4ー3 王の護衛
国王の朝は遅い。
朝と言うには遅い時間に起きて、まずコーヒーを飲みながら官僚たちと打ち合わせをする。
打ち合わせと言っても一方的に官僚や年寄りたちから、あれはどーするこれはどーすると突き上げられるだけである。
これが一番辛いが、幸いにも食事の時間は絶対に守られていて、昼近くに昼食をとり、午後はずっと執務室で仕事。
夕食の時間は来客があることもあり不定で、その後も執務室で仕事。
深夜部屋に仕事を持ち帰り、明け方まで大体仕事。
日が昇る頃気を失って、またゆっくり目の時間に起きる生活だ。
来客がなく、国王が一人で食事を取る時はカイアンも一緒に付き合わさせられる。
カイアンは食事の必要はないが、人間の食べ物が好きなのは知っている。
喜んで食べる者がいると少しだけ楽しくなる事もあって、彼が来てから少しだけ国王の食事量も増えた。
しかし時々王も仕事に飽きるのでカイアンに絡む。
「今私が何をしているか知りたいか?」
「知りたいです。」
国王の顔がふっと明るくなり、内緒話を打ち明けるように話し出す。
「じゃあ特別に教えてやろう。」
基本が分からない者に、わかるように丁寧に説明するとき、国王自身の理解も深まる事がある。
時々説明を離れて話しながら急に考え込み、彼が自分の世界に入っていってしまうことがある。
そんな時カイアンは視界から離れるようにゆっくりと下がって、王をそのままにさせておく。
国王には休日が無かった。人間が人間を休まないように、国王は常に国王だった。
彼が実現したい理想は山のようにあり、またどれだけの時間を自分が持っているのか分からなかったし、後継者が居たとしても引き継げない内容だった。
言葉で表せない理想を他人に託すより、彼自身が頑張って理想を実現したほうが早いと考えたからだ。
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カイアンの朝は早い
朝の早い時間は国王は眠っているので、騎士寮の運動場へ行って剣の鍛錬をする。
誰かしら騎士の者が訓練に来ているので、お願いして手合わせなどもする。
彼らが担当の配置につき始める頃、風呂を使って身だしなみを整える。
その頃、国王が目を覚まして打ち合わせに行くのを嫌がるので、なだめたりすかしたりしながら会議室に閉じ込める。
会議中はずっと部屋の中の警備で、それが終わると昼食。
最近は食事を国王に付き合わされて一緒に食べてはいるが、これでも最初のうちは護衛の仕事があるからと断っていたのだ。
その日のメニューは運悪く手で持てる様なおかずだった。
カイアンは食事の必要はないが、基本的に人間の食事はおいしいので好きだ。
国王の後ろに立って、黙って護衛の任務につくカイアンに、鶏の唐揚げを手にした国王が「おいしいぞ〜」とか「私はこれ好きだな〜」とか意地悪をしたのだ。
ある日ついに、それをバクッとやった。
やっぱり袖も少し食べてしまった。
初めて見る「竜の口」に国王は固まったが、叫び声をあげないだけの分別はあった。
「本当においしいです。」と冷静なコメントをした彼に、次の日からは最初から相伴するよう命じた。
そして午後も基本的に仕事をする王の護衛。
来客の出迎えや見送りに付き従うこともある。
客との夕食の約束がなければまた国王の相伴。
私室に戻る前に風呂を使う国王を護衛しつつ、「チカン!」とか「エッチ!」とか意味のわからない罵声を浴びせられ、石鹸や風呂桶を投げつけられるのはもはや彼にとってのルーチンワークである。
いつもは「はいはい」と言いながら、それらを受け止めて片付ける彼が一度だけ、にっこり笑いながらキャッチした石鹸を、洗い場の床に叩きつけて粉砕してからは、国王もちょっとだけ自重を覚えた。
それから窓の無い私室に戻った国王の警護。
国王が毛足の長い敷物の上に置かれた小さなテーブルで、足を投げ出して仕事をするのを部屋の入り口あたりで見ている。
その中でも国王は進めたい仕事の資料だけ持ってベッドに入っていく。
やがて寝息が聞こえるようになると、国王の寝具を整えて明かりを落とし、静かに部屋を出る。
そしてまた朝の鍛錬に向かうのだ。
ある日、当然と言えば当然なのだが、あまり体調が良く無かった王が、側近の誰かが持ち込んだ、ちょっとした風邪のような病気で寝込んでしまった。
この世界は魔法と医療の合わせ技で、怪我や多くの状態異常はすぱっと治せてしまうが、やはり、ある程度の病気となると休息や睡眠が必要とされた。
治ってもすぐまたかかってしまっては意味がないのだ。
仕事を没収され、魔法によって眠らされた王の私室に深夜、黒髪の少女が現れた。
人間の姿のシルヴィールだ。
この時間は城の者達はみな寝静まった後で、従者のディールも今はおらず、護衛としてついているのは眠る必要がないカイアン一人だった。
「バカめ。この世界の転生者はチート能力など無いのに無茶しおって。」
国王を「バカめ」と言い捨てるのはこの者くらいのものだろう。
それは決して蔑みではないことをカイアンは知っていたので、くすりと笑いを漏らした。
少女は脈を診たり熱を計ったり、口の中を覗き込んだり鼻を摘み上げたりデコピンを食らわした後、「普通の風邪だ。休めば治る。」と言った。
彼は本人には聞くに聞けなかった疑問を口にした。
「シルヴィール様、これは何かご存知ですか?」
国王の私室で、久しく手の付けられていないキャンバスを指して尋ねた。
「これは、彼の前世での家族だ。突然引き離され、写真もない世界に来てしまったため、せめて絵でも描こうとしたのだろうが、ご覧の通りの出来栄えだ。」
国王には絵心がなく、そういう者にとって見本となるもの無しに一から肖像画を描くのは非常に難しいのだろう。
「私が、彼らを見ることはできますか?」
「その願いは高く付くが良いのか?」
「はい。」
「よろしい。」
少女がカイアンに触れる。
国王の私室の風景が、別の風景と重なって二重に見える。
目を閉じるとまぶたの裏の暗闇が、見たことのない眺めに変わった。
気の強そうな女性と二人の子供が、飾り気の少ない、しかし清潔に保たれた家でゆっくりと座りながら、今度の休みにどこかに行く話をしている。
「本当に休めるの?またノートPC宿に持ち込むのやめてよね。」
女性は笑いながら過去の出来事をあげつらった。
「お父さんがいれば天気の心配ないんだから、私、牧場見に行きたい。」
少女はテレビで見たばかりの観光牧場を推した。
「牧場?馬、乗ったり出来るかなあ?今やってるゲームでね、馬に乗るのすごく楽しいんだ。」
少年は手に持ったゲーム機から顔をあげて、少女の提案に乗った。
カイアンには彼らが何を言っているのかさっぱりわからない。
しかし、そこに見える光景に堪らない程の愛情を感じ、彼らを抱きしめたい気持ちで胸がいっぱいになる。
これは彼の感情では無いだろう。これを見ていた前世の国王の記憶の中の感情だ。
今のこの世界は、彼らが居なくなって何千年と経った後だ。
愛する者達に二度と会えない寂しさがカイアンの胸を打ち、強烈な孤独感が苦しいほどに心を締め付ける。
彼の中のカイアンの意識は、この悲しみを知っている。
そして、唐突にまぶたの裏は暗闇に戻り、現実に戻ってきた。
「ありがとうございます。」
彼は少女に深く頭を下げ、自分のものではない涙に視界を奪われながら、カイアンは絵の具を手に取った。
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ユージーンは次の休暇も、マルフィンの元に向かった。
国境を通る時、エルフの国に堂々と入っていく彼女を、人間の衛兵達は心配そうに見送っていたが、侵入者に気付いて現れたエルフたちは「またお前か」という感じで渋々王宮へと案内した。
ハースはちょっと見ないうちに大きくなっていた。
いや、「ちょっと」とはほんの数日前のことである。
ほとんど幼児だった彼が7、8歳の男の子になっている。
しかし、ユージーンは獣人族には詳しくないので、こんなもんかと思ってそこはスルーした。
「良い子にしていた?」
「うん!はい!」
良い子なので返事は訂正した。言葉もだいぶ滑らかになっている。
「みんな良くしてくれている?」
「はい。」
何故かハースのテンションがだんだん下がってきている。
ユージーンがマルフィンに尋ねるように振り返る。
「ハースは良い子だし、みんなと仲良くやっているわよ。でも。」
彼女の心配を読み取って、マルフィンは一瞬口ごもったが正直に話した。
「この子みんなと同じご飯が食べられないの。食べても吐いちゃう。」
「獣人族は食べるものが違うの?」
「そんなはず無いわ。でも、何度試しても食事を一切受け付けなくて、結局水しか口に出来ないのよ。」
テンションが下がったというよりは、ユージーンに会えて嬉しさのあまり走ってきたが、食事が取れず体力が無いせいで、だんだん動けなくなっているような感じだ。
ついにはハースは真っ青になってしゃがみ込み、ユージーンの手を掴んで泣きそうな顔で見上げている。
二人はハースを寝台に運び、ユージーンは彼の額の毛並みを優しく撫でてやった。
「マルフィン、ハースは何かの病気なのかしら…」
「だとすると私には分からないわ。病気には詳しくないもの。」
「シルヴィール様は何かご存知かしら。」
「そうかもね。でも、ユージーンがいる間は決して姿を見せないと思います。」
ユージーンの思った通り、やはりワザと姿を隠しているようだ。
「そう、じゃあその辺のエルフを一匹捕まえて居場所を吐かせるわ。」
「頼むからそういう事はやめてくれ。」
エルフの姿のシルヴィールが、すぐ近くの物陰からしぶしぶ姿を現した。
「では、ハースがどうしてご飯を食べられないのか、教えていただけますか?」
「この情報は高くつくが?」
「構いません。」
シルヴィールははあっと強いため息をつき、「どいつもこいつも自分を安売りする」と呟いた。
彼はユージーンの手を引いて、ハースが寝かされているベッドに近付いた。
そして、引いている方とは反対の手で、ユージーンの手を浅く切りつけた。
彼女の手にみるみる赤い筋が浮かび上がり、ぷくりと膨れてハースの頰に血が一滴滴り落ちる。
するとハースは目をかっと見開き、血が滲み出す彼女の手を両手で押し頂くように掴み、傷口にかじりついた。
血が吸い出される感触に、ユージーンは痛みよりも恐怖を感じていた。生まれて初めて、怖いものを感覚的に知った。犬でも人でもなく、血を吸う生き物とは?
夢中で食らいついていたハースが、自分が摂取しているものに気が付き、口の周りをユージーンの血で真っ赤に染めながら、ベッドから跳ね起きた。
そして部屋の片隅に飛んでいって頭を抱え、小さな声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながらうずくまった。
「彼は魔族だよ。」
シルヴィールの冷静な言葉が他人の話し声のように遠くから聞こえた。




