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名も無き龍が眠る地に  作者: 佐野ひかる
灰色の子供と迷宮探索
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4ー8 魔王の顕現


ひんやりと薄暗い半地下の洞窟の中で、ハースは嫌な気配を感じて目を覚ました。


寒さに強いはずの灰色の毛皮が冷気から身を守るように首の辺りで毛羽立っている。


少し離れた所にある入り口には暖かい光が満ちていて、外の緑が煌めいて見えることからも今が昼間であることがわかる。

天然の岩と土だけで作られた狭い洞窟内部には隠れるような作りもなく、内部には他に何も居ないことは確かである。

緩やかに下りながら奥へ続いている通路も、見える限り誰かがいる気配は無いし、他者の匂いも全く感じられない。


彼が怒りや悲しみを静かに消化する為に、安全な隠れ場所として選んだ洞窟ではあったが、どうしようもなく底冷えするような悪意を感じて、改めて辺りを警戒せざるを得なかった。


全てを憎み、厭う強い悪意。

生きとし生けるもの、動かぬ全ての存在、大地も空気も空も海も何もかも全てが自分の敵であるという強い拒絶。


彼はそれを知っている。

魔族としてかりそめの姿で生まれて、自我とともに最初にもたらされる感情だ。


目を開いてこの世界を認識して、彼には世界は暖かい光に満ちて美しく、なんでもあるように感じられた。

しかし、実際には人間達のコロニーは固く閉ざされていて、獣人族の姿のハースは受け入れられなかったのだ。


大人には穢らわしいものでも見るようにほうきで掃き出され、子供らにはシッポを掴んで捕まると、蹴って何かにぶつける遊びが提案された。


逃げて逃げて、ようやく一人になれたところで彼は気がついた。

この美しい世界に自分の居場所はない。

はなから自分など必要としていないのだ。


そして、この時初めて最初に与えられた憎悪の意味を理解した。


指を咥えて見ていることしか出来ない世界なら、奪う?壊す?作り変える?


魔族である彼にはそれだけの能力が与えられている。

小さな子供の姿を取りながらも、他者の感情を詳細に読み取り、自分の目的の為の最適解を選び出し、必要とあらば相応のエネルギーを代償に魔法も使うことができる。

姿を消したり変えたりする事は元より、他人の思考を書き換えたりする事などは初歩的なものに過ぎない。


獣人族もまた、わずかな意思の力のみで獣の姿と人の姿を行き来する事から、魔族の一端と見なされて人間達に忌み嫌われていた。

根本的に全く違う能力であったが、これまで彼らの間に入って誤解を解こうとする者など誰もいなかったのだ。


多くの魔族達は生まれてすぐに自分の役割を決め、大量の魂を集めて魔王となるべくその能力を使い始める。


しかし、中にはすぐにそういった行動に移らない者も存在した。

生まれたばかりのハースもまた、裏通りの片隅で人間達に与えられた体の痛みに耐えながら、自分の存在がこの世界に受け入れられない悲しみと、静かに折り合っていこうとしていた所だった。


あの時、彼は何かにそっと抱き上げられ、暖かく柔らかな感触で包まれた。

恐る恐る目を開くと、心配そうな眼差しでこちらを見る優しい目と、逆光の中、光をはらんで精密細工のように煌めく金の巻き毛がそこにあった。

その少女は彼に怪我が無いのか探る様に優しく撫でながら、まるで母親が我が子を抱く様にそうっと抱えていた。


他者の感情を読み取るのもまたハースの魔族としての能力の一つだったので、彼女が心の底から心配しているのがよくわかった。

そしてもう一つ彼は、彼女もまた、この世界では自分が異端であることに心を痛めている事を知ってしまった。


その瞬間に、自分の痛みや悲しみなど何処かへ飛んでいってしまった。


原初の憎悪も理解はしたが、今となってはどうでも良かった。

この世界に馴染めない者同士、彼女の味方になって助けたい。

それが彼の目標になったのだ。


-----


ハースが洞窟を出ると、ますます悪意は強く感じられる様になっていた。


さほど遠くない一点から発せられている強烈な悪意は、怒りであり、憎しみでもあり、悲しみでもあった。

散々抑え付けられた後に解き放たれた感情が瘴気とともに静かに周りの空気を蝕んでいく。


たくさんの人間達の気配も感じられるのだが、時間が経つにつれて濃くなって行くこの瘴気では、もう普通の人間には耐えられないだろう。


彼の周りでは命の危険を感じた小動物達が、瘴気から逃れようと自分とは反対の方向へ走り去っていくのが見える。


幸いというか、ハースは魔族なのでこれらの瘴気や悪意は何ともない。

ちょっと胃の辺りがムカムカする程度だ。


彼はその中心が何なのか見に行くことにした。


逃げ惑う動物達とは逆方向に、何ともない足取りで、だが不安でいっぱいになりながら近付いていく。


この現象は魔族の誰かが魔王になろうとしている時のものだ。

ハースの中にもその為の手順は刻み込まれている。


充分にエネルギーを集めた魔族は地下深くに篭り、迷宮を作ってそこに強い個体を誘い込む。

獣でも魔物でも人間でも何でもいい。

入り込んだ生き物は僅かな財宝を餌に地下へと誘導される。

弱い者はそのままエネルギーに変えられ、強い個体は依り代の候補となる。


やがて狭くなっていく迷宮の底で、生き延びた依り代の候補達は、蠱毒に使われる毒蟲達のように魔族の掌の上で選り抜かれていくのだ。


誰かが魔王になろうとしている。

これは魔族以外の全ての生き物達の危機を示している。


魔族を魔王として、平和的な支配は有り得ない。

彼らにとって自分以外の生き物は、魂というエネルギーを持ったエサに過ぎないからだ。

生きる為のエネルギーであり、また、強大な力を行使する為のエネルギーでもある。


そしてそこに加わるのが怒りや憎しみといった感情だ。

他者の負の感情は彼らにとって最上の味付けとなる。

他人の怒りや憎しみのなんと心地よいことか。


彼らはひたすらに負の感情を集め続ける。

まるで自分の抱えた憎悪を他人に支払わせるかのように。


ハースが悪意の中心に近付くにつれて、人間達のときの声や、金属同士がぶつかる音でうるさくなってきた。

この戦場に至るまでに既に疲れ切った者や、傷を負った者などからばたばたと倒れていく。

彼らが駆り出された戦争とは全く関係のない瘴気に懸命に抗いながら、そこに集結した屈強な者達は未だ戦いを続けていた。


そして、ひらけた場所の中心、倒れ伏せる多くの人間達の中心で、見たこともない巨大な生き物と対峙する金の巻き毛の人物を見て、ハースの灰色の毛皮全てが総毛立った。



ーーーーー


戦場の空気が一変した。


辺りに瘴気が満ち、弱っていた者や馬達が倒れる。

国王の乗っていた馬も泡を吹いて崩折れた。


徒歩になってしまった国王を喰らおうと、魔王は何度かおぞましい口をぶつけるが、強力な防御魔法で保護された王は全くの無傷であった。


ヴェダが「お下がりください!」と言うが、王は「弱った者の救出を先に。」と言ってその場を動かなかった。


「じゃあ他から頂きましょう。」

その時魔王は、倒れた者の救助を行なっていたユージーンを掴もうとした。


「危ない!」


横から突き飛ばされ、地面に放り出されたユージーンの目に、魔王の手から吊り下げられた灰色の狼が見えた。


「ユージーン、逃げて!」

狼の口から聞き覚えのある子供の声がする。


国王が駆け寄って、彼女を防御魔法の範囲に入れながら立たせた。


ユージーンは王に目もくれず、「まさか、ハースなの?」と、呆然と狼の姿を見ていた。


「早く、逃げて。」

ハースはそれだけを繰り返す。


魔王の口が狼に迫り、不気味な触手のような舌が灰色の獲物を絡めとり、無情に飲み下した。


「これはまた深い絶望、素晴らしいわ。」

満足そうな舌舐めずりが、魔王の口の中を見せ、彼が体の中に消えたことを知らしめる。


「いやああああああああああ!」


ユージーンの絶叫が響き渡り、国王が前に出そうになる彼女の腕を捕まえて下がらせる。


「ハースはアンタのエサなんかじゃない!返せ!」

「ユージーン、落ち着いて、彼は君の仲間なのか?」


「あの子は、私だ!…過去の私だ!」

涙が頬を流れるままに、言い切った。


辛い生だけを強要される私を助けて欲しかった。同じ苦しみの中にいる彼を助けたかった。

生きていても良い事なんて無いと思っていた私を助けて欲しかった。


生きてさえいれば良いと彼に教えてあげたかった。


ミサキの母と同じ事しか出来なかった。

結局、苦しみと悲しみだけ与えて死なせてしまった。


こんな事なら、なんか凄いチート能力でも貰っておけば良かった。

こんなただの子供じゃなくて、いざという時に大事な誰かを護れる力。


いまの私には何にもない。もう不思議なブローチも、取っておきの魔導器も無い。


勇気も何も出てこない。


やがて彼女が泣きながら「返して」とうずくまり、前へ出ようとしなくなったので、国王は彼女を後ろの者達に預けた。


国王が防御魔法の円から出て、魔王の前に進み出た。


「お前も、代わりに食われるの?その子になんの価値があるというの。」

「腹を壊さなきゃ良いが。」

「私はそんなヤワじゃないよ。」


魔王の口が次なる獲物に襲いかかろうと大きく開き。



それを国王が飲み込んだ。




彼は落ちてくる灰色の狼を受け止めようと手を伸ばし、受け止めた姿勢のまま地面に倒れこんだ。


倒れ伏しているのは狼と、茶色の髪の青年だった。

国王を助けようと駆け寄って来た騎士達は、目の前の事が理解できず、疑問符を浮かべながら青年を助け起こした。


魔術師のヴェダがやって来て、騎士達に「カイアン殿を王城へ」と指示した。

そして、灰色の狼に治癒の魔法をかける。


ようやく目の前のことを把握して、ユージーンが駆け寄って来た。


「ハース!」


彼は魔法のおかげで出血は止まり、少し元気そうにはなったが、身体中に噛み砕かれた跡があり、傷は塞がれたが体中ボロボロだ。


ユージーンに気がついて人間の姿に戻り、地面に横向きに横たわったまま彼は口を開いた。


「…せっかく、離れたと思ったのに、なんでいるの。」

「ハース、死んじゃダメ、帰ってきて…」

「聞いて、ユージーン、ぼく、本当に、やなんだ。大好き、だから、血、もう…」


「でもハース…」

「そこまでにしなさい。」


言い募ろうとしたユージーンに、黒髪の少女が二人の会話を遮った。

人間の姿のシルヴィールは、顔の前に指を一本立てる仕草を一瞬見せて、ユージーンに睡眠の魔法を使った。


ーーーーー


ユージーンは真っ白な世界に一人だった。

いつからそこでぼうっと立ってたのかわからない。


右足のあたりに何かがしがみついてくる感触があった。

見下ろすと、そこにはまだ小さなハースがしがみつき、服に顔を埋めている。

灰色の頭をそっと撫でてやると、顔を上げてユージーンの顔を見て嬉しそうに笑った。

当然尻尾もブンブンだ。


彼女の目の前には無表情で腕組みをするエルフがいて、こちらの反応を待っているのに気がついた。


「シルヴィール様、ここは死後の世界ですか?」

「君達はどうか知らんが私はまだ死んでおらん。」


ハースの頭を撫でていた手に力がこもり、彼女はずっと気にかかっていたことを尋ねた。


「ハースはどう…どうなりますか?」

「たったの一例だけでは有効なデータとは言えぬ。だが、そうだな。毒ヘビに宿る魂に毒があるわけではなく、魔族もまた肉体の問題だと仮定することができる。」


シルヴィールの話を真剣に聞くユージーンの、ハースを撫でる手が止まり、彼はもっと撫でろと手に頭を押し付けてくる。


「実験は延長だ。彼の魂の本質が悪であると判断出来れば殺す。魔王になろうとしても殺す。だが、そうでないならこの者の秘密は守られる。」

そう言って組んでいた腕をほどき、低い位置で手を差し伸べる。


ユージーンはしゃがみ込んでハースに話しかけた。

「良い子でいられる?」

「うん!はい!」

良い子の返事が返ってきた。


「じゃあ今はあの人について行きなさい。」

訳がわからないけど、彼女がそう言うならそうする、という感じでハースはこくりと頷いた。

てけてけと歩いて行き、ハースは差し出されたシルヴィールの手に掴まり、これで良いかと確認するようにユージーンを振り返った。


彼女は立ち上がり、しみじみと今まで思っていた疑問をぶつけてみた。


「シルヴィール様、あなたは何者なんですか?神様とかそういうもの?」


「お前達が持つ神のイメージならば、この様な事も全て指の一振りで済ませるのでは無いか?私は非常に面倒で苦痛なのだが。」

「申し訳ございません。」

とりあえず謝っておく。彼女にも面倒をかけた自覚はある。


「口だけで謝られてもな。お前の相手は疲れるので苦痛だが、時折面白く感じる部分もあったことは認めよう。」

「面白かったなら良かったです。」


「私が何者なのか分かったら是非私にも教えてくれ。この子は私の家にいるから早めに迎えに来てやるように。」

「はい。」

返事はしたものの、ユージーンは彼の家など知らない。


「…家?家ってどこですか?」

しかしシルヴィールもハースも、姿はどこにも見えなくなっている。


「エルフの王宮は違いますよね?ちょっと、教えてから行ってください!」

心持ち大きい声で呼びかけるが、答えはどこからも返ってこない。彼らがいた方に走り出すが何も見えては来ず、途方に暮れたユージーンは大声で呼びかける。


「ほうれんそう、雑って言われない?」


ビックリした父の顔に迎えられた。


「いや、言われたことはないが。」

ユージーンはベッドに寝かされていて、今、自分の声で目を覚ましたようだ。


「ごめんなさい、夢を見ていたみたいです。」


20190913 毛皮分加筆。偶然でも誕生日おめでとう。

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