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処刑が始まりました! 


 『私』の処刑を止めなければ、『私』が消えてしまう。

 レナート王子はどうなるの?『また、いつか』の約束は?

 お願いだから、誰か私を助けて。

 

 重く強引な眠りの中で必死に叫ぶと、苦し気な声が漏れた気がした。

 もっと、もっと動いて目覚めなくては必死に願うと、暖かく柔らかい手の平が額をそっと撫でる。

 懐かしくて甘えたくなるような母の感触に、思わず涙が零れそうになる。


 お母様のいる懐かしい昔からやり直せたらどんなにいいだろう。

 もう一度なら、私は何処で違う道を選ぶのか、何を選ぶのか。


 泣きだしそうな紫の瞳と、力強い深碧の瞳が交互に浮かんで必死に手を伸ばす。

 

 目の前が明るくなって目覚めると、青紫の瞳が柔らかな弧を描いた。


「お母……様……? ……ううん、母上様……」

「お母様と呼ばれるのは久しぶりね。 苦しくない? 魔法の所為なのか、とてもうなされていたわ」


 慌てて起きようとしたけれど、思ったように体に力が入らない。体の半分がまだ眠っているような感覚が、意識を失う魔法の影響なのは二度目だからすぐにわかった。

 目だけ周囲を見渡す。シルヴィア二妃らしい繊細な部屋には、明るく高い日差しが差し込んでいる。


「昨日は? 処刑は? 審議会は?」


 昼が近い事は、日差しが示している。処刑は既に始まっているか、もう終わってしまっている可能性が高い。

 私の剣幕に戸惑った表情で、シルヴィア二妃が小さく首を傾げる。


「政の事は良く分からないから、審議会の事は知らないわ。一旦お仕事に出たお父様……お爺様が戻ったのは深夜遅くで、とても疲れた顔をなさってた」


 アベッリ公爵が出たのなら、私の望み通り緊急審議会は開かれた。戻ったのが深夜なら、期待通りに紛糾した筈だ。

 腕に力を入れて、無理矢理に体を起こす。ただ座っているだけでも、身体が重く息苦しい。


「結果は? 何でも構いません。何か、アベッリ公爵は何かを言っていませんでしたか?」


 浅い息で必死に問うと、シルヴィア二妃が安心させるように微笑む。


「何も心配いらないわ、レナート。お爺様は、大丈夫だと言っていました。ストラーダ枢機卿の事も、いづれ元に戻して下さると約束して下さったわ」


 心配いらない? ストラーダ枢機卿が戻る?

 失敗を悟って震えだした身体を両手で抱く。


 審議会には政に直接関わらないデュリオ王子もグレゴーリ公爵も参加出来ない。だから、私が処刑を迷う者達の先頭で、声を上げなくてはいけなかった。


 強く、強く唇を噛む。全ては私の責任だ。

 シルヴィア二妃の元へ来るという間違った選択をした。間違えずにアベッリ公爵と対峙できていたら、どうなったのだろうか。

 そう思った瞬間、震えが止まった。怒りとか悔恨とか嘆きとか、いくつもの暗い感情が交じり合いながら恐怖の代わりに湧き上がってくる。


 こんな形で終わってしまうなんて嫌だ。必死に頑張ったのに失うなんて酷すぎる。

 私の責任で全てを壊して、失ったレナート王子の姿で生きる。私は自分を一生許せない。 


 激しい呵責に、力の入らない拳を握りしめて重い腕を上げる。泣いて叫んで行き場のない感情を叩きつけてしまいたい。

 そう思って、拳を振り下ろそうとした時、扉が開く音がした。

 顔を向けると、鷲鼻の目立つ顔を顰めたアベッリ公爵と視線が交わる。

 

「なんだ、起きていたのか。腕を振り上げてどうした? 闘技場に向かうぞ」


 闘技場? 数日の間は、闘技場では『私』の処刑だけしか予定されてない。微かな希望に息を整えて、ゆっくりと手を降ろす。


「処刑は、まだなのですか?」


 こちらに向かって歩きながら、苛立たし気にアベッリ公爵が舌打ちをする


「面倒なことをしてくれた。昨夜はお前を支持する者と、儂の意見を支持する者に分かれて大変じゃった。儂の意見を通すのに深夜まで掛かってのぅ。処刑の開始を昼に延期せざるえなくなってまった」


 一瞬にして身体から力が抜けて、ベッドに倒れ込む。

 まだ、間に合う。終わってなんかない。

 暗い感情を握りしめた拳を開いて、両手で思いっきり自分の頬を挟むように叩く。本気の平手打ちに、室内に清々しい程いい音が響いた。


「レ、レナート! 突然、どうしたのですか?」

「大丈夫です」


 酷い隈のある顔で心配そうに頬に手を伸ばしたシルヴィア二妃の手をそっと掴む。

 シルヴィア二妃には不満がたくさんあるけれど、我が子に向ける愛には間違いない。シルヴィア二妃という味方のいる今、出来る事はしておくべきだ。 


「母上様。魔法の所為で、身体が重くて喉がとても渇いてます。甘える事が許されるなら、私は酸味のある果実水を飲んでから出掛けたいです」


 弱々しく微笑んでシルヴィア二妃にお願いすると、アベッリ公爵が鼻を鳴らして冷たい目で私を見下ろす。


「何を甘えた事を! 早く参るぞ。お前には事の顛末を見届けさせて、今一度すべき事を理解してもらわねばならぬ」


 苛立たし気にアベッリ公爵が私の腕を掴むと、シルヴィア二妃がその手を払いのける。


「お父様! レナートはこんなに弱っているのに、頑張ると言っているのですよ。時間が早いと言っていたのだから、少しぐらいは許されるでしょう?」


 大人しい二妃の珍しく強い態度に、アベッリ公爵がたじろぐ様に一歩下がる。

 孫のレナート王子には冷たいけど、娘のシルヴィア二妃には弱い所があるようだ。不承不承と言った様子でアベッリ公爵が頷く。


「少しだけじゃ。シルヴィアには分からぬだろうが、我々も色々大変なのだ」


 振り返って、私の意向を伺うシルヴィア二妃に嬉しそうな顔で頷く。


「少しで構いません。母上様、顔を拭く為のタオルとお水をお願いします。身支度を整える見苦しい所はお見せたくないので、アベッリ公爵も外に出て頂けたら嬉しいです」


 苦々し気に顔を顰めたアベッリ公爵の背を、シルヴィア二妃が扉の方へと押す。アベッリ公爵が何度か振り返って睨んできたが、素知らぬ顔で首を傾げて微笑み返す。


 扉が閉まって一人になると、ベッドから這い出で立とうと試みる。

 立てない事はないし、歩けない事はない。でも、大立ち回りをして『私』を助けるのは厳しい。


 残された道は、アベッリ公爵の不正の証拠だけ。

 昼ならば、迂回行路の最短二十時間は経過している。もしもの時は、デュリオ王子に頼るようにグレゴーリ公爵には伝えてある。だから、きっと何とかしてくれる。

 明るい太陽の様な笑顔が頭をよぎると、気づかないうちに祈るように手を組んでいた。


 願うばかりでは駄目と、固く組んだ手を解く。私にも、まだ悪あがきが一つだけできる。

 シャツの袖を手早くまくり上げると、指先に魔力を集めて一つの術を書く。

 『私』の処刑道具を見た時に、いくつかの資材の端に小さく水を出す術式を書いた。発動すれば、火を消す事が出来るだろう。

 でも、『魔女』と呼ばれた私が禁忌の魔術を使えば、魔女の手管と煽ってしまう恐れもあるから、できるだけ使うのは避けたい。


 シャツの袖を元に戻すと、胸元のボタンを留めて襟を正す。

 機会を待つ為にも、従順な振りをと自分に言い聞かせていると、扉が開いてアベッリ公爵とシルヴィア二妃が戻ってきた。

 弱々しく笑って、水を一杯のみほすとアベッリ公爵にしおらしく微笑む。


「これで、少し心が落ち着きました。アベッリ公爵、いつでもお連れ下さい」


 もうすぐ『私』の処刑の幕が開く。

 一度は終わってしまったと諦めかけた。でも、終わってなかったのならば、もう最後まで絶対に諦めない。どんなに不運が続いても、私の意志が続く限りは勝機がなくなるわけじゃない。

 『また、いつか』の為に、こんなところで終わって堪るか。

 



 闘技場は、王都の南の端にある。

 セラフィン王国が周辺の七割を取りまとめた百年前に出来た。かつては騎士と騎士の戦いも行われたらしいが、今は闘技には殆ど使われていない。代わりに芝居や旅芸人の舞台など、娯楽の為の場所として民に親しまれている。

 民の楽しむ場所で、『私』の処刑なんて悪趣味極まりない。でも、血生臭い事が時に人を熱狂させる。


 重たい足を引きずるようにして、王家のバルコニーに立つ。

 闘技場の真ん中には、小さな木々が詰まれた中心に、小さな足場のある柱が立てられていた。あの柱の小さな足場に『私』が立って、体を縛り付けられた状態で火が放たれる。

 煙と炎に飲まれる姿が頭をよぎると、身体が恐怖に震えて冷たくなっていく。


 私の姿を見つけて、歓声にレナート王子の名を呼ぶ声が混じる。見下ろした溢れそうな観客は、残酷な内容の為か男性の姿が圧倒的に多い。


 私の隣に立ったアベッリ公爵が、慈悲深く微笑んで民に向かって手を振る。さっきとは全然違う表情に、老獪と言われる男の底知れなさを見る。

 

「レナート、お前も笑って手を振れ。儂が良いと言うまで、決して手を降ろす出ないぞ」


 促されて何とか笑顔を作ると、優雅な手つきで思い通りにならない手を振る。

 意識を使う魔法を使った本人だから、私の体の辛さは十二分に理解している筈だ。なのに、下ろさずに手を振り続けろとは、扱いが本当に酷い。


 銅鑼を連続で打ち据える音が闘技場に響くと、途端に民の声が静かになって、アベッリ公爵が私の手を降ろさせる。


「さて、処刑の始まりだ。次期国王らしく胸を張って見るがいい」


 そう言って、アベッリ公爵が一歩下がる。

 再び銅鑼が大きな音を立てて鳴ると、黒い礼服の貴族が中心へと歩み出てきた。

 白い書状を掲げて円形の舞台の上を、一周する様に歩き回る。それから中心に立つと、朗々と大きな声を上げて『私』の罪を宣言する。


 ありもしない罪状に苛立って、思わずバルコニーの柵を握る手に力が籠る。嘘がまかり通るなんて絶対にあってはいけない。

 

 闘技場の四方に一カ所ずつある扉を見つめる。今すぐ扉が開いて、不正の証を持ったデュリオ王子がグレゴーリ公爵と共に現れてくれないかと願う。

 でも、罪状と審議の結果を告げる儀式が終わっても、扉が開く事がなかった。


 民の間から、自然と『魔女』と呼ぶ声が幾つも上がって、それが重なって大きな一つの糾弾する声に変わる。


「魔女! 魔女! 魔女! 魔女に火炙りを!」

「魔女! 魔女! 魔女! 魔女に処刑を!」


 叫ばれる無慈悲な声を払うように、一度銅鑼が打たれる。ドアが開くと、罪人の黒のドレスを纏った私が姿を現した。

 騎士に連れられた『私』が歩き出すと、歓声が次第に静かになっていく。

 

 長い紺青の髪を靡かせて、同じ色の瞳がまっすぐ前を見つめる。決してうつむかない横顔には、凛とした気高さと気品があって、民の前に立つレナート王子の姿が重なった。

 優雅な足取りに、処刑を望んだ人々の間から感嘆するようなため息が落ちる。

 

 あの場にいるのは『私』ではなく、レナート王子。目の前の姿に、その事実を思い知る。

 失うのは一つではなく二つ。『私』の体とレナート王子の心だ。

 

 俯いた私の背を、アベッリ公爵が強く打つ。


「王たるものが身を縮めるな。真っ直ぐに立て」


 手を降ろすして姿勢を正すと、手首に冷たい感触がした。小さく鍵の音が響く。

 腕を動かすと太ももに何かが触れて、金属の重なる音が響く。視線を落とした手首には、鎖に繋がれた細い腕輪が着けられていた。


「これは――。何をするんですか!」


 背中に渡した鎖で自由を奪われた両手を必死に動かすと、細い腕輪が手首に食い込んで痛みが走る。睨みつけると、アベッリ公爵が鷲鼻の下の口を悪辣そうに歪める。


「あれだけの抵抗をしたのじゃから、念を入れたまでだ。その腕輪には、魔力を抑える力がある。魔法で娘を助け出す事も出来まい」


 踵を返すと重い足を引きずって、扉の方へと向かって走る。体とごと扉にぶつかって、身体をこすり付けて後ろでで扉の取ってを掴んだけれど、どんなに動かしても扉が開く事はなかった。

 必死の私の姿を余裕の表情で見つめながら、アベッリ公爵が声を立てて笑う。


「何をしても無駄じゃよ。処刑が終わるまで扉は決して開かないし、お前は身動きも制限されて何もできない。大人しく、娘を贄にした狼煙を共に見ようぞ」

「冗談じゃありません! 私は絶対に嫌です!」


 ゆっくり私に近づいたアベッリ公爵が、私の肩を壁に押し付ける。


「――っぅ」


 痛みに一瞬顔を顰めると、年老いてなお力強い手が顎を捉えて鋭い眼差しで私を見る。


「我々は今日、必ずお前を王にしなくてはならない。時間がない事はお前が一番よく知っているだろう?」


 時間がない。同じような事をストラーダ枢機卿も言っていた。何を『教会派』はそんなに焦っているのだろうか。

 既にレナート王子は王太子として認められているし、デュリオ王子は元々王になる事を望んでいない。


「時間ですか? 心配しなくても、次の王はレナート・セラフィンです」


 私の言葉に、鷲鼻に皺を寄せてアベッリ公爵が鼻で笑う。


「心配しなくてもとは、悠長じゃな。お前は自分が何のために生きているのかを忘れてはいけない」


 乱暴に腕を掴むと、闘技場が見下ろせる位置へアベッリ公爵が私を引きずっていく。


「レナート。その名を与えられたお前は、次の王だから良い暮らしをして、よい教育を受けた。目上の者も力ある者も、お前が王だから跪く。愛する者もお前を王だと信じ、母は我が子だからと愛してきた。お前には、お前を信じたものに報いる義務がある」


 手すりの側へと押されて見下ろすと、既に『私』……レナート王子は、処刑台の心もとない足場に立って柱に後ろ手で縛り付けられていた。

 種火となる松明をもった騎士が処刑台へと近づくと、不満げにアベッリ公爵が唸る。


「旧国の娘が、気品をみせおって腹立たしい。飲まれたような静けさは気にくわぬ。魔女は魔女らしく、怒号の中で死ねばいい」


 私の腕を放すとアベッリ公爵がバルコニーの中心に立って、低い声で観衆である民と貴族を扇動する。


「今日、厄災たる『魔女』が裁かれる! セラフィンに安寧を!」

「やめて! 『魔女』なんかじゃない!」


 私の叫びは、沢山の観衆の叫びに掻き消される。


「魔女! 魔女! 魔女! 魔女に火炙りを!」

「魔女! 魔女! 魔女! 魔女に処刑を!」



 再び始まった激しい『魔女』を弾劾する声が、始まりの銅鑼となった。『私』の処刑台に種火が投げ込まれて、小さな火が足元を紅く照らす。

 アベッリ公爵が、残酷な色を帯びた笑い声を漏らす。


「すぐには殺さんよ。これは始まりの狼煙じゃから、火の勢いは調整してある。少しずつ民の心の興奮を煽る様に、ゆっくりと炎は広がる。さあ、よく見ておれ! お前が何を願っても、何をしようが決して私の邪魔はできん。それを心に刻むと良い」


 バルコニーの手すりから、身を乗り出して必死に叫ぶ。


「やめて! やめて! やめて!」


 叫んだ声は人々の声に飲まれて、誰にも届かない。





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