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女の諍いは怖いんです!

 床に倒れこんだ儚げな令嬢の姿に、周囲が騒めく。


 はちみつ色のドレスから覗く華奢な足首を押さえるのは、ジュリア・グレゴーリ公爵令嬢。この国に二つしかない公爵家の末娘で、私の事を昔から大っ嫌いと公言し目の敵にしている人物だ。


「いたぁ……い」


 すごく嫌な予感しかないけど、か細い声を上げたジュリアを無視する訳にはいかない。


「ジュリア様、何かあったのですか? 大丈夫ですか?」

 

 手を差し出すと、ジュリアが潤んだ眼差しで私を見上げる。

 稲穂色の垂れ目がちな大きな瞳、震える唇は柔らかな赤。癖のある縦ロールは耳を垂らした子ウサギを思わせる。幼くて愛らしい様子は私よりも二つ年上だとは思えない。

 小動物みたいな愛らしさに胸がきゅんとした瞬間、差し出した手がぴしゃりと払いのけられる。


「リーリア様、あんまりですわ! 知らんぷりなんて、酷いのですぅ……」


 座り込んだままジュリアが私を糾弾する。やっぱりそう来たかと、眉間に皺が寄りそうになるのを堪える。

 この構図だとジュリアを倒したのは私で、私は知らない振りをしている筋書きなのだろう。

 早速、興味深々の眼差しを向けていた人たちが、筋書きに乗せられて事実を勝手に補完し始める。


「ディルーカ伯爵令嬢とグレゴーリ公爵令嬢がぶつかったみたいだな」

「リーリア嬢が、ジュリア嬢にぶつかったってさ」

「違いますわ。グレゴーリ公爵令嬢はリーリア伯爵令嬢に倒されたようです!」


 早くも私が悪者に断定されていて、小さくため息をつくと耳元でラニエル子爵が囁く。


「こんな時に何だが。花瓶の件は、君個人への悪意の可能性はどうだろう?」


 私への悪意……。目の前のジュリアをじっと見つめる。

 ジュリア以外でも私個人に悪意を向ける人は少なくない。特にレナート王子との婚約に関しては、派閥を問わず多くの令嬢から嫉妬の視線を向けられている。


「ないとはいえません。よく考えてみます」


 それだけ答えて、私は一度くるりと髪を指で遊ばせて周囲を見る。

 さぁ、どうしたものだろう? 今、周囲にいる者は古くからのセラフィン貴族の『教会派』が多い。ジュリアは筋金入りの『教会派』だから、これは私の分が大分悪い。


 引くか、突っぱねるか。

 引けば早く幕引きは早いけど、後々まで尾ひれ背ひれのついた悪評を立つだろう。

 突っぱねれば、長々と泥仕合を繰り広げる事になる。悪評もやっぱり立つ。

 覚悟を決めて、私は口を開く。


「お言葉ですが、私は一歩も動いていませんでした。どうして、私からジュリア様に触れる事が出来るのでしょう?」

 

 まっすぐジュリアを見つめて、堂々と潔白を主張する。

 どちらも悪評が立つならば、泥仕合でもこっちの方がいい。結果はどうあれ、やっていないという主張は、必ず人の心に僅かに残る。


「リーリア様、それは本当ですの?」


 噛みつかれるかと構えていのに、予想に反してジュリアが不安そうな表情になる。周囲からもジュリアの様子に、勘違いという言葉が漏れ始める。


 ジュリアだからと、私は悪い想像をしていた。でも、勘違いだったのかもしれない。少し悪い事をしたと思いながら、ジュリアに向かって微笑みかける。


「はい。私はジュリア様にぶつかっていません」

「でも、……わたしくは、こうして倒れている。リーリア様は、絶対にそう断言できるのですか? 何か――」


 不安げにジュリアが周囲を見回すと、私の背後でラニエル子爵が「あぁ」と小さく呟く。


「口出しは野暮だと存じておりますが、お許しいただけますか? グレゴーリ公爵令嬢」


 ラニエル子爵が一歩進み出ると、ジュリアが嬉しそうな顔で頷く。


「勿論ですわぁ。何なりとおっしゃって下さいませ」


 ジュリアの同意を得ると、ラニエル子爵が任せておけというように私に片目をつぶる。


「リーリアは私の隣におりました。ずっと側で、人探しを手伝いってくれていたんです。真っ直ぐ前を見て、後ろに下がるなどしておりませんでした」


 小さな事件を終わらせる言葉に、周囲から落胆と安堵がない交ぜの吐息が落ちた瞬間、ジュリアが悲鳴のような声をあげる。


「まぁ! 隣でなのに断言ですの? そんな事って可笑しいですわ」


 ジュリアの言葉に不穏な空気が再び漂い始め、人々の視線が私からラニエル子爵へと移る。

 してやられた事を理解してラニエル子爵が黙り込むと、ジュリアが嫣然と言葉をつづける。


「わたしく、リーリア様の隣で遠くをご覧になるラニエル子爵を偶々見ておりましたのよ。まっすぐ前を向いて、どなたかお探しの様でしたわ。どうして、隣の方が絶対に下がらなかったと断言できまして? 不思議ですわぁ。隣に目なんてついておりませんのにねぇえ?」


 令嬢の揉め事に男性が口を出すのは嫌われる。それが、一方に味方する内容で主張が曖昧なら尚の事だ。周囲からはラニエル子爵に向けた非難と疑いの言葉がささやかれ始める。


「どういう事? ラニエル子爵は嘘を吐いたのか?」

「ディルーカ伯爵令嬢を庇ったのだろう?」 

「男が令嬢の揉め事に口を挟むのは、如何なものかね!」

「これは、いよいよリーリア様が怪しいのではないか?」


 大きくジュリアに傾きだした観衆に、両手を胸の前で組んだジュリアが縋るような眼差しを向ける。


「誰か……本当の事を見てらした方はおりませんか? 私がリーリア様に押されたと、証言して下さる方はいらっしゃいませんか?」


 ジュリアが口にする真実なんてない。だから、誰も進み出るものはいない。

 ドレスの裾をぎゅっと握りしめて、ジュリアがうるんだ眼差して周囲を再び見る。


「リーリア様には曖昧とはいえ味方がいらっしゃる。わたくしにはいないなんて、寂しくて心が潰れてしまいそうですわ」


 悲し気に息をはいて、私たちをジュリアが怯えたように見る。

 憎らしいけどジュリアは上手い。言葉、声音、視線、持てるもの全てを使った可憐なジュリアに、観衆が筋書へと引きずり込まれる。


「ジュリア様、可哀そう……」

「見た者がなくとも、私はグレゴーリ公爵令嬢を信じるぞ」

「誰か、ラニエル子爵達に反論してやれないのか」


 倒れこんだ孤立無援の可憐なジュリアと、真実を隠そうとするラニエル子爵と疑わしい私。そんな構図が観衆に出来上がる。


 やっぱり社交界なんて嫌いだ。流されやすくて、意地悪で、本当に面倒!

 舌打ちを堪えて、私は対抗する道を探す。先ずは、庇われいる状態を無くさないといけない。

 出来るだけ冷たい表情でラニエル子爵を見て、厳しい叱責の声を上げる。


「ラニエル子爵、口出しは無用です。これは私とジュリア様の問題なんです。お心遣いのつもりでしょうが、曖昧な言葉など迷惑です!」


 そっとラニエル子爵の袖を引いて、すぐさま小さな声で謝罪する。


「私の為に、ごめんなさい。後は任せて下さい」


 一見、酷いように見えるけど、この方法なら強い叱責という形で私とラニエル子爵が切り離せる。更に、少し決まり悪くても善意の介入として撤退させてあげる事が出来る。

 私の意図を理解して、ラニエル子爵が申し訳なさそうに呟く。


「すまないね。嵌められて事態を悪くしたのに、退場の切っ掛けまで作らせてしまった」

「大丈夫です」


 小さく頷くと、ラニエル子爵がジュリアに向かって非礼を詫びる一礼をする。


「……無粋な真似を致しました。申し訳ありません」


 下がろうとしたラニエル子爵に向かって、ジュリアが『旧国派』に対する嫌味を口にする。


「とても残念ですわ。政の中心にいる方が、仲間意識で物事をお測りになるなんて」


 これまでとは違うざわめきが周囲に起こる。

 古いセラフィン貴族には『旧国派』に強い敵意を向ける者は少なくない。

 私が生まれるより少し前までは、旧国は奪われるだけの存在だった。それが今や、活躍の場を広げて古いセラフィン貴族の立場を脅かしつつあるからだ。


 不満を抱えていた者が、ジュリアの言葉に火を付けられて反応し始める。


「やはり、旧国のの者達は仲間意識で物事を動かすのか」

「どうりで最近新しいものばかりが取り立てられていく訳だ」

「口利きで『旧国派』に地位が奪われるとは嘆かわしいな!」


 令嬢同士の諍いから『旧国派』への敵意に問題がすり替わると、罵る言葉はどんどんと加速して、悪意の対象も広がっていく。


「国王陛下は、旧国に甘いのでは? 重用し過ぎだ」

「旧国が政に関わるのに、納得がいかなかぬ!」

「前々から旧国の者が、私は嫌いだった。彼らを招き入れるのは誤りだ!」

「そうだ! この件を奏上して、処罰を望もう!」


 ラニエル子爵が下がるのを止めて、厳しい視線と言葉から私を庇う。その袖を私はもう一度引く。

 

「変わって下さい。この流れは、駄目です。令嬢同士の諍いに『派閥』を巻き込むのは間違ってる」

「だが……」


 私の眼差しに気圧されるように、ラニエル子爵が言葉を止める。

 正直、ものすごく腹が立っていた。

 ジュリアが私の事を嫌っているのは知っている。でも、私を叩く為にここまでするのは、絶対に間違っている。

 大きな争いに火をつけてどうする? 戻れない場所まで派閥の敵意が煽られれば、この国の存在自体が揺らぐ可能性だってある。

 この場の感情で、国の根幹を揺るがすなんて絶対に許されない。


「悪意なんて慣れてます。流れを変えるなら、ラニエル子息より私の方が適任です」


 強引にラニエル子爵の前に出て、私は好き勝手に悪意をばら撒く人達と向き合う。

 挑むように周囲を見渡すと、何人かが口を噤んで私に視線が集まりはじめる。


 まずは、この場を令嬢同士の諍いの場に引き戻す。私の喧嘩を『旧国派』『教会派』に発展なんてさせない。

 しっかりと背筋を伸ばして、出来るだけ厳しい声を出す。


「官吏の決定権は国王陛下にあります。国庫の管理は、私情を挟まず厳正でなくてはならない。ラニエル子爵は私において、確かにとてもお優しい。それは多くの方が、以前より知るところです。でも、公においては違う。職務に適う振る舞いが出来る人材。そう判断して、国王陛下が国庫を預ける一人に選んだ。そうではないのですか?」


 私に向けて、詭弁と囁く声がした。庇い合いと罵るような声もした。

 誰かは分からないけれど、声がした方を見据えて再び口を開く。


「私はセラフィン王国の民の一人として、国王陛下の聡明なご判断を信じております。ここは、私とジュリア様の令嬢同士の些細な諍いの場。政の議論の場ではありません。政の異議を問いたいならば、陛下の御前で堂々となさって下さい」


 息を飲む音が一つになって、思いのほか大きな音になった。ここで政の愚痴を吐き出す者に、国王陛下の前で異を唱えられる気概のあるものなんていない。

 言い足りない言葉に口を開けては閉じてを繰り返し、言葉を飲み込んだ幾人かが敵意の眼差しを私に向ける。涼しい顔を装って、じっと待つ。


 引き絞るような緊張した沈黙の後に、何人かが腹立たし気に床を蹴るのが見えた。まだ悪意は燻っているけれど、不満の言葉は封じる事に成功したみたいだ。

 でも、もっと空気を変えなくてはいけない。そう決意して、ジュリアに向かって私は軽い礼をする。


「……とはいえ、殿方にご助力頂いた事はお詫びするべきですね。ジュリア様をご不安にさせたと理解しております。ごめんなさい、ジュリア様」

 

 私の謝罪の言葉に勝ったと誰かが喜び出すより先に、宣戦布告の言葉を叩きつける。


「その上で、改めて申し上げます。私は貴方に対して、こちらからは何もしていません! ジュリア様は何か大きな勘違いをなさっているのではありませんか?!」


 ジュリアの稲穂色の瞳を真っすぐに見つめる。受けるジュリアも私を真っ直ぐ見る。


「リーリア様。では、どうして公爵令嬢のわたくしが、床に膝をつかなくてはならないのかしらぁ?」

 

 苛立たしげ問いかけたジュリアの言葉を、扇を開いて緩やかに煽いでみせながら一蹴する。

 

「私は知りません。ご自身が一番お分かりなのでは?」


 ずっとジュリアの手の内で完璧に踊らされてきたけど、もう好きにはさせない。


「あら。わたしくは、ずっと真相を申しておりますわ」

「私も真相を言っています。どうして、すれ違うのでしょう?」

「わたしは存じ上げませんわ」

「ご存知ないのですか? 私はどちらかが思い違いをしているか。嘘をついていると思っていますが?」


 ジュリアが息を飲むのが見えた。令嬢は優雅にお淑やかにが大事にされるから、ここまではっきり言われると思っていなかったのだろう。

 

「わたくしは、嘘などもうしません!」

「私も嘘など言いません!」

「嘘ですわ!」

「そちらが嘘でしょう?」


 惚れ惚れする様な泥仕合に、内心で苦笑いする。

 滅多に見る事のない一歩も引かない令嬢同士の言い合い。私の期待通りに、周囲の人たちも先ほどまでの事を忘れて飲まれている。

 泥仕合の筋書きも成功したし、そろそろ切り上げたい。でも……この先の着地点が私にも見えていない!

 こんな事に巻き込まれるなんて、やっぱり今日の私は運が悪い。


「わたくしは、引くつもりはありませんわよ」

「私もです。でも、何時まで続けるつもりですか?」


 私の問いかけに、苦々し気にジュリアが黙り込む。

 先程のジュリアの呼び掛けには、誰も進み出なかった。誰も見ていない自信があったから、ジュリアは立証できないラニエル子爵の発言を呼び込んだのだろう。

 私たちの争いを公平に止められる人が誰もいない事は、ジュリアが一番分かっている筈だ。


 短い沈黙の後に、ジュリアがすっと目を細めて口を開く。その瞬間、右手側の人垣から一人の人物が進み出てきた。


 目深にかぶった真っ白な羽が飾られた青の帽子。それは北の大陸の礼装の一つで、セラフィン王国で見る機会は少ない。


 何者なのだろう? ちらりとジュリアを見れば、同じ様に私を計る眼差しとぶつかる。どうやらジュリアにとっても、乱入者は知らない人物みたいだ。


 異国の人物が一度首を傾げてから、優雅な仕草で帽子を取る。

 その姿に周囲からうっとりとしたような溜め息がおちる。



次の更新は、また明日!

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