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名も無き龍が眠る地に  作者: 佐野ひかる
灰色の子供と迷宮探索
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4ー6 疾走

次の休暇も、ユージーンはハースの元を訪れた。


ベッドで布団に丸まり、隠れているつもりのハースに声をかける。

「ハース、元気でいましたか?」


彼は答えない。

丸まった布団の上に彼女が手を置くと、中身がすすっと後退し、それを避ける。


布団の中からくぐもった声が聞こえる。


「…ユージーンなんか嫌いだ。やな事ばっかりする。」

「ばっかりではありません。」

「ぼくが出来ない事ばっかりさせようとする。」

「食事だけじゃないですか。他は何も強制していません。」

「ぼくをここに置いてどっか行っちゃうじゃないか。」


布団ごと頭を上げて、涙目のハースがこちらを責めるように見た。

ハースはまた一回り大きくなっていて、もうすっかりユージーンと同じ歳に見える。


「それは…ごめんなさい。人間の国に連れていけないのは…」

「私のせいじゃない」と言おうとしてやめた。


人間の国で獣人族がどの様に扱われているのか、彼女は見ていないし納得出来ないことは説明もできない。


「嫌いな私の血なんて飲んでしまえば良いじゃないですか。他の人のはダメですよ。」

ユージーンは左の腕をまくり、ハースにぐいっと差し出した。


ハースはそれには答えず、歯を食いしばって彼女を睨みつける。

だがその程度の視線など、ユージーンには痛くも痒くもない。


「分かりました、リンドーラにお願いします。」

ハースはリンドーラの、絶対に抗うことを許さない強い視線を思い出してベッドから飛び退った。


「やだ!ユージーンの意地悪ババア!大っ嫌いだ!」

ハースは部屋を飛び出して行き、憂鬱なユージーンだけが残された。


彼女はずっと悩み続けてキャンプ地でも眠れない日々を過ごしていた。

夜、横になっても鬱々と考え込み、明け方近くにやっと気を失うのが彼女の睡眠時間だ。


主の居なくなったベッドの上に身を投げ出し、ぽつりと愚痴を漏らす。


「誰のためだと思ってるのよ全く…」

質の良いシーツに彼女の涙が染み込んで、それと共にすとんと眠りに落ちていった。


ーーーーー


ユージーンはまた、ミサキであった頃の夢を見ていた。


「そうか、ミサキは物語が好きか。」


そう言えば昔は、父が病院に来た時はよく話をしていた。


この前談話室で借りた本は続きの巻が無くて残念だとか、タンスの向こう側が見たくて、病室の棚に入り込もうとして看護婦さんに怒られたとか、夢の中のミサキは一秒も無駄にしないように喋り続けていた。


父が彼女のもとを訪れられる曜日は限られているし、その時彼女が話しが出来る体調とは限らないからだ。


だが、その時発作がミサキを襲い、心臓が鼓動を打つのが痛くて言葉が止まる。

急に頭が割れるような脈動に揺さぶられ、真っ青な顔で頭を抑えて縮こまった。


父は慌ててナースコールを押し、大勢の看護婦の向こうに父の姿が見えなくなる。


いつしか病室に静けさが戻り、しばらくしてして父と母が静かに話す声が聞こえた。


「すまなかった、あの子が喜ぶからつい。」

「…気持ちはわかるから。でも、あの子にとって楽しみが無くても、いつか治療法が見つかるまで、辛くても生きて欲しいの。それで憎まれたとしても。」

父は答えなかった。


「もう、あの子を興奮させるような話はしないで欲」


「ユージーン!」


急にこちらに呼び戻された。

マルフィンとリンドーラがユージーンを掴んで揺さぶっていた。


「ハースが居なくなったの!」


ーーーーー



ユージーンなんか大嫌いだ。

ユージーンなんか大嫌いだ。

ユージーンなんか大っ嫌いだ。


森の中を走っていくぼくを、エルフ達は驚いたように見るが、狼の姿のぼくに彼らは決して追いつけないのを知っている。


肉球と爪がしっかりと地面をつかみ、エルフの宮殿はみるみる後ろに小さくなっていく。

外の季節はもう冬になろうとしているが、ぼくの毛皮はそれをむしろ涼しくここち良いとさえ感じる。


ユージーンなんか大嫌いだ。


困ったようにぼくを見る空色の目なんか大嫌いだ。

ふわふわ揺れる金色の毛皮も大嫌いだ。

ぼくを寝かせる前に額の毛並みを撫でる指も大嫌いだ。

人間の血なんか大嫌いだ。

それがユージーンのものならなおさら嫌いだ。


森の中のゲートの前に人間達が見える。

長い棒を持ってはいるが、そんな物に触れられるぼくじゃない。

視線がこちらに向いていない間に、足元をするりとくぐり抜けてやる。


ザマアミロだ。これだけ遠くに来たらきっともうユージーンの血なんか飲まなくて済む。

誰も知らないところで何にも強制されず、ただの狼として暮らすんだ。


ぼくを見て微笑むユージーンなんか大嫌いだ。

抱きしめて優しく撫でるユージーンなんか大嫌いだ。

ぼくは本当にそれだけは口にしたく無かったのに。

それを強制するユージーンなんか大っ嫌いだ。



何回心で強く思っても本当にならない。


なんでぼくはこんな風に生まれてきた?


ぼくが本当に嫌いなのはぼくだ。

血を飲まなくては生きていけないばけものの自分だ。


かなり遠くまで来たように思う。

手足はヘトヘトでもう持ち上げるのも億劫だし、尻尾も力なく垂れている。

鼻先にひんやりした土の匂いを感じ、そこで見つけた洞窟に身を隠す。


もう、眠ってしまおう。

何なら他の動物の命になって、ぼくなんか消えてしまえばいい。


ぎゅっと小さくなって眠ろう。


ーーーーー


かつてネルスと名乗っていた存在は、地下深くで今までに蓄えた力を弄びながら、少しずつ形を変えようとしていた。


人間達にちょっとしたきっかけを配ることで、彼らは負の感情を増幅させて返してくれる、とても楽しい作業だった。


でも、それももう終わり。

もう、そんなちっぽけな悪意は必要無いのだ。


彼女の大きな畑には戦争という作物が実ろうとしている。

怒りが、憎しみが、絶望が、人の死が、全て甘美な収穫物として彼女に降り注ぐ。


この達成感。やはり人間は良い。


やがて彼女は肉体を失い、ドロドロの精神体だけになって取り込んだ魂と溶け合っている。


迷宮での選別はもう少し時間がかかる。


地上近くでは弱い魔物は強い魔物に倒される。冒険者が探索に来ることもあるだろう。

生き延びた強い個体は深い階層に降りてくる。

その中でも強いものだけが下へ下へと降りてくる。


そうしてやがて奥底で眠る、彼女の手が届くところへとやってくる。

選ばれし強い魔物か。勇者と呼ばれるに価する者か。


だが、それよりも近くに素晴らしい器があった。迷宮の外だが届きそうだ。


それでは、手に入れた魂を私の力に変えましょう。

これは時間がかかるもの。

魂達は抵抗する。押さえつけ、すり潰し、私という存在の為に消費される喜びを教えてやる。


器に彼女の手が届いた。

美しさはないが強く、これ自体も憎しみや孤独などの強い負の力に満ちている。


完璧な私に相応しい。


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