースの言葉が、ユージーンの中でミサキの気持ちに変わり、感謝の祈りが空に帰っていく。
「ハース、ありがとうね。」
彼女は小さなハースを強く抱きしめた。
「ところで、君に支払いが残っている件についてだが。」
シルヴィールの言葉に、一気に現実に引き戻された。
ユージーンの涙はすっと引っ込み、真顔になってシルヴィールを見上げた。
そういえばこの強欲な大賢者とやらは、法外な請求をすることでエルフ界隈では有名なのだった。
無表情で二人を見下ろす獣人族の若者は、姿は違っていても間違いなくその者だ。
「非常に失礼な事を考えている様だが、おそらく間違いはない。君はその子の情報と生活改善の件が未払いになっている。更に今回その子の体として、私が自分用に育成していた人間のクローン体を提供している。以上三件で間違いはないな?」
「はい…出来ればまとめて一件にして欲しいですけど。」
「注文は別々だし個別会計が基本だ。昨日ランチを頼んだからと言って、今日のコーヒーがセット価格になる店は無いだろう。」
「例えが俗物すぎて、ほんとに神様じゃ無いんだなって嫌でも実感します。」
その表現は彼自身も不本意であった様で、顔をしかめた。
「それはウェル…国王の記憶のせいだろう。転生者にはわかりやすいかと思ったが…君は外でランチなど食べたことは無かったな。」
「病院にもレストランはありましたのでランチはわかります。お気遣い無く。」
入ったことは一度もないが、入り口のメニューとして飾られた美しい食品サンプルを眺めるのは好きだった。
ユージーンは頭の中で、魔物討伐を命じられたら誰に協力を依頼するかの算段を立てていた。
兄達は来てくれるだろう。カイアンとリンドーラも手助けしてくれるかもしれない。
労働は自分でなんとかがんばろう。あとは…。
「それと、魔族の実験について協力してくれた報酬も残っている。とりあえずダメ元で何でも言ってみると良い。」
「えっ、じゃあ差し引きでチャラに出来ませんか?」
「…かなりこちらの分が悪い差し引きではあるが、君に付き合うのは疲れるのでこの話は長引かせたく無い。それで手を打つとするか。」
伝説の大賢者から大幅に値切ってやったよ!きっとマルフィンは羨ましがるだろう。
「ありがとうございますシルヴィール様!あと、帰り道めんどいので送って頂けますでしょうか?」
「消えろ。」
ーーーーー
気がつくとユージーンの家だった。
小さなハースを抱きしめたまま、食卓の横に座り込んでいた。
ユージーンは「やればできるんじゃない」と、苦労してエルフの国からルゴーフに行ったのは何だったのかとシルヴィールを問い詰めたくなった。
そこに彼女の母親が突然現れた彼女に気がついて、小走りでやってきた。
「あらあらユージーン、お帰りなさい。びっくりさせようとしたの?…その子はなあに?」
ハースは見知らぬ人間にビックリして身をすくめ、抱きとめているユージーンの腕をぎゅっと掴んだ。
彼女はハースを自分の横に座らせ、正座させておき、土下座の様に母に頭を下げた。
「お母様、お願いします。この子、うちで引き取りたいんです。ちゃんと面倒見ますから、お願いします。」
ちらと横を見ると、ハースも真似をして同じ様に頭を下げていた。
母の返事がなく、不安になって少しだけ頭を上げて母を見た。
母の顔は上ではなく、彼女たちのすぐ前でしゃがみこんだ高さにあった。
「あなた、今まで拾った動物達の世話、放り出したことは無いものね。」
にっこり笑ってユージーンを見、ハースの方を見た。
「人間拾うは初めてねえ。お名前、言えますか?」
「ハース。」
「ハース、大きくなったら貴方も騎士になるのかしら?」
「ぼく、大きくなれるの?」
ハースは嬉しそうにユージーンの方を見た。彼女は力強く頷いてみせた。
「大きくなって、幸せになる。そんで、ユージーンを幸せにするよ!」
「あらあら、拾ってきたのはお婿さん?」
母はくすくす笑いながら言った。
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リンドーラは王城に来ていた。
これから彼女はエルダと共にルゴーフへ、ウェルディア国内の一領土として再建を行うために向かう。
「カイアン様、母を、兄を眠らせてくださってありがとうございました。」
彼女は彼があの戦場の中で魔王に対して行ったことを理解していた。
魔王に取り込まれ、魂をエネルギーに変えられて永遠に輪廻の輪から外れてしまうはずの彼らを、カイアンが食事として全て飲み込んだ。
彼らの意識は確かにカイアンの中にあった。しかし今は固く閉じこもっていて、記憶も感情も知ることはできない。
カイアンは小さく頷いた。決して彼らを助けようと思ってしたことではないが、リンドーラの気持ちが収まったのならそれは結果的に良かったと思う。
頷いただけで一言も発しないカイアンに苛立ったのは、後ろで二人をニヤニヤしながら見つめる国王であった。
「カイアン、何か一言くらい言ってやれ。彼女は面倒臭い戦後処理を引き受けて、これからずっと忙しくなるのだからな。」
それを押し付けたのは他ならぬ国王本人である。
だが、女王に捨てられ、仮想敵国であったウェルディアの占領下となったルゴーフを立て直すには、リンドーラが領主に着くことが不可欠だ。
元王女である彼女が、ウェルディアから自治を認められているという体裁でこの街を治めなければ、人々は敗戦国という烙印を背負い続けてしまい、元の様な活気を取り戻すことは難しいだろうからだ。
もちろん彼はそこから這い上がり、強くなった国を知っている。
だがその強さを他者に求める様なことはしたくない。
成し遂げることができたとはいえ、それは大変な苦労の末だったに違いないからだ。
それは国王の思うところではない。
統治者は王女に継承され、称号や仕組みに多少変化はあっても、人々の生活に変化はない。
戦争など無かった。それが彼の選択であった。
「王女様、どうかお気をつけて…」
「もう王女ではありません。」
「リンドーラ様。」
「初めて名前を呼んでいただけました。」
リンドーラは少しだけ俯いて、頬を染めながらしみじみと言った。
彼女はずっと今まで躊躇っていた言葉をようやく口にした。
「カイアン様、どうか私と一緒にルゴーフに来ていただけないでしょうか?私、その、貴方に見ていて貰えれば頑張れると思うのです。無理にとは言いませんけど…出来れば…是非。」
リンドーラのたどたどしい告白は、だんだん勢いをなくして小さく萎んでいった。
跪いたまま聞くエルダは、リンドーラは秘めているつもりだった感情の発現を、拳を握り締めて余勢を示した。
国王は不機嫌そうな顔と、ニヤニヤ笑いとが交互に訪れて複雑な表情になっている。
カイアンは今初めて、彼女に拒絶されていたわけでは無かったことに気がついた。
それは仕方がない。何しろそう言ったサンプルはほとんど彼の中には無かったし、今はもう助言を与えてくれる意識もいない。
今まで何度も彼の胸の奥を差していた小さな痛みが、彼女の苦しみを受け取っていたものだと理解した。
「いつか、陛下の護衛が必要なくなったら、貴女に会いに行きましょう。」
後ろで国王は「ないない!必要なくならない!」と手を振っている。
「待っていてくれますか?」
カイアンの穏やかな声はいつも優しくリンドーラの心を暖める。
「いつまででも。」
これまでずっと緊張した面持ちであったリンドーラがやっと微笑んだ。
カイアンは国王に背を向ける形でリンドーラの近くに立ち、彼女だけに聞こえる小さな声で言った。
「少しだけ、目を閉じてください。」
彼女がその通りに目を閉じると、唇に柔らかい感触を感じた。
リンドーラが目を開けると、すぐ近くに少しかがんで斜めになったカイアンの顔が、目があった。
龍の力に影響されない瞳。それは彼女の意志ではなく、彼の意志でそこにある。
リンドーラの目からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
カイアンはここで泣かれるとは思っていなかったので焦り、慌てて彼女の頭を抱き寄せた。
「待て!見えなかったぞ?今のもう一回だ!」
国王の苦情は軽やかに無視された。
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このお話はこれで終わりです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




