1ー10 来客
それから数日後、二人が暮らす部屋にシルヴィールの姿があった。
食卓の方で読み書きを練習しているところに、急に居間に現れた黒髪の少女は「様子を見にきた。」といつも通り見た目の子供らしく無い口調で言った。
カイアンは扉が開かなかった事を驚いていたが、マルフィンは慣れているように頭を下げた。
「シルヴィール様、今日は幼女ですね。」
「ようじょ」
カイアンは初耳の単語を繰り返す。どこからか、軽く手を叩いたような音が聞こえた。
「この身体はスタミナが無くて使いにくいから鍛えないといけない。」
「すたみな」
黒髪の少女はプンと口を尖らせて答えた。
「まあ可愛らしいこと。でしたら栄養も必要ですね。」
「かわいらしい」
マルフィンがカイアンにアレコレと指示を出し、テーブルに三人分のお茶とケーキが並んだ。
「教育は進んでいる?」
マルフィンは少し考えて答えた。
「家の中ではまあまあ大丈夫です。決まった挨拶や言い回しは滑らかになったけど、自分の言葉で話すときはまだまだ言葉選びが難しい感じですね。」
「すみません。」
「謝る事ないわ、言葉選びは経験で作り上げていくしか無いんだから、時間かけて頑張りましょ。」
「はい。」
「当面の間は無口なキャラに徹してもらって、ウチでは私と会話の練習ね。」
「きゃら」
「順調のようだね、何か足りないものとかは無いか?」
「ああ、でしたらあの魔法の鏡をお借りしたいのですけど。」
「どの魔法の?」
「映った自分の姿をもう一度見返せるやつです。」
「あれね、後で届けるが、何で?」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにマルフィンの目がカッと見開かれた。
「この子姿勢が壊滅的に悪いのです。油断すると両肘を左右に張って猫背で歩くんです。注意した時だけ直るけど、自覚して貰わないと外にはとても出せません。」
「かいめつてき」
マルフィンが両肘を広げて前かがみになりガニ股で歩く様子の真似をした。竜ならばそう歩くのだろうけど、人間の姿でこれはヒドイ。
「ごめんなさ…」「ぶふぉっ!」
突然シルヴィールの後ろに別の青年の姿が現れた。癖のある金髪でマントに隠れてはいるが身なりの良いその青年は、シルヴィールの座る椅子の背もたれで体を支え、口を押さえてはいるが震えながら全身で笑っている。
マルフィンはほんの一瞬びっくりした様子であったが、カイアンに真似をしろと目配せを送り、床に片膝をついて頭を下げた。
「陛下」
「ああ…、喋るなと言ったのに」
「ぐふっ…最初の「ようじょ」の時点でもう限界だったのだ。」
シルヴィールは跪く必要はないと手で合図し、隣の空いた椅子に青年を座らせた。彼はまだ笑いが止まらないようで、真顔に戻ったり時々笑いがぶり返したりと、表情を取り繕おうと頑張っている。
マルフィンは立ち上がるなり素早く彼の分のお茶を用意し始めた。
同じくお茶菓子の用意を手伝っていたカイアンがマルフィンに小声で訪ねた。だが、同じ室内で小声と言っても限度がある。
「マルフィン、こちらの偉そうな方は王様なのですか?」
再び青年が盛大に吹き出した。茶器を取り落としかけたマルフィンはカイアンを肘でどつき、叫ぶような勢いの小声で注意する。
「本当に偉い方に向かって偉そうと表現してはいけません!」
「わかりました。」
もう声が出ない勢いで涙を流しながら笑い続ける彼を横目に、シルヴィールは来訪の目的を淡々と説明し始めた。
「もう知っているようだがこちらはウェルド国王陛下。本日は「ホムンクルスを見てみたい」との事で無理やりお忍びでついてきた。」
「おしのび」
「確かに嘘偽りなくその通りだが、こうして聞くとバカっぽいな。私のことはウェルで結構。」
お忍び中の仮の名のようだが、マルフィンを見ると小さく首を横に振り、使うなと合図をしている。
「これはただの見学者だから放っておいて構わない。マルフィンから報告を聞いた後に、少し検査などさせてもらう。血を取ったりもするが構わないか?カイアン」
「はい、大丈夫です。」
シルヴィールとマルフィンははリビングのソファに移動し、何やら書類を広げたりしながら報告や打ち合わせをしているようだ。
カイアンがふと視線を戻すとウェルは彼のことをじっと見つめている。少しずつ視線が動いている様子から、自分に何か違いがないか探しているとわかった。
「何か人と変わっているところはございますか?」
「うむ、無いな。全く違いなど無い様だ。」
「最初の命令が「人の形」でしたので。」
「形か…ふーむ。その方の「竜の形」を見せてもらいたいのだが…」
カイアンは天井を見上げ、少し考え込んだ。外に出ても通りをいくつも破壊するだろうし、屋上は物干し程度の広さしか無い。
「ここでは出来ません。」
「大きさの問題か?小さくは出来ぬか?」
カイアンはまた少し考え込んだ。「人の形」を取ってから、あれから一度も「竜の形」には戻っていないが、あの時はどうだったか?
「服が壊れますが、ご命令であれば。」
しっぽと翼の分を考えて、手の平くらいの大きさならばなんとかなるか?
「では今はやめておこう。」
意外とあっさり引き下がってくれた。
それからずっと質問攻めだった。手のひらを掴まれてじっくり調べられたり、口をこじ開けられたり、髪の毛を一本引っこ抜かれて懐から虫眼鏡を出して観察されたりもした。
「ホムンクルスというのは珍しいものなのですか?」
「私は君以外に知らんな。シルヴィは知っているかもしれんが、錬金術の資料を全部出していたところを見ると恐らく他にいないだろう。」
「れんきんじゅつ」
「古代の知識より遥か昔のとうに失われた学問だ。卑金属から金を生み出したり、ありふれた物から生命を生み出そうとしていたらしい。人間が夢を見ていた時代の黒歴史だよ。」
「くろれきし」
「なぜ今なんだろうな…」
ウェルは言いかけた言葉をつぐみ、カイアンを見ているようで、何か別のものを見ているようだった。
マルフィンの報告が終わり、カイアンがシルヴィールに呼ばれた。
長い方のソファにカイアンを寝かせ、シルヴィールはぺたぺたと熱を計ったり脈を見たり採血したりしていた。
「私は確か、君に「人の形を取れ」と命じたな?」
「はい。」
「形ではなく、前のカイアンの体を再構築することは出来るか?」
「まえのかいあんのからだをさいこうちく…」
考え込むようにカイアンの視線が宙に浮き、少しの間の後身体を少しだけ捩り、絞り出すような声で言った。
「で、できませ…」
「無理にはしなくていい。楽にしなさい、診察は終わりだ。」
力を抜いたカイアンの目から涙がこぼれた。
「済まない、そんなに大変だとは思わなかった。」
「カイアンが嫌だと…これは彼の涙です。」
「…彼の意識がまだそこにあるのか?」
「はい。記憶や知識を使うのは勝手だが、それ以上はダメだと、激しい悲しみと怒りが…止まりません。」
彼は一度挫折感を味わった以外に殆ど感情を揺らしたことがない。だから彼の中のカイアンの感情は強烈で抑えがたいものに感じてしまう。まだこころは生まれて一年も経たないのだ。見た目が成人男性なのでついそのように扱ってしまったのはシルヴィールのミスだ。
「そうか、彼にも謝ってる事を伝えてくれ、以後気をつける。」
カイアンは小声で「はい」と返事しながら止まらない涙を両手の袖で拭い続けている。シルヴィールはマルフィンに何か暖かく甘い飲み物を出すように言って、窓から街を見下ろしているウェルのところに行った。
改めて全員がテーブルに着くと、鼻と目を真っ赤にしたカイアンが、マルフィンに指導された通りに「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。」とたどたどしく述べた。シルヴィールが声をかけるよりも先に、ウェルは陽気な声で話し始めた。
「気にするな、急に手土産もなく押しかけたにもかかわらず、面白いものまで見せてもらったのだ。ポケットマネーで褒美をやろう。何を望む?」
「ぽけっとまねー」
「貴方のポケットなんて無いでしょうが。勝手な事を言わないように。」
「じゃあ爵位でもやろうか?」
「しゃくい」
「そもそもこの国には貴族制度はありません。」
「きぞくせいど」
「ごめんなさい、カイアン。私にもこの二人が何を言っているのかわからないのです。」
カイアンが初耳の単語を拾っているが、マルフィンはふるふると首を横に振り、二人して意味不明の会話が収まるのを見守るしかなかった。
「マルフィン、其方の望みはなんだ?王位でも王妃の座でもとりあえず口にして見るが良い。今なら口煩い年寄りも居らぬ、なんでも聞き流してくれよう。」
「その辺は要りません。」
マルフィンの被せ気味の返答にウェルは信じられない様子で「振られたぞ?」とシルヴィールを振り返り、彼は当然とばかりに頷いた。
「私は最大の望みが叶ったばかりですので、今のところこれと言った不自由はしておりません。ですので、次にお見えになるときは美味しい手土産を希望します。」
「そっ、それだけか?」
「それだけです。」
ウェルは二人の少女を代わる代わる見つめ、改めてシルヴィールに「二度と来んなって事ですよ」と言われ、打ちひしがれた顔になった。だがもう一人いる。気を取り直してカイアンに優しく呼びかけた。
「カイアン、欲しいものはないか?金でも力でも美人の嫁でも、とりあえずは言うだけ言ってみるがいい。」
「びじんのよめ」
苦虫を噛み潰したような顔でシルヴィールがウェルの提案を退けた。
「陛下、彼は一見大人の体つきと独特の思考回路で会話も成立してはおりますが、生まれて一年も経っておりません。赤子に金や力や美人の嫁が要りますか?」
「あれっ今嫁って言わなかったか?」
マルフィンが小声で「初耳の言葉でございます。」と付け加えた。
「あ、そう…。」
せっかく脳内でカイアンに合いそうな年頃の娘たちを検索していたが一歳では該当者は0だ。可愛らしいだろうが美人かどうかはわからない。
カイアンは面白がるようにウェル見ていた。尊大な態度や振る舞いではあるが、こちらを下に見ているような不快さは無い。
相手をしているシルヴィールが特別なのか、国で一番偉い人間がこのように天真爛漫な性格とは思わなかった。
カイアンは思いついたように「陛下、あのう」と言いかけた。発言を求める正しい言い方が分からなかったが、今ならきっと怒られないと思った。
「何だ?言うだけならタダだぞ?」
案の定ご機嫌で飛びついてきた。国王はさっきから望みを言えとは言ってはいるが、望みを叶えるとは一言も言っていない。だが、何か提案しないと進まないようなので、カイアンの願いを一つ言ってみた。
「みんなが幸せに暮らす事を望みます。」
国で一番偉い人なら、なんとかしてもらえるだろうと言う浅い考えからの言葉ではあった。
ウェルの顔が困ったような笑顔で固まった。言われたことが飲み込めていないような、把握しても手段がない選択肢を提示されたような、複雑な面持ちで黙り込んだ。
シルヴィールはさっきまで「ヤダヤダ望みを聞くまで帰らない」と駄々をこねていた国王が、黙り込んで動かなくなったのをいいことに、マントでくるりと梱包し、「邪魔をしてすまなかった。」ときた時と同じように消えた。
嵐は去った。
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夏の祭りが各地で祝われている頃、ようやくカイアンはマルフィンの合格を得て、次の段階へと進むことになった。宿屋の部屋を引き払い、カイアンは近衛兵見習いとして騎士寮へ、マルフィンはもともと住んでいた家に帰っていくそうだ。
旅立つ前日、マルフィンはシルヴィールから預かってあったカイアン宛ての手紙を渡した。中には王城への紹介状と、手紙には「ウェルを守ってやってほしい。」とだけ書いてあった。別紙には兄ランケイドにも知らせるようにと住所が書かれてあった。
それと合わせて、マルフィンの写真が入った手の平ほどの額縁をくれた。
「遠く離れて住んでる妹ってことにして、たまには手紙でもちょうだい。宛先はシルヴィール様のところでいいから。」
カイアンは有難く「先生を妹だなんて恐れ多いですが。」と荷物にしまい込んだ。
別れ際、記憶にある家族よりも親身に取り組んでくれた彼女との、師弟の関係が終わってしまう事に、孤独の寂しさとは違う別れの寂しさを実感した。
「今までありがとうございました。シルヴィール様にもよろしくお伝えください。」
「その辺で隠れて見てるんじゃ無いかしら?貴方は一番の生徒でしたよ。」
「年齢と言う意味でですか?」
「そう、一歳は私史上最年少よ。」
くすりと笑いあい、二人は別々の道に歩き始めた。
一章はここまでです。読んでくださってありがとうございます。