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聖女様が優しすぎて!

 はだけた服を掻き合わせて、慌てて立ち上がる。

 飛び込んできた気の良い兄さん風の従者が、私の前で満面の笑みを浮かべて優雅に一礼してみせる。

 三十を超えている筈なのに、人の良さそうな笑顔が全く変わっていない。非礼に怒るよりも、懐かしいという思いが胸に込み上げる。


「ジャンさ……うんっ、んっ」


 思わず、口に出しそうになった『ジャンさん、懐かしいです』という言葉を飲み込む。

 シストに変わるまでは、ジャンがレナート王子の第一従者を務めていた。私達の一番楽しかった時期を見守ってくれた大人の一人で、私にとっても気安い人物だ。


「貴方様の第一従者に昇格となりました。また、宜しくお願いします」


 嬉しそうに言ったジャンが、目じりの涙を拭う。思わず笑みがこぼれる。

 ジャンはレナート王子をとても可愛いがっていて、控えめなレナート王子も彼には子供らしい我儘を言っていた。外苑での二人は、主と従者というより、時に年の離れた兄弟みたいだった。

 安心して身の回りの事を任せられる彼が、第一従者に昇格したのは私にとって幸運だ。


「本当におひさしぶりですね。私もずっと会いたかったです。どうぞ宜しくお願いします」


 安心した所為で、再び私の部分が顔を出す。リーリアとして十四歳以来だったから、つい『お久ぶり』なんて言ってしまった。拙いなと思ったけれど、ジャンが気にした素振りはない。


「本当に久しぶりですね。きちんとお側にいるのは、半年前のシャンゼラ訪問以来でしょうか? あの時は従者補佐で、シストがいない時しかお世話できませんでしたね」


 思わず、目を瞬く。それから、私は満面の笑顔を浮かべて同意して見せる。


「そうでした。私達がお久しぶりなのは、確かに半年前以来ですね。また、こうして一緒に過ごせて嬉しいです」


 ジャンにとっては私はレナート王子。だから、レナート王子との最後の記憶としてジャンは理解した。曖昧な言葉なら、人は自分の知る知識で補完してくれる。

 一つコツを得た気がして、私は一度大きく頷く。

 そんな私を上から下までジャンがゆっくり見つめる。すっかり忘れていたけど、私は着替えの途中だった。


「お着替えの途中だったようですね。嬉しくて了承も得ずに入室してしまい、申し訳ありません。折角ですし、私がお手伝いいたしましょうか?」


 いくら王子様と言えども、着替えを手伝ってもらう年ではない。でも、私にレナート王子の体を直視できる自信は無い。


「是非、是非、お願いします。目にゴミが入ったので、時々目を閉じててもいいですか?」


 レナート王子には少し気の毒だけど、ジャンの過保護な提案に飛びつく。この小さな恥も、私との婚約破棄の代償という事でいいだろう。

 殆ど目を瞑った状態で、ジャンに着替えを済ませて貰う。

 着替えを終えた姿を鏡で一瞥すると、見事に王子様らしい姿が完成していた。

 

「ジャン。早速ですが、今日の予定の打ち合わせを」

「分かりました。隣の間に朝食を用意させております。召し上がりながらで、如何でしょうか?」


 食事をとる時間も惜しいけど、食べずに倒れるわけにはいかない。頷いて食事をとる為に隣の部屋へ移る。


 交代を告げられて、すぐ食事の指示を出したのだろう。お腹に優しそうなスープを中心とした朝食が隣室に用意を済ませてあった。

 給仕の侍女を外に出すと、ジャンが椅子を引いて私を座らせる。慣れた手つきでお茶が淹れられると、レナート王子が好きな香りが部屋に漂う。


「こちらは、野菜をペーストしたスープです。今は昼過ぎですが、レナート王子は半日以上眠っておられたので……」

「はぁあああ?! 今、朝ではないのですか?」


 スープを置いたジャンが驚いて目を見開く。

 大失態! レナート王子はこんなはしたない叫び方はしない。慌てて咳ばらいを一つして、レナート王子らしい対応に切り替える。


「んっん。あぁ、すまない。私はそんなに眠っていたのかな?」

「え、ええ。まぁ、驚くのは無理もありませんね。傷は浅くなかったのですが、少々無理をされた為に出血がかなり酷かったようです。今は侍医が水薬を使って塞がっていますが、まだ激しい動きはなさらないで下さい」


 水薬は水属性を使える医師が良く使う魔法だ。たくさんの薬草と魔力を合わせた水で傷口をしっかりと塞ぐ。ある程度の傷なら、それで簡単に出血を塞ぐことができて回復も早い。でも、処置後はとにかく眠くなる。


「分った。無理はしないよ。わた……ディルーカ伯爵令嬢の処刑は四日後だな?」


 ジャンが僅かに眉を顰めてから小さく首を振る。


「ええ。そのようですね」


 処刑当日はもう何もできないだろう。実際に何かができるのは、今日を含めて三日だ。今日はもう残りは半日もない。思わず額を抑える。失った時間は余りに大きい。


「……レナート王子、『教会派』として無理をされておりませんか? 従者が口に出してはいけない事と存じておりますが、昔を思うと私は心が苦しいです。本当は貴方様も思う所があるのでは?」


 意を決したようなジャンの眼差しを見つめ返す。

 レナート王子が何を思っているのかは知らない。私を大っ嫌いと言ったのだから、心苦しいなんて思っていないのが正解なのだろう。

 でも、『私』を救うためには、レナート王子の気持ちなんて考えていたら間に合わない。


「ジャン。私は、この状況をまだ迷っているんです。リーリアを救える切り札を、揃えておきたいんです。協力をして貰えますか?」


 レナート王子が大好きなジャンに裏切らせるのは心苦しい。だから、迷っているに今はとどめておく。


「最大限出来る事はさせていただきます」


 ジャンが表情を引きしてめて一礼するのを見ながら、出来る事を探し始める。


「では、リーリアの件に関わる資料の用意をお願いします。改めて目を通そうと思っています」


 私がどうなっているのか。処刑がどんな形になるのか。まずは情報を全てを把握しておきたい。


「わかりました。では執務室にご用意させて頂きます。時間の少ないところ心苦しいのですが、国王陛下の代理でご決済頂く書類も溜まっております。一緒に積んでおきますので、お願いしても宜しいですか?」

「勿論です。それから、ディルーカ伯爵令嬢は、目を覚ましましたか?」


 ずっと気になっていた私の状況を尋ねる。


「グレゴーリ公爵が、城内の一室に移されたと伺っております。詳しい事は入ってきておりません」


 部屋を移されているのなら、グレゴーリ公爵は約束を守ってくれているのだろう。

 先に会うべきなのはどちらだろうか。グレゴーリ公爵か、それとも黒幕の可能性が高いアベッリ公爵か。

 時間がないから、一つだって選択を間違える訳にはいかない。


「ジャン、書類の閲覧が終わったらグレゴーリ公爵と会います。すぐではありませんが、アベッリ公爵、ストラーダ枢機卿とも会う事になるでしょう。調整をお願いします」

「畏まりました。では、今から給仕を侍女たちに任せます。私は書類の準備と各方々との調整に動かせて頂きます」


 ジャンが出ていくと、代わりに数名の侍女たちが入ってきた。

 レナートらしい上品さで、もどかしくスープを口にして食事を早々に切り上げる。侍女にジャンへの言伝を頼んで東棟の執務室に先に向かう事にする。

 何度かリーリアとして足を運んだ事があるから場所は覚えている。


 通路を歩くと、誰もが私に道を譲って礼を取る。誰に会っても立ち止まる必要はなく、頭を下げられるのは、何だか私にはとても落ち着かない。

 人の多い中庭の通路を避けて、北棟から東棟へ直接抜ける通路を選ぶ事にする。東棟は職務室の多い場所だから、華美よりも静謐が重んじられる。

 

 白い花が風に揺れるのを横目に、屋外通路から東棟へ入ろうとした時、顰めた話し声が耳に入った。


「女というのは感情的で困る。折角の好機なのに、ディルーカ伯爵令嬢が可哀想と喧々諤々だ」

「女子供に権力の行方など、解いたところで分かるまい。だが、あれは酷かったと私でも思う」

「そうか? 俺は胸がすいたな。忌々しいディルーカ伯爵に泥がついた」


 男たちが楽し気に小さく笑いあう。

 正直腹が立つ内容だけど、舞踏会の件の反応を知るには丁度いい。壁際に身を寄せて盗み聞く事にする。


「お前が思うのはディルーカ伯爵に対してだろう? 妻と娘が同情しているのはリーリアに対してだからな。うっかり口を滑らすと、大目玉を喰う事になるぞ」

「分ってる。俺だって、あの娘に関しては少々憐れには思う。棄てられた挙句に、罪をでっち上げられて――」

「馬鹿者。それは口にしたら拙いだろう。息まく『旧国派』を、国王不在の今だから抑えられている状況なのだから」


 やっぱり誰もがでっち上げだと気づいている。そして『旧国派』の人は怒ってくれている。これは少し心強い状況だ。国王様とお父様に連絡が届いて戻ってくれれば、状況が一変する。


「戻る前に事を大々的に打ち上げて、処刑まで終えようとはね。アベッリ公爵は残酷だな」

「だが、これで『教会派』に一時的かもしれぬが勢いが戻る」

「国王もディルーカ伯爵も絶対に戻れな――」


 足音が近づいて、男たちが話すのを止めて駆け足で立ち去る。


「レナート王子!」


 柔らかな声がした方を振り返って、小走りに駆けてくる令嬢から慌てて目を逸らす。

 いづれは会う事になると覚悟はしていた。でも、こんな風にソフィアと突然対面するとは思ってなかった。

 軽やかな足音が私の前で止まって、小さく弾む息遣いが聞こえる。


「レナート王子? どうかなさったのですか?」


 気遣う声に私はゆっくりと、避けるように閉じた目を開けて首を振る。


「いいえ」

「そうですか。お目覚めになられたのですね。良かったです」


 菫色の瞳を細めたソフィアが、花が綻ぶようにたおやかな笑顔を向ける。

 薄い菫色の瞳と綺麗な鼻梁。豊かな金の髪は近くで見ると、僅かに緑がかった愛らしい若菜色をしている。舞踏会の日は直視できなかったけど、本当に綺麗な人だ。


「ありがとうございます」

「なんだか表情が硬いですが、本当に大丈夫なのですか?」


 大丈夫かと言われれば、大丈夫じゃない。だって、私とソフィアの関係は『元婚約者』と『新婚約者』だ。心中穏やかではいられない。

 小さく息を吐いてから、私は何とか笑顔を取り繕う。


「本当に大丈夫です。廊下の向うで舞踏会の件を色々言う者がいたので、少し考え事をしてました」


 嘘を吐く余裕もなくて、会ったままの出来事を口にすると、ソフィアが悲し気に小さく息を吐く。


「あの件は、やはり間違っていたと思います。立ち去り際の、リーリア様の辛そうな顔が心から離れません。一言謝罪が許されるならしたい。でも、私が近づけば、きっともっと傷つけてしまうのでしょう」


 一瞬酷く苦し気に顔を歪めたソフィアに、嘘や建前があるようには見えなかった。

 チクチクと痛む胸に、握りつぶされる様な苦しさが加わる。


「貴方が気にする必要はありません」


 痛みにそっけなくなった私の言葉に、ソフィアが強く首を振る。


「気にします。私が申し上げてはいけない事だと分かっていますが、どうかリーリア様を処刑からお救い下さい。こんな終わり方はあんまりです。追い込んだ私が願える立場ではありませんが、せめてこの先で幸せになって頂きたいんです」


 瞬いたソフィアの瞳から、涙が一筋零れ落ちる。綺麗な涙だと思ってしまう。

 ソフィアが酷い子だったのなら、その方がずっと良かった。レナート王子への怒りに任せて、冷たくすることができる。

 でも、実際はとてもいい子だ。出会い方が違ったら、きっと友人にだってなれたかもしれない。


「ありがとうございます。出来る限りの事はしたいと思います」


 そう告げて、ソフィアの肩をそっと抱き寄せる。

 婚約者だった頃のレナート王子は、こうして私をよく慰めてくれた。だから、今のソフィアに私がするべきなのは、この行動しかない。


 遠くからソフィアの名を呼ぶナディル先生の声が聞こえた。

 私の……レナート王子の胸を一度ぎゅっと握りしめて、ソフィアが身を離す。


「私、マナーの練習の途中だったのに、抜け出してしまったんです。もう、戻らなくては……」

「急いで戻って下さい。ナディル先生は優しいけど、さぼると厳しいですから」


 頷いたソフィアがドレスの裾を翻して走り去る。その背を見送らずに、私も背を翻す。

 美しいソフィアは『聖女』という特別な存在で、それに相応しい優しさある。側にいたら、心が動くのは当たり前だ。

 当たり前だけど、今はまだ受け入れるには苦しい。

 執務室へと向かう足は、今にも駆け出しそうな速さになった。



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