変わり者の不幸は幸せ!
「――王子、――ト王子、」
遠くで誰かが、レナート王子の名前を呼ぶのが聞こえた。
夢の中であの日の続きを思う。
名前を呼びあって何度も振り返ったのに、レナート王子は行ってしまった。もしも、追いかけていたら違ったのだろうか。
また、頬を温かい涙が滑り落ちて、必死に夢で泣く必要はないと自分に言い聞かせる。
もしも、なんてない。あれはもう過ぎてしまった過去。過去にはもどれない。今の私は……。
「レナート王子、大丈夫ですか? お目覚め下さい」
ジャンの心配する声がはっきりと聞こえて、重たかった瞼を無理矢理に開く。
朝日の差し込む部屋は、勿論私の部屋じゃない。
「ジャン? 私は……」
ゆっくり体を起こして瞼を擦る。手の甲が僅かに濡れて、ジャンが心配する理由が分かった。
泣いたのは夢の中だけのつもりだったのに、現実でも私は泣いていたらしい。
「大丈夫ですか? 泣いていらしたようなので……」
「少し夢見が悪かったんです。何処かが痛いとかそういう訳ではないので、心配しないで下さい」
考えてみれば、この部屋で昔の夢を見るのは二度目になる。昔ばかりを思い出してしまう理由はなんとなくわかる。
このベッドは、レナート王子の香りがしすぎる。
うな垂れそうになる顔を両手で叩く。良い音がして、ジャンが慌てて私の顔を覗き込む。
「レナート王子?」
「大丈夫です。少し眠かったので、気合を入れたんです。今日が処刑前の最後の一日です。頑張りましょう」
暖かいお湯で湿らせたタオルを受け取って顔を拭う。
過去を思うのは明日でもいい。今は、今日しかない一日がはじまる。
ベッドから降りて着替えに向かうと、書斎からリズミカルにドアを叩く音が聞こえた。どうやら、グレイも起きたみたいだ。
「先に開けてあげた方が良さそうですよね。ジャン、お願いします」
ジャンが小さく家具と床の隙間に向かって指をくるりと捻る。そよ風を頬に感じると、あっという間にジャンが大きな家具を一人で動かす。
「こんな方法もあるのですね!」
「はい。魔法は日常の事にも案外役に立ちます」
ドアが開くと、大きくの伸びをしながらグレイが出てきた。機嫌よく笑うと丁寧に一礼する。
「おはようございます、レナート殿下! 早速ですが、衣装室は何処ですか?」
突然出てきた衣装室という言葉に、挨拶を返すのも忘れて扉を示す。揉み手をしたグレイが私の腕を搦め取って、軽い足取りで衣装室へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと。グレイ? いきなり何なんですか?」
「朝と言えば着替えです。始まりは気持ちよく! 私の服はレナート殿下のものを貸してください。背も同じぐらいですし、サイズは丁度だと思うんです。王子様の衣装室なんて楽しみだな。さぞ、素晴らしい内容なのでしょう!」
中庭であった時も思ったのだが、彼の行動は興味が前に出過ぎだ。その興味も一般とはやや違う。だから、何をしだすか分からない。
衣装室のドアを開けると、並んだ美しい礼装にグレイが目を輝かせる。腕を放すと、衣装を楽し気に手に取っていく。
「さすが、王子様の衣装室。どの品も全て貴方の為だけに作られた最高の品だ。これだけの品が並ぶのは、高級店でもお目にかかれない」
いくつかの服を抱えて戻ったグレイが、私の体に服をあて始める。
「あの何をしてるんです?」
「レナート殿下の服を選んでるに決まってるじゃないですか。以前から思っていたんです。貴方が選ぶお召し物は、上品だけど古典趣味過ぎる」
それは私も思っていた。上品さが際立つ旧来のデザインばかりレナート王子は着ていた。王家の風格があってよく似合っていたけど、流行りを卒なく取り入れるデュリオ王子と比べて面白味がない。多くの令嬢たちも、影で残念がっていた。
慌ててジャンがグレイと私の間に割って入る。
「お待ちください、グレイ様。人にはお好みと言うもののがあるのです。私だっていつもと違うレナート王子を見てみたい。しかし、頑なにお好みを変えなかったのですから……」
言葉を止めたジャンが期待する眼差しを向けるから、思わず吹き出してしまう。レナート王子の服装には皆、不満を感じていたらしい。
こんな時にと思うけど、こんな時だからこそ、一つぐらい楽しい事があってもいいのかもしれない。
「分かりました。選んでください。いきなり変わっては、皆が驚いて一日に支障が出ます。普段の好みを踏まえて少しだけ冒険したものをお願いします」
「お任せください。当代一の流行芸術家であるグレイ・ローランドが貴方に相応しいものをお選びしましょう!」
グレイが仰々しく一礼して、手早く服を選んでいく。
金糸の刺繍が僅かに入った黒に近い落ち着いた紫の礼装。同じ刺繍の黒のベストに、シャツはしっとりとした水色。飾りは主張の強くない絹のように細い金。
手招いたグレイが靴とアクセサリーをジャンに渡して、自分は一抱えの着替えを両手に抱えてやって来る。
「では、レナート殿下はこちらを」
いきなり胸に衣装を押し付けられる。普通は王子様に荷物なんて持たせない。
ため息をついて服を抱えると、両手が自由になったグレイが突然私の夜着をめくる。
「ひゃあ! な、な、何?」
「グ、グレイ様! レナート王子に何を?」
両手の塞が私とジャンの言葉を無視して、グレイがお腹の次は背中を捲る。
「サイズ確認。次は僕の服を選ぶから、レナート殿下とどのくらい違うかなと思ってさ。うん。やっぱり着やせするんだね。僕より細くみえたから心配したけど、結構筋肉がついているから丁度みたいだ」
満足すると服から手を放してさっさと自分の服を選びだす。
本当に何をしでかすか分からない。この人から色々聞かなくてはいけないと思うと、なんだか始まる前から疲れが押し寄せて来る気がした。
着なれない服だからと理由をつけて、ジャンに手伝って貰って着替えを済ます。王子様って箱入りだねとグレイに笑われたから、心の中でレナート王子への小さな復讐の一つとして数えておく。
「できましたよ。レナート王子」
満足気なジャンの言葉に促されて鏡を見る。いつもと違う服が、こんなによく合うなんて知らなかった。
気の利いた礼装に身を包んだ姿は、今まで見た中で一番素敵だった。
レナート王子は、何時だって何だって控えめ過ぎた。決して間違いが許されないから、そうせざる得なかった。私の知らないレナート王子、きっとレナート王子自身も自分を知らない。
今朝の夢の所為なのか、嫌な姿よりも悲しい姿ばかりを思ってしまう。
グレイを先に朝食のある部屋へと送り出すと、ジャンと今日の打ち合わせをする。
「騎士団から何か連絡はきてますか?」
頷いたジャンが、ポケットからメモを取り出して報告する。
「ヴィントの丘へは、日付が変わる前には出発したとの事です。順調ならば明け方前、暗いうちには制圧に入れるそうです」
既にもう夜が明けた今、ヴィントの丘では攻防が繰り広げられているか。既に制圧が終わって捜索に入っている筈だ。間に合いそうな手応えに、拳を握りしめる。
「お願いの件での続報はないでしょうか?」
最初の日に頼んだのは三つ。グレイ・ローランドの捜索は既にここにいるから果された。あとは、襲撃者の弓の捜索と証言の調査。それから、騎士探し。
どちらかの件が、処刑に関わる一手に繋がってくれれば更に状況が楽になる。
「襲撃者の方については、何の報告も届いておりません。騎士の件では、抽出が済んだそうです。午前のうちに、参りますか?」
その言葉に頷く。何人まで絞り込めたのかは分からないけど、一人一人会って確認するなら相当の時間がかかるだろう。
「ジャン、今日の事で至急調整をお願いします。まず、午前は騎士探しを行います。グレゴーリ公爵と調整してください。今日の通常職務は、できれば全て中止にしてください。最後に、グレイを別の場所に移す事。いつまでも、ここに居られても落ち着きませんからね。食事を済ますまでにお願いできますか?」
頷いたジャンが礼をして踵を返す。
どれもこれも必要な事であると同時に、これでグレイと二人の時間が持てる。グレイの抱える秘密はジャンが従者に戻る前に、レナート王子が個人的にした事の可能性が高い。
今の私の立場との齟齬を、ジャンに見せるのはあまり良いとは思えない。
侍女の人払いも済ませてある部屋に入ると、グレイが先に食事を始めていた。普通の神経では王子様より先になんて畏れ多くてできない。当たり前が通用しないから、本当にグレイは厄介そうだ。
せめてレナート王子が協力的なら良かったのにと、内心でため息をつく。
「グレイ、これまでの事をもう一度整理したいので、改めて今回の件を初めから話して下さい」
席につきながらさり気ない風を装って、考えていた言葉を口にする。パンをちぎる手を止めたグレイが、金色の瞳が伺う様に私を見る。
「どこから? 」
「初めからですね。色々な事が起き過ぎているので、私の理解と齟齬がないかを見直したいのです」
パンお皿に戻すと、お茶を一口飲んでからグレイが頷く。
「とりあえず、ここからかな。舞踏会の日、僕は会場ではなく控えの間にいましたよね」
その言葉に、知らないけど知ってるふりをして頷いておく。
確かに、当日にはグレイの姿を会場で見かけた覚えはない。そういえば、ラニエル子爵が新しく新調したものの中に、ローランド男爵の絵をあげていた。確認の為に招待客側ではなく、主催者側となったのだろう。
「レナート殿下が突然、知らない女性……まぁソフィア様と入ってきて、アベッリ公爵が怒り出して、ストラーダ枢機卿が大慌てになって。そういえば、何であんなにアベッリ公爵が起こってたんですか? 強硬な『教会派』の人ほど、リーリア様との婚約を嫌がってたから、聖女様の婚約なら大歓迎でしょ?」
問う事ばかりを考えていたから、問われた事に一瞬焦る。とりあえず、穏やかな微笑みを浮かべて当たり障りのなさそうな答えを曖昧に返す。
「大事な日なのに想定外の事をしたからでしょう。私は特別な日に婚約発表をしたくてそうしたのですが、準備万端に整えたアベッリ公爵にしてみれば邪魔に感じたのかもしれません」
これなら、一般的に婚約を焦っただけに伝わるし、もしもグレイがもっと多くを知っていても、多少のごまかしがきくはずだ。
「意外とレナート殿下は、恋に夢を抱くんですね? 口論の時にアベッリ公爵が予定が違うとか、まだ早いと言っていた。要は本来なら別の日に行われるものを、貴方は特別な日であるあの日に無理矢理強行した。そう言う事ですよね?」
思わず苦笑いを浮かべる。どちらが質問してるのか、これでは分からない。
でも、グレイの指摘はある意味よくまとまっている。
『私』を陥れる為の婚約破棄は、キュールに国王陛下が到着後に行われる筈だった。それをレナート王子が独断で早くした。理由は分からないけど、アベッリ公爵もストラーダ枢機卿にも、急な婚約破棄は告げなかった。
「グレイ。貴方の質問は後にして、私の求める事を先にお願いします」
「ああ。失礼しました。気になるとつい、我慢できなくなる。貴方が大階段に向かうと、アベッリ公爵に何かを告げてからストラーダ枢機卿が走り出したんです。面白そうなので付いていきました」
よくも興味だけで、危険な大物について行けるものだと内心で呆れる。
「そんな事をするから、巻き込まれるのですよ」
「本当ですよね。結局、追いかけて行った所為で、あの変な頼み事をストラーダ枢機卿からされて」
頼み事? あの晩のグレイの行動にストラーダ枢機卿の意志がある? はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと頼みごとが何なのかを尋ねる。
「グレイ……。ストラーダ枢機卿が貴方に依頼した言葉を、一語一句もう一度正確に教えてください」
グレイが肩を竦めて、ほんの少し考え込む。
「一語一句かは怪しいけど、こう頼まれたんだよね。婚約破棄されたリーリア・ディルーカ伯爵令嬢が会場を出ることがあれば、後を追って中庭まで連れて行って欲しい」
「確かに、それをストラーダ枢機卿が言ったんですね? アベッリ公爵ではなくて、ストラーダ枢機卿がですよね?」
しつこいぐらいの念押しに、癖のある眼差しを少し見開いてからグレイが頷く。
「そうですよ。ストラーダ枢機卿のお願いでした。僕は彼女を追いかけて、目的の中庭で足止めした。結果、賊に襲われて、嫌な予感がしたから一足先に逃げた。リーリア様に悪いと思っているけど、残っていたら僕も絶対危なかったと思いませんか?」
グレイが顔を顰めて私に同意を求める。
「グレイ! 貴方の不幸は、私にとっては幸運でした! 本当に会えてよかった!」
はっきりとした手応えに、椅子から立ちが上がって声をあげてしまう。金色の瞳が私をじっと見て、私は慌てて咳ばらいをして再び席に着く。
「何? どういう事?」
「言えません!」
あの日、グレイは確かに私を追ってきた。棄てられた令嬢がどんな風か見ておきたいと言っていたけど、本当はストラーダ枢機卿に頼まれた。ストラーダ枢機卿がそれを望んでいたのなら、その後の事の全てはストラーダ枢機卿の絵図になる。
グレイが顎を一撫でした手で髪を掻き上げる。
「まぁ、いいです。逃げた僕は、偶然にも貴方と会った。あとは、ご存知の通りで――」
ドアをノックする音がして、ジャンが入室してくる。
「グレイ。ここで一度、話を終えましょう。続きは、また後で聞きます。ジャン、調整は出来ましたか?」
「はい、レナート王子。全ての手配が終わりました」
グレイには、まだ聞きたい事がある。でも、騎士探しの重要性も一刻を争うぐらいに大きくなっている。
二つに一つ。両方が選べない事は多く、巻き戻す事が出来ない事も多い。それでも、いつだって一つだけを選ばなくてはいけない。
「わかりました。すぐに、騎士団に行きます」
決断を一つ下す。これが『私』を救うために、今一番すべき事だと思った。
次回、あの時のあれが決め手になる?!
日曜日は多分更新お休みです。
平日はまた毎日できるだけ頑張ります。




