4ー4 ハース
魔族にはいくつものパターンがあるという。
魔族には決まった容姿が存在しない。悪魔のイメージのようにツノや尻尾があるわけではない。
人間の形であったり、動物の形であったり、エルフや他の種族の姿だったりもする。
そして、人のように普通に食事を取りながら成長し、不快な感情や悪意をご馳走として力を貯める者や、それ自身が恐ろしい魔物として人々に恐怖を与え、それを糧にする者がいる。
「それでもまだ全てではない。魔族を研究しようとするものは皆殺されているし、資料はほとんど残されていない。」
ユージーンは泣きながら逃れようとするハースを捕まえ、顔をきれいに拭いてやると、再びベッドに寝かせた。
マルフィンは彼女に手を貸すことはなく、扉によりかかるように立ち、彼女のすることを黙って見ていた。
ユージーンはハースの目を怪我のない方の手で塞いでやり、心を落ち着かせる精神系魔法の一つを使った。
手の下から溢れてくる涙がやがて止まり、しゃくり上げていた呼吸がゆっくりになって、彼が眠りについたことが分かった。
「どうしよう、どうしたらいいの。魔族ってなんなの。この子、殺さなきゃいけないの?」
マルフィンはなんとも答えることができずに、ただ彼女を見ていた。
これまでの常識に照らし合わせて考えれば、この子は即座に殺すべきだ。
人々に不和をまき散らし、諍いを煽り、人の命や悲しみを糧として、やがて魔王となる者。
かつてエルフであったマルフィンはその恐ろしさを知っている。
一体何人のエルフ達が魔王討伐のために命を落とした事だろう。
一時は本当に地上は地獄と化し、生命は一気に数を減らした。
その後は教訓を生かし、人間もエルフもこれまで何人もの魔族を葬ってきた。まだロクな働きをしていない者でも容赦なく殺した。
マルフィンにはこの子だけが見逃される理由が思いつかない。
ハースは確かに抗っていた。
この子は吐き戻すとわかっていて何度も皆と同じ食事を口にしようとした。
その間空腹に耐えながらも決して他の者からも血を取ろうとはせず、ユージーンに会えるまで水以外は何も口にしなかった。
今ユージーンの目に写っているのは眠るハースではなく、食事を取るに取れなかった前世の自分だ。
意に反して体が食事を拒み、胃が勝手に食べ物を押し戻すのはとても体力を消耗する。
呼吸もままならず、こみ上げる胃液が喉を焼くあの感覚が蘇る。
ユージーンの目に涙が盛り上がり、世界がゆらゆらと滲んでよく見えない。
彼女はゆっくりと振り返り、シルヴィールを見て声にならない言葉を絞り出した。
「お願い、…助けて。」
シルヴィールは何の感情も浮かべず、眠るハースを見ていたが、深く息を吸いながら目を閉じ、少し考えてから口を開いた。
「…性善説と性悪説を知っているな?」
確か中国の思想だったと思う。ミサキだった時に母から聞いたことがある。
「はい、人間の本質が元々善であって、後から悪に堕ちたり染まったりするという考え方と、その逆の物だったと思います。」
「それを彼で実験しようと思う。」
マルフィンは初めて聞く思想に感心していたが、ユージーンにはシルヴィールが言わんとすることが既に伝わっているようだ。至極真面目な顔でその言葉の続きを待っている。
「これからは、お前がこの者の世話をする。彼の本質が悪であると判断出来れば殺す。魔王になろうとしても殺す。だが、そうでないならこの者の秘密は守られる。」
今しばらくの間だけは見逃すから、何か方法を考えろという事だ。
「…それ以上は無理だ。」
シルヴィールの口から出る言葉に、ユージーンの願いに対する最大限の譲歩が込められているのが彼女にもわかった。
ユージーンは涙をぬぐい、シルヴィールに頷いてみせた。
「分かりました。やれるだけやってみます。…ありがとうございます。」
ユージーンは眠るハースの手を自分の手で優しく包み込み、何かに祈りを捧げるように目を閉じた。
ーーーーー
「やだああああああああああ」
ハースの泣き声が小さな部屋に響き渡る。
相変わらず彼は食事が出来ない。
ユージーンもイライラしてつい大声になってしまう。
「嫌だじゃないでしょ、食べないと死んじゃうのよ?」
「やめてええええええええええ」
彼が背を向けて逃げようとしているのは、普通の食事からでは無い。
左腕の袖を肘までまくりあげたユージーンがハースを捕まえる。
これまでの生活を全て体力に全振りしてきた彼女に、水しか飲んでいないハースが敵うわけがない。
ハースは口元にユージーンの腕を押し付けられ、涙でぐしゃぐしゃの顔を背けながら必死の抵抗をする。
「ごめんなさい、もう食べ物吐かないから、頑張って食べるからやめてえええ!」
マルフィンはとてもじゃないが見ていられない。入り口の扉の前に立って目を瞑っている。本当は耳も塞いでしまいたい。
リンドーラは目の前の光景に言葉も出ない。子供の悲痛な、本気の叫び声が胸をえぐるようだ。
小さくうずくまるハースを捕まえたユージーンが、リンドーラの方を見てすまなそうな顔で声をかける。
「ごめんね、リンドーラ、お願いできる?」
彼女はユージーンがハースに食事を強要するのを見るのはこの時が初めてだったが、彼女達はもう何度も何度も様々な試みを尽くし、最終的に龍の力に頼るしかなくなったのだ。
リンドーラは、嫌がる子供を押さえつけても、憎まれても嫌われても彼を生かしたいという彼女の覚悟を知った。
私は彼女を尊敬する。覚悟を持って行動する強さを尊重する。
「効くかどうかは分からないけど、やってみますね。」
リンドーラが泣きじゃくる彼の肩を掴み、「ハース」と呼ぶと本能的に彼はそちらを見た。
彼女と目が合って、彼の瞳が大きく開かれる。
「食事をしなさい。」
すると彼は嘘のように大人しく、ユージーンの手を取った。
だがその後、決して強くはないリンドーラの力は彼の瞳の中から失せ、後悔と絶望の叫び声が小さな部屋を埋め尽くした。
ーーーーー
迷宮探索のサポートの仕事に戻るために、ユージーンは再びキャンプに帰ってきた。
ユニコーンが引くエルフの馬車で国境まで送って来られたが、ユージーンはぼうっとしたまま馬車を降りなかった。
次にタバークの村まで送って来られたが、やはりユージーンは微動だにしなかった。
最終的に直接キャンプ地でエルフ達に手を引かれて、まるで国賓のように下された。
そんな彼女を見て周りはざわめいたが、ユージーンの目や耳には何一つ入ってこなかった。
彼女の手には、荷物とは別に小さな写真立てがあり、そこに写っているのはユージーンとマルフィンとリンドーラが、まだ小さいハースを囲んで笑っている。
マルフィンから、何かあったらこれに話しかけろと渡された、最初の休暇の時に撮った写真が入った魔導器だ。
写真はあまり鮮明なものではないし、ハースは動いてしまってピントがズレてしまっている。それでもこれはまだ幸せであった時の大切な思い出の品だ。
握りしめると左の腕が痛む。治癒魔法で跡形もなく怪我は消えているのに、ハースの涙の感触が、じくじくと浸みている気がする。
ユージーンは貧血のせいでくらくらする。
彼の元を離れる前に彼女の血をたっぷり飲ませてやったからだ。
彼が生き続けることを望んだのは彼女だ。他の者に血を提供してもらうなんて頼める訳がない。
正気に返った後の彼の怒りは相当なものだった。
だが、それがどうしたと言うのだ。
私はあがく。本当に逃れられない結末を突きつけられるまで何度でも。
例え彼に憎まれたとしてもだ。
様子のおかしいユージーンを皆が心配して、キールが連れてこられた。
何度も泣いたことが分かる充血した目を見て、彼は妹の背中を優しくぽんぽんと叩いた。
「お前が志願した仕事だよ。」
ユージーンの目に力が戻った。びっと姿勢を正し、兄の目を見返した。
「大丈夫です、キール様。ただいま休暇より戻りました。原隊復帰いたします。」
ユージーンは正しい見習いとしての姿に戻った。




