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あの子が怒ってます!


 冷たい眼差しで目じりだけを下げて、ジュリアが感情のこもらない笑顔を浮かべる。


「ご安心下さいませ。レナート王子には、少しも興味がございませんの。私はリーリア様が嫌いでしたの。旧国だからではなく、田舎娘だから嫌いでした。ソフィア様も庶民の娘だから嫌いです。二人が私以上に王妃に相応しいと思えませんもの」


 顎を僅かに上げて、澄ました表情でジュリアが言い切る。

 ジュリアの方が二つ上だけど、年齢的にレナート王子と十分に釣り合う。嫌がらせの噂はあるけど、身のこなしやマナ―は社交界一番の令嬢で、公爵の爵位を持つ『教会派』。確かに、これ以上ない条件だと言えた。

 ジュリアは間違いなく王妃に相応しい。でも、『田舎娘』の私だって婚約後は王妃教育を受けて頑張ってきた。


「相応しくないのであれば、努力をすればよい。私はそう思うのですが、グレゴーリ公爵令嬢」


 挑むように告げた言葉に、ジュリアが小さく首を振る。


「表面的な事だけではありません。リーリア様に、王妃として何がしたいか尋ねた事があります。政には一切関わらずに、レナート王子を支えていくと仰いましたわ。王妃になれば、女であっても権力を手に出来ます。自分の手で出来る事があるのに、何もしない姿勢をわたくしは許しません」


 レナート王子と婚約してすぐ、王宮の廊下でジュリアにすれ違いざまに尋ねられた事を思い出す。

 あの日、確かにそう答えた。でも、それは何もしない訳じゃない。私には叶えたい『また、いつか』の約束がある。

 お父様との約束もあったけど、何かを叶える為に自分がどう振舞えば良いのかきちんと考えた。

 『旧国派』の王妃が出来る事を望めば、無駄な軋轢が生まれてレナート王子を苦しめる。私はレナート王子が良い政を行って約束を叶えられように、陰から支える道を選んだ。


「リーリアには、叶えたい夢がありました。グレゴーリ公爵令嬢とは、道の選び方が違う。只それだけなのではないでしょうか?」


 ジュリアが姿勢を改めて、私を真っすぐ正面から見つめる。愛らしい見た目からは、想像できない威圧感に思わず息をのむ。


「王妃になる為に、リーリア様はどれだけ学んだのでしょうか? わたくしは夢を否定された幼き日より、ずっと学び続けてきましたわ。悔しいけれど、この国では女は何も望めません。何かをしようと思えば、王妃になるしか道はないんです。わたくしには、王妃となって成したい事がたくさんあります」


 いつもの愛らしさが消えた顔には、凛とした強さが漂って眩しくなるような美しさがあった。

 私の知らないジュリアは、愛らしい振りをする女の子でも高慢で意地悪な子でもなかった。言葉がきついのは変わらないけど、何か一つ絶対に動かせないものを持っている。

 ジュリアのこの強い思いは、一体何処から来るのだろうか。


「ジュ――、グレゴーリ公爵令嬢。貴方の夢とは何だったのですか?」


 ほんの一瞬、強い女の顔でジュリアが稲穂色の瞳を揺らす。


「私の夢は騎士でしたの。お父様には勝てないけど、下のお兄様とは互角に打ち合います。小さい頃は、誰より才があると言われました。でも、騎士になりたいと言ったら皆が笑って、素敵な殿方に嫁ぐのが女の子の幸せだと言われました。女は飾りなのですか? 官吏にも騎士にも何者にもなれず、進みたい道が一つも選べない」


 一息に告げたジュリアが、何もかもを吐き出すように深く息を吐く。そして再び口を開く。


「貴方なんて、どうでもいいんですわ。わたくしは力ある王妃とになって、女の生き方を変えたい。その為に、幼い頃より誰よりも学び、努力をしたと胸を張れます。リーリア様もソフィア様も、これまで教育を受けておりません。そして、わたくし以上の思いもなく、王妃としての未来も持たない。だから嫌いです。邪魔をするならば、全力で排除します」


 レナート王子の中に『私』とソフィアを見るように、ジュリアが鋭く眼差しを細める。


 王の政を支える事を選んだ私、王妃となって腕を振るう事を願ったジュリア。男と女。旧国派と教会派。大人と子供。愛する人と愛される人。

 人の立場は万華鏡のように、見る者によって全てが変わっていく。

 

 もっと早く、本当のジュリアを知りたかった。レナート王子の婚約者として、彼女と未来を話せたら良かった。でも、もう遅い。私に出来る事はなく。ジュリアに望める事はない。

 ジュリアに向かって一礼する。


「グレゴーリ公爵令嬢。貴方の目指すものは尊い。私が出来る事は考えてみます。だけど、改めて理解して頂きたいのです。私はソフィアを想っているから、君を選ぶ事はないのでしょう。排除と言う言葉は穏便ではありません。何かをするならば、私は容赦しない」


 ジュリアにとって婚約破棄された私は、攻撃対象から既に外れている。だから、次の婚約者であるソフィアを守る事を私は選ぶ。

 ジュリアがバラ色の唇に人差し指を当てて微笑む。


「わたくしが貴方に伺いたかったのは、選ばない理由ですわ。その答えは、恋。そういう事で宜しいですか?」


 穏やかな表情とは裏腹の冷たい声に、ジュリアが感情を抑え込むのが見えた。

 ジュリアの想いを砕く結末を、レナート王子ではない私が告げる。きっと傷つけてしまった。胸が痛む。

 でも、途中で止める訳にはいかない。私はジュリアの質問に、はっきりと答えを告げる。


「そう理解していただいて構いません」


 この答えで間違っていないと思う。

 私に縋ったレナート王子は、恋心を口にした。舞踏会でソフィアを見た眼差しには、確かに愛しむ色があった。

 ジュリアが笑顔のまま、私の方に一歩身を乗り出す。


「もう一つ。今度はお話したい事がございますの。王妃候補のリーリア様は嫌い。でも、候補を外れた今は、煩いあの子が嫌いではありませんの。ねぇ、レナート王子? 田舎娘に恋をして、次は聖女に恋をした? こんな馬鹿な婚約破棄、わたくしなら絶対に許しません。リーリア様に心から同情いたしますわ」


 ジュリアが私の事を嫌いじゃない? 『旧国』も嫌いじゃないと言っていた。私がお茶に誘ったら、きてくれるのだろうか。

 どちらかしか選べない事がたくさんある。レナート王子を失って、私は初めてジュリアと友達になる機会を手に入れる。泣けばいいのか、笑えばいいのか。何だかとても複雑な気分になって、思わず小さくため息を落とす。

 ジュリアが、更に一歩踏み出す。


「貴方は次代の王で、選ぶ女性は次代の王妃。その重みまで理解して、婚約破棄なさいましたか?」


 婚約破棄の件に関しては、私に尋ねられても困る。

 戸惑う私にジュリアが答えを促すように、一度大きく床を踏む。慌てて終わらせる為の言葉を口にする。


「リーリアの件は、もう終わった――」

「終わった? 婚約破棄の日から、わたくしの怒りが治まりませんの。今回の婚約破棄は、全ての令嬢への侮辱だと感じております。王妃と認めた令嬢を、王があのような形で棄てますの? 飾り物の令嬢には、何をしても許されると嘲笑われた気分ですわ」


 言葉を遮ったジュリアが、少女のように頬を膨らませる。それから、ドレスの端を強く握りしめて、吹っ切れたような笑顔を浮かべる。


「この国の女性はもっと自分で決断できる事を望むべきだと思いますの。馬鹿王子の恋に振り回されるなんて、まっぴら……。わたくしは王妃争いを、自分の望む形で降りますわ。ごめん遊ばせ」


 一瞬何が起きたか分からなかった。ジュリアが視界から消えたと思ったら、私の体が宙に浮いていた。軽蔑した眼差しのジュリアの姿が、視界の中で横になる。足払い――


「――っ」


 気付くのが遅れて、受け身を取る前に肩から地面に叩きつけられる。

 床に蹲る私の側で、ジュリアが低くした体を起こして両手を腰に当てる。レナート王子である私を見下ろす眼差しは、嫌悪感でいっぱいだ。


「さあ、わたくしもリーリア様と同じ大逆罪ですわ。このグレゴーリ公爵令嬢を、リーリア様の隣に並べて処分なさってくださいませ。派閥の大物令嬢二人が処刑されれば、女の悲しさに気づく者も増えましょう。捕縛の騎士を屋敷でお待ちてますわ。では、ごきげんよう」


 鮮やかに優雅な一礼をしてジュリアが身を翻す。こんな時でも扉が閉まる音が一つもしないのは流石だ。

 床から体を起こすと、笑いがこみ上げてくる。

 

「ふふっ、ジュリアがあんな子だったなんて! 私よりもお転婆!」


 一国の王太子相手に啖呵を切った足払いは、黒ずくめの男の足払いより早くて正確だった。間違いなくジュリアは、その辺りの騎士より強い。


 笑いながら、服についた埃を払うと肩が痛む。

 レナート王子の代わりに倒されるなんて、今日も不運が続く。……不運?

 舞踏会の不運。あれもジュリアなのかもしれない。ジュリアはあの日、私を追い落とすつもりだったと言った。私と揉める前にも、色々やった可能性はある。

 でも……と、首を傾げる。

 私の婚約発表が、延期になったのは有名だ。じゃあ、何故ジュリアはあの日と決めたのか。

 多分、レナート王子の婚約発表がある事を何処かで知った。ただ、相手の名前までは確認できなくて、私だと勘違いしていた。

 何処で誰から聞いたのかを、ジュリアに聞いてみたほうが良いのかもしれない。


「でも、レナート王子の姿で聞きにいったら、また痛い思いをしそう……」

 

 去り際のジュリアを思い出して、また吹きだす。

 私とジュリアが並んで処刑なんてされたら、本当に大騒ぎになる。

 全てがおわったら、私は絶対にジュリアにお茶の招待状をだす。笑って苦しくなったお腹を抱えながら、私はそう決めた。


 一しきり笑った私は、慌てて謁見室に向かう。少しのつもりだったのに、時間が随分かかってしまった。走ってはいけないのは分かっていたけど、人がいない所は全力で走る。

 警備の者が立つ謁見室の扉が見えて、待っていたジャンが私に気付いて手を振る。


「レナート王子、お待ちしておりました。心配していたんです」

「すみません! グレゴーリ公爵令嬢が来て、少し話しをしていて遅くなりました」


 ジャンが頷いて、手早く状況を説明してくれる。


「既にニアンテ大公は、謁見室にお入りです。まだ早い時間ですが、ストラーダ枢機卿、文院長、礼院長、数院長が立ち合いにいらっしゃっています」


 ジャンが手早く私の礼装を整えたのを確認して、警備のものに声をかける。


「では、扉を開けて下さい」


 騎士が扉を開く。糸に吊られる気持ちで背中を伸ばして、下腹部に気合と共に力を入れる。

 ジャンがレナート王子の入室を宣言する声が響いた。


「レナート王子の入室です!」


 緋色の毛足の長い絨毯を、いくつもの眼差しに見守られながらゆっくりと進む。

 左右に並んだ四人の重臣が、私の姿を認めて一斉に一礼する。

 ストラーダ枢機卿をはじめとして三人が強硬な『教会派』。数院長は『教会派』だけど、ラニエル子爵の上司で中立派に近い。


 広間の中央で待つクリスが私に向かって微笑みかける。天使みたいな容貌を引き立てる白の装いに、今日もグリージャ皇国の白い羽の飾られた帽子を片手で抱えていた。

 側まで来た私に優雅な仕草で立礼したクリスに、国王代理のレナート王子として頷くだけの軽い礼を返す。


 一段高い所にある玉座を見た途端、緊張で心臓の鼓動が早くなり始める。

 重臣の前で、クリスの前で、どこまでレナート王子を演じられるだろうか。


 玉座の前に着く。代理だからここに座る事はない。そのまま広間に並ぶ者達に向き直る。

 全員が私に向かって、一斉に一礼をする。今度は顔を上げるものがないのは、私が声をかけるのを待っている為だ。

 喉の奥が緊張でからからに乾くのを感じる。声が掠れたり咳払いなんて絶対できない。

 落ち着いて、そう言い聞かせて口を開く。


「皆、顔を上げるとよい」


 告げると同時に、レナート王子らしい優雅な笑顔を浮かべる。全員が顔を上げて安心した束の間、今度は視線の全てが私に集まる。


 この後、どうすればいい? 平静を装いながら、せわしなく目を瞬く。

 身分の低い方から普通なら名乗るから、私からクリスに話しかける訳には行かない筈だ。重臣の中からストラーダ枢機卿が一歩足を踏み出す。


「レナート殿下、謁見に参られたのはグリージャ皇国大公であるクリス・ニアンテ様です。我が国との友好を深める為に、暫しご滞在するとの事で挨拶におみえになりました」


 頷くと、クリスが膝をついて最も丁寧な一礼をする。


「クリス・ニアンテと申します。末席ではございますが、グリージャ皇国の王家に名を連ねております。大国セラフィンとの友好を深めると当時に、多様な文化を学ぶ為に参りました」


 溜息が出る様なクリスの身のこなしに気を引き締める。少年のようで天使のようにかわいいけど、クリスは私よりもずっと年上で狡い人だ。


「ようこそいらっしゃいました。セラフィン王国王太子、レナート・セラフィンです。不在の国王に代わり、グリージャ皇国の使者であるクリス殿を心より歓迎いたします」


 グリージャ皇国とセラフィン王国の関係は、他国と比べると浅い。王家の諍いが絶えず政が安定しないから、交易などは国同士ではなく街の商会と直接取引がされている為だ。

 クリスが空色の瞳で私を上目遣いに見つめる。この愛らしさで二十ニ歳なんて信じられない。


「ありがとうございます、レナート王子。今日は遅れておりました到着のご挨拶と、現皇王チェーリオ十三世からの親書をお届けに参りました。早速ですが、お人払いをお願いしたく存じます」


 クリスの言葉に眉を顰めた重臣の中から文院長が進みでる。


「人払いするとは何事ですか? ここで、我々の前で良いではありませんか!」


 無邪気な子供が驚くようにクリスが目を見開く。


「何をおっしゃっているのですか? 僕には貴方の言葉が理解できません。神聖な皇王の親書を、多くの人の目に触れさせろと仰るのですか?」


 そう来たのか。思わず心の中で拍手を送りたくなる。

 グリージャ皇国の王家の争いが絶えないのは、王の神聖性が高すぎる為だ。二人の王が立てば、互いにどちらの陣営も決して引かない。そして、ただ一人の王である事にこだわる。兄と弟、二つに分かれた王家の争いが脈々と続いている。


 子供に言って聞かせるような口調で、礼院長がクリスを説得する。


「我が国……いいえ、どこの国でも書簡のやり取りで人払いまでしますまい。クリス様、どうか我々の前で書簡をお渡し頂けますようお願いたします」


 口を挟まずに礼院長とクリスのやり取りを見つめる。急な謁見だから誰一人、グリージャ皇国との外交手順を確認できていないのだろう。

 小さく首をかしげたクリスが礼院長を見つめる。


「これは政にかかわる連絡の書簡ではなく、大公が手ずから運ぶグリージャ皇王直筆の親書です。何処の国でもとおっしゃるのですか?」

 

 愛想笑いのような笑顔を張りつかせた礼院長が頷くと、クリスが子供の表情から冷めた大人の表情に変わる。


「幼く見えるからと、軽んじられては困りますね。僕は相応の年齢で、親書を任せられた使者です。北の言葉、西の言葉、東の言葉、南の言葉。全ての言葉を理解して使えるので、これまでに色々な国を使者として訪れました。争いの絶えぬ我が国の、皇王直筆の親書の意味が理解されなかったのは初めてです」


 礼院長の顔が青くなり、周囲の重臣達に助けを求めるように視線を巡らす。

 この機をしっかり引き寄せないと、今日の謁見の意味がなくなる。礼院長の名前は、ウィルソン伯爵。お父様の評価は、他人の威を借りているだけの小心者。しっかりと人物像を思い出してから口を開く。


「ウィルソン、謝罪をなさって下さい。グリージャ皇王の筆は、かの国の争いの行方すら決めかねない力を持っていた筈です。我が国から筆跡が漏れる訳にはいきません。過去の外交歴でも、親書は国王だけが読み、その場で破棄する事になっていた記憶があります」


 執務室を出る前に読んだ外交の注意点をまとめた書類に書いてあった。レナート王子の筆跡だったから、個人的にまとめたものだったのだろう。


 弾かれたように礼院長がクリスに向かって、謝罪の言葉を口にする。鷹揚に笑って頷いたクリスが、今度は私に向かって一礼する。


「レナート王子が勤勉な方で幸いでした。我が国の特殊な事情をご理解いただき感謝いたします」


 ここまで来たらあと一押しだ。ストラーダ枢機卿に命じる


「親書の確認を終えるまでです。人払いを」


 ストラーダ枢機卿は僅かに眉をしかめたが、すぐに頷いて重臣達を促して部屋の外に出る。

 謁見室は、私とクリスの二人だけになった。

 クリスが空色の瞳で柔らかな弧を描いて微笑む。


「あまり時間がないかと存じます。手早く要件を済ませてしまいましょう」


 天使みたいな表情に捕食者のしたたかさを纏って、クリスが胸元から書類を取り出した。


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