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『私』はだぁれ?


 公正な人物であるグレゴーリ公爵は、現状を決して許していない。厳しい眼差しも、国王陛下の代理であるレナート王子に苛立ちを覚えているからだ。

 それでも、私との約束を守ってくれたのは、実直さと王家への強い忠誠心によるものなのだと思う。


 どうか、レナート王子をグレゴーリ公爵が見捨てていませんように。そう願いながら、威圧に負けないようにお腹に力をぐっと入れる。


「シストは明日、釈放をします」


 告げた瞬間、グレゴーリ公爵の眼差しにはっきりとした憤りが浮かぶ。

 ここで気圧されてはいけない。グレゴーリ公爵は、アベッリ公爵と肩を並べる唯一の人物だ。私はレナート王子として、彼と対等以上の関係を築く必要がある。

 

「私は……今の私は、このままの状況を見過ごして良いと思っていません。遅い決断だと分かっていますが、必ずあるべき国の流れに今から変えます」

「状況を変えると言いながら、シストをアベッリ公爵の求めに応じて返す。それで、何が変わると言うのです? レナート王子、思うだけでも願うだけでも何も変わりません」


 冷たく私を見据えたグレゴーリ公爵が、切って捨てるように言葉を放つ。強くなった言葉の後半に、レナート王子に溜め込んできた思いを見た気がした。拳をぎゅっと握りしめる。

 こんな言葉を騎士団長に言わせるなんて、レナート王子は馬鹿だ。


「シストには、私かアベッリ公爵かを選ばせます。釈放するのは、私を選んだ時だけです。過った処刑を止めるには、残された時間があまりに少ない。アベッリ公爵から有益な情報を得る為に、シストには間者の真似事をさせるつもりです」


 アベッリ公爵と対立する明確な意思と具体的な行動を告げると、グレゴーリ公爵が険しい表情で眉を寄せる。


「言葉の意味を理解されていますか? 見抜かれれば、アベッリ公爵は貴方を許さない」


 大きくはっきりと頷き返す。どちらかしか選べない事がここにもある。


「今の私は、もう以前の私ではありません。私は、私の自由にすると決めました! 対峙する事を恐れません」


 グレゴーリ公爵が、まだ満足できないと言いたげに小さく首を振る。


「レナート王子は何を望むのですか? 元に戻した先はどうするのです? アベッリ公爵は貴方を支持する『教会派』の中心人物だ。一時の感情で対峙する事は、決して得策とはいえない」


 レナート王子とデュリオ王子の生まれは、たった十日しか違わない。第一王子で王太子に指名されても、立場は盤石とは言い難かった。

 自分を支持する『教会派』の反感を買うのが怖かったのか。大っ嫌いになった私を不幸にしたかったのか。

 レナート王子は何を思って、あの馬鹿々々しい書類を認めたのか分からない。


 でも、幼い頃にナディル先生が示した地図の『旧国』は、元のセラフィンよりもずっと大きかった。『教会派』だけを遇して成立できる時代は、近い将来に必ず終わりをつげる。

 セラフィンが今の姿であり続けるには、『旧国』との共存は不可欠だった。だから、先々代の国王陛下は大きく舵をきったのだろう。

 

「私は、先々代から続く流れを継承すべきと思っています。『旧国派』と『教会派』が対立する事の方が、得策ではありません」

 

 落胆したような溜め息をグレゴーリ公爵が吐いて、不躾な程はっきり計る眼差しを向ける。


「模範的な解答ですが、貴方の変化の根底にあるものが私は知りたい」


 私は『私』を救いたい。そして、今は私自身がこの間違った流れを、許したくないと思っている。

 

 それに……。束の間、私は目を閉じる。

 このままでは、レナート王子はきっと後戻りが出来なくなる。

 私たち三人がずっと昔に『また、いつか』と願った約束も、二度と果されなくなってしまう。


「私事になりますが、よいですか?」

「勿論です。私は自らの思いがなければ、大事をやり遂げられないと考えていますので」


 グレゴーリ公爵ほどの人物が真実を求めるならば、私が演じるレナート王子の言葉はきっと通用しない。


「デュリオ、私、リーリア。ずっと昔、三人一緒でした。大人が何を言おうとも、互いがどんな立場であろうとも、友だと思っていたんです。でも、『派閥』や『王位継承』の問題に阻まれて、今は三人揃う事はありません。諦めたくないんです。大人になったら『また、いつか』と約束をしました。何度も周りに流されて、振り回されても、まだ大丈夫だと私は信じています」


 私に未来を求めた時に、レナート王子も確かに三人で約束した未来を叶えると言ってくれた。今のレナート王子は、もう変わってしまったのかもしれない。だけど、私は『いつか、また』の未来をまだ棄ててない。

 十四歳でレナート王子と、十六歳でデュリオ王子と離れる決断ができたのも、全ては『また、いつか』を叶える為だ。


 稲穂色の瞳が、紫の瞳を穿つように見つめる。唇を引き結んで、私は僅かに胸を張ってその眼差しを受け止める。

 少しの間、睨み合う時間を続けたグレゴーリ公爵が私の前に跪く。


「騎士団は、王の剣であり盾。忠誠を誓い、望みのままに動く。国王陛下がご不在の今、我々騎士団の主は国王陛下代行のレナート王子です。我々は貴方の望みのままに動きましょう。ですが、行くのならば正道を共に歩ませてください」


 戒めを含んだ宣誓には、国王の代理の間という条件が付いた。でも、今はこれで十分だ。


「私が私である限り、お約束いたします」

 

 グレゴーリ公爵に手を差し伸べると、硬くたくましい手が力強く私の手を握り返す。

 戦う為の『剣と盾』を手に入れたここからが、本当の勝負になる。

 

「それでは、お願いを早速させて下さい。シストの釈放は明日を予定します。それまでに、外苑とリーリアの件でたっぷりと絞っておいてください。次に、外苑の方は引き続き人の出入りと、弓が川下に漂着してないか確認をお願いします。私達の体を逸れた弓が数本ですが、川に落ちた筈です」


 矢継ぎ早に話す私に向けられた眼差しに気づいて言葉を止める。


「あの……何か?」

「レナート王子が、私に積極的に提案をされるのは初めてですね。少々面食らっておりました」


 この言葉には、私の方が少し驚いた。

 レナート王子は確かに控えめで大人しいけど、自分の考えはきちんと持っていた。むしろ、私達といる時は、少々腹黒い所すらあった。

 どうしてと思った瞬間、時折見せた暗く悲し気な眼差しが頭をよぎる。


「……委縮していたのかもしれません。レナ……私にかかる期待は大きく、デュリオと比較されれば失望も大きかった。今の私は怯えるものなんてありませんから、どんどん言いたい事は言わせてもらいます」

「結構です。私は今の貴方の方が好ましいです」


 一瞬、やり場のない気持ちが押し寄せてくる。

 今の私と、元のレナート。この状態がいつまで続くのか分らない。いつか元に戻った時に、私はグレゴーリ公爵を失望させる事になるのだろうか。

 レナート王子の大馬鹿。本人に会ったら絶対にそう言ってやろうと心に誓って、再び私は支持の続きを話す。


「話を戻します。ソフィアの襲撃事件は、証言や証拠を徹底的に確認しなおして下さい、あと、グレイ・ローランド男爵の保護をお願いします。彼には逃亡か、身の危険か。全く異なる二つの可能性があると考えています」


 私の言葉にグレゴーリ公爵が不思議そうな表情を浮かべた。

 握りつぶされていた『私』の証言を伝えると、忌々し気に舌打ちをする。


「――っ、どこまでふざけた真似をするんだ。ローランド男爵は必ず見つけましょう」

「はい。デュリオも行方を捜していると聞いています。私の名は伏せて確認してみてください」


 グレゴーリ公爵が小さく頷く。

 零れ落ちた長い前髪を指でくるりと遊んで、最後にもう一つ依頼する。


「最後に理由は伏せさせて頂きますが、騎士探しをお願いします」

「騎士探しですか?」

「はい。少ない条件から一人見つけたい方がいるんです」


 グレゴーリ公爵が稲穂色の瞳を見開くと、不思議そうに首を傾げて頷く。ジュリアに似てると改めて思いながら、私は条件を提示していく。


「グレゴーリ公爵と同じぐらいに感じたので背は高い方でした。瞳は暗くも明るくもない茶色。魔力は土属性。性格はやや気が短く感情的。階級は長以下で、能力は低くないので新人は外しましょう。年齢は青年に属するぐらい。出身は貴族。王都にいる騎士で当て嵌まる者は何人ぐらいいますか?」

「全てを満たすならば、凡そ三十名以下まで絞り込めるかと思われます」


 決して少なくはない数だ。ここから一人を探すとなると、かなり時間がかかる。


「では、更に『教会派』に絞りましょう。彼らを何か理由をつけて一カ所に集めて下さい。明日、遅くても明後日までお願いします」

「分かりました。急ぎ手配しましょう」

 

 グレゴーリ公爵が自分の従者に言づけて、これまでの内容の手配を始める。

 窓の外はもうすっかり夜で、初日に打てる手はここまでだろう。残す用事は、あと一つ。


「グレゴーリ公爵。ディルーカ伯爵令嬢に会えますか?」

「ええ。取り調べができるようご説得頂けると助かります」


 そのお願いには答えられるかは怪しいが、とりあえず快諾を思わせる笑顔で頷く事にした。




 人気のない廊下をランプを灯した、グレゴーリ公爵と並んで歩く。

 『私』が囚われている部屋は、地下牢がある西棟の資料室の奥の一室だった。

 

「グレゴーリ公爵が。リーリアの様子は、どうなのですか?」

「余程怖い思いをされたのか、別人のように静かにしていると聞いています」


 ちらりと私を見たグレゴーリ公爵が、少しだけ考え込むように天井煽ぐ。


「色々あったとは聞き及んでおりますが、レナート王子はディルーカ伯爵令嬢をまだ思ってらっしゃるのですか?」


 ソフィアの顔が頭を過ぎって、慌てて首を振って否定する。


「違います。それはソフィアに失礼です。昔の話で誤解させてしまったかもしれませんが、リーリアは友と呼ぶのが今は適切だと思います」


 一番無難な回答をしたつもりだったのに、グレゴーリ公爵はやや不満顔だ。

 過去と今を比べれば、どんなにつじつま合わせをしても、事実や感情に微妙な齟齬が残る。中の人間が違っているから、流石に完璧とはいかない。

 苦笑いを浮かべて、改めてグレゴーリ公爵に言い訳する。


「一つ大きな決断をしましたが、まだ整理のついていない事も多いんです。グレゴーリ公爵には、そのような経験はありませんか?」


 困った時は疑問を返すのが一番だ。会話のボールをとりあえず相手に委ねられる。

 一度顎をなでたグレゴーリ公爵が僅かに口元を綻ばせる。

  

「私が婚約者とは別の娘に心惹かれて悩んだのは、今のレナート王子の年頃でした。多感な時期と言うのでしょうか、他にも多くの感情を覚えた記憶があります。ふむ、そう考えるとレナート王子の変化も少し理解できる気がしますね。貴方は今、大人の階段を上っているのでしょう」


 したり顔で頷く姿にそっと安堵の息を吐く。意外な展開からグレゴーリ公爵の共感を勝ち得る事が出来てしまったようだ。


「あぁ、見えてきたな。レナート王子、あちらの部屋です」


 指されたた先には、扉の前に二人の兵が立っていた。

 あの向うには、『私』の体があって、そこには私じゃない誰かがいる。


 誰にも話の邪魔をされたくなくて、魔力を集めた指先でドアに触れる。


「二人で落ち着いて話したいので、防音の魔法を掛けさせて頂きます」


 レナート王子の体になって魔力を使うのは初めてだ。手足の感覚は同じでも、動かせば違和感が僅かにあったが、魔力は特に何の変化もなかった。

 流れると体の中が熱くなる。属性も変わらずに『炎』なのかもしれない。制御があまりうまくないのも、残念だけど変わっていなかった。


 防音の魔法を書き終えると、厚い木製の扉を叩く。返事がないから強めにもう一度叩いて、ゆっくりと扉を開く。


 扉の向うには、ベッドに座った『私』が見えた。広げた手を壁のランプに透かすように見つめ横顔に声をかける。


「こんばんは、わた……ディルーカ伯爵令嬢」


 弾かれる様に、『私』がこちらに顔を向ける。


「こんばんは、レナート王子? 扉を叩くぐらいしてから、入室して頂きたかったです」

 

 『私』が小首を傾げて言うと、肩から紺青の髪が柔らかく滑り落ちた。


 お行儀悪く後ろ手にドアを閉めて、扉によりかかると何度も自分の目を擦る。

 目の前の『私』には見惚れる様な気品と優雅さがあって、自分だけど自分じゃないみたいに見える。


「入室の件は、謝罪します。扉を叩いてから、魔法を書けるべきでした」


 防音の魔法を書けてたら、当然外からの音は中には届かないし、中からの音は外に届かない。

 気持ちが急いて、基本的な事をすっかり失念していた。


 ゆっくりと私は『私』に近づいて、手近にあった椅子を引き寄せて腰を下ろす。

 心臓が早鐘を打って、立っていたら私はきっと倒れてしまうだろう。


 鏡の前に立っているかのように、目の前の『私』が私を見つめる。

 紺青の髪と同じ紺青の瞳。少し低いのが気になっていた鼻。日焼けをやめたら、抜けるように白くなった自慢の肌。間違いなく、そこにいるのは『私』。

 でも、今の『私』は別人みたいな高貴な空気を纏っていて、見ているとすごく落ち着かない。そわそわと居心地悪く見つめていたら、もの問たげな紺青の瞳と私の視線がぶつかる。

 椅子に座りなおすと、覚悟を決めて私は口を開く。


「貴方は、誰ですか?」


 直球で正体を尋ねると、『私』が蕩ける様な微笑みを見せて私の声で答える。

 

「私が誰だか、君にはわからないの?」


 意地悪く揶揄うような言葉選びと話し方に、はっきりと予感していた人の姿が重なる。


「予想はついてますよ。でも、貴方の口から答えを聞きたいんです。意地悪を言わずに、ちゃんと答えて」


 ほんの少し睨んで言うと、『私』が一度唇に人差し指を当ててから、艶やかに微笑んでゆっくりと口を開く。


「私は、リーリア・ディルーカ」

「嘘です!! それは私です。もう、冗談はやめて」


 私が怒るのを見て、くすくすと楽し気に顔を逸らして『私』が笑う。


 人を形作るのは、容姿だけではない。それを思い知らされた気がした。

 目の前の『私』は、たしかに『私』であって私でない。その一挙手一投足に、中にいる人の姿が映る。


 『私』が笑いを治めると、小さく嘆息して漸く答えを口にする。


「王子様のご命令だし、今度は本気で答える事にするよ。私は、レナート・セラフィン。君の体の持ち主だね」


 

昨日分の投稿が遅れました。ごめんなさい。

続きは、明日になってしまうかもしれません。

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