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反撃してみます!

 騎士団のグレゴーリ公爵の部屋に着く。中に入ると数名の騎士と共に、広げた地図を見下ろしていたグレゴーリ公爵が顔を上げる。

 険しい表情から、悪い事態が起きている事は容易に推測ができた。


 退出を命じられた騎士達と、入れ替わるように向き合う位置に立つ。

 大きく広げられた地図に目を落とすと、所々に大きな印が書かれている。


「ムルデ駐屯地から二つの報が入りました。先に対応が容易な方をご報告します。ムルデの北、バルダート第二街道沿いで虚鬼の目撃証言が複数出ているそうです。偵察隊を出しますが、宜しいですね?」

 

 虚鬼は年に数回しか出現しない。どの話も噂でしか知らないけれど、いずれも一人で複数の目撃の話は聞いたことがない。


「複数なのですか?」

「その様です。いずれも、森の中の小さな集落にほど近い場所に集中しております。明日の件が片付いたら、早めに対策をとった方がいいでしょう」


 私が『魔女』に仕立て上げられる時期に、虚鬼の目撃が重なるなんて、これも罠なのだろうか。

 

「分かりました。采配はお任せします。では、もう一つの報告をお願いします」


 頷いたグレゴーリ公爵が、地図のヴィンテの丘より少し王都よりの一帯を指でなぞる。


「ムルデの駐屯地から、川の氾濫と土砂崩れの一報がありました。昨日の王都での雨は一時でしたが、ムルデ周辺ではかなり酷かったようです。今も一部では降り続けているとの事です」


 氾濫。その言葉に冷たいものが背中を滑り落ちる。

 国王陛下やお父様を足止めしたのも氾濫で、ここでもまた自然が作戦の前に立ちふさがる。

 得体の知れない不安に、落ち着けと言い聞かせて印を目で追う。


「都周辺には印がありませんね。民に被害は?」

「一報では、被害なしと連絡を受けております。不幸中の幸いか、いづれも人里からは離れておりますので、増える心配はそれほどないでしょう。しかし……」


 グレゴーリ公爵が、眉間に深い皺を刻んで言葉を切る。

 地図の上ではヴィンテの丘からの行路が、2つの大きな印にぶつかっていた。


「作戦が予定で通りにはいかなくなった。そういう事ですね? では、見込みはどのような感じになっていますか?」


 グレゴーリ公爵が、印の地点から一度後方に戻って、大きく回り込むルートを示す。


「使える迂回経路はこちらになります。行程が倍以上に伸びる上に、山越え等の難所があります。通常だったら数日かけてとなる場所ですから、休まずに走り続けても、王都まで二十時間近くかかるでしょう」


 既に空は日が落ちて墨色に変わっている。処刑は明日の午前で、明朝の到着では作戦がかなり厳しくなる。


「ぎりぎりですか……」


 呟いた言葉にグレゴーリ公爵が首をふる。


「申し上げた時間は、この行路を最短で正しく進んだ場合です。連絡が入ったのは王都が側のムルデ駐屯地で、ヴィントの丘に向かった騎士が今どのような対応をとっているかが分かりません。正しい公路が何時とれるかで、更に遅れる可能性があります」


 ヴィントの丘の騎士達は、まだ戻っていない。変更は確実に迫られている。

 あの辺りでは、ムルデが最も大きく組織された騎士駐屯地だ。分断されてしまえば、情報の入手もこちらよりずっと遅くなるだろう。


 額を抑えて俯く。

 間に合わない。その可能性の方が、間に合うよりもずっと高い。

  

「ストラーダ枢機卿は、捕縛した場合はどのくらい抑えられますか?」

「三人のうち、二名が落ちました。私がいる限りは、アベッリ公爵が騎士団の管轄に手を出す事はありません。ストラーダ枢機卿が行ったことの理由を示せない場合は、叛逆罪の疑いを視野にいれた対応がとれるでしょう」


 長い髪を指に巻いて、じっと考え込む。

 アベッリ公爵には手を出せないが、ストラーダ枢機卿は抑えられる。それで、何処まで勢いが削げるだろうか。

 きっと、今を好機と捉えているアベッリ公爵はストラーダ枢機卿を切ってくる。でも、ストラーダ枢機卿は補佐役として強い影響力を持っていたから、捕縛の動揺を全て拭い去る事は絶対に出来ない筈だ。


「ストラーダ枢機卿を捕縛し、レナート王子として処刑の中止の勅命を出します」

「しかし、国王代理の勅命は補佐の承認が必要です」


 意を唱えたグレゴーリ公爵が腕を組んで複雑な表情を浮かべる。『叛逆』を止める為とはいえ、国の決まりを蔑ろにする事に、実直な彼には抵抗があるのだろう。


「誤った手続きの勅命は通しません。アベッリ公爵も、当然不備を理由に認めないでしょう。これは、布石なんです。すぐに手順不備で撤回し、次に文官による緊急審議を行います。ストラーダ枢機卿の捕縛で動揺しているところに、勅命という強い形で私の意志が周知さていれば、『教会派』の一部の意見は必ず崩れます」


 『叛逆』という強い目的を、『教会派』全員が知っている訳じゃない。

 次期王になるレナート王子が望めば、迷って意見を変える者が少なからずきっと出る。


 グレゴーリ公爵が小さく頷くのを見てから、更に言葉を続ける。


「反対に流れた『教会派』と『旧国派』。これで、賛成とかなり拮抗してくると思います。審議は簡単に決着がつかない。最善は中止ですが、無理でも結審未成立なら先延ばしになります」

「悪くはありませんが、確実ではありません」


 確実ではない事は、私だって分かっている。

 僅かに迷いを見せるグレゴーリ公爵の瞳を正面から見つめる。稲穂色の瞳に、決意を固めたレナート王子が映る。


「では、他に策はありますか?」


 尋ねると、グレゴーリ公爵が瞳を閉じて首を振る。


「グレゴーリ公爵。何もしなければ、きっと変わらない。でも、諦めずに動き続けていれば、どこかに勝機が生まれるかもしれません。緊急審議が必要なこの策を打つには、もう時間はありません。協力いただけるなら決断を」


 短く息を吐いて瞳を開けたグレゴーリ公爵が、柔らかな笑みを浮かべて跪く。


「決断など不要です。以前にも申し上げました。今の我々は、国王陛下代理である貴方の剣であり盾です。ご命令ください、レナート王子」


 多分、これは処刑を可否を決める大きな決断になる。そう思った瞬間、足元から体が震えた。


 デュリオ王子に縋れといったレナート王子の言葉が過ぎる。

 レナート王子として『また、いつか』と私が止めた時に、デュリオ王子が驚いたような顔で動きを止めた。私が……レナート王子が願えば、怒っていても手を貸してくれる。デュリオ王子はそういう人だ。

 大丈夫。一人じゃない。


「騎士団長アレッシオ・グレゴーリ。枢機卿ピエトロ・ストラーダを捕縛してください」


 深く礼をしてグレゴーリ公爵が、外に出した騎士を呼ぶ。目の前で手早く騎士たちにグレゴーリ公爵が指示を始める。


 指示を聞きながら、机の上にあった紙に急いでデュリオ王子宛の手紙を書く。


 事態が大きく動くが酷く流動的になる事。『旧国派』に審議の協力を呼び掛けて欲しい事。グレゴーリ公爵が必要とした時は、必ず話を聞いて欲しい事。

 書けない事も多いし時間がないから、文章は酷くそっけなく曖昧なものになった。


 数名の騎士が部屋から駆けだすのが聞こえて、慌てて『また、いつか』と書く。更に迷った末に『約束を覚えているなら、助けて欲しい』と書きそえた。

 少し角がそろわない四つ折りの手紙を、騎士たちへの指示を終えたグレゴーリ公爵に手渡す。


「これは、デュリオ王子への協力依頼です。封筒は何処にあるか分からなかったので、後はお任せして良いですか」

「勿論です。レナート王子は城に戻られるのですね? 後々、私も合流いたしましょう」


 グレゴーリ公爵の申し出に首を振る。事態が大きく動き出した以上、アベッリ公爵も必ず妨害に動く。


「アベッリ侯爵が、どのような反撃をしてくるか分かりません。信頼を置ける騎士を二人ほどお貸し頂いて、私とグレゴーリ公爵は別々の方が良いでしょう」


 もしもの事態など幾つか細かいことを話し合って、二人の騎士を連れて騎士団を後にする。

 部屋を辞去する時に、窓の外から馬の嘶きと馬蹄の響きが重なって、ストラーダ枢機卿を捕える騎士が動き出したのがわかった。


 本当に『奇跡』が存在して、天と地の理が私の邪魔をするとしても、人の意志は変えられない。

 意志があり諦めなければ、『奇跡』を覆す機会だってきっとある。


 捕らえに出た騎士たちを追うように城へと戻る。出来るだけ目立たぬように捕縛を命じてあるからか、まだ大きな騒ぎなっていない。

 でも、それも僅かの事だろう。目立つなと言っても城の中の捕り物だから、程なく大騒ぎになる。


 執務室の側まで来ると、二人の騎士に命令をする。


「執務室に来る者がいたら、押しとどめて下さい。ある程度、準備が整ったら応じます」


 廊下の中ほどで騎士たちが立ち止まって、これから陳情に訪れるであろう『教会派』の貴族たちに備える。

 執務室の中に入ると、命じられるよりも先にジャンが動き出した。


「緊急審議は以前に、私が書き写して書式を用意したものがございます。レナート王子は勅命の書類をお書きください」


 机から勅命などに使われる上質の紙を取り出して、筆を執ってから大事な事を思い出す。

 私はレナート王子だけど、中身はあくまでも私。行動も動きもレナート王子になるわけじゃない。恐る恐るいらない紙にレナート王子の名前を書く。思わず天井を仰ぐ。筆跡が明らかに違う。


「ジャン! 緊急審議は一枚書けばよいのですよね? 勅命も一枚ですか?」


 ジャンが過去の文章の束を机の上に下ろして頷く。


「一枚あれば、水魔法で複写が可能です。押印だけは一枚一枚必要です」


 水魔法……レナート王子なら使えるけど、私では使えない。確か、グレイが中庭で水魔法を使っていた筈だ。

 これからする事を、ジャンに見られる訳には行かないし、ちょうどいいかもしれない。


「グレイを連れてきてください。魔力を消費したくないし、あまり多くの人に完成前の書類に触れさせたくありません。手伝ってもらいましょう! グレイを連れてきたら、集中したいので外で待機をお願いします」


 ジャンが出て行ったのを見届けて、過去の書類を下敷きにして文字を書きとっていく。

 審議書はやや厚い紙だから難しいけど、勅命の方は薄いから乗りきれそうだ。


 思ったよりも時間がかかってしまったが、なんとか二つの書類を書き終える。

 内側から扉を叩いて合図すると、外で待っていたジャンとニコロとシーツを被ったグレイが飛び込んできた。


「外はどうですか?」

「はい。私がグレイ様をお連れするのに、呼び止められる事はありませんでした。しかし、外でお待ちしている間に、どんどんと人が集まり出しました」


 頭から被ったシーツを脱ぎながら、グレイが楽し気な声を上げる。


「すごいね! なかなかない体験だ! さて、レナート殿下。僕は何を手伝えばいい?」

「では、グレイは勅命書の複写をお願い致します。複写は出来たものから、私が押印していきます。押印が終わった書類については、まず城外の貴族へ送ります。押し寄せた人がいて大変ですが、ジャンとニコロで手配を頼めますか」


 揃って二人が頷く。それぞれが為すべきことに動き出す。

 グレイが指先に魔力を集めて、水が主体のインクを操り次々と同じ書類を完成させていく。その書類に私が押印したものを、一定枚数の山にニコロがしてジャンが部屋の外へと飛び出していく。

 城に入って一刻半を過ぎた頃には、勅命書の山が消えていた。


「グレイ、ジャン、ニコロ。ご苦労様でした。助かりました」


 グレイが肩を竦めて笑って、ニコロが頬を染めて言一礼し、ジャンが穏やかな笑顔で丁寧な一礼をする。


 既に、前半に送った勅命書は貴族の手元に届いているだろう。一枚だけ残した勅命書と緊急審議書を手に立ち上がる。


「ジャン。部屋の前に集まった貴族と話します。扉を開けて下さい」


 ジャンに書類を預けてから大きく深呼吸する。それから、糸でつられたような感覚を意識して背中をしっかりと伸ばす。

 レナート王子が本気で貴族を従えるなら、どんな顔をするだろうか。この場なら笑顔が合うか、冷たい顔が合うか。迷った末に、ほんの少しだけ怒った顔を始めは作る事にした。


「開けます」


 ジャンがそう告げて扉を内へと開く。一歩一歩。決して焦らずに、優雅な歩調で押し寄せた『教会派』の貴族の元へ進む。

 貴族たちが押し合い合って、次々とストラーダ枢機卿の捕縛について尋ねる声を上げる。


「レナート王子、一体どういうことです?」

「ストラーダ枢機卿が捕えらえたとは、何なのでしょうか?」

「殿下! 何故なのです? どうにかなさって下さい」


 一人一人の言葉が、よく聞き取れないぐらい騒々しい。それだけ、既に動揺が広がっているという事だ。

 騎士を挟んで近くまで来ると足を止めて、一瞬だけ目を閉じる。それから大きく息を吸って口を開く。


「静かになさい!!」


 一喝すると、『教会派』の貴族たちが目を丸くする。

 唖然とする者。驚愕する者。目を疑う者。レナート王子が人前で大きな声を上げた所を、私は見た事がない。私だけじゃなくて皆がそうだから、私に怒鳴られた貴族たちはこんな表情になるのだろう。

 ほんの少し愉快な気持ちが込み上げてくるのを、ぐっと抑えて苦々しい表情を作る。


「ストラーダ枢機卿は、ディルーカ伯爵令嬢が囚われた件において、大きな誤りを犯したために捕縛されました」


 一人の貴族が不満げな声を上げる。


「だからと言って、ストラーダ枢機卿の捕縛を許すなどあり得ません」


 同調する声が幾つか上がって、再び騒々しさに包まれ始める。


「誰が話していいと言いましたか?」


 出来るだけ、鋭い声で告げると途端に貴族たちが黙り込んで息をのむ。

 レナート王子の綺麗な顔で怒ると、温度が何度も下がったみたいに空気が凍るのは既にシストでも実証済みだ。

 苛立たし気に小さく舌打ちのおまけをつけてから、再び冷たい声を出す。


「許すも許さぬも、国の決まりに歴然と触れた以上は仕方ありません。私は次期国王になるのですから、ここで冷静な対処をとる必要があります。先ほど不満の声を上げた者は、ストラーダ枢機卿の為に国の決まりを曲げて、私に国王陛下の怒りを買えというのですか?」


 声のした方に視線を投げると、誰かの頭が後ずさる様に下がるのが見えた。

 多くの『教会派』の貴族が、国王陛下を引きずり下ろすなんて恐ろしい事は願っていない。彼らが願うのは、次期国王が『旧国派』のデュリオ王子ではなく、『教会派』のレナート王子になる事だ。


 国王陛下の怒りを、次期国王になる為にも買う訳には行かない。この一言がストラーダ枢機卿の捕縛を認める理由であり、『私』の処刑を止める大儀になる。


 目顔で書類をと伝えると、ジャンが進み出て勅命の書類を両手でしっかりと掲げる。

 最前列にいた貴族がその書類を、まじまじと覗き込んで慌てて後ろへと書かれた内容を伝えていく。


「ディルーカ伯爵令嬢の処刑中止の勅命だ」

「何故だ? せっかくの機会だろ?」

「殿下が言っただろ? ストラーダ枢機卿の所為だって」

「こうしなければレナート王子が国の決まりを曲げる事になるんだろ?」

「助けなければ、国王陛下の怒りを買う。助ければ、正しい判断をした次期国王」


 耳に届く囁きは、期待通りの流れだ。続けて緊急審議書を出そうとした時、一人の貴族が人垣を割って進み出る。


「レナート王子、その勅命は意味を成しません。国王陛下の代理が勅命を出すには、補佐役を命じられたストラーダ枢機卿の承認が必要です」


 政に深く関わる役についた貴族なのだろう。きちんと、決まりによる不備を指摘してくれる。できるだけ鷹揚に頷いて、ほんの少しだけ唇の端を上げて笑う。


「よく気付きました。この勅命は不備があります。しかし、次期国王として成すべき事は変わりません。現行の決まりの手順に則り、緊急審議を行います」


 勘のいいジャンが、緊急審議書を今度は掲げて見せる。不備を指摘出来た貴族が、納得したように一つ頷く。


「関わる役に付くものは、速やかに役に戻り状況を伝えなさい。『教会派』が未来のためにすべき事は一つです。私はこれより、緊急審議会の執行を命じに参ります。残った者は道を開けなさい」


 何人かが一礼と同時に背を翻して、マナーを忘れた様に走り出す。残ったものが、私の為に左右に分かれて道を開ける。

 

 胸を張って堂々と、王の威厳を感じさせるつもりで歩く。


「次期国王の未來に!」


 一人がそう叫んで一礼をすると、次々と左右から深い礼と共に称賛の声が上がる。


 ここまでは、間違いなく上手くいっている。流れを掴んだ手応えがはっきりとあった。

 

 審議を司る役の部屋に着くと、緊急審議書を渡す。用意していた口上を述べると、青い顔をして文官達が動き出す。

 急ぐとは言ったものの、空には星が瞬いて時間はもう夜。屋敷に帰った文官も少なくない。

 勅命を見て熱心な者は向かっているかもしれないが、のんびりと湯浴みや食事をしている者もいる筈だ。

 調整をかさねた結果、一刻の時間を待って緊急審議が開かれる事に決まった。


 開催までに状況をまとめ直す為に、再び執務室に戻ることにする。

 審議には当然アベッリ公爵も参加する。この対峙でどれだけ対抗できるかで、何も知らない『教会派』貴族の流れが決まってくる。

 反対、賛成。この差が拮抗と呼べる範囲に納まれば、審議は明日も継続になる。そこに持ち込めれば、次の結審前にアベッリ公爵の証拠か届く可能性が高まる。


 外廊下に差し掛かると、足を止めて空を見上げる。小さな星がたくさん瞬くのが見えて、空の星に向かって手を伸ばす。


 レナート王子の手は細くて綺麗だけど、やっぱり大きい。

 じっと見ると、一見美しい手はよく見ると所々が硬くて、少しだけいびつに歪む。故郷に居た時に、こういう手をたくさん見てきた。良く働く人の働き者の手。

 何でもできる天才肌のデュリオ王子と、レナート王子はずっと比べられてきた。

 追い付こうとたくさん努力して、いつでも手が傷だらけだったのを私は知っている。

 私に縋った手は、誰よりも努力し続けた人の手。だから、この手を……。


 柔らかな足音が近づいてきて、手を降ろして視線をそちらに向ける。

 上品な妙齢の貴族夫人が、私を見てこちらに向かって走ってきた。私の前で立ち止まると、浅い息を整えて一礼する。


「シルヴィア二妃様がお倒れになりました。至急、北の棟へいらっして下さい」


 シルヴィア二妃が倒れた? 一体なぜ?

 思わず頷いた私の袖が引かれて、振り返ると何とも言えない表情をジャンが浮かべていた。


「ジャン?」

「差し出がましいかと存じますが……ストラーダ枢機卿の件ではないでしょうか? 今はお断りになった方が宜しいのでは?」


 ジャンの言葉に首を傾げる。

 ストラーダ枢機卿の件で、シルヴィア二妃が私を呼ぶとは思えない。大人しく政に興味を持つような方ではないから、本当に体調が悪くてレナート王子を呼んでいるのだろう。昨日も次はレナート王子から会いに来てと言ったから、言ってあげたい気もする。でも、審議会まで時間がたくさんある訳じゃない。


 躊躇う私を懇願する眼差しで夫人が見上げる。


「レナート王子。お急ぎください。シルヴィア様がレナート王子をお呼びなのです。大変、取り乱してお倒れにもなって……。苦しげな姿でお名前を何度も何度も……」


 早くに亡くした母の姿が脳裏を過る。

 病で苦しい時も、お母様は手を握っている間だけは安らいだ顔をした。私が一番のお薬だと、国で一人だけのお医者様が言った。

 私達を引き裂いたシルヴィア二妃が私はあまり好きにではない。だけど、レナート王子にとっては大切な母親で、シルヴィア二妃が重すぎる程の愛情をレナート王子に注いでいたのはよく知っている。


「……分かりました。ほんの少し顔を見せるだけで構いませんね?」


 夫人が安堵したように頷いて、シルヴィア二妃の暮らす北棟へと先導する。


 北棟の一角にある二妃の住まう場所は、男性親族し入る事が許されない。扉の前で騎士とジャンに待つように命じて、奥へと進んでいく。

 繊細で美しい丁度品に飾られた広い一室に通されると、ソファーの上で身を伏せたシルヴィア二妃が顔を上げた。

 いつも美しく整えられている薄い水色の髪は乱れて、涙を何度も拭った為か白い頬が僅かに赤く腫れている。痛々しさを感じさせる姿に驚いて、慌てて駆け寄る。


「母上様。一体どうしたのですか?」


 シルヴィア二妃がよろよろと立ち上がって、歩み寄った私に身を寄せる。抱きとめると、か弱い手が私の腕を思いがけなく強い力で掴む。


「レナート。何故なの? 何故、ピエトロが……」


 震える声て言った名が、誰の事を言っているのか一瞬分からなかった。でも、すぐにストラーダ枢機卿のファーストネームだと気付く。

 シルヴィア二妃が、国王陛下とレナート王子以外の男性をファーストネームで呼ぶところは初めて見た。ストラーダ枢機卿の事も、いつもは家名に爵号をつけて呼んでいた筈だ。

 

「母上様。落ち着いてください。ストラーダ枢機卿は過ちを犯したのです。捕縛は仕方のない事で――」


 私の言葉を遮って、シルヴィア二妃が小さく叫ぶ。


「いやよ! いや! あの人はどうしているの? 騎士団の人に責められて恐ろしい思いはしていないの? 悪い人ではないのは、レナートだって知っているでしょう? 私に出来る事はないの?」


 必死に首を振って、幼子みたいにシルヴィア二妃が青紫の瞳から涙を零す。

 シルヴィア二妃とストラーダ枢機卿。二人はどんな関係なのか。捕縛に取り乱す様は、一国の二妃と王の一臣下には見えない。 

  

「ご心配な気持ちはわかりますが、騎士は正しい手順で捕縛しています。それを曲げる事など、私には出来ないのです。ご理解ください」

「そんな事を言わないで、貴方ならどうにかできるでしょう。だって、レナートは王太子でしょう? 今は、国王陛下の代理なのでしょう? お願いよ。命じてちょうだい。ピエトロに罪はないと言って。あの方がいなくなったら、私は……」


 熱にうなされたような青紫の瞳が私の瞳としっかり重なると、はっとしたようにシルヴィア二妃が口を押える。


「レナート……。ごめんなさい。今の言葉は……」


 逃げるように顔を逸らして、シルヴィア二妃が手で顔を覆ってすすり泣く。

 シルヴィア二妃とストラーダ枢機卿。言葉の先の意味を思えば、その関係が特別なものである事は容易に想像ができた。


「ストラーダ枢機卿とは……」


 シルヴィア二妃が長い髪を揺らして、顔を上げる。


「違うの! レナート、私たちは何でもない。母として、胸を張れない事をした事はないの。ただ、ただ……私にとってピエトロは……昔も今も……」


 沈黙と同時に、室内に別の足音が響く。気づいて振り返ると、老齢の鷲鼻の男が後ろに立っていた。ただいるだけで、身がすくむような存在感に息をのむ。


「アベッリ公爵、何故――」

「娘が倒れたというから、来て見れば悪戯の過ぎる孫とも良い所で会えた。どうやら、ツキはこちらにあるようじゃな」


 鼻を鳴らして唇の端をあげると、アベッリ公爵が素早く私の額に何かを書いた。

 囚われた時に書かれた意識を失う魔法だと気付く。同時に抵抗する暇もなく、意識は真っ暗な闇に落ちた。



あと一話で前章終了します


風邪を引いてダウンしてます。

申し訳ないのですが、更新は一日延びて

次回11月13日になります。


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