カミッラ正妃にご挨拶を!
クリス達と別れると、南棟にある第二謁見室に向かう。明るい昼の陽が差し込む廊下で、デュリオ王子は自分が携わる政について、目を輝かせて話してくれた。
国の仕組みは勿論、旧国の租税の制度の盲点、収穫の適正値、周辺国との貿易。勉強嫌いが周囲の評価だったけど、そんな様子を見せない深い内容に驚く。
「たくさん勉強してらっしゃるんですね」
デュリオ王子が珍しく戸惑ったような表情を浮かべる。
「……レナートや文官からの受け入りだ。政に興味がない。苦手なのは知っているだろ? お前の件でグレゴーリ公爵と繋がりができたし、役目が終わったら騎士の手伝いを志願してみるか」
目を逸らして笑う横顔には、嘘の影が見えた。
優秀だったのに、レナート王子を気遣って、デュリオ王子は勉強を避けるようになった。
レナート王子は王らしくと無理をして、デュリオ王子は王らしくなくと無理をする。レナート王子が我慢してきた事、デュリオ王子が我慢してきた事。
周囲が二人を比べる中で、選んできたことを想うと胸がちくりと痛む。
一瞬落ちた沈黙に、グレイが誰かを呼び止める声が聞こえた。
窓に近寄るデュリオ王子を私も追いかける。窓から下を見下ろすと、裏庭にレナート王子を追いかけるグレイの姿が見えた。
「今日も、レナートはグレイに追いかけられているな」
デュリオ王子が小さく笑い声を漏らす。
足早に歩くレナート王子は顔を顰めていて、嫌がっているのは明らだった。レナート王子だった私がグレイと仲良くなった所為なら、これは婚約破棄に対する細やかな復讐と言ってもいいだろう。
「レナート王子のあからさまな表情は珍しいですね。凄く嫌そう……」
「ああ。変わり者の度が過ぎると嫌がっている。だが、感情を表に出せる相手がいるのは、あいつにとって悪くないと俺は思う。変わり者だがグレイは頭も切れて、悪い人材ではないしな」
デュリオ王子が窓を開けると、足を止めたレナート王子がこちらを仰ぎ見る。私と視線が合って、紫色の落ち着いた瞳が一瞬揺らいだ気がした。
「グレイ。あまり追いかけると、レナートに城への出入りを禁止にされるぞ」
「されてます。でも、入ってますけどね。レナート王子は何が楽しいんですかね? 僕が息抜きをさせてあげないと、ずっと机にかじりついて人生を無駄にしてるんですよ!」
窘められたグレイが抗議の声を上げる。束の間、重ねた眼差しを逸らしレナート王子がデュリオ王子に笑いかける。
「デュリオ。騎士団からの依頼の件は、私が出る事に決めてきた。不在の間は君に全てを任せるから宜しく頼むよ」
事も無げに告げた言葉に、デュリオ王子が窓から身を乗り出す。
「馬鹿な事を言うな。あの件は俺が行くといった筈だ」
あの件。騎士団からの依頼。何事だろうと、レナート王子とデュリオ王子の顔を交互に見つめる。
「新しく追加の条件が出たんだ。私の方が適任だから行くよ。君が旧国派をみてくれたお陰で、教会派も落ち着きを見せている。いい機会なんだ。苦手と言われている分野で、手柄を上げて求心力を高める」
不満げな顔で口を開こうとしたデュリオ王子に、レナート王子が会話を断ち切るように手を振って踵を返す。追いかけてじゃれるグレイをあしらう背中が、東棟へ消えるのを見送ってデュリオ王子の服の肩をそっと引く。
「騎士団の依頼って何ですか? デュリオ王子は、何を任されるのですか?」
苦々し気に舌打ちをして、デュリオ王子が少し乱暴に私の肩を抱いて歩き出す。
「バルダート第二街道にあるラントの街の森で、虚鬼が確認された。その討伐に俺が出るつもりだった。それをレナートが行くと言い出した」
処刑の前日にムルデから入った一報を思い出す。あの時は偵察隊を出すという話だった。討伐が決まったという事は、複数という目撃証言が誤りじゃないと確認できたのだろう。
胸に不安が広がるのを感じながら、どうしてと首をひねる。
レナート王子は国王陛下の代理だし、落ち着いたといえ教会派は安泰と言えない時だ。
遠征で手柄を立てれば、デュリオ王子に劣ると言われ続けてきた武芸での評価は確かに上がる。だけど、今なんて……。
黙り込んだ私の頭を、デュリオ王子の大きな手が撫でる。
「あの馬鹿は後で説得する。お前が心配するな」
頷こうとしたけど、そうする事は出来なかった。レナート王子がいかなければデュリオ王子が行く。
虚鬼は元々は人だけど、理性も何もかも失って襲い掛かってくる。枷が外れたように魔力も力も強くなり動きも読みにくいから、歴戦の騎士が苦戦することもあるという。
滅多に現れない虚鬼が複数出て、国の王子が討伐に出る。この国には、まだ何かが起こり続けているのだろうか。
どこか晴れない気持ちを抱えて謁見室に辿り着くと、まずは身支度を整える。
ドレスに皺はないし、リボンに捩れはない。両手で顔をよく揉んで笑顔を作る準備をすると、デュリオ王子が額を小突く。
「婚約者の母に会う前に、顔を揉む女はお前ぐらいだな」
頬を膨らますと同時に、扉がゆっくり開く音がして背筋をまっすぐに伸ばす。
茜色の髪に、深い緑の瞳を包む凛々しく強い目元、強情そうに引き結ばれた情感のある唇。デュリオ王子は国王似だと思っていたけど、改めて見るとカミッラ正妃にもよく似ている。
デュリオ王子から半歩下がって、カミッラ正妃の近くへと進み出る。足を止めると緊張に汗ばんだ手で、ドレスの端を摘まんで一礼する。
「ご無沙汰しております、カミッラ正妃様。リーリア・ディルーカ、参上いたしました。お召し頂き光栄です」
月並みだけど無難な口上を述べて顔を上げると、値踏みするようだったカミッラ正妃の瞳が柔らかな弧を描く。
「急な呼び出しに、良く参りましたね」
美しい笑顔で告げられた歓迎の言葉に驚く。
嫌われているのは分かっていたし、今回の婚約は事後報告になる。絶対にまずはお叱りの言葉が来ると思っていた。
カミッラ正妃に聞こえない小さな声でデュリオ王子が囁く
「気を抜くなよ。安心していると喰われる」
母親に対して酷い言い草だと思うけど、カミッラ正妃にまつわるあれこれを思い出すと頷けてしまう。
旧国の中でも最大と呼べるバルダートから、カミッラ正妃は自ら進んで輿入れしてきた。その理由は嘘か真か分からないけど、この国の国母となってセラフィンを手に入れる為と、社交界ではずっと囁かれてきた。
実際、政に度々口を挟んで旧国派の躍進を生み、正妃としてだけでなく旧国派の支柱として強い権力を持つ。国王陛下とは式典でも、絶対に目を合わさない。権力のみで一緒にいるのが納得の状況である。
デュリオ王子が私の肩を抱いて引き寄せる。
「母上への報告が事後になった事、まず詫びします。改めて、リーリア・ディルーカ伯爵令嬢と先日婚約をしました」
デュリオ王子に揃えて再び一礼すると、私を見つめてカミッラ正妃が鷹揚に頷く。
「結構です。リーリアとの婚約を歓迎します。少し女同士の話をするので、外しなさいデュリオ」
「断ります。愛しい婚約者を一時も離したくないので」
いつもなら赤面しそうになる言葉だけど、すっと細めたカミッラ正妃の眼差しに、顔は赤くなるより青くなる。でも、次の瞬間。気の所為だったかのように華やかな笑顔で、カミッラ正妃が私に話しかける。
「リーリア。母と呼ぶ事になる私と、二人で話すのが嫌ですか?」
まさか嫌とは断れない質問に首を振る。
「そんな事はございません。ただ、カミッラ正妃様は素晴らしい方ですので、一人では気後れしてしまいそうです」
「ならば、余計に慣れて貰う必要があります。娘になる令嬢と共に、婚儀のドレスを選ぶのを私は大変楽しみにしています。さぁ、デュリオ。早く外へ出なさい。母と婚約者の貴重な交流の邪魔だてをするな」
一歩も引かない正妃の発言にデュリオ王子を見ると、取り繕う事もなく思いっきり顔を顰めていた。
デュリオ王子の性格を考えれば、折れる事はないだろう。だからと言って、カミッラ正妃が折れるとも思えない。日常で二人が対立する姿を想像すると、周囲の人の苦労が偲ばれる。
覚悟を決めて声を潜める。
「デュリオ王子、カミッラ正妃様とお話します」
「やめとけ。自分の親だが、あれは魔物に近い生き物だ」
酷い言葉なのに、少しだけ吹きだしてしまう。こんな風に笑えるのは、言葉の割にデュリオ王子の声音に冷たさを感じないからだろう。案外。この親子は仲が良いのかもしれない。
「カミッラ正妃様、女同士のお話をさせて頂きます。デュリオ王子、お外に出て下さい」
にっこり微笑んで告げると、諦めたようにデュリオ王子が息を吐く。
「知らないからな。外で待つから、何かあったら叫べ」
そう言って、おでこを軽く叩くとデュリオ王子が踵を返す。
知らないと言う癖に、何かあったら叫べなんて矛盾している。扉の向うに消えていく背を温かい気持ちで見送って、カミッラ様を振り返ると表情が一変していた。
さっきまでの、上機嫌は何処へ行ったのかと思うような憮然とした表情で、カミッラ正妃が私を見下ろす。
「遅い。私がデュリオを追い出せと言ったのだから、すぐに対応なさい」
飲まれたように首を縦に振ると、私を吹き飛ばすように大きく息を吐く。
「まぁ、よい。今のところ婚約にけちをつけるつもりはない。ディルーカ伯爵の娘であるのは癪ですが、馬鹿じゃない事には期待してます。初めに行っておきます。リーリア、デュリオの妻として王妃になる覚悟はしておきなさい」
婚約や妻という言葉への恥ずかしさが、たった一つ『王妃』という言葉で吹き飛ばされる。
次の国王はレナート王子で、デュリオ王子ではない。これは国王陛下の決定だ。どんなに旧国派がデュリオを国王に望んでいても、デュリオ王子は決して自らは望まないだろう。
黙り込んで見上げた私に、カミッラ正妃が深い緑の瞳を細めて射るような眼差しを向ける。
「黙って不満そうに見つめる目が、父親にそっくりで気に入らない。言いたい事があるのなら、言葉になさい」
「では、申し上げます。私は、王妃にはなれません。次の国王はレナート王子と言うのが、現国王陛下のご決断です。デュリオ王子も受け容れている事を周囲が覆そうとするのは違うと思います」
気圧されるような威圧感に、負けないようにしっかりと顔を上げる。
レナート王子の立場、デュリオ王子の思い。思う事はいくつもある。
だけど、今日の二人のやり取りには、所々昔と変わらない空気が確かにあった。すぐではなくても、今日の延長線に『また、いつか』が叶う日がある筈だ。
カミッラ正妃がドレスの越しでも長いと分かる足を組んで、無表情で自分の唇を人差し指でゆっくりと叩く。
「私に素直に異を唱える者は久しぶりです。気骨があるのは認めます。でも、まだ幼い。貴方の目に移る世界は、本当に正しいと言える? それは、誰かが作った嘘かもしれない。そんな風に考えた事はありますか?」
「嘘……? 私の目に映る世界……」
入れ替わりで……レナート王子になって初めて見えた事実が、いくつも頭に過ぎって思わず視線を伏せてしまう。
カミッラ正妃が長い足をゆっくりと組み替えて、膝に肘をついて僅かに身を乗り出す。
「十日しか生まれの違わない二人の王子。予定通りならデュリオの方が早く生まれる筈だった。でも、不幸な事が起きてレナートが先に生まれてしまった。正妃の子で、より優れた才を持つデュリオ。本当に王になるべき者を差し置いて王になる。レナートは、本心から今の状況を望んでいると思う?」
目を閉じると瞼の裏には、悲し気なレナート王子の顔ばかり浮かんできた。
レナート王子は、出会ったころから時々悲し気な顔をした。年を追うごとに、デュリオ王子と比較する声を耳にする事が増えて、その回数は明らかに増していった。
そんな、幼い頃のレナート王子の手には、何時だって努力の証があった。傷の多い手は握るだけで必死な状況が伝わってきたから、デュリオ王子もきっと気付いていただろう……。
全部が僕よりもできるんだ。溜め息交じりに幼いレナート王子が告げた言葉。
政など好きじゃないさ。目を逸らして今のデュリオ王子が答えた言葉。
どちらがより多くの才能に恵まれたのか。追うものと追われる者。
子供心にも、痛々しいと感じた事が何度もあった。
そして、あの外苑での出来事……。跪いて私の手を取った苦し気な顔を、一度だって忘れた事はない。
今にも壊れてしまいそうな様子で、涙を流している事にも気付かずに、必死に私に側で支えてと縋っていた。
レナート王子自身が、本当に王位を望むのか。レナート王子は、ただ望まれただけではないのか。
側に居て私は何を見てきたの?
ゆっくりと目を開けて、まっすぐにもう一度カミッラ正妃の瞳を見つめ返す。
「レナート王子が、苦しんでいたのは知っています。でも、苦しくても頑張ってきました。結果が出た事を喜んだ事も、次の事を一生懸命に語っていた事も知っています。だから――」
「だから? 貴方は誰の婚約者? 私も鬼ではありませんからね。まだ、情が残るのは許してあげる。でも、デュリオの為に、いづれは切り捨てられないのでは困る。王が戻り次第、私はレナートの『廃太子』を願いでます」
『廃太子』という言葉にすぐに首を振る。
「できません。祖父であるアベッリ公爵が失脚しても、レナート王子が責任を負わされる事はありません。セラフィンの歴史上に、王太子親族の謀反は何度もありました。いずれも、王太子本人が一線を引けば、『廃太子』には至っていません」
分かってたから、最後までデュリオ王子に頼らず、レナート王子の手で捕縛する事に拘った。
結果的にはデュリオ王子に助けてもらったけれど、グレゴーリ公爵が闘技場のテラスで拘束されたレナート王子を見ている。
この状態で、『廃太子』に持ち込めるはずはない。
「歴史の勉強はきちんとしているようね。でも、歴史は過去の事で未来も同じ判断とは限らない」
限らないなんてことない。おおよそは、過去を見て同等の判断をする。異なる判断になる事の方がよっぽど少ない。
「何かなさるつもりなのですね?」
答えはないと分かった上で口にした問い掛けに、カミッラ正妃様が艶やかな笑顔で口を開く。
「虚鬼の討伐には聖女を同行させるように、騎士団に忠告しました。この国には祭祀という、王が『奇跡』を願う仕組みがあります。王がいない今、奇跡を頼むなら聖女に頼るべきでしょう」
あの時、レナート王子が言っていた、新しい条件とはきっと聖女の同行の事だ。
私かソフィア。どちらかを連れて行くならば、答えは明らかだ。私は処刑の時に一度水を生み出しただけで聖女としての実績はない。
もっとも、私の場合は魔術だから、ソフィアの様な本物の奇跡は起こせない。
「ソフィアしかいない。彼女なら婚約者のレナート王子が討伐に出る可能性が高まる。そう考えたんですね、カミッラ正妃様。レナート王子不在の間、国王代行の仕事は第二王子のデュリオ王子が引き受ける。この先に、何をお考えか知りませんが、次第によっては『簒奪』です」
はっきりと告げると、赤い唇を人差し指で撫でながら、カミッラ正妃が私を見つめる。深い緑の瞳に浮かぶ色は複雑すぎて、何を思うのか全く読む事ができなかった。
「可愛げのない子。でも、貴方はいつか私と同じ立場になる。知らなかったは通じない。知らなくても、物事は動いてその責任は自らが払う事になる。見習いの聖女の貴方は、まず聖女について勉強なさい。確か、ソフィアの生まれは王都の修道院。探して日頃の態度など、よく聞いてらっしゃい」
カミッラ正妃が、私に向かって下がるようにと手を払う。
ドレスの裾を摘まんて一礼すると、デュリオの待つ廊下に足早に向かう。
デュリオはこの話をどこまで知っているのだろうか。
カミッラ正妃の、『貴方の目に移る世界は、本当に正しいと言える? それは、誰かが作った嘘かもしれない。』その言葉が耳の奥に残ってなかなか消えなかった。




